Italian Rhapsody 01

(ミロ視点)

今年は、ヴェネツィア・ビエンナーレの年だ。
1895年に美術展が開催されて以来、その規模は膨らみ続けて、今では国際音楽祭、国際映画祭(これは世界最古の歴史を持つ映画祭。世界三大映画祭といえばカンヌ、ベルリンとこのヴェネツィアだ)、国際演劇祭、そして国際建築展を独立部門として抱える巨大な芸術祭へと発展を遂げている。
ヴェネツィア市内各所を会場として、各国が自国のパビリオンに代表を送り込んでくるから、街全体が巨大な美術館になるような感じになる。 ちなみに、ビエンナーレとは二年に一度というイタリア語だ。
職業柄と、イタリアに住んでいるという地の利もあって毎回建築展には足を運んでいる。建築展は、1980年に第一回展が開催されてから今年で11回目だ。

年々、各国の代表者は異なるものの、その国の特色はぼんやりと決まっていて、そこを楽しみに足を運ぶ人間も多い。つまり、ああ、これが北欧のテイストだよな、とかイタリアはこうだなというように。
けれど、毎回それを裏切るの国が一つある。
日本だ。この国の展示は良くも悪くも毎年テイストが違う。
今も鮮やかに記憶に残るのが、2004年の第9回展。日本のテーマは「OTAKU」。

気圧された。
天井から吊るされた日本独特の少女のイラスト、KAIYODOのフィギュアやコミックマーケットと呼ばれる自費出版のブース、OTAKUと呼ばれる人々の生活空間のミニュチュア再現。
展示物からこれ程の生々しい熱気のような衝撃を受ける事も奇異なら、きちんと計算され、理路整然と極めて人工的に配置されているにも関わらず、品々に一種グロテスクな刺激を受ける事も唖然とさせる事で、とにかくインパクトがあった。
まるで、全ての作品がやかましく呼吸し、独り言をしているのではないかと思わせるから、自分の五感を疑ってしまう。

所謂、密度の極地というものを表現した後、第10回展ではがらりとテーマを変えてタンポポハウスというものを出現させた。テーマは「ROJO」。
豊富なスライドと素足になって展示物を閲覧するユニークな導入、自然とシュールの融合の結果、日ごろ見落としているユーモアに気付いき、誰もがくすりと笑わずに居られない、そんな瞬間が訪れる作品達。

几帳面な民族かと思えば大らかで、激しい民族かと思えばのんびりしている。掴みどころが無いと見えれば、単純にして純朴に見える。
二百年昔から、日本について様々に異邦人たちの視線は語るけれど、未だにこれだという解答は出されていないように思う。
もっとも、一億の人間をある一つの特色に詰め込む、という作業事態に無理があるのだろうけれど。

たった一年という短い期間だったけれど、日本に滞在した事がある。その時一番世話になったのは、フィレンツェ大学時代からの友人であるマサで、彼とは今でも時々メールのやりとりをしている。
そのマサから、今年のワークショップに彼と彼の友人たちが参加する予定であると連絡が来た。ビエンナーレの期間中には、様々な分野のワークショップがここで同時に開催される。その一つに参加するとある。
早速ヴェニスで落ち合う約束をして、観光ガイド兼通訳(といっても英語メインの日本語チャンポンだったけれど)として数日を水の都で過ごす。

その後、俺はマサたちと別れて一人フィレンツェへ南下。
ありがたい事に未だに健在の母方の爺様、婆様に顔を見せる。もう二人とも八十を超えた年齢だというのに、特に爺様は今でも毎日鍬を担いで農場を歩き回っている。
農場に一泊して、従姉妹やその子供達に土産をばら撒き、替わりに去年作ったワインやチーズなどを大量に貰う。
カミュが、ワインを殆ど毎日飲むような暮らしをしているから、今度イギリスに行くときに持って行こう、と有り難く頂戴する。彼はチーズも好きだし、何よりうちの味を気に入ってるようだから。

小さな車にこれらの品物を押し込んで、今度はアレッツォへ。
イタリア人の、まだそんなに知名度の無い弦楽奏者、もしくはカルテットを探している、という話がモデル事務所の古馴染みのカメラマンから回ってきていた。

彼は、元はプロモーションビデオとかの「動く」映像作家で、その時の知り合いの知り合いって感じの人が今度イタリアで映画を撮影する事になり、人集めの話が巡り巡って届いたらしい。
最初の音大時代の同期が、丁度そんな活動をしていると話したら、じゃあ、って事になって音源を持って先方を訪ねることになったんだ。
肌寒い朝だった。なかなか暖まらない車内の空気と一緒にA1を通って、ルネッサンスの詩人ペトラルカや建築家ヴァサーリを輩出したエトルリアの都市へ入場する。

アレッツォは「La Vita e Bella」英語で「Life is Beautiful」の撮影で近年知られるようになったが、やはり観光客はフィレンツェなどに比べれば格段に少なく、落ち着いた静かな街だった。
少し早く着きすぎてしまって、約束の時間まで教会を回って時間を潰す。
大聖堂のステンドグラスは、カミュが見たらきっと気に入るだろうなと思うと同時に、彼の誕生日の約束を反故にした事に再び胸が痛んだ。
どんな埋め合わせをしようか、と、つらつら考えながら市内を巡るうちに時間は過ぎ、午前11時、カヴァリエーレパレス・ホテルの前に立った。
予めもらっていた部屋番号をフロントで告げると、白いものが混じり始めた茶色の髪を、こざっぱりと刈り込んだ初老の係りが、話は聞いているのでそのまま部屋まで行っていいよ、と愛想良く言ってくれる。

俺は、クリーム色のエレベーターに乗り込み、硬い絨毯の廊下を踏みしめ、まっすぐに部屋へ。
これで相手が気に入ってくれたら、パトリック達驚くだろうな……。
取らぬ狸のなんとやら、いい結果ばかりを想像して一人顔を緩ませた。

バイオリンのパトリック、ピオラのシモーネ、バスのラファエッロ、彼らは最初の音大での同期で、武者修行と称して暇さえあれば路上で、長期の休みの時はイタリア中を楽器を弾きながら旅した仲間だ。
今では彼らはそれぞれプロとしてオーケストラに所属したりしながら、合間合間に集まって自費でCDなんかを出している。
それぞれ忙しいから、年に何回もカルテットとしてコンサートは出来ないけれど、ローマじゃそこそこ知名度も上がって来ている。
自費じゃなく、ちゃんとレコード会社と契約してCDが出せたらいいのに、と常々思っていたから、今回の話を聞いてオレは喜び勇んでアレッツォくんだりまでやってきたというわけだ。

兎に角、第一印象が大事だよな、と深呼吸をして肩の力を抜く。
しんとした廊下に、ドアの木と俺の指の骨が当たる音がけっこう大きく響いたのに、返事が返らない
おかしいな……。
また続けて三度ばかりノックして、不安になってきたので部屋番号が間違っていないかもう一度プレートを見る。あっている。
ノブに手を掛けて回すと、鍵の掛かっていなかった。
もしかしたら、今、留守か?
そうだとしたら、中に入ってメモと一緒にCD残して帰ろう。
そんな事で激怒するような人ではありませんように、と胸の中で願ってドアを押した。

え……?

驚いた。ドアを開けた先には八ミリが回っている。
カメラテスト???
オレはまったく考えてもいなかった展開に、ドアノブを掴んだまま動きを止めてしまった。ごくりと唾を飲み込む。
すると、まるでそれが合図だったかのように、目の大きな、皺の深い老人が、鼻に引っかけた分厚い眼鏡越しに矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。

「家族は?」
「身長、体重は?」
「好きな食べ物」
「好きな動物」
「好きな女のタイプ」
「好きな作家」
「趣味は?」

もちろん、その間もカメラは回っていた。
なかなかこちらの意思を返すタイミングが掴めなくて、結局相手のペースから逃れられない。
頭の奥で、何事も「営業・営業」とカミュからの受け売りの言葉を必死で唱える。
そうして、何個目の質問だっただろう。さらりと、
「今までの人生で一番辛かった事は?」
問われた瞬間、思わず呪文の言葉を忘れて、自分の過去を検索し素顔で応えてしまった。
「楽器が弾けなくなった時と、恋人と別れた時」

馬鹿だ。オレ。
こんな風に答えたら、相手はきっとこれを掘り下げに来る。どっちも人にほいほい吹聴して回りたいような内容じゃないし、出来れば思い出したくも無い話題だ。
いや、後ろの一個はちゃんと肝に銘じて同じ轍を踏まないようにしなければならないのだろうけれど……両方とも痛い話である事には変わりない。

「その時、君はどうしたんだね?」
質問者の声の調子が変わっていた。

ああ、やっぱり食らいつかれた。自分で掘った墓穴をさらに深くしない答え方、すぐには思いつかない。
カミュの「修行が足りない」という言葉が耳に聞こえた気がした。あいつは絶対にこういう事で下手を打たない。
さり気なく、探りいれられているような状況でも、しっかり主導権は自分で握って流れをコントロールする。そのやり方がまた格別にうまいのだ。

懸命にそんな時のカミュの立ち居振る舞いを思い描き賞賛したところで、今この瞬間にはなんの効力もない。
はなから間抜けに緩んだ顔をさらして、その後もおたおたと質問に答えているような状態で、急転直下カミュのモノマネなど出来る筈もなく、オレはこれ以上間抜け面晒さないよう、背中をしゃんと伸ばす。

恋人と別れてからは国を飛び出してあちらこちらを放浪し、イタリアに至ったと言い、楽器の時は、…………。
フラッシュバック。突然、病院の白いシーツや、カーテンが視界一杯に広がった。
窓の向こうに広がっていた空の青さとか、パイプベッドの丸く冷たいメッキの手触りだとか、一変に来た。
オレ、楽器が弾けなくなってから何してたんだっけ? 病院で……。
音を拾えなくなっていた耳に、「好きな作曲家は?」とまた質問。
何にも考えず、バッハと答えた。
「好きな曲は?」
パロック、バッハとか、と言い掛けた時、なんか、一瞬喉が変な風を耳元に感じた。

「弾ける?」
眼鏡の老人が、一言だけそういうと、あとはじっとオレの顔を見詰める。
適当な事を断固として拒否する威厳が、その老人にはあった。痩せて、度の厚い眼鏡の向こうからぎょろっとした目が迫ってくる。思わず、弾ける、と頷く。
すると、部屋の奥から(実は、カメラと質問者しか気付いていなかったが、他にまだ何人か部屋には人が居て、その中の一人が取って来た)随分と草臥れた古いバイオリンが現れ、差し出された。
ニスも禿げて全く艶のない、小さな楽器だ。顎当ても肩当てもない。弓の毛も摩耗している。

うぉい!

これ、ちゃんと手入れしてるのか?
下らない名器神話を、オレは奉ったりはしていないけれど、手入れの悪い楽器だけは最悪だ。
なんで営業に来て楽器を(しかも物凄く管理が悪い)弾く羽目に落居っているんだ、オレ?
楽器は弾いてもいいから、その前にCDだ、と足元に置いたリュックに手を伸ばすつもりが、何故か肩と顎の間に楽器を挟んでいた。
なんで?

構えたもんは仕方がないと、バッハの名前を出したのだから無伴奏の一曲を、と考えて弾こうとしたら、実際に弾いていたのはクライスラーの「美しきロスマリン」で、心臓が止まるかと思った。
どうして?? オレ、そんなに疲れてる?!

ポーカーフェイスを通して一曲弾き切ったけれど、頭は完全にパニクってた。
無事弾き終わり、心底ほっとしてオレが息を吐くと反対に、大きな眼鏡の老人は息を詰めてオレを見ていた。

ええっと……もう営業の話、してもいいのかな?

息を整え、「あの、」と言い掛けたその瞬間に、突然後ろのドアが、バンッ、と開いた。
背中が震えるほど驚いて、後ろを振り向くとそこには、バイオリンケースを持った青年が、アドリア海訛りのあるイタリア語で遅刻の説明もしくは言い訳をだぁーっとまくしたてている。
部屋の人間が一斉に怪訝そうにこちらを見た。

……いや、オレを見られても……。

オレ、一応、名刺だそうとしたし……でも、そっちが先に質問始めたから……。
脳裏に、「ノロマ」とカミュの冷たい声が響く。
はいはい。どうせ、また流されてたよ、ちくしょう!
あきらかに人違いのオーディションを俺は受けていた。パッと一番若いスタッフが強引にオレを部屋の外に追い出し、馬鹿の一つ覚えになっているに違いない「結果は後ほど」という言葉を残してドアをバタンと閉めた。

ここでこのまま帰れるか、こうなりゃ絶対渡してやる!
と、こじんまりしたロビーに陣取ってアドリアの男がエレベーターから降りてくるのを待った。出てきたら、もう一度あの部屋に行くぞ、と気合を入れて待っていたのに、がくん、と首が揺れて、はっとする。

眠っていた?

慌てて首を巡らせて外の光を見る。そして、フロントに置いてある小さな置時計、午後2時過ぎを示している。
なんでオレ、部屋の前で待たなかったんだろ……!
寝起きにぎくりとしたせいか、脈が乱れて、苦しさを感じる。フロントに駆け寄って、件の部屋ではまだオーディションが続いてるのか確認した。
「いえ。本日の分は終了されたようです。スタッフの方々はただ今ご昼食を取に外出されております」
結局、昼飯を食べに出た一行は三時間経っても戻らず、オレはフロントにCDを預けてホテルを後にした。

空にはうっすらと紫色や橙の雲が長く薄く伸びていた。ふと体の関節が痛くなって寒気を感じることに気付く。
慌てて熱いラテを飲んで車に乗り込み、高速を150km出して突っ走ったが、ローマまであと少しと言う所でとうとう我慢出来なくなって吐いた。

ここまで盛大に吐いたは、随分久しぶりな気がする。
激しい頭痛と吐き気が、このまま死ねた方が楽じゃないか、と思うくらい酷く出て、歯が震えた。
吐いてもなかなか楽にならないのが辛かった。
明け方、駐車場に車を止め、転げるように体を車から出す。貰ったワインとかチーズは、とてもじゃないが一緒にはつれて帰れそうに無かった。
細い路地を、壁に体を預けるようにして進む。壁に頬を押し付けると、その冷たさが気持ち良く、いっそこのまま腰を下ろしてしまいたい誘惑に駆られた。

アパートに辿り着けば、暖房など付ける季節ではないのに、どうにも悪寒が止まらず窓際のオイルヒーターのつまみを回す。
冷えた指先を暖めようと、パネルの上に手を伸ばすと、パチンッと乾いた音がして火花が見えた。まるで、線香花火のような青い光だ。
思わずまじまじと自分の手を見てしまった。静電気の季節などとっくに過ぎているのに……。

それから三日、電球はがんがん切れる、ブレーカーは落ちる、電話は混線する、パソコンは起動しかかってはそのまま立ち消えるという涙の惨劇が続き、カミュに電話をしない日が三日続いた。
すると、四日目に手紙が届いた。

もの凄くやさしい手紙で、胸が詰まった。
何度もカミュの手紙を読み返し、録音したイザイに合格点が出た事を実感として味わい安堵する。
泣けた、っていうカミュの綺麗な文字を目が追った時、なんだかとても苦しくなって、自分の目の方が濡れてしまった。
やばいやばい、と慌てて瞼を瞬けば、すぐにそれはどこかへ消えたけれど、胸の痛みはじんわり長く残った。

言葉でも、色でも、絵でも、音楽を表すことが出来ないから、だから、音楽でこそそれを表現したい。
当たり前の事だけれど、その当たり前ってことにすら歯がゆさを覚える。

もどかしい。

カミュの手紙を大事に手の中に包んで天井を見つめる。
カミュの一言が、大きく自分を揺さぶる。それは、けっして嫌な感じのものではなく、苦しいけれど、凄く嬉しい。
カミュに話したいことは一杯あるけれど、どれも形がとても薄くて、掴んで言葉に替えようとすると消えてしまう。
気ままな手紙なら、何枚だって書けるだろうに、こんな風にやさしい手紙への返事は、いつだってうまくかけたためしが無い。

窓の外をぼんやり見ると、街灯や街の明かりに照らされて、夜の空が随分と薄まって見えた。