31 (Sat) Dec 2005 [no.5]
 
 
電話

 夕刻、ミロから電話が来た。

 最初から、何だかミロらしくない電話だった。雑務に追われてこの年末年始も忙しいと言っていたのに、クリスマス以降、どうしているか、などと訊ねて来た。
 クリスマスには実家にも帰ったし、今は仕事もないけれど、今度照明デザインコンペに出す作品を作っている。この通り、ロンドンの新居に籠って居ると答えると、どこか 戸惑ったような沈黙が返って来た。
 そちらはどうか、と逆に訊ね返した。イタリアには親戚も居るのだし、明日はNew Yearという日の夜に親戚を訪ねなくてもよいのか、と。
 ミロは少し笑って、「行けば歓迎してくれると思うけどね」と返して来た。

 フィレンツェ郊外のミロの親戚の家には、以前お邪魔したことがある。とても快活な人々で、あれやこれやと世話を焼いてもらい、とても楽しく過ごさせてもらった。ミロはあちらの親戚では唯一の男子で、従姉妹達から随分と慕われている。年上の従姉妹からは、少々遊ばれている、といった印象もある。最近は代わる代わる彼女達の女友達を紹介してくるので困っている、とミロは以前話していた。
 ただ、ミロは独立してから仕事のつては多分にこの親戚一家に依っていて、世話好きな叔母上も何かと口実を見つけてはミロを夕食に招いたりしている。折角のNew Yearなのだから、お礼も兼ねて訪ねていったらどうだ、と言ってみた。

 何故か、ミロの元気がないような気がしたからだ。
 単に、疲れているだけなら良いのだが。
 特に用件もなさそうな電話の理由が、鬱になりかけた気分を紛らわせるためだとしたら、一人でいるのはあまり良くない。

 ミロは、暫く黙っていた。それから、ぽつりと、「カミュは?」と訊いて来た。
 New Yearを一人で過ごすのか、と。
 言われて初めて、その事に気付いた。
 作品を作っているから寂しいとも思わなかったが、友人達は皆NewYearを祝うために実家に戻ったり、友達の家に押し掛けたりしている。
 確かに、あまり健全じゃないな、と笑ったら、「そうなんだ…」と、少し驚いたような返事が返って来た。

「ひとつ、プライベートなこと訊いてもいいか?」

 昔から、ミロの話には脈絡がない。訊きたいことは前後の話に関係なくその場で尋ねるから、よく話の流れが掴めずに戸惑ったものだ。
 でも、この時は、すぐに解った。
 ミロは、この一言を言うために、一応これまで「話の流れ」を作ろうとしていたのだ。
 日本で色々と苦労したのか、曲がりなりにも社長という立場になって、話術の基礎を習得し始めたのか。ここまでの彼の苦労を思うと、自然と口元が緩んだ。

「どうぞ?」

 笑いを堪えて答えると、果たして、ミロはとんでもない事を訊いて来た。

「カミュ、……結婚を前提につきあってる彼女がいるって本当?」

 一瞬、返答につまった。あまりにも唐突で、思わず自分の行動を振り返ってミロがそう勘違いしそうな理由を探してしまった。さもなければ、ローマにいる彼が、そう思い込む理由が全く解らなかったからだ。

「いや、そんな人はいないよ? 8月に君にも教えた通り、Ellenとは今年5月に別れてる。その後は誰とも付き合ってない。…一体どこでそんな話を?」

 答えながら、不意に一つの可能性に思い当たる。8月にも、先のクリスマスにも、そんな誤解を招く行動など身に覚えがない。それなのに、ミロがそう勘違いする理由があるとしたら。

「…もしかして、アイオリアから聞いたのか?」
「…うん、まあ、ちょっと……」
「何て言ったんだ? 彼は」

 ミロに非はないのに、自然と詰問口調になってしまった。本当は、聞かずとも顛末などわかる。おおかた、アイオリアがあのパブでの夜の後、ミロに電話をしたのだろう。
 少し、腹が立った。子供に愛情を注ぐアイオリアの気持ちも、解らないではない。彼の少々過熱気味の情熱が、我々を慮ってのことであることも重々承知している。
 でも、ミロは大切な友人の言葉は何の疑いもなく信じる性格だ。そういう人間に嘘をつく悪癖は、彼の兄だけのものだと思っていたのに。

「いや、ちょっと、オレがリアの言葉を誤解、というか早とちりしただけかもしれない」
 声色でこちらの不機嫌を察したのか、電話の向こうから、少し慌てた声が返って来た。
「カミュとパブで色々話したって言ってたからさ。で、てっきりパブでの話ってカミュの彼女の話だったのかって思って」
「彼女と付き合え、とは散々諭されたけれどね。いい大人なんだから、今度こそ女性と結婚して、子供を持て、と。…今、彼はそういう幸せな生活を送っているから、友人として、私達にもそういう生活を送って欲しいんだろう…」

 ミロがアイオリアを庇ったので、それ以上の追求は止めた(それにしてもかなり苦しい言い訳というか、庇っているのが丸見えというところが如何にもミロらしい)。本当のところがどうだったにせよ、ミロは自分から電話をして事の真偽を確かめようとしたのだから、大きな進歩と言うべきだ。一年前だったら、きっとそう思い込んだ時点で距離を置いていたに違いない(アイオリアもまさにそれを狙ったのだろう)。

「それで? 電話の用件はそれだけか?」

 何時アイオリアからの電話があったのか知らないが、それから(多分)延々悩んだ挙げ句、年の瀬の日も暮れてから電話をかけてきた事が少しおかしくて、つい宥めるような口調になった。私が今日実家に戻っていたらどうするつもりだったんだろう。年明けまでこの話を持ち越すつもりだったのか。

 帰らなくて、良かった。
 仕事用に暖房の設定温度を下げた部屋が、少し暖かくなったように感じた。
 たった一言を尋ねたかった理由があるとしたら……。

 ミロの行動に、余計な理屈をつけても仕方が無いと知っている。
 いつもの通り、ただ単に不思議に思っただけなのかもしれないし、あまつさえ私に彼女が出来たことを祝うつもりで電話をかけて来たのかも知れない。
 でも、都合のいい予想に、どうしても嬉しさを感じてしまう自分がいて、それだけはまぎれもない事実だ。
 用件もなく、だらだらと電話を続けるのは決して好きじゃないのに、このままとりとめもない話を続けていたい、と願ってしまう。

 電話の向こうに、戸惑ったような沈黙が聞こえた。
 おおかた、「それだけです」と答えてよいものやら、試行錯誤しているのだろう。
 別に用件がなくたって構わないのに。
 そんなに私はいつも怒ってばかりいたんだろうか?

 小さく、吐息が聞こえた。
「そう。聞きたかったのはそれ。でも、なんで聞きたかったのかっていうのもちゃんと理由がある」

 先刻までの歯切れの悪い言葉とは打って変わった声が聞こえてきた。

「つまり、オレはカミュの事がずっと、今も好きで、もう少し自分の目処が立ったら言うつもりだったとか、色々あるけれど……。…言うつもりで何もカミュに知られないままあったかもしれないチャンスを逃すのはイヤだと今回の事で実感した。ので、兎に角、オレは今カミュに惚れてるから…それを知るだけは知っといて欲しい。それでカミュの選択肢の中に入れておいてくれたら更に有難い。」

 正直、かなり驚いた。その言葉を今日聞くとは思わなかったからだ。

 ミロの方に、まだ未練があるのは感じていたし、自分もそうだった(でなければEllenとたった半年で別れたりしない)。だから、多分、私達は疲れすぎて別れてしまっただけで、多分一度も嫌いになったことはないし、本当の意味でただの友達であったこともないのだ。
 でも、お互いに、きっかけが掴めなかった。もう少し身辺が安定してから、というミロの思惑も感じていたし、私もそれでいいと思っていた。その間にミロに彼女が出来たら、なんて、露程も考えなかった……。

 高慢な自分に驚いた。
 自分は、それほどミロから愛情を受けるに値する人間か?
 別れていた間別の女性とも付き合った自分が、何一つ伝えることもなく、ただ時機を伺うばかりで相手の関心を繋ぎ止めていられる程に?

「うん……ありがとう」

 残りの息を吐いた。きちんと、全てを清算しよう。そうして、相手に期待して、自分を出し惜しみしながら何かを待つのはもう終わりにしよう。

「今から、ローマに行くよ。まだ急げば最終便に間に合うから。…君の仕事の邪魔にならなければ、だけれど」
「えっ?! 今から?!!」
「電話じゃ話せないから。…それとも、都合が悪い?」
「そんなことはないけど……」

 受話器の向こうから、かなり慌てた気配が伝わって来た。続いて、何かがクラッシュする音…どうやら、ペン立てをひっくり返したらしい。
「片付けはしなくていいよ。座る場所だけ作っておいてもらえれば」
 つい、笑ってしまった。ミロは元来綺麗好きだが、一人暮らしで仕事を家に持ち込むようになって、少々家が荒れているようだ。

「わかった。あと、酒のつまみくらいは買っておくよ」
「随分と気が利くようになったな」
「そりゃね。一応、営業もやってますから」
「解るよ。……随分変わったと思う。いい方向に。」
「そうかな?」
「うん。この一年大分苦労したみたいだけど、私は今の君の方がずっといいと思う。」

 暫く、沈黙が落ちた。わざと答えないでいた答えに、お互い居心地の悪さを感じている。でも、電話では、どうしても言いたくなかった。だからこそ、わざわざローマまで会いに行くのだ。

「…電話で話せないことって、何?」

 ついにミロが痺れを切らして聞いて来た。

「それを言いに、今からローマまで行くんだよ」
「なんで? 気になるんだけど…。今言えばいいだろ?」
「気になるって…まさか、想像つかないのか?」
「つかないから聞いてるんだろ! 何なんだよ?!」
「イヤだ」
「なんだよそれ! 言いかけた事は今言え、っていっつもカミュが言ってるんだろ? 気になるじゃないか!」」
「言えるか! こんな中身のない電気機器相手に、こっ恥ずかしい!」
「ケチ!」

 下らないやり取りに、ついに吹き出した。こんな馬鹿をやれる相手は、やっぱりミロしかいない。
 それにしても、本当に解らないんだろうか。全く想像しない訳でもないだろうに。
 相変わらず、肝心なところで鈍いというか保守的というか……
 (でもそういう所をこそいつまでも新鮮に感じてしまうのだから、仕方がないか(笑))

「わかった。今言ってやるからよく聞いていろ」

 流石に、何も言わないのは少し可哀想な気がしてきた。
 途端に静かになった受話器を耳から外し、水平に持ち上げる。それから、神妙に聞いているらしい耳に届くように、受話器に軽く音を立ててキスをした。

「……満足した?」

 いくら何でも、これなら解るだろう?

「……カミュ……、そっちの方が、よっぽど恥ずかしくないか?」
「放っておいてくれ。あんまり言うなら、用件も済んだことだし、もう行かない」
「わかった! もう言わない!」

 待ち合わせの場所や時間などを打ち合わせて、結局小一時間にもなった電話を切った。あと30分で家を出なければならない。会社で使っていた出張用の旅行バッグに軽く着替えを詰め、戸締まりをしたところで、作りかけのスタンド・ライトが目に留まった。
 ミロにも、観てもらおうか。
 もう一度鞄を明け、緩衝材で包んだライトを詰めた。ふと視線を落とすと、机の上にアイオリアからのクリスマス・カードが置かれていた。

 ごめん、アイオリア。
 君が言う事は正しいのかも知れないけど、今はまだ君の意には添えないよ。
 いつか、ミロが本当に子供を欲しいと思う日がきたら、その時こそ君の助けが必要になるかも知れない。
 その日まで、変わらず良き友たらんことを。

(カミュ・バーロウ)

1月1日、2006年 追記

 ミロの家に着いたら、ワインでも飲みながら、1年前のことをちゃんと謝って、色々あったけどやっぱりミロが一番好きだと言おうと思ったのに(そのためにローマまで来たのだから)、そんな話になる前に寝室に移動してしまって今に至る…
 我ながら、この雰囲気に流される悪癖はなんとかした方がいいと思う。
 ミロ以外が相手なら、そうでもないんだが……(アイオロス先輩には引っかかったが、あれは飲み過ぎたのが敗因だ)。
 今年の目標にしよう。

 
 
 
31 (Sat) Dec 2005 [no.4]
 
 
大晦日

ああ、これはいけない。
と、今日何度目になるかもしれない体と物との激突の痛みに盛大に眉を顰めた。今朝から、一体何度足の指を家具の足や、ドアの枠にぶつけただろう。それは、足の指に収まらず、膝や手首や、果ては頭蓋骨にまで及んで…苦笑を通り越して呆れてしまう。ちゃんと見ているつもりなのに、目の前の障害物やあるはずのないものに振り回されている。今は、閉まっていると思っていたキッチンの上に備え付けられた棚の戸に思いっきり眉辺りをぶつけた。
すっげぇ痛い…。目玉に激突しなかったからまぁそこそこ危機管理能力は働いていたのかもしれない、っていうのが慰めだけれど。
「痛ってぇ…」
と一人ごちても聞く人も答える人もここには居ない。
淹れ直した珈琲を持って製図版の前に戻る。ふと目に入るゴミ箱の中に、先端を曲げたロットリングが1本、紙に埋もれて見える。今朝、10時頃に蓋を閉めようとして右手の人差し指をそれで潔く突き刺した。その後、セーターの網目にひっかかってロットリングは床に落ちて…拾ったら先端が曲がっていた。机の上に広がったコピー用紙は描き掛けの鉛筆画で溢れているけれど、本紙はまだ真っ白だ。
こりゃやばい。
全然仕事が進んでない。
珈琲でも飲んでしっかりしようとしても、かなり濃く淹れたその味が酷く薄くぼやけていて全く目が覚めない。ぼんやりとこの事態に思いをはせていると、何も今日一日に限ったことでない事が分かり…うーん…自覚したくないけど、リアの電話があってからだよなぁ…やっぱり…。
心あたる項目に、ほとほと嫌気がして右手でガシガシと髪をかいたら、絡んで数本がプツプツと切れた。
あぁ…全く…。

全く…何をしているんだか…。
ちらっと、玄関の脇に置いてある電話に目をやる。何度かロンドンのサガに電話を掛けようとして止めたオフ・ホワイトのプッシュホン。溜息が出る。電話を見ては、サガの事を思い出して、その度浮かんだ考えを消去する。
カミュの事をサガに聞いて、それでどうするって言うんだ?
カミュはそんなにプライベートの事を二つ上級の先輩に気軽く話す奴じゃない。分かってるじゃないか、オレは。

寝不足でツキツキ痛み初めている額の辺りをぐりぐりと中指で押し摩る。
珈琲にも飽きたので煙草を咥えて火をつける。煙を深々と吸う。落ち着けよ。ぐるぐるしたって仕方が無い。
わざわざリアが教えてくれた事にこんなに別の「答え」を探すのは何故だ?落ち着いて自分を見てみろ。
目を瞑って深い水に潜るように息を潜めてなるだけ自分の心に目を凝らす。

あぁ…違和感だ…。
悔しいとか、悲しいとか、残念だとか、そういうことじゃなく、カミュが結婚を前提に付き合っている女性が居ると聞いて、納得する前にそれを遮るように違和感を持ってしまった自分。
それ、本当なのかな?って。
だって、リアがくれた言葉を抜きにカミュの事を見てみると、ちっともそんな甘い雰囲気を彼から感じていない自分のアンテナをしげしげと考えてしまう。夏と、一週間前のクリスマスと…何回かの電話。それぐらいしか直接にオレは最近のカミュを知らないけれど、そんな浅い接触でもアイオリアのきっぱりとした言葉をぐらつかせる。流れが見えないんだ。
そう、辻褄が、自分の中で合わないんだ。
それで、なんとかアイオリアの言葉とここ半年のカミュと自分の言葉のやり取り、彼の仕草、目の動き、ちょっとした笑顔を何度も頭の中で再生して、両者を繋げる糸口を探している。
それでも、繋がらない。
訳が分からない。見通せない。自分の生活機能を喰ってでも試算を続けている。納得出来る線を引けるまで。ある筈のない答えを探している気分になる。
ここまで来ると、もう、オレに答えをくれるのはカミュ本人しか居ない。そこまで分かっている。だから、どうしても答えを知りたければ、もう彼に聞くしかないんだ。サガに聞いても、リアに聞いても、それはカミュの自身の言葉ではないのだから。

ふうーっ、と息を吐く。二本目の煙草に手が伸びる。
十分時間は無駄にしたじゃないか…。そう自分に言い訳して、ただの紙と鉛筆を手に取った。
単刀直入に「結婚したいと思う女性がいますか?」と聞けばどう考えてもカミュの気分を害する。あいつはそういう唐突な会話、特にプライベートに関する事で前置き無しにずかずか入ってこられるのをとても嫌う。オレは一心にパブリックでのライティングの授業を思い出す。導入部分から始まって、段階を踏んで結論に辿りつくんだ。冷静に考えてドラフトを書けばスムーズにカミュに聞いてもいい雰囲気に持っていける筈だ。多分…何も作戦も立てずにあれ(電話機)に手を伸ばすよりはいい結果に繋がるというもんじゃないだろうか?

……

ちょっと、自分の思考回路が一瞬停止してしまった事が心もとないが…。オレは鉛筆を握り締めて流れて、これまで悪戯に走らせていた図形から、スペルを書き始める。だいたいの道筋を決め、これに言葉という肉付けをし始する。数時間して、やっと紙がツリー状に分岐した言の葉として姿を表した。実際は相手の反応あっての会話だから、これの通りに進む筈がない。だから、分岐点には二つくらい言葉を加えておいた。蜘蛛の巣模様のシナリオ片手に、玄関に向かって歩く。

その間、深呼吸を数度。
ボタンを押して、出るか出ないか目が出るのを待つ。
どちらでもいいじゃないか。
いや、すっきりしたければここでカミュが出てくれる事を望め。
右手に掴んだ受話器を本体に戻したい衝動が生まれ始める頃、低いけれど柔らかい声で「Hello?」と聞こえた。

済みません。
しょっぱなから用意して書きつけておいたメモと違う事を言ってしまいました。
思わず自分で自分に詫びてしまった…。ああ、この後どう続けて本流に戻ろう?!(冷汗)
使える言葉をメモの中から必死で探している間に、カミュもこちらが予定していなかった事を聞いてきてしまって(ただの挨拶だったんだけど…)、こうなったら文脈気にせずとっとと振り出しにもどってしまえ!! と、強引に自分のメモの一番上の言葉を口にした。
一瞬、電話の向うで沈黙の泡が生まれて消えた。
律儀にこちらの方向転換に合わせてくれたカミュに感謝しつつ、用意した流れどおりになんとか進もうと四苦八苦するうちに(だってカミュが律儀にこっちにも質問するからこちらも真面目に答えざるを得なくて…それにカミュがまた言葉を足したりするから……オレのメモが…予定が…)、カミュに質問したくて電話をしたのに、オレがカミュから質問される立場になっていて……フィレンツェの家族も、新年の予定も、カミュから聞かれる予定に入っていなかった事だ(涙)。

電話の向うから用件の無さそうな電話、とカミュが感じている気配がヒシヒシと伝わってきて、少し焦った。
用件は、あるんです。
極めて自分本位だけれど、答えを知りたい、解けなくては一向にすっきりしない手に余る問題が、あるんです。と会話に気がそぞろになってくる始末。
言葉をやり取りするうちに、どんどん訳の分からない話度を上げてきて…。
それでも、実家に帰るでも無く、彼女と予定が特にあるようでもなく、作品作りにいそしんでいるって、あんまりカミュらしくない、と感じる余裕?は在った(いや。コレを気が逸れている、というのかもしれない)。結構、カミュはマメだからな。彼女の方が忙しいのか、家族の所に帰っているのかもしれないけれど…でも、結婚を前提にしていたらきっと一緒に行くだろう? などと一人で考えているうちに、益々答えが、全く見えない…。

やれる前置きは全てやり尽くした、と感じた。もう、自分が本当に知りたいことを聞く以外に、何をカミュに話す事があるだろう?
気乗りしない(カミュはプライベートの事を人に聞かれて話すのは嫌いだからだ。話すんなら自分から話す)本件を、とうとう発音した。一応、許可を貰えるか聞いてからだけれど。

「カミュ、……結婚を前提に付き合っている彼女が居るって本当?」

言ってから胃が五センチくらい急降下した気がした。ひやりとした一瞬の空白の後カミュが「そんな人はいない」と発音した。
ああ、やっぱり。
自分のアンテナは正しかったのだ。少し、自分を誇らしく感じたが、すぐに別の心配に気が付いた。

「一体どこでそんな話を? …もしかして、アイオリアから聞いたのか?」

やっぱり! そう来た!
背中に、嫌な感じの汗が浮かんだ。咄嗟になんと返したらいいのか分からず、思わず「ちょっと」っと言ってしまった。
うわーーーっ! お前はバカか? 自分!! そんな、アイオリアに責任擦り付けるような真似をして!!
すかさず、カミュは「何て言ったんだ? 彼は」と追求して来た。うわーー!! もうすげぇバカだオレ!!
「いや、ちょっと、オレがリアの言葉を誤解、というか早とちりしただけかもしれない。カミュとパブで色々話したって言ってたからさ。で、てっきりパブで の話ってカミュの彼女の話だったのかって思って」
ちょっとしどろもどろ気味で答えると、カミュはすっかり落ち着いた様子で言葉を返して来た。
「彼女と付き合え、とは散々諭されたけれどね。いい大人なんだから、 今度こそ女性と結婚して、子供を持て、と。…今、彼はそういう幸せな 生活を送っているから、友人として、私達にもそういう生活を送って欲 しいんだろう…」

え?
リア、そんな事カミュに言ったのか? 怖いもの知らずだなぁ…。周りにとやかく言われて自分の進路を決めるのがカミュの一番イヤな事だって、なんで分かんないんだ?
ちょっと眉間に皺を寄せて、今度リアに会ったらカミュは頑固でへそ曲がりの所があるから本当にそうなって欲しい事があったらその事はあんまり言わない方がいいって言っておこう、ってか、なんでそこにオレも含まれてる訳?
?って思ってたら耳に新しいカミュの声が飛び込んで来た。

「それで? 電話の用件はそれだけか?」

下世話な内容の電話はカミュは好きじゃない。でも、それが、オレからだから仕方ないか、って諦めというか、諦めに裏づけされた甘やかしのような雰囲気が乗せられた言葉色だった。ちょっと苦笑しているような…。
カミュにとって対等な奴からこんな事言われたら、カミュはこんな風に流したりしないよな、と胸に痛みが走る。
例えばロス、きっと皮肉の一つでも飛んでいる。例えばサガ、自分の状況をもう少し説明しているかもしれない。例えばリア、下らない事で電話を掛けるな、って正直に自分の心情を言っているかもしれない。
オレだけが、やんわりと横に流されて、無かった事にされる…。

そりゃ、痛いよ…。
それとも、オレの方にカミュと対等に扱われる実績がともなっていないから仕方がないのか?

ひとつ息を吐いてそこまで言う予定の無かった言葉を吐く。
「そう。聞きたかったのはそれ。でも、なんで聞きたかったのかっていうのもちゃんと理由がある」

ただの気まぐれとか、思い付きとかで聞いたんじゃない。それは伝えたかった。
こっちの言葉を待ってるのが(いや、待ってて貰っているんだけど…)分かったので躊躇という言葉を脇に押しやってさらっと言ってしまった。
後悔だって、会話だって、何かしなくちゃ返って来ないし進みはしないんだ。

「つまり、オレはカミュの事がずっと、今も好きで、もう少し自分の目処が立ったら言うつもりだったとか、色々あるけれど……。…言うつもりで何もカミュに知られないままあったかもしれないチャンスを逃すのはイヤだと今回の事で実感した。ので、兎に角、オレは今カミュに惚れてるから…それを知るだけは知っといて欲しい。それでカミュの選択肢の中に入れておいてくれたら更に有難い。」

言い出したら、こんがらがって来た。けれど、一番知っていて欲しいのは、ただ、本当に、自分がカミュの事を好きだ、それも特別な部類で好きだという事。それだけだ。もっと自分にカミュと対等になれるだけの収入が出来たら、とか、自信が付いたら、とか、在りもしない未来に可能性を見るのは止めた。未来は、「今」選択した結果に生まれてくるもので、仮定の中に未来は生まれてこないんだ。気持ちに嘘がないのなら、「今」言わないで「いつ」言う「時」があるんだろう?
何を自分に恥じる事があるんだろう?
オレは、カミュが人の収入や状態で見方を変える人間じゃないと、知っているじゃないか? カミュが評価を変えるとしたら、その人間が彼の評価に値しなくなった時だけだ。
つまり、未来に竦んで動かない、行動しない人間を、彼はもっとも嫌う。
それ以外なら、関係ないんだ。
つまり、オレがカミュに告白するのは自由なんだ。ただ、オレがしっかりと自分の足で生きている人間で在りさえすれば、断られる事は在っても、それがカミュからの評価を下げる事にはなりはしない。

自分で作り上げた、自分に対しての勝手な理想は、あの紙くずと一緒にゴミ箱に放り込んじまえ!

妙に力の入った下腹で、ぐっと電話の前に立っているとカミュの静かな声が聞こえた。
「うん……ありがとう」と。
うん。これでいい。これでいいじゃないか。隠したり、気張ってカミュの前に立つのは止めようじゃないか? 自分。
小さく自分で自分に頷くと、びっくりするような言葉が飛び込んで来た。

「今から、ローマに行くよ。まだ急げば最終便に間に合うから。…君の 仕事の邪魔にならなければ、だけれど」
「えっ?! 今から?!!」

思わずデカイ声を出してしまった事は勘弁して欲しい。だって、びっくりするだろう? この場合、誰だって…。なんで、今から?? わざわざロンドンからローマに??
「電話じゃ話せないから。…それとも、都合が悪い?」
「そんなことはないけど……」

いや、都合は、別に全然構わないけど…。それより、電話で話せないことって、何?! そっちの方が気になるんですけど…?(一瞬でも怖い、と思った事は言わないでおいた方がいいんだろうな…この場合はやっぱり…)
でも、うちって今人を入れられる状態だったっけ?
慌てて後ろを振り返ったら、電話コードが鉛筆立てをなぎ倒した……。うっ…これで片付けなきゃいけないものが一つ増えた…(脱力)。
電話の向うから愉快そうな言葉が返って来た。きっと聞こえたんだろうなぁ…。

「片付けはしなくていいよ。座る場所だけ作っておいてもらえれば」
善意で言ってくれているのは分かるけれど、そういう訳にはいかないんだよ…(嘆息)。
実は、ここは元から人を入れる予定なんて全くな居場所だったから、座る場所って言われても…そもそも椅子が…。仕事机の椅子を持って行けば取り合えず二人はテーブルに着けるか…。うーん…でも、元の造りが小さいのはどうしたら……?
実はここ、事務所が入ってる建物の最上階。つまり、屋根裏部屋に当たる…。通勤時間0(ゼロ)と格安だったので即決した。居住空間は二部屋。台所兼リビングと寝室兼仕事場。パスは階下の共同か、これまた事務所の奥にあるのかどっちか。この階はオレが住んでるだけで、後はみんな物置。だから、楽器も昼間なら可って事にして貰っている。台所兼リビングは、ガス管がここまで来てないから小さなカセットコンロ(事務所の奥に台所があるから大抵そっちで料理は済ます)と、やつぱり小さな流し台。簡単な折りたたみのテーブルと椅子一つでダイニングはほぼ埋まる大きさ。それから隣の部屋が製図机と椅子とシングルのベッド。天上までの本棚に資料とCDとミニ・コンポ。譜面台一つ、楽器一つ。それで、これまた埋まっているんだけど…ホテルに泊まるかな?
そう思って聞いてみたら、ホテルじゃなくてこっちに泊まりたいような、少なくてもホテルは気が進まない様子だった。うーん…飲み明かすなら寝床は必要ないけど…。それにしても電話で言えない事ってなんなんだ?
取り合えず、酒のつまみくらいはなんとかしとくか…あと、夕飯。これから来るんじゃローマ市内のレストランはラストオーダーが終わっている。パブもカウントダウンを酒飲んで盛り上がりながらやろうって客ばかりだから…(多分、ヒースロー 18:25発 ローマ着 21:55の便だろう。ロンドンからローマは二時間足らずだけれど、時差が一時間ある。この時間だと空港から市内へのエクスプレスは終わっているから…普通列車かタクシーで移動するしかないだろうな…でも、市内は結構混んでいるから列車の方が無難か…。今も爆竹の音が時々聞こえるけど、「大晦日」はポポロ広場やヴネツィア広場、サッカー場に人が集まって騒いでシャンパンを掛け合うんだ)


色々考えているうちに、やっぱりなんの事か気になって聞いてみた。
「…電話で話せないことって、何?」
控えめに。
けれど、返って来たのはどこか面白がっているような声で…。

「それを言いに、今からローマまで行くんだよ」 と来た。
「なんで? 気になるんだけど…。今言えばいいじゃん」
「気になるって…まさか、想像つかないのか?」
「つかないから聞いてるんだろ! 何なんだよ?!」
「イヤだ」

は??
思わず言っちゃったよ、「What?!」って…。なにいきなり子供みたいな事…オレまでつられて言い返しちゃったよ。
「なんだよそれ! 言いかけた事は今言え、っていっつもカミュが言ってるんだろ? 気になるじゃないか!」
「言えるか! こんな中身のない電気機器相手に、こっ恥ずかしい!」
「ケチ!」

言ってから気付いた。さっき、カミュ、「こっ恥ずかしい」って言ったか?
一瞬、息が止まって黙ってしまったら、受話器の向うからカミュの吹き出す笑い声が聞こえた。

「わかった。今言ってやるからよく聞いていろ」

何が、一体起こっているんだ? オレの思考なんて置いてけぼりで心臓だけが強く、早く鼓動する。

そして、小さな、柔らかな………幸せな、「キス」の音がした…。
言葉に詰って空気だけを吸い込む。深く。少しだけ目が熱く濡れる。

「……満足した?」
甘やかで、温かい、優しい、懐かしい声が耳に届く。この声を、オレは知っている…。
声の無い嬉しさに、口が割れた。切ないような、嬉しいような、熱いような、訳のわからないふわふわした心地のまま何にも考えずに喋る。

「……カミュ……、そっちの方が、よっぽど恥ずかしくないか?」

うん。凄い恥ずかしい告白だよそれ。

「放っておいてくれ。あんまり言うなら、用件も済んだことだし、もう行かない」
「わかった! もう言わない!」

爆笑しながら返事する。こんな些細な事が、肩の力を抜いて喋れるこの状態が、とても、とても嬉しい。

電話を切ってから、散らかした物を片付けて、掃除機かけて、シーツを変えてざっと大きな物を水拭きして、トマト缶としなびたセロリとターキーのミンチでトマトソースを作る。着替えを持って事務所に下りて、シャワーを浴びた。なんとなく、ヨレヨレのシャツとジーンズでカミュを迎えに行きたくなくて、ボート・ネックのしっかりとした編みのオフホワイトのセーターと(ちょっと重い感じだけれど、肩がしっかりしていて動きやすいし、そんなにラフな感じにならない)、カカオの畝織のベルベットのパンツにダーク・ブラウンのレースアップブーツを履いて、音大の時から着ているブラウンのレザージャケットをひっかけて事務所を出た。なんとか梳かした生乾きの髪の中を冷たい風が通り抜ける。街はカウント・ダウンのお祭り気分で浮かれていて、こちらまで理由の無い高揚感に包まれる。
いや、理由は、あるか…。
駅に行く前に慌てて近所の薬局に行って下心丸出しのものを買う。こんな買物も凄く久しぶりのような気がする。
テルミニ駅からレオナルド・エキスプレスに乗ってノンストップでフィウミチーノ空港まで32分。乾いて邪魔になり始めたサイドの髪だけをまとめて後ろで括る。
空港に着いて時計を見る。
ちょっと早く着いた。
到着ロビーで電光掲示板をぼんやり見ながら立っている。
はじめに、なんて言おうか?
うーん…と考えていると時間は着実に過ぎていて、いつの間にかゲートから人が次々に吐き出されて来る。
カミュはどこだろう? 首を伸ばして目を細めて人の波に姿を探す。
あ、居た。
目が合った。
上手く笑えなくて、歩き出して、途中で止まって彼を待つ。
機内持ち込み可能なキャリーバックとロングコートを片手に、にっこり笑って俺の前に立った。カミュの口が開きかけて、あぁ喋ろうとしているな、と思った時、オレの手は勝手に上がって、カミュをハグして次の瞬間にはキスしていた。一瞬胸の辺りに結構強い押戻しの力を感じたんだけど(後で聞いたら両手で押し返そうとしていたらしい)、背中にカミュの手が回って、凄く気持ちよくて暫くずっと離せなかった。
カミュの顔を見るためにそっと離れたら、苦笑を浮かべているカミュが居て、「変わってないな」と言われた。
「さっきは変わったって言ったじゃん」ちょっと睨んで耳元に顔を寄せようとしたら左顎をぐいーーーっと押し返された。
「何するんだよ!」
「ここは空港」
さっさと歩き出したカミュを追って荷物を預かろうとする。
「でも、久しぶりに会ったのに…」
「一週間前に会ったばかりだ」
「その時は触ってもいい関係じゃなかった」
カミュは、くるっと振り返るとオレの左頬に小さくキスして、
「後でね」
と言って歩き始めた。
「タクシーと列車とどっちがいい?」
「列車で十分」
「なぁ、オレのウチホントに狭いけどホテルじゃなくていいのか?」
「この時期に泊まれるホテルなんてあるのか?」
さっさと先に進むカミュの後姿を見ながらちょっと詰らない気持ちがこみ上げてくる。
列車に乗って、空いた席にさっさと腰を下ろすカミュの横に腰掛けて顔を近付けたら、また片手で押し返された。抗議の声を上げたらポンポンと頭を軽く叩かれたうえに「後で」とのコメント付き。「なんで…」と言いかけた時に、ふっと視線を感じて目を上げると、携帯カメラがこっちを見ていた。いや、正式には、携帯カメラに付けられたデジタルカメラのレンズがこっちに向けられていた。

えーっと………何? これ?

思わず、じーっと携帯カメラの持ち主を見詰めてしまったら、写真の許可を請われた。

あの……なんで写真?

丁重にお断りして、むうっと眉間にシワを寄せていたら、隣から「大変だな」と声が掛かった。なんか、カミュ、笑ってるだろ?
デザイナーの服を着ている時だったら、写真を取られるのも分かるし、宣伝だから取って貰えれば有難いけれど、そういう服着てない今とって、何の価値があるんだ?
カミュにゴネたら「普段着だからこそレアなんだろう?」って返された。そんなもんかな…。
カミュは全然キスさせてくれないし、と詰らない気分で座席に沈んでいたら、そっと手が握られてきた。カミュは相変わらず前を向いたままだけれど、強く握り返したらぎゅっと握り返してくれて、一気に気分が浮上した。

そろそろヨッパライが増えてきた道を、事務所に向かって歩き出す。先にシャワーを浴びておいでよ、と事務所のバスにカミュを案内してその間に屋根裏部屋で出かける前に作っておいたソースを温めて、パスタを茹でるお湯を沸かす。カミュは15〜20分で出てくるだろうと踏んで、人参のスティックとチーズでディップソースを作る。ノックがして、カミュが入ってくる。
「なんだか、人が叫んでいたみたいだけれど…」
「あーそろそろね、カウントダウンだし。これからどんどんエスカレートするよ」と答えると凄いな、と一言。
エンジェルヘアのパスタを茹でて、その間にカミュにワインを明けてもらって、食卓を作る。
パスタの皿二つ、ワイングラス二個(事務所から持って来た)、ディップソース皿と人参のスティックを入れたカップ、オニオンスープを入れたマグカップ二個で小さな机は一杯になった。
グラスを合わせて、食事を始めて…。
だけど、どうしてもオレは食事に集中できなくて…。
結局、半分程食べたところでギブアップして、素直に食事よりしたいと言ったら、カミュも苦笑しながら受け入れてくれて、狭いシングルベッドの中で新年を迎えた。

色々、色々あったけれど、やっとここに戻って来れたんだ…とへんな気負いが融けていってずっとカミュの体に触れていた。
そう言えば、こんな事をしながら新年を迎えるのは初めてだと言ったら、カミュがたまにはね、と答えながらキスしてくれた。

うん。
たまにはね。
でも、たまにはじゃないように、これからしていこうよ。

(ミロ・フェアファックス)
 
 
 
28 (Wed) Dec 2005 [no.3]
 
 

 今年のクリスマス・イヴのコンサートは凄かった。兄貴がフランス留学の時にジャック・ルーシェというジャズ・バンドに嵌って以来、不定期にそのコピー・バンドのコンサートをしてきたが、今年はなんとサザーク大聖堂の深夜ミサに参加できる事になって大分意気込んでいた。
 そして、その意気込みは十分甲斐になるコンサートになった。シュラのドラム、カミュのピアノ、兄貴のベースでジャック・ルーシェのバッハ・オンパレードの間に、サガのバイオリン。そして、ミロとサガとカミュのチェンバロ、シュラのチェロで「二つのバイオリン」。これが壮絶だった。
 ミロは、音大生時に事故でプロとしての道を諦めざるを得なかったと聞いていたが、これがプロの演奏じゃなかったらなんなのだ、というくらいの演奏をしてのけた。ヤツのバイオリンは、パブリックの卒業コンサートのブルッフ以来聴いていなかったけれど、それなんて遥かに凌ぐ、華と艶のある演奏をしてのけた。あのサガをセカンドに従えて引っ張って行くその力。通しをしていなかったのにも関わらず、見事に全ての楽器をまとめて音楽を作った力量。本当にプロの道は諦めたのかと思うと勿体無いやら、悔しいやらだった。最後のアンコールでは兄貴たちのトリオに飛び入りで参加して、教会にも関わらず集っていた老若問わぬ女性達から抑えきれない黄色い声が上がっていたし…。本人がいつもの通り全然詳しく話さないから何があったのか知る由もないし…。本当に残念だ。

 それから、ミロは家に泊まった。美梨愛(Miriam)を初めて見て、抱きしめてキスしたミロの顔を一生俺は忘れられないだろうな…。あいつは人一倍子供好きだし、家族を大事にする。夜、僅かな時間も惜しんで美梨愛(Miriam)の話に耳を傾け、眼差しを向けるミロを見て、俺は決めた。
 今度こそ、コイツには真っ当な女の子と付き合わせて、結婚させて、子供持たせるぞ、と。

 26日の夜、俺は思い切ってカミュを誘った。こいつと二人切りで飲むなんて、パブリックを卒業して以来かもしれない。あいつの好きそうな、落ち着いたパブで、まずは、先日のチャリティー・コンサートの成功を祝った。今月の半ばにあの大手企業を辞職してフリーの身分になったカミュはやっと人心地ついたのか、随分とゆったりとした印象があった。上手く話の流れを作る、なんてのが苦手な俺は、結局、娘の話やちょっとした近況を交換しあった後に切り出した。
 ミロが、イブの晩に家に泊まったんだが…と。
 カミュは、ちょっとだけ目を見開いて黙って先を促してきた。
 俺は、ミロがまだカミュの事を好きで、奴としてはまた交際を申し込みたい気持ちを持っているという事を伝えた。
 カミュは、一瞬瞳を真円に広げて、直ぐに目を伏せて表情を隠した。「そうか…」って呟いた声を聞いたように思ったが気のせいかもしれない。俺は、話の本代を伝える事に集中していたから。
 俺はカミュに言った。だから、これからミロの方から何か言ってくるかもしれないが、お前はとにかくまともに相手をしなくていいからな、と。
 すると、本日三度目にあたる綺麗なサークルを描く紅茶色の瞳を真正面に見る事になった。
 俺は構わずに話した。
 お前たちがパブリックの時に付き合っていた時、タイミングを逃したのと、自分自身も子供で事の重大さが分かっていなくて二人の関係をそのまま認めるような立場を取ってきたが、それは間違いだったと思っている事。結局、二人の間は破局し、お互いいい大人になっているのだから丁度良かったのだという事。これを機会に、ちゃんと女性と付き合って、結婚して、家庭を持つ機会に恵まれたのだから本当に良かった。だが、ミロはまだ大人に成り切れず、まだ昔の感傷を引きずってカミュ、お前に未練を持っているようだから、今度ミロの方からそういう話を持ちかけられたら、余計な情けを掛けずにきっぱりと断るように、俺はカミュに言った。
 すると、カミュはゆっくりと息を吸い込むと、ひどく穏やかに自分もミロの事が好きだと言ってきた。
 お前、彼女居たじゃないか!
 思わず、心底驚いて俺が叫ぶと、カミュはゆったりと「でも、もう別れた」と言ってきた。俺は、自分の耳を疑った。目の前の、この、いい年した大人が何を言っているんだ?!と。俺は、心底信じられない思いでカミュに尋ねた。
 じゃ、何か? お前はまたミロと寄りを戻したいと思っているのか?、と。
 カミュは、ゆっくりとそれはまだ分からない、と言った。俺は少しほっとしてカミュを諭しに掛かった。彼女と別れて、お前も少し感傷的になっているだけだと。女なんて、世の中の半分以上が女なんだ。初恋だかなんだか知らないが、パブリックの頃の勘違いな衝動に何時までも振り回されるな、と。
 すると、カミュは勘違いというのとは違う、と、うちのバカ兄貴の例をさらりと口にした。俺は瞬間沸騰した。あんなキチガイ沙汰の勘違い人間は身近に兄貴一人居れば十分だと。
 だって、考えてみろよ。人間、男と女がくっつくように出来ているんだ。体の構造も、種としての存在意義としても、DNAやホルモンとかいった細胞単位でも。そういったものを全部振り切って、それが勘違いでなくてなんなのだ、と。そもそも、勘違いだったからお前たち、ミロとカミュは分かれたんだろう?と。
 カミュは穏やかに、それは俺の考え方であって自分達の考え方ではない、と言い切った。
 おい! カミュ! お前は、俺以上に常識の世界の住人じゃなかったのか?! お前は、パブリックの頃に、あんまり親身になってミロの世話を焼き過ぎて、その環境に男しかいなくて、脳の中でアドレナリンでもフェロモンでもなんでもいい、信号が摩り替わっちまっただけなんだ! 目を覚ませ!
 俺は、本当に真心込めて、カミュに理を説いた。パブリックの頃から、一番理に適った事を愛していたのはカミュ、お前じゃないか、と。
 カミュは、終始穏やかに、微笑みさえ浮かべて静かに俺の説得を受けていた。が、綺麗にそれを流していた。3時間38分、経っていた。俺が、カミュにもうミロの相手をするな、と言った時から。
 どうにもはっきりと賛同を示さないカミュに、俺は痺れを切らし、兎に角、お前も今積極的にミロと寄りを戻したいと思っている訳ではないのだから、ミロの事はもう構うな、ミロにはこれから俺が色々人を紹介したり、積極的に働きかけようと思っているのだから、と引導を渡した。
 俺は真剣だった。心から二人の事を思って言っていた。
 だって、ミロは、あんなに子供が好きで、家族というものを欲しがっていて、大事にする奴で、いい奴なんだ。カミュだって、真面目で、誠実で情がある。二人とも女性にそれぞれ興味も関心も持ってもらえていて、その好意に十分応えられる人間だと俺は知っている。そして、俺は家族を持つ幸せが、自分の子供を持つ幸せが人が一生の間に送られる最高の贈り物だと、その幸せを知っている。それを、二人の親友にも味わって欲しいと思う事は間違っているのか?
 カミュは、少し表情を引き締めて、人にはそれぞれ考え方があり、幸せのあり方も異なると言った。
 それは、それが正しいのかもしれない。けれど、あの勘違いキングの兄貴だって、子供が欲しくて喚いているんだ。ミロだって絶対に子供を持てない事を悔やむ日が来る。それを分かっていて、ミロとカミュ、お前がまた付き合い始めるのも一つの幸せなのかもしれないけれど、それがもう一つのミロの幸せを奪う事になっても価値のある事なのか、お前がそれを奪うのか?
 カミュは、静かにきっぱりとそれはミロが決める事だと言った。
 いい加減、カミュの静かな態度にカチンと来ていた俺は、カミュの事はもう放って置く。けれど、ミロに関して自分は今度は黙っていないつもりだし、自分なりに積極的に動くつもりだとカミュに告げてカミュの顔を凝視した。
 カミュも黙って俺を見詰めた後、溜息を付くように一言言った。
「君の好意は本当に有り難く思う。ミロもきっとそうだろう。…でも、 ミロが思う事を変えさせるのは決して簡単ではないと、君が一番よく 知っているんじゃないか?」
 俺は、カミュを振り返らずにパブを後にした。
 結局、カミュが今後どう動くのか探り忘れたが、そんなの今更気にしたって仕方がない。こうなればカミュより早くこっちが動くまでだ。

 俺は、随分と遅い時間になっていたが、ローマに電話を掛けた。どうせまだ寝ていない、ミロは。
 少し長く待ったが、案の定眠気の欠片もない声が受話器の向うから聞こえて来た。
「どうしたんだ? こんな時間に。なんかあったの?」
 少し嬉しそうなミロの声に、一瞬だけ胸が痛んだが、俺は普通を装って言葉を出した。
 カミュと飲みに行って丁度今帰った所である事。色々話をするうちに、ミロには残念な事が分かり、どうしようか迷ったが、自分はミロの気持ちを知っているので伝えようと思ったと。
「何を?」
 と、トーンの低くなった声が鼓膜に届く。ごめんな、ミロ。でも、絶対お前にとっては、これがいい道だと俺は確信している。
「カミュ、結婚を前提に付き合っている女性が居るんだって、言っていた」
 嘘も方便と言う。俺は言い切った。受話器の向に沈黙が広がり、暫くしてミロの苦笑するような声が聞こえて来た。
「そっか…。オレ、また遅かったんだな…」って。
 俺は、自分の後ろめたさも手伝ってなんとかミロを励まそうと息を吸い込んだ。すると、それを待たずにミロの明るい調子の声が届いた。
「言いにくい事、教えてくれて有難な、リア」って。
 それから、美梨愛(Miriam)の話と魔鈴の話を少しして電話は終わった。
 終わった。
 数分の電話だったけれど、とても疲れた。
 
 もう眠ってしまった美梨愛(Miriam)の顔を眺めて、娘の顔をそっと指で撫でた。ごめんな、ミロ。でも、あんなにサガに惚れて、惚れて、惚れ込んでいる兄貴だって自分の子供が欲しくて、欲しくて、でも無理で、葛藤してる。そんなの、お前には味わって欲しくないんだ。
 お前が、美梨愛(Miriam)を見て瞳に滲ませた、自分の命を繋ぐ未来への存在への愛情の深さを、俺は深い共感と尊敬を持ってお前にも味わって欲しいと思うよ。いつか、お前が幸せそうに、お前の子供を俺に見せてくれる事を、心から望んでいるんだ。

(アイオリア・エインズワース)
 
 
 
03 (Sat) Dec 2005 [no.2]
 
 
礼を言っとくぞ!

赤狐!!
余計なモンをエセルに持たせやがって!!
この礼はしっかりしてやるからな! 折角人が山猫をクリスマスにロンドンにおびき寄せてやったのに、恩を仇で返しやがったバカヤロウが!

あ! 悪い、エセル起したか?
まだ寝てていいぞ?

(アイオロス・エインズワース)
 
 
 
02 (Fri) Dec 2005 [no.1]
 
 
プレゼント…

カミュからロスへのプレゼントは、2冊の雑誌だった…
一つは2年前のもので、栞の挟んであるページをロスが開けたら、そこには想像を絶する光景が映っていた……
顔にフーリガンのようなマーカーを施し、頭に白いブリーフを被り、ワインボトル片手に上半身裸で通りを走っているアイオロス本人……
明らかに飲んだくれのそのカットには、「ソルボンヌ大学文化祭」の説明書きがあった…

…アイオロス、どうせ撮られるなら、もう少しましなカットにはならなかったのか…?
そのブリーフは、当然君ので、洗濯もしてあったのだろうね?(笑)

もう一冊は、10年近く前の古いもので、私達がパブリックスクールで演じた『十二夜』のカットが載っていた。学生とは思えない好演、と評がつけられている。写真もプロが撮ったもののようで、とても綺麗な映りだ。きっとカミュが大切に取っておいた雑誌なのだろう。

有り難く、二冊の雑誌は書棚に納めさせてもらった。
楽しいプレゼントをありがとう!

(サガ・エセルバート・シュローズベリ)

 
 
 
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