2007年 フェアファックスさん宅での七癖のお話

無くて七癖とは、誰にでも七つくらいは癖がある、という含蓄ある格言である。
突然、バカンスと称して居付き始めた恋人との会話中に、そんな話題が持ち上がり、カミュ・バーロウはせがまれるままに相手の癖を数え上げ始めた。
一つ、こうしてソファに座っていると、足元にやってきて、理解に苦しむが人の膝を割って背を人の足の間に挟んでリラックスする事。
一つ、DVDなど娯楽要素の強いものを見るとき、長椅子の片側(大体画面に対して右側)の肘宛に人の背中を押し倒し且つ人の腹の上に枕を置いてその上に頭を預けて横たわる。この時もまた人の足の間に体を割り込ませてのびのびと手足を伸ばしているので、三分の一の割合で途中から居眠りを始め映画が終わってから目を覚まし、人に荒筋・結末・解説をさせる事。
理解に苦しむ癖だな、と話をまとめると、驚いた顔をして「イヤだったか?」と訊かれる。
理解に苦しむが、懐かれないよりはマシだろうな、と心の中で自分に答える。

それに、敢えて口にしなかったが、もっとも不可解な癖は、肉体関係を持った後、再び人の体に性器を入れたまま寝たがる事だろう。
時間が経てば自分には違和感が出始めるし弛緩した体というものはそれなりに重い。体も痺れる。一方相手のミロは普段はぐずぐずと起きているくせに、何故か人の体に密着していると直ぐに眠ってしまう。
結果、いちいち断って落ち込まれるのも面倒なので適当に了解して、相手の呼吸が深くなったところを見計らい、そっと体を離し隣に転がして布団を被せて眠らせておく、というのがここ一年、縒りを戻してからのカミュの就寝前の御約束だ。
そう言えば、寝相が悪いこの恋人は、しばしば朝になると何も掛けずに丸く縮こまって寝ていたりする。
二月にこちらが布団を二枚とも被って寝ている事が知れた時には散々わめかれたが、こちらもどうやら無意識にした事。あれは事故の類だな、と頭が要らぬ出来事を追い始める。
頭を再び『癖』の項目に戻すと、
怪談話を聞くと布団の中で延々と眠ろうとせずに話し続ける。
人の話を何でも真に受ける。
なんの料理にもトマトを入れる。
牛乳を水代わりに飲む。
裸で平気で部屋の中をうろつく。
髪の手入れを全くしない。
服装も気にしない。
…………。

なんでこんな奴が恋人なんだろう……?

と、一瞬カミュは呆然自失の境地に片足を踏み入れた。
が、ふと鋭い青の記憶に意識を引かれる。
楽器を構えた時、音を奏でる時、追いかける時、舞台に立つ時のミロの瞳の色だ。
浮き沈みの激しいショーモデルの世界で、未だに一線に立ち続けられるのは、どんな箱でも観客でも、状況でも、決して霞まない華があるからだ。
普段のこうした動物と同レベルな態度と行動からは考えられないくらい、場を圧倒させる。
本人は完璧に『あれは仕事用』、と切り離してしまって本来の自分ではないとしているが、カミュはそんなミロの独特の挑発的な他者を魅惑する姿が嫌いではない。むしろ惹かれている。
だから、まじかでは決して見せようとしない、それどころかしっかりと隠しこんでいるその態度に、しばしば落胆を味わう。
もっと見てみたいのに……。
そうだな。妙な所でテレたり、ケチなのもこいつの悪い『癖』だな。
カミュは眉を寄せて一人納得する。

そして、現実の世界では、黙り込んでしまったどころか、眉間に皺まで寄せ始めたカミュに、ミロが、
「じゃあ、もうしないようにする?」
と心配気に尋ねてきていた。
「もう慣れた」
とカミュが短く答えると、この返答では納得できないのか、何やら考え込む様子のミロ。
「まあ、おかげでお前は何回でも同じ映画が見れていいんじゃないのか?」
とさらに付け加えると、「じゃあ、カミュの癖はなんなんだよ?」と少しむくれた返事が返る。
「癖というのは自分では気付きにくいから、人に教えてくれと頼んだんじゃないのか? お前が」
呆れた振りをして、人の太股にそれぞれの腕を掛けて丁度腹の高さから見上げてくる白い頭を一撫でして答える。
「……なんでも直ぐに『ダメ』って言う所だな。一つ目。キスしようとすると直ぐに人の顔押し返すし、二つ目」
「一つ目も二つ目も、お前がTPOを無視した行動に出ようとしているからそういう結果に繋がるだけで、それは私の癖じゃない」
「じゃ、そうやって直ぐに言葉で言い返してくるところ」
「……あのな……、言い返しているんじゃない。訂正しているんだ。何度も言わせてもらっているが」
「じゃあ、舐める。カミュは結構人の体何処でも舐める」
「……………お前は、また唐突に………。そういう意味では、お前は直ぐに人を噛むだろう?」
「そうかな? ----あ、ホントだ。結構噛んでるかも……」
ふと目に入ったカミュの指先を手に取り口先に運んでそう呟くと、ミロはカミュの薬指の先を軽く上下の歯に挟んだ。
「痛い? 嫌?」
「いや? 痛くはない」
カミュは咥えられていた薬指をそっと白い歯列から指を抜き、恋人の唇をその指でなぞった。
「あ、これも結構カミュ、よくやる? 人の唇撫でる」
「お前も時々やるぞ?」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、カミュの上半身がミロの頭上に覆いかぶさり、今度は指でなく赤い舌がミロの唇を撫でた。
「あ、ほら、カミュ舐めた」
何が嬉しいのか、楽しいのか、ぱっ、と破顔して舌を舐め返してきた恋人の対応に、カミュの頭は素早くこれから先の展開への計算を組み立てる。
そして、カミュが少し無理のある姿勢を伸ばそうと背を立てると、そのまま大きな、今は白色の巻き毛の生き物が釣れた。
それはするりとカミュの体に圧し掛かり、顔中にキスの雨を降らせる。そして、カミュの肩口に頭をぎゅっ、と押し付けると首の終わりから耳に掛けて、ゆっくりと舐め上げた。
「お前だって舐めているじゃないか」
「カミュの真似したんだよ」
カミュは詰めた息を吐くと、ゆっくりとミロの髪に指を差込みその細く柔らかい糸のような毛髪を梳く。
「それから、カミュ、人の髪をそうやって指で梳かすのも癖? オレはすごく気持ちいいから好きだけど」
「そうだな……そうかもしれないな。お前が気持ち良さそうにするから……」
「うん。それは嬉しい癖だ。カミュは? 何かオレに癖にして欲しい事ある?」
癖というのは意識的にそうするものではないと思うが、と喉まで出かかった声を飲み込んで考える。
癖というのは、本来所構わず出てくるもので、ただでさえプライベートとパブリックの境界が曖昧なミロにつけさせて安全なものなど、そうそうあるものではない。そもそも、無くて七癖、どころではなく両手両足の指を全部使ってもまだ足りないくらい不可解な行動の多い恋人に、これ以上理解に苦しむ癖など無くてもよい、というのがカミュの本心だ。
でも、まあ、折角のポジティブな提案だから、何か頼み事があるとすれば……
「……いちいち、何かをするのにこちらの許可を取らないでいい。二人で居るときは」
「許可を取らなくていいって……そもそもカミュがダメ出し沢山するから……」
言いかけてミロは、はっ、と口を噤んだ。ミロの予想する言葉がカミュの口から出掛かっている。その唇に掌で蓋をして、じいっとカミュの瞳を見詰めて尋ねる。
「カミュに事前に確認するのは、カミュが嫌がる事をしたくないからで、一応礼儀でもあると思っているんだけれど……」
ここで一旦言葉を切ったミロは、カミュのこめかみに唇を寄せてその先にある耳を軽く歯で引っ張った。
「二人で居るときって、こういう時だよね?」
そして、するりとカミュの口に蓋をしていた手を後頭部に回し角度を付けると、深く口付けながら服の裾から手を差し入れた。
すると、
「……やるならシャワー」
カミュの一言に、ミロはがっくりとカミュの体の上に崩れ落ちた。
「シャワーってカミュの口癖その三、だよな」
「違う。最低限のエチケット」
ボタリ、とアメーバーのようにミロがソファからだれ落ちたお陰で体の自由を取り戻したカミュが上半身を起こすと、突然ミロの腕が背と足に回され、あっ、と思う間もなく体が浮き、ぐらりと揺れた。

落ちる!

とっさにミロの首にしがみ付くと、ミロはなんとか体制を立て直したようでしっかりとカミュの体を抱えて立っている。
許可を取らなくていいっと言った矢先にこれかっ?!
口に出しては言えなかったが、目を剥いて驚いた。
自分がそれなりに体重がある事も承知している。いくらなんでも無理だろう?! と思っている矢先にミロは動き出す。どうやらこのままバスルームに運びたいらしい。
時折ぐらつくのが、とても恐い。落ちる、落ちる、と心の中で繰り返しながら重心を安定させるべくミロの首に巻いた腕に力を込める事しか出来ない。
やっとの思いで目と鼻の先にあるバスルームに到着した時、カミュは冷や汗と安堵の溜息を、ミロは得意げな笑顔を手に入れていた。

えーっと……、それで、お前はこれからどうしたいのかな??

思わず片側の唇の端がひくり、と痙攣した。しかし、そんなカミュにはお構いなく、ミロの唇はカミュの唇に重なり、カミュの腰はぎゅっと抱きしめられた。
溜息を付くと舌が入り込み、体の力が徐々に抜けていくのが自分でも分かる。カミュは両腕をミロの首に回した。
場所はバスルームだし、食事もしたし、まあ、後はミロの好きにさせてやろう。
ゆっくりと背中を辿り、Tシャツの裾に手を差し入れると、首筋にキスが下りてきて、その向こうに鏡が見える。
鏡に映る自分の顔。

もう、惚れているのだから仕方が無い、と鏡の中の顔は言っていた。