囀る60分ドロライのお題「久我」回で発表した短編です。
久我がOp.の高比良玄と同じ能力を持っている、というクロス設定。
人の形をしたバケモノを、見た。
俺は、人の感情が色で見える。
別に新興宗教に気触れているわけでも、そういう設定のラノベの話をしているわけでもない。
物心ついた頃から、親や友人の気分を言い当てては散々気味悪がられ、親父には悪魔払いと称して散々虐待された。俺の現実の体験の話だ。
昔は妖怪サトリだとかなんとか言われたが、現代医学によれば、共感覚とかいうものに分類されるらしい。
表情や仕草などから、その時の気分を無意識に読み取って、それを相手が放つオーラの色として認識してしまう。
そういう人間が稀にいて、それは何かに取り憑かれているのでも欠陥でもなく、たんにそういう脳の個性だと思えば良いと、少年院で世話になったカウンセラーから聞いた。
俺の身の回りには、綺麗な色をしている奴はほとんどいなかった。
まあ、もっと正確にいえば、俺を見た瞬間に、俺のことを知ってる奴のオーラは皆どす黒く濁る、ってだけの話なんだが。
遠くにいる俺とはまったく関係ない人間の色はそれなりに綺麗に見えるのに、近づいてくる奴はどれもこれもクソみたいな色してる奴ばかりで、シャバに出てもホントくだらねえな、と思っていた矢先、そいつは目の前に現れた。
一瞬、そういうオバケか、と思って、不本意ながら、おぞましさに足が震えた。
全身を、真っ黒い線状の暴れるミミズみたいな、えげつないモノが、塗りつぶしてる。そう、よく道路で潰されて死んだカマキリのケツからはみ出してる、黒い紐状のアレみたいなやつだ。
あんまりぐにゃぐにゃと隙間なくそいつが蠢くので、顔なんかまったく見えなかった。マジで見たくもねえけど、あまりに強烈な印象すぎて目を離せずにいると、その黒の隙間から、気が狂ったようなぐちゃぐちゃの原色の色彩が見え隠れした。
ああ、こいつ、感情を何かに喰われてるんだな。
生まれて外界に馴染む間もなかった、まだ原色の感情を、黒い怪物が喰らい尽くしてる。そんなことを思った。
「お前、気に入ったよ。うちの組に入んねぇ?」
俺が叩きのめしてやった男どものうちの一人を、靴先で蹴飛ばしながら近づいてきて、そいつはそう笑った。
いや、顔なんて見えなかったから、本当に笑ってたかどうか知らねえけど。
「お前、ウチに借金あんだろ? 返済期限過ぎてんだけど?」
「……わかってる。必ず返す。でも、ヤクザはごめんだ」
「そのヤクザをこんだけボコボコにしといてか?」
「ハッ、別にいい子ぶる気はねえよ。……でも、あんたの下は嫌だ」
「……へぇ? なんで?」
ヤクザ相手にまずったかと思ったが、正直俺はそいつが気味悪すぎて、これ以上1秒も見ていたくなかったから、つい言ってしまった。
「悪ィけど、俺、あんたの顔、バケモンにしか見えねえ」
まあ、思い返せば、その苦し紛れの台詞が、あの男──真誠会若頭の矢代のドMの性癖にぶっ刺さってしまったんだろう。
それ以来、散々つきまとわれて、えらい目にあった。
まあ、良かったことも………あったんだけど。
俺のこのへんな能力には、例外があって、オーラが見えない人間が少数だがいる。
一人目は、俺自身だ。自分自身の色は、なぜか、鏡を見ても見えない。
そして、もう一人は、影山莞爾。
今の俺の、まあ、所謂恋人だ。
影山のオッサンの色は、初めて会ったとき、ものすごく綺麗な若緑色をしていた。出会った場面は最悪だったし、隣にはあのバケモノ矢代がいたが。
いまどき、30代半ばすぎの男で、あんな純粋な色をした大人はいない。その若緑色が、矢代を見るとき、ほんの少しだけ、薄紅色が差した。
なんだろな、これ。
憧れ……心配……気遣い?
聞けば、高校時代からの腐れ縁だという。
腐れ縁、ね。
どっちかっつーと、ノスタルジー。
おっさん、昔、あいつの事好きだったんじゃね?
そのうち、俺を見るときにも、もう少し鮮やかな橙色が混じるようになって、ああコイツ、俺に気があんの、って気づくまで、そんなに時間はかからなかった。
実は、少年院にいた頃にも、その手の誘いはいくらでもあったし、マジでピンクになってる奴もいた。
でも、俺にはまっぴらごめんだ、という感情しかなくて。
それが、この綺麗な若緑色の莞爾さんなら、悪くない、と思った。
ってか、正直に言えば、このおっさんとどうこうなりたい、と思ってる自分に驚いた。
自分でも、一回り以上年齢離れたオッサンが相手とか、冷静になるとちょっと引くけど。
でも、見た目も言動もとにかく無愛想で、不器用丸出しのこのオッサンが、心の中はものすごく純粋に旧友を心配してるのを見たら、なんか、この人イイな、と思ってしまった。
そのまっすぐな気持ちを、自分にも向けてもらえたら、とか、ガラにもなく思っちまったんだ。
それに気づいてしまったら、何が何でもこのオッサン落としてやる! とむしろ燃えちまって。
絶対手に入れる、と心に誓って、少々すったもんだあって、あの矢代にコッソリ裏から手伝われてしまったものの、何とかオトして今に至る。
で、初めてヤってしまった夜に気づいた。
莞爾さんの色が見えなくなっていることに。
あの若緑色が大好きだったから、見えなくなったのはちょい寂しい。
でも、俺だけが大切な相手の感情が見えてるってのは反則だと、どこかで思っていたから……これで、良かったんだと、今は思う。
色の綺麗な大人といえば、莞爾さんの周りで、もう一人見た。
百目鬼力。
あの矢代のとこに入った新入りだ。
こいつは、恐ろしく澄み切った深い青のオーラの持ち主で、まるで山頂の空みたいだと思った。
でも、現実の空の青の上には、宇宙の黒があって。
百目鬼にも、その底の見えない黒々とした濃紺が、その青い空の上にのっかっていた。
「俺は頭を尊敬しています。それはそんなにおかしいですか?」
そう言い切ったとき、その青が、いっそう明るく輝いて、俺は矢代のことをボロクソ言って茶化した少し前の自分を恥じた。
そうだよな。俺にはどれほどバケモノに見えようが、普通の人間にはイケメンの優男に見えるんだろうし。
いや、それ以上に、こいつは本気で矢代に心酔してる。
そこまで純粋に憧れを抱ける人間が、羨ましかった。
気に入ったので、この百目鬼を無理矢理メシに連れ出して、気持ちよく飲んでいたところで、あろうことか矢代に見つかってしまった。
なんで場所わかったんだよ、と聞けば、お前ここどこのシマだかわかってんの? と人を食ったような返事。
まあ、すっかりそのことを忘れてた俺もウカツだったが、こいつの物言いはホントむかつく。
「別に来なくてもいいだろ」
「お前らがあんまり楽しそうだったから嫌がらせに来たんだよ」
「なーお前、ホントにこんなのを優しくて強くて綺麗とか思うわけ?!」
別に、他意があったわけじゃない。
せっかく楽しく遊んでいた時間を邪魔されて、ムカっときたから、本気で先刻の百目鬼の台詞を確認したかっただけだった。
でもそれは、結果的に、たぶん百目鬼が矢代に直接言ったことのない言葉を、矢代本人に伝えることになって。
「ああ? なんだそりゃ」
「こいつが言ったんだよ、アンタのこと」
「あ、こいつバカだから、相手にしなくていいから。とくにお前は」
気の無い言葉と裏腹に、1秒ごとに変わっていく矢代の姿に、目を見張った。
真っ黒に線状虫に塗りつぶされていた矢代の心臓のあたりに、真っ白な光が差していた。
決して大きくはない。でもその光が、あの気色悪い黒い虫をじわじわと追い払って、俺は、初めて、その下に隠れていた色と、矢代の顔をまともに見た。
──なんだ。ものすごく綺麗な暁色じゃねえか。
ドMで迷惑千万な変態で、見るのもおぞましい黒い虫に、感情を喰い尽くされていたヤツが。
心の中に、こんなに切なくなるような、透きとおった紅色を纏ってるなんて。
一体、誰が思うだろう。
その色は、隣の百目鬼の青の中にも混じり込んで、百目鬼自身の空も、夜明けを待ち望むように明るくなっていて───
まるで夜明け前の、澄み切った東の空の一瞬を切り取った、一幅の絵画を見ているみたいで。
「は──? なんで俺は”特に”なんだよ?」
「……そりゃお前……あれだろ」
「あれ?」
「あれはあれだ。百目鬼、ボケっとすんな、メシと酒テキトーに頼め」
「だからあれってなんだよ!!」
その、息をのむような、美しさに。
軽口に紛らわせて、不覚にも、ちょっと滲んだ涙を誤魔化したことは、秘密だ。
俺はこれまでに、嫌というほどたくさんの人間の色を見てきたし、これからもたぶん見て生きていくんだろうと思う。
それは自分にはどうしようもないことだし、そこを腐っても仕方がないから、ある程度は見えても意識に上らせない訓練もしてる。
だから、私生活で、そのせいで困ることはあまりない。
まあ、家にいる間は、相手が「見えない」莞爾さんだから、すごく楽させてもらっているのもあるが。
最近、あまり以前みたいにキレなくなった理由のひとつは、たぶんソレかもしれない。
だから、この能力を、何かや、誰かのために使おう、などと考えたことは一度もない。
ないんだが……。
さすがに、あのとき見た光景はあまりにも衝撃的すぎて。
次に、百目鬼と会う機会があったら、たぶん言ってしまうのではないか、と思う。
お前は、いったい、アイツになにをしたんだ? と。
真誠会組長が、若頭を殺害しようとして失敗し、親団体に始末された顛末は、今は解散してなくなった真誠会の元構成員から聞いた。
その過程で、矢代がどうやらかなり一方的に百目鬼を捨てたらしいことも、莞爾さんから聞いた。
理由は知らないが、その時は、わかるような気もする、と思った。
あの時みた暁色は、あまりにも繊細すぎて、ちょっとした力加減で、粉々に壊れてしまいそうな気がしたから。
……ただ、俺が見た矢代は、そういう次元でなくぶっ壊れていて、そこまでこじれた理由が、今でもまったくわからない。
その日の莞爾さんはやたら感傷的で、その晩はむっつりと塞ぎ込んだかと思ったら、布団の中ではかなり激しく求められて、宥めるのに随分苦労した。
そういうの、ちょっとムカつくけどな!
要するに、まだ矢代になんらかの気があるってことなんだろうし。
でも、今は、そういうときに頼るのは俺なんだ、ってのがはっきりしてるから、許すけど!
俺が、組を離れた矢代を見たのは、それから1ヶ月くらいがすぎた後だった。
あれほど全身を覆っていた黒い虫は、全て消え失せていた。
その代わりに、心臓に灯った白い光が、全身を覆い尽くしていた。
随分綺麗になったな、なんてもんじゃない。
あの白い光は、矢代本人の感情も、全部一瞬で抹消してしまうのだ。
まるで、この中に存在して良いのは、自分だけだ、といわんばかりに。
あの美しい暁色は、もうどこにも存在していなかった。
ただただ、無慈悲な白い光が全てを覆い尽くして、右目の位置だけに、黒く底の知れない穴が開いている。
そこから、まるで断末魔の悲鳴のように、黒いなにかが立ち上っている。
逃げようとするソレも、追い縋る白い光に焼かれて、空中で細かな白い灰になっていた。
あれは、たぶん昔あいつの全身を覆っていた黒い虫の残滓なんだろう。
俺にとって、矢代という人間は、バケモノだった。
バケモノでも、あの暁色が見えたとき、どこか憎めないバケモノだと思った。
でも、今のあいつは、バケモノですらない。
ただ、全てを何かに喰い尽くされて、入れ物だけがこの世界を漂っている──あれは、ただの、残骸だ。
初めて、俺は、あのバケモノ──矢代を、哀しいな、と思った。
こんなに哀しい生き物を、お前、一人にしておくのか?
お前の前でだけ、あんなに綺麗な暁色に染まって見せたバケモノを。
あれから、4年の歳月がすぎた。
今日も、日めくりをめくって、過ぎた日々を数える。
──百目鬼は、まだ、来ない。