戻って参りました

出張から無事戻って参りましたm(_~_)m
主が不在の間にえせうさぎが随分働いてくれた様子で…(汗)
あいおろすの余念も回収したって……何?(T▽T)
和海は今回は動物バージョンレポートだと意気込んでおりますが、お互い原稿を抱えていてレポートも何時になるか分からないので、簡単に報告をば。


ベルリンは、(観光で行くなら)今とても面白い街だと思います。壁がなくなってもうすぐ20年になりますが、今も市街の方々で建築工事中です(Madisonも夏はConstruction seasonですが、それ以上かも)。
ビルの立込んだ地区があるかと思えば、そのすぐ隣が不毛の更地だったり。
電車に乗って東西に移動すると、このへんから旧東かな、とか建物の感じでなんとなく分かったり。
あと、地元民の英語普及率は断然旧西側が進んでます(当然か)。今回、会議が旧東側だったんですが、駅員さんにも英語が通じなくてびっくりしました(^^;)。ワールドカップで随分教育が進んだみたいなんだけどなあ。まあ、郊外だったから仕方がないか……
面白いもので、旧西側の賑やかな駅周辺などはすっかり近代化されてしまっていて特に珍しくもないのですが、旧東側は有名なUnter den Lindenを始め古い建物が沢山残っていて(…と言うのは語弊があるかも知れない、これらの殆どは第二次世界大戦で壊されていて、現在の姿は東西統一後に修復したものが殆どなので)、観光客の賑わうスポットになっていたりします。
ブランデンブルグ門もぎりぎり東側だったのね…知らなかった。
ちなみに、現在ベルリンで一番地価が高い所もUnter den Linden界隈なんだそうで、成程、かなりおハイソな雰囲気です。
壁はもう殆どなくなっていて、現在僅かに残っている場所はフェンスで覆われていたりします。なんと、土産屋が壁を壊して持って行ってしまうので、保護するためなんだとか(!) あれこそ「そこにあるからこそ…」の代名詞だと思うんだけど(汗)。砕いたらただのコンクリートでは??
壁のなくなった場所は、所々に四角い石のマーカーが置かれていて、よくよく注意してみればもと壁の位置がわかる、という具合です。もっとも、このマーカーを置くプロジェクトも近年始まったもののようで、まだ全部は網羅できていません。なので、観光者の目には何処が壁だったのか殆ど分からないわけですが、よくここまで綺麗に痕跡を消したな、とむしろ感心します(実は壁というより壕と言った方が正しくて、殆どの場所は二重の壁でその間を人が通れる状態だったので、実は結構な面積だったはず)。きっと壊す時には二度と思い出したくもなかったんでしょうね。でも、統一後十余年が過ぎて、漸くモニュメントを残そうと思えるようになった、ということなのかな。
ドイツと言えば勿論音楽!!!ですが、これがまた想像以上というか、、、
いやはや、ものすごいスケジュールでした(笑)。
最終日は、2つの教会のオルガンコンサートを梯子して、そのあとでベルリン・フィルのバッハ・ロ短調ミサ2時間!
それだけでも滅茶苦茶フルコースでヘビーですが、根性があればまだその後にも一発コンサートに行けたという……(大汗)
夜10時から始まるコンサートって、何それ?!!!
ジャズじゃないですよ、クラシックの、カルテットのコンサート!!!
終わるの一体何時だ……まあ、週末は夜通し電車走ってるから、帰れないってことはないんだけど。
大体、ベルリンには全てのものが2づつあるわけですが(旧東と旧西の分が)、そんな事情でオペラハウスも2+1(これはちょっと軽めの演目)、コンサートホールも2つ、当然オーケストラも2つあるわけです(本当はもっとあるけど)……。でもって、そのそれぞれの会場が、かなりの確率で昼プロ、夜プロをやっていて、ベルリン・フィルのホームのフィルハーモニーなんかだとホールが2つあったりするから、毎日とんでもない数の演奏会があるわけです。それでやっていけるだけ聴衆が居るって凄い……(T▽T)
しかし、ベルリンフィルは流石に目からウロコもので、かなり次の職場はベルリンがいいかも(T▽T)と心が揺れました……(募集してれば、だけど)
さて、観光客としては楽しい一辺のベルリンですが、一歩市街を出れば気になる光景も目につきます。
特に旧東側の郊外で、若者が荒んだ様子で夜遊びしている姿をかなり見かけました。ミーティングの開催地はブランデンブルグ州に片足突っ込んでるあたりなので、ハンブルグ在住の友人からネオナチに気をつけろ、と釘を刺されてしまいました…(汗)ブランデンブルグ州では極右政党が躍進中とのことで。そんな話を聞く前に見た若者の顔が、昔見たナチスの実録映像で見た表情にそっくりだな、と思っていたので、少々ぞっとしました。
東西分割の傷は相当深いです。旧東の地方では未だに若者の就職先がなくて、実質失業率25%という数字もあるとか。確かに第二次大戦中のドイツの罪はどう言い訳出来るものでもないですが、そこまでドイツ国民が追い込まれたのも、もとはといえば第一次大戦の戦勝国が天文学的な賠償金を要求したからで……つまり、もうすぐ一世紀になろうという過去の敗戦の負債を未だに抱え込んでいるというわけで。一つ歯車が違えば同じ状態になっていておかしくなかった日本国民としては、心情的にかなり同情してしまいます。というか、周囲のEUの国は人事だと思ってちゃいかんよ、と思うわけです。特に第一次大戦の戦勝国!
まあ、そんなわけで、ベルリンは新旧も東西も混在、多分世界中でも他に類がない街でありながら、なんとなく親近感を覚える場所でもありました。
また、機会があったらもっとゆっくり観光したいな〜。
(住むのはなかなか滅入りそうだけど。いや、気候がね……勿論、それを補ってあまりある音楽ライフ♪があるけどさ。。)

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