きっかけは、研究室の院生であるフレッド(既に結婚して8歳の子供がいる)に誘われて、彼の娘が出演する子供だけのシェイクスピア劇団のマクベスを見た事だったかも知れないが……
演劇自体は、なんとノーカットで全長3時間、主役のマクベス役を演じた15歳の少年などは一体何百行の台詞を覚えたのだろうと目を見張るばかりで、とても楽しかった。衣装や舞台装置なども、全て手作りだが工夫が凝らされていたし……
思えば、我々もパブリックの時代には、散々シェイクスピア劇をやったものだった。
最近は、シェイクスピア時代の古い英語は将来役に立たないと敬遠する傾向があり、機会も減っているという。
フレッドは、そんな事態を嘆いて彼の娘をこの劇団に入れたそうだ。
さて、楽しく鑑賞して帰ったその夜、アイオロスは仕事が終わっていなかったので(明日は練習があるため今日中に済ませる必要がある)、先に休ませてもらい、不思議な夢を見た。
舞台はパブリックの頃やった演劇の舞台だ。しかし、我々は既に最上学年で、舞台での出番はない。ただし、オーケストラをバックにつけていて、私はその中の第一バイオリン席に座っていた。
ミロの学年が、第5学年になっていた。話の内容は何故かシェイクスピアとは全く関係がなくて、一人の天使が上階級の天使と衝突し、天使のリングを没収された上、ある地上の貧しい人間の少女を助けよという命令を受ける所から始まった。天使の役は、いつもかなりきつめに巻いている髪を少し柔らかめのウェーブにし、背も大分伸びて大人っぽくなったミロが演じている。子供の頃のミロも可愛かったが、まだ大人になりきっていない頃の彼は、どこか地上の重力を忘れさせる美しさがあった。もっとも、カミュも全く雰囲気は違うが同じものをもっていたから、あの年頃の少年というのはそういうものなのかも知れない。
兎に角、劇の中で天使は無事に使命を果たし(その間バックオーケストラには必要な楽譜がないなどのトラブルが続出して、あまり真面目に劇を見る余裕がなかったのだが)、最後に上階級の天使が再び地上に下りて来て、リングを地上の天使に授けた。それは勿論手作りなのだが、小道具班の創意と工夫の傑作ともいうべきもので、ハーフミラーと金の飾り縁で出来ていて、照明の光を受けて美しく輝いた。
それで、正面を向いたミロに、一瞬、全員が見蕩れた。
私も、思わず指揮棒から目を離してしまった。
こんなに、天使のリングが似合う少年は……多分、そう簡単には見つからないだろう。
彼は第4学年の時に、十二夜のヴァイオラ役を演ったが、既に面影にその頃のような少女ともとれる甘さはない。
天使に性別はないが、それでもどちらに近いかと言われれば、間違いなく少年で、剣をとって戦うミカエルだ。
それは、予想していた衝撃を遥かに超える美しさで、誰もが、進まない演劇を不思議に思うことすらなく、舞台を見詰めていた。
いつまでたってもオーケストラが始まらないので、ミロが遂に、首を傾げてこちらを見た。
慌てて弓を持ち直し、やはり今気付いたらしい指揮者のタクトに合わせて、最初の音を弾いた。……が……誰も、他に音を出した者は居なかった………
思いがけない事態に焦り、息を飲んだところで目が覚めた。
……起きてから冷静に考えれば、ミロが助ける地上の少女がフレッドの娘だったり、上位の天使がマクベスでダンカン王を演じた少女であったりと、色々辻褄が合わない部分があったのだが、夢を見ている間はその事にも気付かず、真剣に手に汗を握っていた。まったく、不思議な夢だった。
それにしても、何故、ミロが天使役で出て来たのだろう?
会場の観客席で、パブリックに入って来た当時のミロと良く似た少年をみかけたからだろうか?