早いもので、茶チビが居なくなって3週間目に入った。
この2週間、献体するかどうか、荼毘にふすかどうか、新しいうさぎを迎え入れるかどうか、色々と考えさせられる事があったが、中でも一番考えさせられたのが、悲しみのプロセス、というものだろう。
空腹感、怒り、生理的な嫌悪、起爆材料は人によって異なるだろうが、その存在、またそういった感情がなんであるのか、理解または推測する事は難くない。
おそらく、この世でもっとも理解に難い感情は、他人の悲しみだ。
その人が、悲しんでいる、という事は理解できる。
そして、ある程度の共感も、場合によっては可能だ。
だが、真の意味での理解となると、誰もが心もとなさを覚える。
一番分かりやすい例が、葬式だ。
誰もが涙するが、誰の言葉もどんな言葉も悲しみを癒す事が出来ない。
殆どの場合、かける言葉すら見つからない。
紀元前の時代から墓というものは存在し、死を悼む気持ちをそこから汲み取ることは難しいことではない。それほど、「死」というものが人間に与えるある種の衝撃というものは連綿と古代から続いているのにもかかわらず、人間は未だにそれに対して明確な処方を見出せずにいる。
心配しながら出かけた一週間の出張の後、エセルはようやく食事を痛みを伴わずに取れるようになってきている。
ほぼ、最初の一週間は最期に空腹のまま逝かせてしまった茶チビへの罪悪感で食事の度に瞳を潤ませていた。
次の一週間、どうにも料理をつくる気になれない、とぽつんと呟いた。
今週は、どうやら昼食を飛ばして、一日一食の生活らしい。
それでも、バーロウの家に行ってからは、大分落ち着いたようなのだが……。
まったくもって、悲しみ、というものは手強い。
サガと俺と二人同じ家で暮らし、同じうさぎを見て生活しながら、それでも俺はサガのその悲しみには踏み込めない。
焦って元気になれ、などとは思ってもいないからいいのだが、こいつの両親が亡くなった時、または溺愛している双子の弟がまかり間違って先に逝ってしまった時など、どうしてやったものか、すこし想像して溜息が零れる。
まあ、それでも、力づけたり励ましたりなどはしようとは思えないんだが……。
サガは、悲しみに対する癒しは時だと信じている。
俺はサガにエキストラの時間をくれてやることは出来ないが、待つことはできる。
俺達の間でのプロセスはそういうことなんだろう。
今日、蒸し暑さでバテて元気の無いえせるに付き合って体を撫でてやっていたら、目が冴えてしまった。
パソコンの電源を入れ、茶チビの写真の整理などしてみる。
当初、今年で5歳だと思っていた茶チビは、まだ4歳であった事が、この写真整理で分かった。
俺たちと暮らしたのはそのうちの3年半。5〜6年は居たような気がするのが我ながらおかしい。
よく、週末の朝、人の寝室のドアを鼻先で押し開けてはベッドの上に飛び上がり、パサパサと乾いた独特の足音で半分体を羽根布団に埋めながら、エセルに朝ごはんの催促に来ては、俺につまみ出されていた。
2003年の12月21日土曜に我が家へ一足早いクリスマスプレゼントとして初代ぷちえせるの代わりにやってきた。
それから2007年7月26日まで、写真・動画の総容量は1.7G。
これが、多いのか少ないのか、俺には分からない。
大分歯抜けの記録の一群は、不可思議な格好で眠っている写真ばかりで撮った方にも撮られた方にも苦笑を覚える。
近年の写真の中で一番エラそうに見える写真をピックアップし、えせると茶チビが齧り木にしていた木材を切り、簡単な写真立てのフレームをつくり、その中に、緑の芝生、中庭に立ち遠くを立ち眺める茶チビの写真を入れて、エセルの作った祭壇に飾ってやった。
昨日、二度目の見合いを行った。
1時間ほど、人間の居ない状態で三匹の相性をみる、というものだ。
結果は、誰もシリアスな争いに突入しなかった、という事で、おそらく茶チビの3倍はあるデカイ、ブチ柄のうさぎがうちに来る事になるだろう。
悲しみを癒すプロセスは、人によって違う。
人によっては、二度と同じ種族の生き物を手元に置けないタイプもある。また、もっと時間のかかるものもある。
エセルが、まだ痛みの中にいるにもかかわらず、こんなに早急に新しい仲間を探し出した事、それがエセルのプロセスであり、そうできる可能性を示唆してくれたのが、茶チビであった。
人間が、言葉を尽くしてもなかなか成し得ない事を、あの小さな生き物は、こんなにも鮮やかに成し遂げた。
見事なものだ。
その力に、心からの賛辞を贈る。