世の中、何一つ自分の思い通りになど運ばない、と思い込んでいる人間もあれば、大概のことは何とかなると信じる人間もいる。
私は物心ついた頃から後者のカテゴリーから外れたことはない。
思い通りにならないのは十中八九、事前の計算か事後のツメか、あるいはそのどちらもが甘いからであって、運の所為でも環境の所為でもない、というのが、父子三代に伝わる我が家の家訓だ。
さて一方、今朝九時の便で慌てて帰って行ったミロ・フェアファックスは、紛れもなく前者だと言えるだろう。
ヤツの場合、意図して運ぼうとした事は悉く上手くいかないという珍妙な体質が邪魔しているのだが、そのお陰でうまくいかない記憶ばかりが染み付いているらしい。
実際はヤツが思い込んでいる程戦績が悪いわけでもないが、うまく行くのは、その無邪気な好奇心に従って意図せず実行に移したことばかりだというのがせつないのだろう。
とにもかくにも、昨夜からの予期せぬ台風にケリをつけた一言は、先刻ミロからかかってきた電話だった。
人が折角用意した朝食もそこそこに飛び出しておきながら、奴は昨夜の一件は「誤算だった」と、何とも煮え切らない口調で言う。
何が「誤算」なのか、私から見れば、そこ以外には落ち着きようのない結末に落ち着いたと思うのだが。
以下、会話要点。
「フツー、ああなったら、まだ飲もうとか言うか??」
馬鹿者。折角酒の用意をして、つまみまで出したのに、そのまま放って寝室に籠るわけがないだろうが。
「いや……そりゃ、確かにそうだけどさ……チーズ悪くなるし。片付けとかしてたら、その気も失せるってのは、確かに、カミュならそうだよな、とは思うんだけど……」
つまり、事前の計算が甘かったってことだな(笑)。
「でも、オレが酒飲んだらすぐ寝るってのはカミュ十分知ってるじゃないか……」
全くだ。睡眠薬なんぞなくても、お前を眠らせるのは、ぐずる子供を寝かしつけるより簡単だ。
第一、それ以前に、家になだれ込んで来た時点で、お前目の下にクマ作ってただろう?
「そりゃ、酒飲もうって言い出したオレが悪いけど……。でも、ほとんど半年ぶりだぜ??」
その通り。半年ぶりに、連絡もなく突然やってきて、挨拶もそこそこにシャワーだけ使って出ていったんだよな?
妹のために。
そもそも、ついでにやってきて、ついでにご機嫌とろうなんて目論むくらいなら、せめて自分の得意分野で勝負しろよ。ヴァイオリン弾くとか。
まあ、ツメも甘かったってことか(笑)
飲めない酒に誘ったりして、お前なりに色々考えたんだろうが、お前、考えてやることは全てしくじる星の下に生まれてるってこと、そろそろ悟った方がいいぞ?
「えーと……それはつまり、カミュ、怒ってるってこと?」
まさか。この程度で怒っていたら、お前とは付き合えないよ。
え? 何? 本気だって。
本気。
そう聞こえない?
じゃあ、そうかもな。
「…………!」
何今更慌てているんだ。人が折角怒っていないと言ってやっているのに、お前が信じないんだろう?
いつまでたっても重度のシスコンのお前に、折角理解を見せてやっているのに。
人の好意は素直に汲んでおけよ。
私が怒っているとお前が思うなら、何か埋め合わせをしてくれればいいだけの話だよ。
今年入ってから、山積みになっている不義理の埋め合わせも合わせてね。
……とここまで言ったら、電話の向こうの声は黙り込んでしまった。
しまった。少し言い過ぎたか?
酒の飲めないミロが、精一杯の背伸びをして私を誘い、普段のヤツなら絶対に照れて口にしないような台詞まで決めてみせたというのは、多分賞賛に値する。なんだ、やれば出来るんじゃないかと、本気で驚いたし、実際、半分は落とされかけた。
けれど、だからこそ、その飾りが隠そうとしている無理も見えてしまうわけで。
ほぼ半年ぶりに掴んだ腕も、バスローブの下の背中も、すっかり肉が落ちて骨と皮ばかりになっていたし、綺麗に澄んでいた青い瞳もふちからうっすらと赤く充血している。
ミロの悪い癖だ。
忙しくなると、食事も睡眠もおろそかになる。
どうせ、もうずっとまともな食事もしていなければ、睡眠時間も全然足りていないのだろう。
そんな姿を見て、その上更に睡眠時間を削る遊びに付き合ってやるほど私は親切じゃない、と、コイツは何時になったら分かってくれるんだろうか。
五分ほども通話料金を無駄にした後で、ミロは、小さく、必ず埋め合わせはするから、と呟いた。
……できれば、そうあまり思い詰めないで欲しいんだが……。
お前が何かを必死でやろうとすればするほど、大抵の事は空回りするんだ……
何かするなら、もう少し健康管理をまともにして、ちゃんと睡眠もとって、余裕のあるときにしてくれ、と返事しておいた。
途中で力つきて難破しそうな船の上では、どんな上等のワインをあてがわれても酔えないものだ、とは、はなから酒が飲めない奴には伝わらない喩えだったか? (笑)
本当に、殆ど半年ぶりで生のカミュに会うのに、出だしとこれまでのツケがまずかった。
なんとか自分の不義理とか失礼だった態度とかにめを瞑って欲しくて精一杯頑張ったけれど、どうしても目を開けていられなくて、気がついたら朝で、しかも飛行機の時間に間に合わない時間(イタリア時間のままの時計を見てそう思ったので、なんとかギリギリ間に合ったけれど……)。
飛び起きて、心臓バクバクさせながら取り敢えずの服を着て、カミュのうちから飛び出した(慙愧)
その後、なんとか無事にローマの部屋に帰り着き、スーツ一式手にしていない事に気が付いた……濡れていたのをカミュが干して居くれていたから……。
恐る恐るロンドンに電話を掛けると、酷く穏やかな声で
「必要だったら送るが、そうでないのならうちで預かっておくが? なんならクリーニングに出しておくか?」
と聞かれ、一気に体に緊張が走る。
カミュ、怒ってる……??
そういや、結局、所謂セックスはしなかったし……。
電話の終わりに、今まで溜めた不義理の分と合わせて埋め合わせをしてくれればいい。
といわれて、頭と肩にズシン、と重圧を感じる。
どうしよう……。
今回のロンドン行きは、あまりにも急で、正規料金での渡航だったし、妹と行った店の金、みんな出したし……。
他にもちょっと言えない出費が重なって……。
落ち込んで痛くなってきた頭を無理矢理PC画面に向かわせ、メールを確認すると、件の妹から一通。
酒も飲まず、全然愛想のない態度だったから、先方がとても居心地の悪い思いと不安を抱えていると詰られた。
酒は外では飲まない事にしているからどうぞ、とちゃんと勧めたのに飲まなかったの相手の自由だし、相手があれだけカチコチに緊張しているんだ、こっちだってどう接したらいいのかなんて、頭回るかっ!
と思ったが、10歳も年の離れている妹に何を言えるわけもなく、確かに、妹が自慢できるような兄貴を演じてやれなかったのは悪かったかな、と思う。
カミュがもっと安心して甘えられるような、そんな恋人にもなれないし……。
考えていたらますます落ち込んできた。
バイオリン練習しよう……。
なんだお前、また落ち込んでるのか?
成長しないなあ(苦笑)
苦笑って……。
自分でも分かってるさ。成長してないってのは(脱力)。
でもさ、
昼頃、母から電話がかかって来て、妹の事を聞かれたんだ。
ぱっとしない男だったと答えると、母は満足そうに、それなら安心だと言う。
まあ、エネルギーを持て余して流行を追いかけるか反発をスタイルと取り違えた若い連中よりはマシ、だとは思うが……。
言葉を濁していると、母から一言。
「見た目がいいのはお前が可愛いお嫁さん見つけてくれば十分だから」
は?
だから、オレ、付き合っている人が居るってもうずっといってるじゃないか?!
「バカねぇ……お前も。あんなに頭も見た目も性格も良くて、学歴もあって、腕もあって、いまでは独立して会社を経営してるような子がいつまでもお前に付き合ってくれるわけないでしょ? いい加減に目を覚ましなさい」
はい?
別に、学歴や見た目でカミュが好きなわけじゃないけど、オレ。いや、カミュの見た目は凄く好きだけれど。
思わず二の句が継げなく黙ってしまったら、気を良くした母の言葉が続いて−−−
「絶対、あの子凄くもてるわよ。これからますますもてるわね。お前がいつまでも周りを回りでうろうろしてたら邪魔よ」
いや、こっちに来てくれるって言ってるし……。
「でも、実際のところ分かれて暮らしてるでしょ?」
いや、指輪貰ってるし……。
「でも、それ、ペアじゃないんでしょ?」
いや、でも、兎に角、一応付き合ってるから……!
「あちらにもご迷惑ですよ、お前じゃ。お前は取り合えず、見た目は良く生んであげたんだから、早くお嫁さん見つけなさい。じゃあね。切るわよ。お前は結構見た目が若いから、後少しは大丈夫よ。おじいちゃん達だって楽しみにしてるんだから早くね!」
一方的に話を聞かされて、切られた。
思えば、最初っから母はカミュの事を凄く気に入っていて、気にかけていたけれど……それはもう、圧倒的にオレが面倒を見てもらっている至極優秀で出来た人間だから、っていう刷り込みが強烈で(間違ってはいないけれど)……カミュはどんな嫁さん貰うのか楽しみとか今でも言ってるもんな……(所謂、カミングアウトというものをパブリック卒業したときには済ませている。けれど、その時の母親の第一声は、お前が無理を言ってカミュを困らせたのではないのか、というものだった)。
一応、真面目に母親の意図には添えませんと、言っているのに、こうも素通りされてしまうと……。ほんとうにもう……(心底不思議そうに、何でカミュが結婚しないのかオレに聞くのは止めて欲しい)。
って言えば、お前は時期を見て告白しなかったオレの詰めとか事前準備が足りないって言うんだろ?