前哨

「おい、カノン、ベッド貸してくれ」
土曜の夕刻、俺とサガはカノンのフラットに到着した。そして、ノックしたドアが開かれるなり、俺はカノンにそう言った。


車に酔ったエセルは額にじっとりと汗を浮かべて、黙って俺に寄りかかっていた。
その双子の兄の姿を見て取ったカノンは、余計な事を一切口にせず、さっと身を翻すと、自分の寝室のドアを開けた。中からは恐らくシーツを変えているのだろう布の擦れる音が聞こえてきていた。
戻ってきたカノンの案内に従い、サガをカノンの寝室に寝かせる。サガより幾分落ち着いた色を好むらしい寝室の様子を、俺はざっと看取する。
「何か、冷たいものでも飲むか?」
カノンがサガの額に手を当てながらそっと尋ね、サガは掠れた声で自分の不調を詫び、構わなくていいと弟に告げた。二人の遣り取りを数歩下がった場所から俺はじっと見ている。幾分、カノンの方ががっしりとした体つきときつい顔立ちをしているように見えるが、お互いがこうしてそっと寄り添うようにしていると、なるほど確かに良く似た双子だと思わせる。
少し躊躇の色を刷いた表情で、それでもカノンは静かにサガの額にかかる髪を払ってやると、踵を返し寝台の側から離れた。そして、寝室の扉近くに立つ俺と視線が合う。
しまった、と一瞬閃いた目の色、そしてすぐになんでもなかったかのようにぶっきらぼうな仮面を被る。強がりたい盛りの少年達の精一杯の虚勢に似たそれは、俺を苦笑させるには十分で、それを見たカノンの顔を顰めさせるにもまた足りていた。
そっと扉を閉めたカノンについてリビングに戻る。
「何か飲むんなら勝手に自分でやれよ」
ぶすくれた表情で俺に言い置いて、カノンはさっさと自分の分のコーヒーをサーバーから次いでカウチに戻り、読んでいたらしい雑誌に視線を落とした。
まだ幾分余裕のある暗濃茶の液体を、いつもカノンがこちらに出していたカップに適当についで、カノンの正面のソファに深々と腰を下ろす。
温くなった液体を一口、啜り終わった時、カノンが顔を上げずに言った。
「調子が悪いヤツをわざわざこっちまで運んでくるな」
ふっと、零れた笑みをそのままに、カノン銀色の頭を見ながら応える。
「調子は、途中で悪くなったんだよ。昨日までは良かった」
カノンは怪訝な顔をして此方を見た。
「理由、聞きたい?」
にかっ、と笑って質問すると、牙を剥き出しにて唸る犬のように声が返って来た。
「……てめぇ……何しやがった……?!」
だから、にこにことして俺もカノンの頭を撫でるような気持ちで言ってみた。
「いや、三月に俺が出張から帰ってから、ウチ、ずっとセックスレス状態だったの。で、流石に二ヶ月干されると俺も辛いし、エセルもなんか色々考えてたみたいだから、とりあえず場所でも変えてやってみましよう、って、昨日コッツウォルズに一泊したんだな。そしたら、止まんなくなっちやって、エセルがダウンしちゃったってわけ♪」
バンッ!
と激しい音が目の前で弾けた。
カノンが両手を二人の人間の間にあるローテーブルに打ち付けて、戦慄きながら腰を浮かしている。
「っ……テメェ……!!」
うーん。結構サガと同じ顔のヤツにこんなに睨まれるってのも不思議な感じだな。と、思った一瞬に、カノンのどすの聞いた声が鼓膜を震わせた。殺気を含んだサガより少し青みがかった緑の目がぎりぎりと此方を睨んでいた。
ふうっ、と息を吐いてソファの背凭れに寄りかかる。
「口に出して言っても、言わなくても事実は変わんないよ?」
静かに笑う。
カノンの視線が反れて、口元を歪ませたまま彼も腰を落とす。
「ついでだから客観的に言わせてもらうと、やっぱりサガが家を継ぐのはどう考えても無理だと思う。お前も一緒に家に戻ってあいつの片腕になるっていうんなら話は別だが……サガが一人で立って嫁さん貰うなり、養子をもらうなりして”家”を存続させるってのは無理なんじゃないか?」
「何が客観的な意見だっ。それはお前の願望だろうがっ」
「違うね。至極客観的だよ。お前こそ”サガ”という先入観・固定観念外さずに、今のサガを見ずにモノを言っているだろう? もしあれがお前のクライアントだったら、どうだ? お前、同じ事を言えるか?」
夕陽の陰が、テーブルの上に置かれたカップに当たり、青黒く二つの陰をその上に伸ばした。

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