グット・フライデーは、ヨーロッパでは仕事はしない。イースター・マンデーも休みだ。木曜の晩に、カミュが来るから、丸四日は一緒に居られる。 それに、今日は天気もいい。仕事を午前中に片付けて、掃除をして、夕方の市に行って食材を買ってこよう。と、頭の中で楽しく一日の計画を立てながら、ミロはニコニコと先ほど事務所に届いた荷物を開けにかかっていた。バスケット・ボール大の箱を開けた。
「うわっ! イースター・バニー・エッグだ!!」ミロの顔が、一瞬で輝やいた。
芝生の上で草を食むウサギや後ろ足で立つウサギが、ピンク色の銀紙の上にプリントされている。ビニルの箱の上に掛けられている巨大なリボンを取って、その銀紙を剥くと、茶色の表面が見えて来た。
こんなにデカイイースター・バニー・エッグを貰ったのは初めてだな、とわくわくしながら台所から取ってきたナイフの柄で卵に皹を入れる。
「半分だけ食べて、後はカミュに見せるのに取っておこう♪」
朝食代わりに、コーヒーが沸くのを待ちながら、パクパクと茶色の卵の欠片を食べながら、ミロはだんだんに大きくなってきた穴から中を覗いた。何か赤っぽいものが、ある??
気になってさらに穴を大きくして、そしてピンク色の棒のような物が中に入っているのだと確認が出来た。
何だろう?
当初予定していた半分以上を平らげて、中身を出してみる。妙に水気のあるビニルの触感、不思議な素材だった。しげしげと眺めても何かしれない。細く裂いたうす緑色のクッション素材の中に、小さな紙が埋もれていた。摘んで、中を見て、ミロはギョッとした。
「……どうしろっていうんだよ…これ……」
ミロ・フェアファックスは、小さなキッチン&居間にある机の上に、今朝ロンドンから届いた航空便で贈られてきた小包を広げて途方に暮れていた。
「ミロ! またお前タバコを吸ったな?!」
「うわー! ごめんなさい先生! もうしません!!」
パコンッ! とカミュは手にしていた封筒の角でミロの頭のてっぺんを叩いた。
「ってぇー!! おまえなぁ…! いくら紙だってそんな角で叩いたら痛ってぇーだろうが!」
「詰まらん返答をするからだ。心にもない!」
「…そんな…ちゃんと、止めようとしてるよ…」
「私が来ると連絡をしたら、な」
ぐうっ、と言葉に詰まったミロを見てカミュは盛大に溜息を付いた。酒・タバコ・女はやらないよく言えば誠実な、悪く言えばまったくのネンネだった男が、いつの間にかタバコだけは一人前に吸うようになって…カミュはぐっと言葉を飲み込んで言った。
「一日前に掃除したり、洗濯したくらいじゃ部屋の壁にまで染みた臭いやヤニは消えないんだよ…」
まったく…という言葉をまた飲み込んで目の前で小さくなっている恋人兼親友兼幼馴染を見下ろした。頬のラインが少しシャープになっているように見える。先ほど覗いた冷蔵庫には牛乳とオレンジジュースとチョコレートの欠片と水のボトル、チーズの欠片、冷凍庫には殆ど空になったアイスの箱が3箱。流し台の下にはトマト缶が三つ。備え付けの棚にはパスタが5箱。ゴミ箱や部屋の中は綺麗に片付けられていたが、これでは昨日までのゴミ箱の中身がなんであったか、想像に難くない。
「…ミロ、自分が去年私になんと言ったか覚えているだろうな? 音楽家の基本は何なんだ? 大体モデルの仕事もしてる身で……」
「独りだとつい、さ…面倒くさいじゃないか…お腹も空かないし…」
「電話で人に散々季節の変わり目だからとか、ちゃんと食べているかとか聞いておきながら、この体たらくか?!」
「だから…! ごめん、てば!! ちょっと先月はホントに忙しくて…!」
カミュは、もう一度溜息を付いた。先ほどから、ミロの手や表情や、ちよっとした体の動きが、自分に触れようとしては、自分の機嫌に恐れをなして行動に移れずにいるのだ。本当に、なんだって自分がここまで折れるんだ?! と胸中で毒付きながら、カミュは再度盛大に溜息を吐いてから、ミロの体を抱きしめてやった。ミロの体から緊張が抜けて、やがて自分の体をぎゅっと抱き返してくるのが分かる。こちらがきちんと多少の無理も効くように体調を整えてきてみれば…と、何度目になるかしれない胸中の声にはっとした。月に一回の逢瀬だと、こんなに欲求が溜まるものなのか、自分でも唖然とする。これが、三ヶ月、半月に一回、などであればまた違うだろうに…どうやら月に一回というのはなかなか巧いサイクルなのかもしれない。ミロがどうかはしれないが…。
「ミロ…唇が乾いてる、水分もまともに取ってなかったのか?」
キスに集中していたミロは、一瞬きょとん、とした表情を見せ、それからしまった、というように目を泳がせた。
「兎に角、風呂に入りながら、汗をかきながら水を飲んで来い。その間に何か作っててやるから」
眉間に皺を寄せてカミュは言葉を発した。ミロは、何も言い返さずに、一目散にタオルと着替えを纏めて部屋を飛び出して行った。
ミロの後ろ姿を溜息で見送って、カミュは、さて、と冷蔵庫を開け頭を抱えた。
そうだ…この内容だった……これで一体何を作れと……??
それでも、よくよく見れば、冷蔵庫の片隅に萎びたセロリの芯が残っている。これと、トマト缶…他に何か…配水管の後ろに、タワシや洗剤の予備があって、その奥にまた何か箱があった。何か使えるものだったらいいのだが、とカミュはその箱に手を伸ばし、埃も被っていないその箱を不信に思うことなく、開けた。
そして、固まった…。
「カミュ、ごめん。何か手伝うよ」
バスから帰って来たミロが、髪から水を滴らせながらカミュに声を掛けた。そこには、片手に何かを握ってぷらぷらと振りながらニッコリと笑っているカミュの姿が在った。
「これは、一体、何処で手に入れたのかな?」
バスタオルを頭から被ったままのミロが、そのままの形で凍り付いた。まったく、何から何迄、良くも悪くも予想通りの反応だ。カミュは溜息を噛み殺した。
そういえば。先刻ゴミ箱の隅にはりついていたド派手な色のリボンは、菓子屋の店頭に並んでいる巨大サイズのチョコレートで出来たイースター・エッグ(カミュは自分を英国人だと思っているので、間違っても復活の主日をパックだのパスクワだのとは呼ばない)の包装についていたものに似ている、ような気もする。
「まさか、巨大タマゴの中からコレが出て来た、とは言わないだろうな?」
「……なんで見つけるかな…………」
「人が簡単に探せるような場所に置いておくからだ。で、答えは?」
ミロは、半ば自棄、半ば悲愴とも言える表情で、ぼそぼそと呟いた。
「……タマゴの中、ってのは、実は正解(アタリ)だよ……冷蔵庫の中に殻の破片があっただろ? でも、誓って言うけど、オレが買ったんじゃない」
「それならそんなに怯える必要はないだろう。しかし、どうやらこれは、わざわざ隠してあったようだが?」
「……だって……あー、もう……訊かない方がいいと思うから隠したのに……」
殆ど絶望的な表情でこちらを見上げるのを見て、カミュは合点がいった。こういう下らない事をするのは、今のところ一人しか思いつかない。
「成程。ロンドンのイースター・バニーからの宅配便だな。……あの人も暇というか何と言うか……第一あそこは今ウサギの病気でイースターどころではなかっただろうに」
「あ、病気なら治ったらしいよ? 今日の昼、サガから電話で聞いた」
「それは結構。でもこちらから電話した時は出なかったのに、サガ先輩とは話していたんだ?」
「いや! それは、その、丁度別件で呼び出し食らって!!!!」
大体、折角パスクワにカミュがやって来ると知って、何とか仕事を片付けて、買い物をして、とミロはミロなりに計画を立てていたのだが、その1本の電話が微妙にスケジュールを狂わせてしまったのだ。
今年のOBオーケストラへの参加確認をしてきたサガが、常になく上機嫌で、回復してきた(ウサギの)アイオロスの話を延々と三十分話してしまった。そのあと、買い物に出ようとしたら、モデル仲間の女の子が一人泣きながら電話をかけてきて……結局、(携帯の通じない)バーで散々愚痴を聞かされ、店はすっかり閉まり、二人分の食料の確保もままならないまま現在に至る……
「………カミュ、怒ってる?」
「いや? 別に?」
「……嘘だ。絶対怒ってる。目が怖い」
「そうだな、折角面白い道具もあることだし? 少し楽しく遊べば機嫌も良くなるかもしれないな?」
「え? 何? そんなの使い方知ってるの…?」
「勿論、お前へのプレゼントだからな。お前がまず楽しむべきだろう? 大体、ここ数日チョコレートとアイスで生きていて体力もないだろうし?」
「…! そんな事無い! 体力ならある!! あります!!」
その後、狭い寝室から絹を裂くような悲鳴が上がったが、復活祭のローマは人通りも少なく、気付いて窓を振り仰ぐ者は誰もなかった。
(合掌)