探しもの

囀る60分ドロライ 「探し物」回に発表した百矢。この後日談が「比翼の鳥」です……。


 

 

 

「あ」

 

その日、百目鬼は透き通って光るとても綺麗なものをみつけた。
大好きな相手の一番好きな場所のひとつに隠れていたそれを、彼はとても愛おしく思ったので、相手が一心にスマートフォンの画面を眺めているのを良いことに、ほかにもないかとそれを探し求めた。
ひとつ……ふたつ、……みっつ。
「……何やってンの? お前?」
ただ優しく髪を梳くだけだった手の動きが変わったことに気づいて、百目鬼の体を背もたれにしていたその人が、夢から覚めたような眼差しで後ろを振り返った。

 

「矢代さん、金髪が混じってるんですね。やっぱり、ご先祖の中に大陸の人がいたんでしょうか……」

 

その瞬間、振り返った花の顔が、音を立てて凍りついた。

 

 

「……オマエなあ……世の中には、探しちゃいかんモノ、ってのがあんだよ……」
午前の診療時間は終わっているというのに、必死の形相で無理矢理押し込んできた大型犬のような男をとりあえず診察室の椅子に座らせて、影山ははぁ、となまぬるい溜息をついた。かげやま医院は内科だ。断じて、弾傷だの刀傷だのを見せられたり、ケツの穴の不具合だの恋の悩み相談だのを聞くためにこの部屋があるわけではない。
「……でも……その、まさか、白髪とは思わなくて……矢代さんはもともと色素が薄いから、そんなに目立たなかったし、周りの髪の色が透けて、本当に金髪に見えたんです……」
隣では、昼食を差し入れに来た久我が先刻から腹を抱えて涙を流している。百目鬼よりもさらに3歳も若い久我には、白髪を恋人に発見されて衝撃を受けた40代男の苦悩が相当ツボにハマったらしい。
「……腹……いてっ……!! あの矢代さんが……白髪っ……!!」
「久我……あんまり笑ってやるな……」
同い年の影山としては、多少身につまされる部分はある。
なにしろ、年の差カップルといえば、矢代と百目鬼の11歳をさらに超える14歳差だ。
久我には話したことはないが、いつか久我が自分以外の運命の相手に出会って、自分の側から離れていくこともあるかもしれない、と、内心覚悟はしている。
その時が来たら、まだ若い久我の未来を縛ることはしたくない、とも思っていた。
ただ、影山は、そんな覚悟は当然矢代もしているのだろう、と思っていたのだ。
むしろ、あいつの方が、最初から終わりの日を前提に関係を始めそうじゃないか? と。
「俺がちょっと席を外した隙に、メモも残さずに家を出てしまわれて……車もなくなってて、電話も繋がらなくて。心当たりは、全部探したんです……。先生はどこか、矢代さんが行きそうな場所に心当たりはありませんか? どこかで事故に遭っているかもしれないと思うと、もう心配で……!!」
「そう言われてもなぁ……俺はあいつと付き合いは長いが、あいつのこと殆ど知らねえからな……」
ちらり、と影山は久我を見上げた。気まぐれな猫みたいなところは、こいつと矢代は似ている。案外、久我が一番、矢代のことがわかるのかもしれない。
「矢代さんとの思い出の場所とか、ねぇの? 影山さん」
ふいに、久我が笑いを収めて、きらりと光を弾く瞳で影山を見た。
「はぁ? なんで俺とあいつの思い出が関係あんだよ?」
「あの人が自分の歳を考えなくて済む相手なんて、あんたくらいだろ? そーいう、若モンはおよびでない、ってあんたら年寄りが無言で牽制してくんの、ホンットムカツクぜ。なぁ、百目鬼?」
「……それは、俺が、頼りないのがいけないので……。まだ40代前半なのに、白いものが髪に混じるほど苦労されていたなんて、気づかなくて……」
「……いや、お前が気にすべきとこ、そこじゃねえよ?」
「……?」
だめだこりゃ、と小さく口の中で呟いて、久我は百目鬼のネクタイを締めた胸元に指を突き刺した。
ヒントはやった。どうせ夫婦喧嘩は犬もなんとやら、の連中に、これ以上貴重な昼休みを邪魔されたくはない。
「ま、自慢の鼻で探し出してみな? 元おまわりさんなんだから、迷子の子猫チャンを探すのは得意だろうが?」

 

 

遠くから、サッカーの試合の掛け声が聞こえる。
体育の授業、夏は暑くて毎回大変だったな、と思いながら、矢代は手にとった煙草をしばし眺め、そのまま溜息をひとつついて、火をつけないままの煙草をケースに仕舞った。
思考が空回りして、出口を失うと、矢代はかつて通った高校の近くの公園に来る。アカシアの並木道にぽつんと置かれたベンチに腰掛けて空を見上げていると、十代の頃の素直な思考回路が戻ってくるような気がするからだ。
煙たくて苦しいだけの、こんなモノに頼るようになったのは、三角さんと盃を交わしてからだったっけ……。
全て、自分で望んで、自分の好きなように生きてきたと思っていたのに、最近気づかされる。自分が、どれだけ、本当の希いを飲み込んで生きてきたのか。

 

煙草なんか、覚えたくなかった。
ヤクザになんて、なりたくなかった。
本当は、もう少し、勉強を続けてみたかった。
……昔のことすぎて、覚えてねえけど。
……男の味なんて、多分、知りたくなかった。

 

でも、それらが全部叶わなかったから、今の自分がある。
全部黙って飲み込んで、毎日、一歩一歩歩んできたから、百目鬼に出会えた。

 

終わりよければ全て良し。
結構な、幸せな人生じゃないか、と、百目鬼とこんな仲になって、ようやく思えたのだ。
40年以上かけて、ようやく手に入れたのに……。
失うのは、案外早いかもしれない、と、気づいてしまった。

 

……あいつ……綺麗、って、バカの一つ覚えみたいに、それしか言わねーのな……

 

矢代は、よく若作りしている、と言われる。無論本人にその気はない。
見栄えは関係ないなんて青臭いことを言うつもりはないし、この外見を最大限、自分に有利になるように利用してきた自覚もある。それでも、少なくとも、それに執着したことは一度もなかった。
それが、最近になって、自分の容姿が気になるのだ。
自分はまだ、あいつの隣に立って、遜色ない姿なのか? と。

 

11年。自分があの高校に通っていた頃には、百目鬼はまだ小学校に上がるかどうか、という年齢だったはずだ。
犯罪だろ、ソレ、と、ふいに可笑しさがこみ上げて、矢代は喉の奥で嗤った。
そのくらい、自分と百目鬼の間には、埋めようのない時間の隔たりがあるのだ。
これから男ざかりの一番生命力に溢れた時代にさしかかる百目鬼と対照的に、この体は老いて少しずつ壊れていく。若い頃に相当無茶もしたし、体をきちんと作らなければならなかった時代に、まともな食事もとれなかった。
この体は、あと何年もってくれるだろう?
今の容姿を失っても、あいつは側にいたいと思うんだろうか?
百目鬼のいまの情熱を疑ったことはない。それでも、半世紀近く生きてきた経験が、矢代の脳裏に確信を囁く。
人は、どうしても綺麗な見た目に心を奪われる。最初から美しくなければ、期待もないかも知れない。でも、美しいものが壊れ、萎れていく様からは、どんな善人でも視線を外らせるものだ、と。

 

考えても、仕方ねえよな。
矢代は、心の中で、この四十年間ずっと繰り返してきた習慣を、またひとつ積み重ねた。
綺麗なものに惹かれるのは、あいつのせいじゃない。
……この体が「綺麗」ではなくなるのも、あいつのせいじゃない。
だったら。
幸せは、探さない。今この瞬間だけ、ここにあるもので、幸せを感じればいい。
自分は、何も、求めない。探さない。

 

「──矢代さんっ……!」
不意に、この世の終わりのような叫びが聞こえて、矢代は声のする方を振り返った。
そして、その視界に飛び込んできた光景に、文字通り、全身が硬直した。
「矢代さん……! よかった、無事で……! 電話にも出ないし……本当に心配しました!」
駆け寄ってきた大きな体に、息もできないほど強く抱きしめられる。それでも、見た光景があまりにも衝撃的すぎて、とてもイイ雰囲気には浸れなかった。
「……お前……っ……百目鬼?! なんだ、その頭────!!」
「自分の失敗の責任をとりました。影山先生が、あれは探してはいけないものだったと言われるので」
「はぁぁぁぁぁあ?!」
目がチカチカする。断じて、まだ強い夏の夕暮れの逆光のせいではない。
百目鬼の、頭から、毛が、なくなっている……。
水から引き上げられた金魚のように、ただ口を開け閉めすることしかできない矢代を、百目鬼はまっすぐに見下ろした。
「いつか俺の頭にも、同じものが生えれば、あなたは気にしなくなるんでしょう。でも、すくなくとも今は、それは自分の意思ではどうにもならないので……いっそ何もなければ、気にすることもないかと!」
「だからって……!! お前、その顔の傷でソレは、半端なくヤバい奴にしか見えねーだろが!!」
「それであなたにちょっかいを出そうとする輩が減るなら、むしろ好都合です。難点があるとすれば、あなたにこの容姿を醜いと思われることですが、それは多分ないと、俺は信じてますので!」
百目鬼の目が据わっている。
欧米のとくに頭脳労働者の間では、30代前後の男が頭を剃り上げることは決して珍しくない。その年齢から髪が薄くなる層が一定数いるためだ。下手に残すよりは、潔く剃ってしまった方が格好良い。
まあ、ソレは、そうなのだが。
……なんとなく、頰が熱いような気がするのは、丁度顔の上に落ちてきた夕日のせいか?
「……なんつーか……頭良さげに見えるな? よく見ると」
「頭良さげ……ですか?」
「……俺も、いっそ、剃るか!」
「あなたはそんなことしなくても、十分頭良さそうに見えます」
「良さそう、じゃなくて、良いんだよ! この先の高校で、卒業ん時の成績、学年2位だったし。ここだけの話、大学の推薦入学の話も山ほど来てたしな! ……行けなかったけど」
こんなくだらない昔の自慢話をしてしまうくらいには、動揺しているらしい。
考えてみたら、顔に大きな傷は二箇所も作るわ、小指は落とすわ、百目鬼こそ外見にはまったく執着していないのだ。
髪の毛だって、まあ頭の形が良いから、坊主が似合わないわけではないが、やはり前の髪型の方がクールでセクシーだ。
それを、こうもあっさりと捨ててしまうなんて!
「……俺は、あなたの髪は大好きですが、それがどんな色になっても、たとえなくなってもしまっても、あなたのことは大好きです。あなたを探して走り回るのも、悪くはありませんが、どうせ探すなら、あなたの今の居所ではなく、未来の居場所を探したいです」

 

少し泣き出しそうな、百目鬼の真剣な面差しが、赤みを帯びた夕方の光に縁取られて眩しかった。
百目鬼のくせに、何うまいこと言ってんだ。
そうからかってやろうと思ったのに、声が出なかった。

 

「……だから、いつか、一緒に、大学に行きましょう。俺は勉強得意じゃないんで、あなたがつきっきりで教えてくれないと受かりませんが」

 

──ああ、お前が、この場所で、それを言うのか?

 

「──そうだな。いつか、この国を出て、自由な空の下で、一から好きなことやるのも悪くねぇかな……」

 

 

後日、「迷子の子猫に無礼を働いたため頭を丸めて家まで送り届けた犬のおまわりさん」の話を久我から七原、神谷を通じて伝え聞いた桜一家の若い衆は、当家一番のコワモテの出世頭の指を落とさせた上に頭まで丸めさせた「ヤシロ」という名の男の存在に震え上がり、道心会には決して手を出すべからず、という不文律が生まれた。

 

……という事実を、百目鬼も矢代も知らない。

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