本日12月23日、恒例のアイオロス、シュラ、カミュの三人でのジャック・リューシェのコピー・バンドとしてのコンサートが無事開催された。
シュラは父上の後を継いで開業医、アイオロスは弁護士、カミュはフリーの照明技術士。
毎年、忙しいだろうによく続いている。
僕らスミス寮やパブリックの仲間たちは、このクリスマス前のコンサートを口実に、年に一度は必ずこうして集まって賑やかに飲み食い喋る。
会場は、未だに独身のカミュのアパートになる事が殆どだ。
みんなで飲み物や食べ物を持ち寄って、低く本家本元のジャック・ルーシェの曲など流しながら最初の乾杯が始まって、それからはまるで時間を遡って、十代のあの懐かしい日々に還っていくかのようにどんどんと無礼講に、ランチキ騒ぎが膨らんでいく。
ホストとしてカミュは抜かりなく目を光らせて、ディッシュを出すタイミングや、酒の消費具合に気を配っているけれど、それでも同級のアイオリアやアンソニー、ジェームズやウォルトなどと楽しそうに歓談している。
シュラは監督生として静かに状況を監視。いつだって最後まで自意識を保っている頼もしい監督生だ。けれど、やっぱりアイオロスやデスに絡まれて迷惑そうな顔をしながらも、すっかりその中に落ち着いている。
シオン先輩やドウコ先輩、スチュアート先輩、ムウやアンガス(アフロ)、みんなそれぞれに十数年分の年月を重ねた顔をしているけれど、それでもやっぱりその笑顔や顰め面の向こうに懐かしい顔が透けて見えて、気持ちがどんどんと膨らんでいくのを止められない。
男ばかりが集まって始まった立食パーティーは、今年のメインのキドニーパイや北京ダック、ミートローフなどがのった大皿をあっというまに空にした。それでもまだまだ胃袋には余裕がある。大盛りのサラダ、各種サンドイッチが盛り付けられたプラスチックの皿もドンドンと底の部分が露出してくる。
と、その時、突然玄関の呼び鈴が鳴った。
この建物の住人からの苦情か何かだろうか? 一瞬、みんなの動きが止まる。
丁度キッチンでもう一組のサンドイッチの大皿とスープを温めていたカミュは直ぐに対応が出来なかった。その僅かな隙に、アイオロスが長い足を勢い良くスライドさせて玄関の覗き穴から外を確認するやいなや、ぱっとドアを開けた。
「何やってるんだ? お前」
アイオロスが呆れた声を部屋に響かせた。
てっきり苦情か何かだと思っていた僕らの緊張は一気に溶けた。
四角く切り取られた玄関の枠の中に、ミロが肩を窄めて立っていたからだ。
「おい、バーロウ! 本番聞きに来なかった奴が今頃ご到着だぞ!」
アイオロスの第二声に、濡れた手をタオルで拭きながらカミュが現れ、そして目を見開いた。
「何をやっているんだ? お前?」
アイオロスと全く同じ事を、多少異なるニュアンスで口にする。
「ごめん。本番、聞けなくて!」
ミロが、勢い良く頭を下げてカミュに謝罪した。カミュの方は呆れて言葉も出ないという風で、まじまじとミロを見ている。
「お前、鍵も貰ってないのかよ?」
アイオロスが、楽器を担いだミロを中に引きずり込む。
「いや……鍵は貰ってるけど、今日は、どうも大学の部屋に忘れて来たみたいで……」
思いっきり顔を顰めたアイオロスが、ミロの背中をカミュの方へ押した。
「ほら、こいつお前とヤル為に来たってよ!」
アイオロスは、ぞんざいな口振りで、カミュの神経を軽く逆撫でる事をさらりと言ってリビングに戻って行く。カミュは、目の前に来たミロに「こんな所に来ている場合じゃないだろう?!」と一言言って、また直ぐに台所に消えた。火を、付けたままにしていたらしい。
変わりに、サガがすっとミロの側に寄って「良く来たね」とリビングに招き入れる。
皆が先ほど聞こえたアイオロスのからかいの言葉の尻馬に乗って、口々にあまり品の無い言葉をミロに投げかけ、ミロの顔はみるみる真っ赤になった。
横に居たサガが、「からかってはだめ」、と少しキツめの眼差しで周りの騒ぎを鎮めると、ミロはいそいそと肩にひっかけていた楽器を部屋の隅に寄せてキッチンに消えた。
と、カミュが直ぐに料理を手に出てきて、ミロもマグカップを手に叱られた犬のような表情でカミュの後ろを着いて歩いてくる。
そりゃあ……こんなに人が居たら、カミュは絶対に君に甘い恋人の顔なんかしてくれないと思うよ……。
僕は、ミロを気の毒に思いながらもそうコメントを胸の内で呟いた。
なんでも、夕方まであった仕事の後直ぐに飛行機に飛び乗ったけれど、コンサートには間に合わなかったそうで、気の毒と言えば気の毒だけれど、もしこれが僕が彼女にした事だとしたら、間違いなく僕は彼女から真剣に今後の二人の関係について問いただされていた所だ。
カミュは、ミロの状況を分かった上で「来なくてもいい」と言ってくれる上に、理解を示してくれているわけだから、ミロ、そんなに寂しそうな顔をしてカミュが忙しくホストとしての役割をこなす姿を目で追わなくても……。
サガは、二人に気を遣って直ぐに場をお開きにしようとしたけれど、まだまだ美味しいお酒とデザートもある事を知っている、何年も同じ屋根の下で暮らしてきた仲間たちはそう一筋縄ではいかなかった。
ミロの演奏を今年の春に聞いていたデスは、早速ミロを捕まえて、「また何か弾いてみろ」と遠慮なく攻め立て、ミロはそれは美しいバッハの無伴奏を数曲披露して見せたのだけれど、いかんせんすっかり出来上がりかかっているデスの琴線には物足りなかったらしく、次々とイタリア民謡、果てはヘビィ・メタルまで演奏させられて、ミロはすっかり足止めをされてしまった。
考えようによってはとても豪華なガンズ・アンド・ローゼズの演奏が終わり、ミロはやっとデスから解放された。
最初のバッハはきっとカミュへの曲だったに違いない。
きちんと彼の耳には届いただろうか?
アイオリアやウォルトらの居る部屋の一角に移動したミロに、ムウから盆が届けられた。
それまでには無かったクリア・スープと、薄いサンドイッチ用のパンではなく、フランスパンに挟まれた野菜とトマトがたっぷり挟んであるパンがのっている。
すっかり台所に引き篭もってしまったカミュからだろう。
深夜を過ぎには、既婚者、子持ち、など半数近くの人間が去った。
残った半数は例年のごとく居残り組で朝まで酒を飲み続ける。
カミュの寝室は真っ先にサガに提供され、僕も少し寝室の床で睡魔に身を任せた。
喉の渇きに寝室を出ると、まだ煌々と明るい電気の下で、アイオロスもスチュアート先輩もドウコ先輩もシュラも、飲んでいる。
みんな、若い……。
無理矢理その仲間にされては堪らないと、そこらへんにあった空のコップを掴んで、足音を忍ばせて台所に忍び込んだ。
と、きちんと整理されたキッチンの奥にある小さなパントリーの奥に人がいる事に気付いた。
ミロと、カミュだ!
二人は、というよりミロが、カミュをぎゅっと抱き締めてキスをしていた。
思わず心臓が強く脈打って、慌てて回れ右をして水を諦めて帰ろうとした時、耳に二人の小さな低い会話が飛び込んで来た。
「……だから! やめろと言っているだろう!」
「どうして? 隠す事ないじゃん。もうみんな知ってるよ?」
「そういう問題じゃない。私が嫌なんだ」
「だけど、キスするくらい……」
あ、と思った時には遅かった。
酔っていないつもりでも足元が確かではなかったのだろう。手にしていたコップが、丁度キッチンの戸口に触れて音を立てた。
こちらがしまったと思うより早く、平素と全く変わらない表情のカミュがすっと手を伸ばしてくれて、「済みません。水が切れていましたか?」と尋ねながら、冷蔵庫から新しい氷と冷えた水の容器を出してグラスに注いでくれた。
そして、直ぐに、居間で空になっていたアイスペールに氷を足し、ジャグにも水を補給しに回った。
ドサッ、というような音がして、振り返ると、ミロが壁に寄りかかって腕組みして空を見つめていた。
その後、僕はもう一度飲みの列に加えられた。
そして、目を開くと、キッチン居間の灯りは落とされ、キッチンからの光が淡く視界を支えるばかりになっていた。
僕は自分がいつリビングの床で蹲り、毛布に包まっているのか覚えていない。
他にも床に転がる人を避けながら、バスルームに向かい、用を足すと、シャワーカーテンの向こうで微かに空気の漏れる音がしていた。
不思議に思ってそっとカーテンの布をめくると、バスタブに毛布と枕を持ち込んだミロが眠っていた。
起こすかどうか、迷ったけれど、取り合えずもう一度しずかにカーテンを閉めて、僕は台所を覗いた。
カミュとシュラ、そしてアイオロスが何やら強そうな酒を開けていた。
「カミュ、ミロがバスタブで寝ているのだけれど……あのままでいいのかい?」
「自分であそこで寝ると言ったのでいいですよ。どうせ後二時間もすれば朝ですし」
腕時計を見ると、なるほど今は午前5時半を回ったところ。
あと二時間もすれば例年通り、シュラの号令で部屋の掃除が始まるだろう。
「じゃあ、僕も、あと少し寝かせてもらってもいいかな?」
「どうぞ、ごゆっくり、といっても本当に数時間ですが……」
毛布は足りていますか? と言って腰を浮かしかけたカミュを制して、僕は光に慣れて見え辛くなったリビングの暗闇にもう一度潜り込んだ。
明日は、さっさと掃除をしてとっとと帰ろう。
ホワイト・クリスマスではないけれど、カミュとミロがいいクリスマス・イブを迎えられますように……。
誰にともなく語りかけながら、僕の意識はすうっと眠りの中に落下して溶け、プツリと途絶えた。