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31 (Sat) Dec 2005 [no.5] |
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電話 |
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夕刻、ミロから電話が来た。
最初から、何だかミロらしくない電話だった。雑務に追われてこの年末年始も忙しいと言っていたのに、クリスマス以降、どうしているか、などと訊ねて来た。 クリスマスには実家にも帰ったし、今は仕事もないけれど、今度照明デザインコンペに出す作品を作っている。この通り、ロンドンの新居に籠って居ると答えると、どこか 戸惑ったような沈黙が返って来た。 そちらはどうか、と逆に訊ね返した。イタリアには親戚も居るのだし、明日はNew Yearという日の夜に親戚を訪ねなくてもよいのか、と。 ミロは少し笑って、「行けば歓迎してくれると思うけどね」と返して来た。
フィレンツェ郊外のミロの親戚の家には、以前お邪魔したことがある。とても快活な人々で、あれやこれやと世話を焼いてもらい、とても楽しく過ごさせてもらった。ミロはあちらの親戚では唯一の男子で、従姉妹達から随分と慕われている。年上の従姉妹からは、少々遊ばれている、といった印象もある。最近は代わる代わる彼女達の女友達を紹介してくるので困っている、とミロは以前話していた。 ただ、ミロは独立してから仕事のつては多分にこの親戚一家に依っていて、世話好きな叔母上も何かと口実を見つけてはミロを夕食に招いたりしている。折角のNew Yearなのだから、お礼も兼ねて訪ねていったらどうだ、と言ってみた。
何故か、ミロの元気がないような気がしたからだ。 単に、疲れているだけなら良いのだが。 特に用件もなさそうな電話の理由が、鬱になりかけた気分を紛らわせるためだとしたら、一人でいるのはあまり良くない。
ミロは、暫く黙っていた。それから、ぽつりと、「カミュは?」と訊いて来た。 New Yearを一人で過ごすのか、と。 言われて初めて、その事に気付いた。 作品を作っているから寂しいとも思わなかったが、友人達は皆NewYearを祝うために実家に戻ったり、友達の家に押し掛けたりしている。 確かに、あまり健全じゃないな、と笑ったら、「そうなんだ…」と、少し驚いたような返事が返って来た。
「ひとつ、プライベートなこと訊いてもいいか?」
昔から、ミロの話には脈絡がない。訊きたいことは前後の話に関係なくその場で尋ねるから、よく話の流れが掴めずに戸惑ったものだ。 でも、この時は、すぐに解った。 ミロは、この一言を言うために、一応これまで「話の流れ」を作ろうとしていたのだ。 日本で色々と苦労したのか、曲がりなりにも社長という立場になって、話術の基礎を習得し始めたのか。ここまでの彼の苦労を思うと、自然と口元が緩んだ。
「どうぞ?」
笑いを堪えて答えると、果たして、ミロはとんでもない事を訊いて来た。
「カミュ、……結婚を前提につきあってる彼女がいるって本当?」
一瞬、返答につまった。あまりにも唐突で、思わず自分の行動を振り返ってミロがそう勘違いしそうな理由を探してしまった。さもなければ、ローマにいる彼が、そう思い込む理由が全く解らなかったからだ。
「いや、そんな人はいないよ? 8月に君にも教えた通り、Ellenとは今年5月に別れてる。その後は誰とも付き合ってない。…一体どこでそんな話を?」
答えながら、不意に一つの可能性に思い当たる。8月にも、先のクリスマスにも、そんな誤解を招く行動など身に覚えがない。それなのに、ミロがそう勘違いする理由があるとしたら。
「…もしかして、アイオリアから聞いたのか?」 「…うん、まあ、ちょっと……」 「何て言ったんだ? 彼は」
ミロに非はないのに、自然と詰問口調になってしまった。本当は、聞かずとも顛末などわかる。おおかた、アイオリアがあのパブでの夜の後、ミロに電話をしたのだろう。 少し、腹が立った。子供に愛情を注ぐアイオリアの気持ちも、解らないではない。彼の少々過熱気味の情熱が、我々を慮ってのことであることも重々承知している。 でも、ミロは大切な友人の言葉は何の疑いもなく信じる性格だ。そういう人間に嘘をつく悪癖は、彼の兄だけのものだと思っていたのに。
「いや、ちょっと、オレがリアの言葉を誤解、というか早とちりしただけかもしれない」 声色でこちらの不機嫌を察したのか、電話の向こうから、少し慌てた声が返って来た。 「カミュとパブで色々話したって言ってたからさ。で、てっきりパブでの話ってカミュの彼女の話だったのかって思って」 「彼女と付き合え、とは散々諭されたけれどね。いい大人なんだから、今度こそ女性と結婚して、子供を持て、と。…今、彼はそういう幸せな生活を送っているから、友人として、私達にもそういう生活を送って欲しいんだろう…」
ミロがアイオリアを庇ったので、それ以上の追求は止めた(それにしてもかなり苦しい言い訳というか、庇っているのが丸見えというところが如何にもミロらしい)。本当のところがどうだったにせよ、ミロは自分から電話をして事の真偽を確かめようとしたのだから、大きな進歩と言うべきだ。一年前だったら、きっとそう思い込んだ時点で距離を置いていたに違いない(アイオリアもまさにそれを狙ったのだろう)。
「それで? 電話の用件はそれだけか?」
何時アイオリアからの電話があったのか知らないが、それから(多分)延々悩んだ挙げ句、年の瀬の日も暮れてから電話をかけてきた事が少しおかしくて、つい宥めるような口調になった。私が今日実家に戻っていたらどうするつもりだったんだろう。年明けまでこの話を持ち越すつもりだったのか。
帰らなくて、良かった。 仕事用に暖房の設定温度を下げた部屋が、少し暖かくなったように感じた。 たった一言を尋ねたかった理由があるとしたら……。
ミロの行動に、余計な理屈をつけても仕方が無いと知っている。 いつもの通り、ただ単に不思議に思っただけなのかもしれないし、あまつさえ私に彼女が出来たことを祝うつもりで電話をかけて来たのかも知れない。 でも、都合のいい予想に、どうしても嬉しさを感じてしまう自分がいて、それだけはまぎれもない事実だ。 用件もなく、だらだらと電話を続けるのは決して好きじゃないのに、このままとりとめもない話を続けていたい、と願ってしまう。
電話の向こうに、戸惑ったような沈黙が聞こえた。 おおかた、「それだけです」と答えてよいものやら、試行錯誤しているのだろう。 別に用件がなくたって構わないのに。 そんなに私はいつも怒ってばかりいたんだろうか?
小さく、吐息が聞こえた。 「そう。聞きたかったのはそれ。でも、なんで聞きたかったのかっていうのもちゃんと理由がある」
先刻までの歯切れの悪い言葉とは打って変わった声が聞こえてきた。
「つまり、オレはカミュの事がずっと、今も好きで、もう少し自分の目処が立ったら言うつもりだったとか、色々あるけれど……。…言うつもりで何もカミュに知られないままあったかもしれないチャンスを逃すのはイヤだと今回の事で実感した。ので、兎に角、オレは今カミュに惚れてるから…それを知るだけは知っといて欲しい。それでカミュの選択肢の中に入れておいてくれたら更に有難い。」
正直、かなり驚いた。その言葉を今日聞くとは思わなかったからだ。
ミロの方に、まだ未練があるのは感じていたし、自分もそうだった(でなければEllenとたった半年で別れたりしない)。だから、多分、私達は疲れすぎて別れてしまっただけで、多分一度も嫌いになったことはないし、本当の意味でただの友達であったこともないのだ。 でも、お互いに、きっかけが掴めなかった。もう少し身辺が安定してから、というミロの思惑も感じていたし、私もそれでいいと思っていた。その間にミロに彼女が出来たら、なんて、露程も考えなかった……。
高慢な自分に驚いた。 自分は、それほどミロから愛情を受けるに値する人間か? 別れていた間別の女性とも付き合った自分が、何一つ伝えることもなく、ただ時機を伺うばかりで相手の関心を繋ぎ止めていられる程に?
「うん……ありがとう」
残りの息を吐いた。きちんと、全てを清算しよう。そうして、相手に期待して、自分を出し惜しみしながら何かを待つのはもう終わりにしよう。
「今から、ローマに行くよ。まだ急げば最終便に間に合うから。…君の仕事の邪魔にならなければ、だけれど」 「えっ?! 今から?!!」 「電話じゃ話せないから。…それとも、都合が悪い?」 「そんなことはないけど……」
受話器の向こうから、かなり慌てた気配が伝わって来た。続いて、何かがクラッシュする音…どうやら、ペン立てをひっくり返したらしい。 「片付けはしなくていいよ。座る場所だけ作っておいてもらえれば」 つい、笑ってしまった。ミロは元来綺麗好きだが、一人暮らしで仕事を家に持ち込むようになって、少々家が荒れているようだ。
「わかった。あと、酒のつまみくらいは買っておくよ」 「随分と気が利くようになったな」 「そりゃね。一応、営業もやってますから」 「解るよ。……随分変わったと思う。いい方向に。」 「そうかな?」 「うん。この一年大分苦労したみたいだけど、私は今の君の方がずっといいと思う。」
暫く、沈黙が落ちた。わざと答えないでいた答えに、お互い居心地の悪さを感じている。でも、電話では、どうしても言いたくなかった。だからこそ、わざわざローマまで会いに行くのだ。
「…電話で話せないことって、何?」
ついにミロが痺れを切らして聞いて来た。
「それを言いに、今からローマまで行くんだよ」 「なんで? 気になるんだけど…。今言えばいいだろ?」 「気になるって…まさか、想像つかないのか?」 「つかないから聞いてるんだろ! 何なんだよ?!」 「イヤだ」 「なんだよそれ! 言いかけた事は今言え、っていっつもカミュが言ってるんだろ? 気になるじゃないか!」」 「言えるか! こんな中身のない電気機器相手に、こっ恥ずかしい!」 「ケチ!」
下らないやり取りに、ついに吹き出した。こんな馬鹿をやれる相手は、やっぱりミロしかいない。 それにしても、本当に解らないんだろうか。全く想像しない訳でもないだろうに。 相変わらず、肝心なところで鈍いというか保守的というか…… (でもそういう所をこそいつまでも新鮮に感じてしまうのだから、仕方がないか(笑))
「わかった。今言ってやるからよく聞いていろ」
流石に、何も言わないのは少し可哀想な気がしてきた。 途端に静かになった受話器を耳から外し、水平に持ち上げる。それから、神妙に聞いているらしい耳に届くように、受話器に軽く音を立ててキスをした。
「……満足した?」
いくら何でも、これなら解るだろう?
「……カミュ……、そっちの方が、よっぽど恥ずかしくないか?」 「放っておいてくれ。あんまり言うなら、用件も済んだことだし、もう行かない」 「わかった! もう言わない!」
待ち合わせの場所や時間などを打ち合わせて、結局小一時間にもなった電話を切った。あと30分で家を出なければならない。会社で使っていた出張用の旅行バッグに軽く着替えを詰め、戸締まりをしたところで、作りかけのスタンド・ライトが目に留まった。 ミロにも、観てもらおうか。 もう一度鞄を明け、緩衝材で包んだライトを詰めた。ふと視線を落とすと、机の上にアイオリアからのクリスマス・カードが置かれていた。
ごめん、アイオリア。 君が言う事は正しいのかも知れないけど、今はまだ君の意には添えないよ。 いつか、ミロが本当に子供を欲しいと思う日がきたら、その時こそ君の助けが必要になるかも知れない。 その日まで、変わらず良き友たらんことを。
(カミュ・バーロウ)
1月1日、2006年 追記
ミロの家に着いたら、ワインでも飲みながら、1年前のことをちゃんと謝って、色々あったけどやっぱりミロが一番好きだと言おうと思ったのに(そのためにローマまで来たのだから)、そんな話になる前に寝室に移動してしまって今に至る… 我ながら、この雰囲気に流される悪癖はなんとかした方がいいと思う。 ミロ以外が相手なら、そうでもないんだが……(アイオロス先輩には引っかかったが、あれは飲み過ぎたのが敗因だ)。 今年の目標にしよう。
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