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Vacances

01:ミロ視点
02:カミュ視点
03:ミロ視点
04:…

 

二日目


外が明るくなるまで事務所でカミュとじゃれ合って、一瞬二人とも勢いスコンと意識が落ちたけれど、狭すぎてここで熟睡なんか出来はしない。
もうこのままここで寝るというカミュを宥めすかしてバスローブを羽織らせ屋根裏に戻って倒れるようにして眠り、目が覚めたら昼の一時を回っていた。
時間を無駄にしてしまったと自己嫌悪のカミュを宥めて、軽い食事を一緒に取った後、屋根裏と事務所に場所を別れて個人練習を始める。
そんなこんなでカミュと再会してから、まだ24時間も経っていない。


    ***


迎えに来なくても大丈夫と言われていた。
けれど、きっとギリギリまで気を張り詰めて練習して疲れているだろうからと空港まで行った。
行って良かった。カミュは乗り物酔いなんてめったにしないのに、真っ白な顔をして、飛行機のせいで酔ったと言った。
長い指先は夏だというのにぎょっとするほど冷たくて、撫でた背中はゴリゴリに固くなっていた。


かわいそうだと思う。
こんなに根を詰めなくてもいいのに、と。
けれど同時に、心の片隅では喜んでいる。
俺の為にカミュが尽くしてくれること……嬉しくないと言ったら嘘になる。
自分が、カミュにとってそれだけの価値があるのかと思えば安心めいた気持ちを持つ。複雑だ。
まるで調子の悪いカミュを見て喜んでいるようじゃないか。そう思ったら、日差し避けに掛けていたサングラスを外せなくなった。表情を見られたくなくて。

駐車場に移動して、小さな車の中がそこそこ冷えて気持ちよくなるまで待つと、少しカミュに仮眠を取ってもらってローマ市内に移動。
事務所の前でカミュを下ろし、俺は少し離れた駐車場まで行って車を止め、徒歩で戻った。
ガラス窓が嵌め込まれたドアを引くと、顔にピアノの音がぶつかる。
カミュがここに来るのは久しぶりだ。
カミュの為に入れたピアノはずっと弾き手のないまま寂しく事務所に在ったけれど、今日からまた活躍出来てきっと俺以上にこの日を嬉しく思っていることだろう。
真剣な顔で鍵盤に指を走らせているカミュに声を掛け、お茶や入用のものを訊ねると、このまま練習していたいという。
合わせは夕食の後にする事にしてカミュの集中の邪魔にならないよう、俺は階段を上って屋根裏に引っ込んだ。
夕飯は、作り置きしていたマリネラ・ソースを使ってのパスタ料理。ワインの代わりに日本食品店で手に入れた麦茶で口の中をサッパリさせると、食器をシンクにつけてピアノの前に移動した。
緊張という名の目に見えない電気が、カミュの肩から背中から、そして指先からもちりちりと空気の中に走り出ていた。
それに気付かない振りをしたまま、何食わぬ顔でモーツァルト。


この一週間、カミュと弾き合わせをする時、どんな態度を取ればいいか、ずっと考えてきた。
パブリックでの第五学年の年、カミュに誘われるようにして俺は音楽の道に進むことを決めた。カミュも俺も丸一年近くかけてその転科準備に明け暮れ、結果、俺だけが専科に行く事になった。
当時、カミュが俺に対してとても親身になってくれる事の意味を真剣に考えたことの無かった俺は、結果的に酷く残酷な形でカミュを傷付けていた。そして、その残酷さに気付く事無く、裏切られたと思い込んだ俺はカミュに激しくその怒りをぶつけた。
あれから十年以上。
俺は、一度腕のアクシデントで音楽を諦め、カミュと同じ建築の道に進み、そしてまた音楽に還ろうとしている。
二十歳の頃、カミュが託してくれた音楽を壊してしまったその事実に押し潰されて回りが見えなくなっていた時も、カミュは俺の側に居てくれた。
同情してくれているからじゃないのか、そう思うとカミュの体に触るのが怖くて、そして結局、俺の方がカミュと一緒に居る事に音を上げた。
俺がカミュの思いに気付かなかった時も、俺がカミュの気持ちを素直に受け入れられなかった時も、カミュは俺から離れたりはしなかった。
けれど今、カミュがゆっくりと俺から離れていく準備をしているように感じる。
俺の事を嫌いになったとか、そういう事とは違う事情で、緩やかにカミュは諦める準備をしているような気がする。
俺が専科に行った後、その他大勢と同じように線を引かれた接し方をされたのと同じように、あれほど露骨ではないものの、ゆっくりとじわじわとカミュは俺をカミュの生活から締め出す準備を、いや、覚悟を決めつつあるように感じる。
いつカミュの口から、「やっぱり付き合い続けるのは無理だ」と言われるのか、冷や冷やしている。
カミュは、俺の事が好きだ。
でも、カミュにとって俺はただ温かい、いとおしいというだけではなくなった。
本音をぶつけられる相手、甘えを見せられる相手、そういう存在ではなくなってしまったんだと思う。
俺と付き合うことで、カミュはまた一つ何かを諦め、我慢しなくてはならなくなった。
お互い得て不得手はあっても、基本対等で、平等だった関係が、去年の出来事でカミュにとってのギリギリの所にきてしまったんだ。 そう思う。
本音のところでは、カミュがいくら俺のバイオリンを好きだと言ってくれても、恋人として、家族としては、きっと建築士である俺の方が良かったんだろう。
口で、そして頭で考える程、カミュは自分がした昔の決断を、悔いていないわけじゃない。
音楽の道に進まなかった事を、納得しているわけじゃない。
そう思う。
自分が音楽を出来なくなって、色んな意味で自信を失った事があるからこそ、以前よりその事が身に迫るようにして分っていると思う。


もし、自分が逆の立場だったら……つまり、カミュが音楽の道に進んで、自分は趣味で楽器を弾く程度で、ある日練習台になってくれと言われたら、俺だったら別の人間を探せと言ってしまうだろう。
遊びじゃないならなおさらだ。
けれどカミュは自分の口から、「それなら自分が……」と言った。
言ってくれた。
考えに考えての言葉ではなく、咄嗟に、ついと言った感じに、カミュは言った。
カミュのその衝動の奥を考えると、切なくて堪らなくなる。
カミュは、いつだって俺に何かをしたいんだ。
何かを捧げたい。そして、それに見合うだけの愛情が欲しい。
決して打算というわけではなく、カミュという人となりが、そうなんだと思う。
カミュにとって、相手により深く貢献出来るからこそ、特別な関係というものが成り立つ。
音楽が俺の生活の中の大分を締める存在になり、カミュがその部分で立ち入れないとなった時、カミュは俺の中の自身の存在に疑問を抱くだろう。
俺にとって大きな問題ではなくとも、カミュにとってそれはゆるがせないことなんだ。
どうしたらカミュから「やっぱり別れよう」と言われないで済むか、けっこうハラハラしている。半分以上は自業自得なのだけれど。


俺が、カミュのピアノならどんなものでも最高だと言えてしまうような性格だったらまだなんとかは盲目という感じで救いがあるのにね。
カミュが、甘い言葉に騙され続けてくれるくらい「音楽が趣味」の人だったら、もっと簡単だったのにね……。


俺は口先だけの世辞は言えないし、カミュも素人とはとても言えないくらい音楽の造詣が深い。
誤魔化せないなら、精一杯の本音で相対するしかない。
体調を崩すほど必死に練習したからとか、もうずっと楽器に触ってなかったからとか、そんな言い訳は通用しない。
ただ今ある演奏が全てだ。
それが俺の本音だし、信じている事だから。
そこからぶれちゃいけない。
でないと、これから先カミュは俺の言う事を信じなくなってしまう。

何度目になるかしれない覚悟を腹で絞めて、俺はカミュの隣に立った。
モーツァルト。
一緒に弾くのは、パブリック以来だった。


カミュがどのくらい今弾けるのか、それは毎年のロス達とのバンドや、去年までここで楽しそうに弾いていた音で分っていた。 今のカミュと自分。
レベルなんて言葉は使いたくないけれど、それでも対等で無い事は分っている。
開いたギャップは、一週間カミュが必死で練習した所でどうにかなるようなものじゃない。
そんな自分の考え方に、一瞬酷く冷たいものを感じ、それでも誤魔化しは無しだと決めた決意のままに、手加減無くカミュに注文をつけた。
カミュの表情は強張ったけれど、「大目にみろ」なんて考えてもみないんだろうその様子に、口の端が綻びそうになる。


練習台として価値のある演奏が出来なければ切ってもらっていい。


カミュのその意気の激しさ、厳しさが好きだ。
カミュがやりたい事、出したい音、みんな分ってる。
伴奏というからには、精一杯バイオリンの音を引き立てる演奏をする。
他者を引き立てる演奏。
カミュの一つのポリシーだ。
パブリックの頃から、いや、カミュの話だと聖歌隊に居た時から、カミュの音楽はソリストの間では取り合いだった。それは、カミュが最大限ソリストの美点を引き上げ、欠点を支えるような音楽を返してくれるからだと思う。
カミュと演奏すると、自分がとても上手くなった気がする。
オケの仲間達は口を揃えてそう言った。
そういう演奏も、ありなんだんと思う。
でも俺は、伴奏者が引くからソリストが目立つような演奏をしたいとは思ってない。
立つのなら、自分の音で、音楽で立つ。
譲って貰う必要なんてない。
カミュの音はやさしくてきれいだ。俺にはきっとあんな音は出せない。
カミュの目指すものはあたたかい。その調和はとても魅力的だ。
でも、今は、カミュはもっと思いっ切り音を出していい。
余計な事を考えなくていい。俺に合わせるとか、役に立つとか……。
そんな事を考えなくても、俺の音楽はカミュの音に埋もれる事はない。
それだけのチャンスと時間を、カミュは俺にくれた。
もしカミュが、少しでも俺の音楽を他者より秀でたものがあると見てくれるのなら、その根元に、カミュのくれた音楽の翼があるのだと知って欲しい。
カミュがくれた翼を、俺が握り締めて進んでいる。
カミュがくれた音楽。カミュが許してくれたら、今度は同じ事を俺はしたい……。


本当は、答えなんか出てる。
カミュが俺から離れていかないでいいまっとうな解決策。
きっと常識という基準から考えたらキチガイ沙汰の方法。
でも、多分、それしかない。
妥協しないで答えを求めるなら、俺に見つけられる答えはそれだけだ。
その一歩が、今始まっているんだ。
誠実に、この時間を共有しよう。
「ヴァイオリンを立てようとか、思わなくていいよ」
カミュの目を覗き込んで微笑むと、カミュの頬にサッと血が上った。
分ってる。
こんな事、言われたら悔しい。傷付く。
でも、今度はどんな事があっても俺がカミュの側を離れないから、カミュ、一緒に進んでいこう……。


カミュは精神的にも、肉体的にも一杯状態だった。きっとこのままでは眠れないくらい気が張り詰めてしまっているだろう。そう思って積極的にカミュの体に触った。
けれど案の定、カミュの体は中途半端な反応しか返せなくて、不首尾のまま二人で諦めて眠りにつく。
そして、真夜中過ぎにそっと布団の中から抜け出すカミュの気配に目が覚めた。
足音を忍ばせて階段を降り、事務所のピアノの前で唇を引き締めているカミュを見て、見守るつもりが声を掛けていた。
カミュのこの固くなった緊張を一瞬で溶かす魔法の言葉を俺は持たない。
でも、独りでそんな厳しい顔をさせるくらいなら、ちょっとした興味で昔ブックマークに保存しておいた考えをカミュに披露するのも悪くないかと思い、カミュを膝の上に抱きこんで所謂アダルト・グッズと呼ばれるものを通販するサイトを見せた。
要らないと断られ、白い目で見られるかと思った俺の提案は、意外にも抵抗無く受け入れられて、予定を大幅に上回る時間をかけて真剣に検討された。


    ***


「カミュ、また肩が上がってる」
夕飯までは個人練習、とカミュから追い出された事務所に、俺はお土産のスコーンをつまむという口実で45分置きに足を運んでカミュにちょっかいを出した。
指先でカミュの肩を突いたり、カミュの頭を手の平でぐりぐり撫でたり。流石にわき腹をくすぐった時には「ふざけるな」と鉄拳をくらったけれど、一応カミュの事を考えてなので挫けなかった。
俺は一度腕を壊していて痛い目を見ているから、音楽で根を詰めること、所謂肉体疲労には結構臆病だ。
体をいじめて結果を出すってやり方には懐疑的で、限界までやればその限界を超えられるとも思ってない。
それでも、今のカミュに休み休みやりな、って言ってそれが簡単でない事も分ってる。
だから、せめて俺がカミュの気持ちを逸らせないといけない。
昨日に引き続いて簡単な夕食の後(昨日のペンネの残りを入れたトマトスープと作り置きしていた生地を使ってピザを焼いた)、カミュと合わせをやってみると、指回しが追いつかないところは途中の音を飛ばしながら拍の音を拾ってこっちについて来た。
カミュは勘がいい。
昨日注文をつけたところは、きっちりこちらの要求を完璧とはいかないまでも改善してあって、その反応の速さは気持ちがいい。
昨日の練習時間の倍近くの時間を費やした頃、カミュの眉間の皺が体のあちこちの痛みに比例して深くなっていくのをこちらが見ていられなくなってお開きにした。
昨日と同じようにカミュをバスタブに押し込んで、俺はタオルと電子レンジを持って屋根裏に移動。自分もシャワーを浴びる。
一時間してもカミュが上がってこないので、下に様子を見に行くと、カミュは事務所のソファに深々と座りこんで肘を押さえていた。溜め息をかみ殺して、
「カミュ、上、上がって来いよ」
と明るく声をかける。
そして、カミュがこっちに来るのを待たずに歩いていってカミュの唇を舐める。
カミュの体は一瞬緊張したけれど、直ぐになるべくやわらかい雰囲気で、と意識してくれたのが分るキスで応えてくれた。
カミュの頬を撫でてまた唇にキスをする。顎や目元。カミュの指先を握ったりり撫でたりしながらそうやって何度もキスを送るうちに、やっとカミュの肩が少し落ちた。
「上に行こうよ」
そう囁くと、カミュの手が俺の手を握り返し、頷いてくれた。


「カミュ、マットレスの上に腹ばいで横になってよ」
何事を言われたのか、と目をちょっと大きく見開いたカミュの体を寝台の上に押し倒して、俺はさっき運び込んだ電子レンジで即席の蒸しタオルを作り、カミュの首に当てた。
うわ、ともうーともいえない小さなくぐもったうめき声がカミュの口から洩れた。
カミュの後頭部に左手を、右手を頭の天辺に置いて感触を確かめると、ガチガチに頭の天辺が尖っている。
カミュの頭、全然緩んでない。これじゃ寝れないだろう……。疲れも取れない。
ドウコとシオンにやってもらった事を思い出しながら、何度も蒸しタオルを交換しつつ、カミュの体を探る。
変な熱のこもった感じの肘や手首にも蒸しタオルを当て、背中に出来た固い筋に真似事だけど「気」を通す。
足首と足の裏も触って見て固くなっていたので、ここも丁寧に弾力が戻るまでじっと意識を集中して気を出す。
手が熱くて、額に汗の玉が浮かんできた頃、ふと気付くとうつぶせたままカミュが寝入っている呼吸の音が聞こえた。


ああ、やっぱり寝ちゃったか……。


覚悟していたとはいえ、ちょっとは期待していたのも正直な話で、俺は仕上げにもう何回かカミュの足指を回したり引っ張ったりしてから薄い上掛けをカミュの体に被せてそっと屋根裏部屋を後にした。
昨日、それなりにカミュに処理してもらったのに、駄目だな……どうしても目の前に居て触れる状態だと体が反応する。
溜め息をついて事務所でシャワーを使いながら自分で自分の欲求を宥める。


明日はツィガーヌに取り掛かろうと言ってある。
きっとまた一日中カミュはピアノに集中してるんだろう。
明日の晩も出来ないのかな……?
買い物、誘ったら付き合ってくれるかな……?
言いだしっぺは自分で、まあ、こんな感じになるのは分かってたけれど、もう少し二人で遊ぶ時間が欲しいのが本当の本心。
まあこれで、明日の朝カミュがすっきりと目が覚めて、少しでも体が楽になっていればそれはそれで嬉しいのだけれど……。


いつまでオアズケを食らうのかな、と考えていたらちょっと気分が滅入ったので、干からびたレディー・フィンガーをエスプレッソに漬け込んで即席のティラミスを作ってしまった。
これで明日カミュを三時のお茶に誘って、少しでもカミュの殺気が解れればいいんだけど、と考えながら。


 

04:カミュ視点