Italian Rhapsody 03

(デス視点)

文字通り、ミロは一人掛けのソファから飛び上がった。
ビックリ箱に入ってるヘビが、ピョン、と躍り出るような勢いで天井に向かって跳ねて、それからまたドスンと、もと居た場所に収まる。
こいつを童顔に見せている最大のパーツ、おっきな目ン玉が、本当にまんまるになって、まるで青い目玉焼きみたいだ。

「なんだ。やっぱなんかいんのか。どおりでさみぃと思ったわこの部屋」

ぐるりと辺りを見てみるが、無念な事に俺には全くシャカの言う『オトモダチ』の姿はもちろん気配も感じられない。
シャカは、さらりと、たった一言でミロを真っ青にさせておいて、自分はすたすたと一番上座の席に落ち着いた。
ミロの首が、ギギギギギとまるでロボットのように動いた。
分かりやすい奴だ。その目はしっかりシャカに縋っている。

生きてる人間の方が何倍も怖い、と言っていたのは確かカミュ・バーロウだったか。
オレもまったくもってその通りだと思うんだが、このミロの幽霊に対する恐怖感はパブリックの頃からいっかな変化も見せず、今だ健在。
へんな奴。ま、そこが面白くもあるんだが。

二人の成り行きを見守っていると、シャカが

「いつ出発するのかね」

オレに向かって質問してきた。 ぶふっ。

シャカとミロの対比があんまりにもコミカルだったんで、思わず吹いてしまった。
シャカはさっきの一言でミロへの挨拶は済んだと思っているらしく、今はまったくミロの事は眼中にない。そして、ミロは完全にびびりまくってる。

「えっと、で、お前は来てくれんのかよ」
なんとか笑いの発作を堪えて、俺もミロを蚊帳の外にしてシャカに話をふる。
「君がそう頼んで来たのだろう? 可笑しなことを聞く」
「そっか。じゃ、機材はもう全部ここに揃ってるし、今すぐ行けるぜ?」
「では立ちたまえ。車が外で待っている」

シャカの言葉に、うんせ、と立ち上がって、床にばら撒いていた機材をがしゃがしゃと肩に担ぎ上げる。
霊感はからきし無いが、ミロの必死な気配がそりゃもうビシバシと伝わって来て、顔が崩壊しそうになってたまらん。
ほらほら、早く引き止めないと行っちゃうぞ、 俺はもう立ち上がって扉に向かうシャカを追って荷物をゆすり上げながらそれに続く。

シャカの日に焼けていない手がドアノブにかかった時、やっと待ちに待ってたミロの声が耳に届いた。

「ま、待てよ……」

ミロの声は掠れていた。
呼び止められたシャカは、素直に掛けていた手を離して、くるりと体の向きを変えてミロの次の言葉を待つ。
俺も、口がパカッと裂けないように、顔中の筋肉を総動員して振り返った。

うわ、泣きそうでやんの。めっちゃ楽しい展開!

ミロは、ソファから腰を半分浮かしてシャカを見つめる。
顔から血の気が失せているのが面白い。
わあ、次はなんて言うんだ「行かないでっ」とかだったらマジで笑うぞ。
身構えていたら、

「え……と、こ、このまま?」

ぶはぁっ!
腹に溜まっていた空気、全部出た。
腹筋ってこんなに良く動くんだ、と関心するほど上下にそれは激しく動いて、いやぁ、笑いすぎて息ができん。

「何がそんなに可笑しいのだね?」

さらに、シャカが心底不思議そうに尋ねてくるので、死ぬかと思った。

結局、ミロはなんとかシャカに見えるもんがあるんなら連れて行くか消すかどうにかして欲しいと、顔を引きつらせながら頼み、すげなく不可との引導を渡され、撃沈した。
シャカ曰く、そのお方は居るのは分かるが全く自分には興味を持っておらず、したがってこちらの声も聞こえなければ、向こうの要望も人となりも、どうしてミロのところにへばりついているのか分からないので対処の方法が無いとの事。

「飽きればまたどこかに行くのではないのかね? 実害は出ていないのだろう?」

シャカの言う「実害」ってのは、体をのっとられたりとか、モノが壊されたりとか、ラップ音が出てるとか、そういうレベルの話だ。
でも、ミロの話を聞いていると、その体調不良とかってやつもちびっとは影響された結果じゃないのか、とも思える。

「ま、こっちの用事終わったらまた様子見に来てやっから」

と手を振ってミロの事務所を後にしたが、見送るミロの顔は葬式に出る人間の顔だってこんなに悲壮じゃねぇぞってくらい落ち込んでて、面白かった。
さて、今年の夏は思わぬ収穫が出来そうだ。

超常現象ってのは、すっげぇデリケートだ。
波長が合ってる奴は、どこにでもかしこにでも居るし見えるって主張するが、万人が納得する形で物証を整えようとすると、そりゃあもう繊細で気難しく、遠くフォークロアで語られている昔から現代まで、納得させるに足る証拠を有した目撃談ってのは本当に少ない。
まさしく、音はすれども形は見えずってヤツだ。

で、件の幽霊屋敷の方は、ガセだった。
屋敷に着くなり、シャカはここには何も居ないと、そりゃあもう綺麗にすっぱりずっぱり言ってくれちゃって、こんなに機材かついで来た俺はどうすりゃいいのよ? 状態。
万が一の一億分の一くらいの可能性に賭けて、俺は一応このくそ重たい機材置いて主の話し聞き取って、図面引いて(ここら辺、ミロが居ると楽なんだよな)、以上かれこれ四日通って、ああこりゃやらせだ、という証拠発見。
何せ、ミクロより小さく壊れやすい現象を扱ってんで、それを証明するためにはどんな見落としも無く、非常に丁寧に、緻密に検証する。
んで、結果、嘘もはっきり見えてくる。
不動産関係で起こした屋敷側の人間のでっちあげだったわけだな、この騒動。
俺の四日間返せってんだ。

 

日毎に強くなる日差しの中を、結局、俺は一人でローマに戻った。
シャカは、ディーテと一緒にヴェネツィアまで北上し、『ゲイジュツ』を鑑賞するとの事。ま、俺は、柔らかい胸の替わりに筋肉で盛り上がった胸のガリガリおねーちゃん達がぴょんぴょん跳ねたり、キンタマぶら下げたタイツのにーちゃん達にも、馬鹿笑いできねぇ映画とか、腹の底に響かねぇ音楽とかには興味ないから全然OKだ。
それより、まだ、ミロんとこには居るのかね。
こっちはシャカのお墨付きだかんな。
鼻歌歌いながら、旧市街に位置する細い路地の中程にあるミロの事務所に到着。ドアに手を掛けると開いていた。

……へぇ、今日はスーツかよ。
事務所の中には、ピシッとイタリアン・クラシコの落ち着いたスーツを着て、髪も一つにすっきり纏めているミロが居て、難しい顔して何やら図面を片手に電話で話をしていた。

お仕事の邪魔はせず、俺はかって知ったるなんとやらで、荷物を適当にドアからちょい離れた床に置いて、奥のキッチンに入ると冷蔵庫を漁る。
中身は大したものは入ってなくて、三分の一くらい残っていた100パーセントオレンジジュースをパックからそのまま頂戴して、さらに首を突っ込んで何か適当に食えるものを探している間に、ミロが電話を終えたらしい。

「何探してるの。ビールとかならもうないよ」

ちぇっ。
舌打ちして振り返ると、呆れた表情でミロが俺を見下ろしていた。

「腹減ったぜ、おい。なんかねぇのかよ」
「何にも無いよ。あ、ピサの生地だったらその奥にあるから、適当に野菜のっけて焼けば?」

ミロは一緒に冷蔵庫の奥を覗き込み、一番下の段のビニルを指差し言った。そして、自分はその上の棚に置いてあった小さなプラスチックのカップを手に取ると、上のアルミを剥がしてスプーンを突っ込む。ヨーグルトだ。

仕方なく、俺はオーブンに余熱をセットして、てろん、とした発酵物を引っ張りだして具合を確かめてからまな板をキッチンに置いて粉をまいた。
適当に生地を伸ばしてオリーブオイル薄く塗って、まずは生地だけオーブンの中に入れて焼く。
その間に、冷蔵庫にあったトマトをミキサーにかけピューレを作り、生バジルの詰まったジップロックを脇に出しておく。
こないだ来た時にはここら辺にアンチョビがあったはず、と棚を見ると、やっぱりまだ封をしたままの小瓶が一個見付かる。
いい具合にカリッと焼けてきた生地をオーブンから出して、ピューレを塗って塩漬けの魚を並べてもう一度オーブンへ戻す。
最後の焼きの一分で、生バジルをのっけて出来上がりだ。 熱々のピザをざっくり切って事務所に戻ると、ミロも仕事の手を休めてピザに手を伸ばしてきた。

「で、あれからどうなのよ? なんかあったか?」

口の中で、はふはふピザを冷ましながら問うと、ミロは一瞬体を固くしたけれど「何も無い」と短く答えた。

「頭痛は?」
「それは、まだある」
「だるい、とかは」
「まあ、それも……」
「でも、今のお前の生活見てたら、それって立派な生活病だよな」
「…………」
「なんかこう、変な音がする、とか、声が聞こえたとか、目の端をちらちらと何かが過ぎる、とかなんにもねぇのか?」
「ない!」
「なんだよ、つまんねぇな」

ミロは、信じられない、と顔一杯で訴えてきたが、こっちはこれが楽しみで炎天下の中えっちらおっちら帰って来たのだ。がっかりもするぜ。
俺は見えないし、こいつは絶対に見たくないと防壁張ってるし、調査にゃ向かないコンビなんだよなぁ。
あーあ。俺の夏ももう終わりかぁ、と半分ぶすくれてソファの背凭れに踏ん反りかえっていたら、小さな薄青色の紙が目に入った。

手にとってみると、どうやらなんかのコンサートの案内らしい。馴染みの無い曲名がずらりと並んでいる。
さらに下にあった紙も取ってみた。
なんだよ、同じチラシかよ。
つまんねぇーの、と思って置いてあった珈琲テーブルに放り出そうとしたら、今まで書類に目を通していたミロが、小さく「あ、」と声を出した。

ん?
と思って、初めて意識してもう一度チラシが置いてあった場所を見ると、結構な厚さで同じ紙の色、同じ大きさの紙が積まれている。
なんだこりゃ? とミロを見ると、ミロは慌てて視線を反らしやがった。

なんかあるな。
臭うぜ、臭うぜ、臭うぜ!
ゴーストハントは取り合えず脇に置いて、今度はこっちを探ってみっか。

一度放り出した紙にもう一度手を伸ばして、今度は真面目に文字を追ってみると、軽く驚いたね。
ミロの名前が印刷してある。

おおっ? とよくよく注意してみると、リサイタルの字があったりするじゃねぇか。

「お前、いつの間に職業変えたの?」
「変えてない」

立ち上がったミロは、俺と視線を合わさないようにして紙の束をごっそり持ち上げて、今度は俺の指の届かないところに移してしまった。

「聖チェチーリア音楽院? マスタークラス? なんだこりゃ?」

紙面から視線をミロに回すと、こいつ、完全に目を背けて知らん顔だ。
日付を見ると、来週の木曜日だった。
面白れぇ。そっちが知らぬぞんぜぬを通すつもりなら、こっちにも考えがあるぜ。
俺は携帯電話でアフロの番号を呼び出した。