昨日、ミロから摩訶不思議な電話がきた……
いつもの定例報告だが、どうにも会話に身が入らぬ様子で、何度も同じ事を聞き返したり、時折こちらの話に相づちも打たずにぼうっとしている。
人の話をきかないのは今に始まった事ではないが、わざわざ電話をしてきてまでそうであった事はないので、少し不安になって、理由を尋ねてみた。
そうすると、少し口ごもった後で、笑うなよ、と釘をさされた。
笑うなよって、何が?
ミロにそう言われた時は、笑いを堪える事など到底不可能である事が多いのだが、とりあえず、わかった、と適当に返事をする。すると。
「エセルが……エセルが伝説になっちゃった……」
思わず、what?! と尋ね返したが、ミロは受話器の向こうで鼻をかんでいる。
エセルって……エセルって、まさか、サガ先輩のところのうさぎのエセルか?!
先日訪ねていった時はあんなに元気だったのに、まさか、と焦ったのが声に出たのだろう。
ミロが、重ねて言った。
「いっとくけど、ウサギじゃないぞ。エセルは」
ウサギじゃないって……まさか、アイオロス先輩が大事にしている薔薇の事ではあるまいし(薔薇にまでエセルの名前をつけていると知った時には、呆れるのを通り越して感心したものだ)、そうすると、まさか、サガ先輩本人なのか?!
しかも、伝説になった、って……(汗)
いや、ある意味、あの人は何処でも既に伝説だが……
(母校クィーンズベリでは、未だにチェトウィンド・ファンクラブがあるらしいし)
「日本でさ。オレが世話になってた事務所でバイトに入ってたミチコがお気に入りの漫画があるんだよ。ヴィクトリア朝イングランドの話でさ。フツーは女の子が読む漫画だって言ってたけど、面白いんで貸してもらってたんだ。そん中に、レディ・エセルって侯爵令嬢が出て来るんだけど、これが、サガそっくりなんだよ!!」
はあ……。
ミロの話の飛躍及び想像力の豊かさには、いい加減慣れたつもりだったが、まさか少女向けグラフィカル・ノベルズまで守備範囲が広がっているとは知らなかった。
どのくらいそっくりなのか、きっと私が見たら爪の先ほども似ていないのだろうな、と思いながら相づちをうつ。
「そのレディ・エセルは、本当は救貧院で育った男の子なんだけど、病気で死んだ本物の侯爵令嬢の身代わりに引き取られて、レディとして成長するんだよ。銀髪で、立ち居振る舞いが綺麗で、心もすごく綺麗なんだ! サガにそっくりだと思わないか?! 名前だってエセルだし!!!」
いや、そう言われても……(汗)
でも、それをそのまま言うとミロがまた落ち込むので、とりあえず、そうかも知れないな、と答えておく。
「それで、何故それが伝説なんだ?」
このまま放っておくと延々話の筋を話されそうなので、最初の疑問に無理矢理引き戻したら、受話器の向こうから涙声が降って来た。
「消えちゃったんだ……もう、エセルはいないんだよ。残ったのは、男の子のアージェントだけ。そりゃ、アージェントもいい子なんだけどさ……でも、なんだか、綺麗なサガがいなくなっちゃったみたいで、悲しくてさ……」
ああ、そう。
思い切り、脱力した。
要するに、高貴な生まれのサガ先輩がこの世から消えてしまったような気分になって、それで落ち込んでいるわけだな。
しかし、既にサガ先輩は実家を離れて久しいし、私の目にはもう家を捨てる覚悟が出来ているように見える。伯爵家のチェトウィンド卿としての先輩は、立ち居振る舞いこそ昔と変わらぬものの、いずれ消える事になるだろう。
そう思うと、確かに、少し惜しい気もするが……
「本物のサガ先輩は、まだ居るじゃないか。久しぶりに電話でもしてみたらどうだ? きっと喜ぶと思うよ? お前、誕生日のお祝いもまだ言ってないだろう?」
気をとり直して宥めてみると、受話器の向こうの声は、「うん……」と何とも頼りない。
「電話……しようとは思うんだけどさ。また取り込み中だったらどうしよう、って……」
ああ、そういえば、先日間の悪い時に電話してアイオロス先輩に怒られていたっけ。
「もうちょっと早い時間に電話すればいいだろう。第一、そろそろ、サガ先輩の方も身がもたなくなってきているだろうから、電話くらいして中断した方が先輩は喜ぶかも知れないぞ」
先輩の誕生日は5月30日、その前後一週間はきっと休暇で大変な事になっているから、今頃は疲れ果てていると予想できる。
ミロは、また歯切れの悪い返事をして、それからおそるおそる、といった体できいてきた。
「もうひとつ、きいてもいい?」
どうぞ、と答える。もう、何がきても驚かないぞ。
「……実は、その漫画、昨日カミュ宛に送っちゃった……だから、読んでみて?」
何?!!!!
読んでみて、って………それ、日本語じゃないのか?!
「……あ、しまった。そうだった。……オレがロンドンまで行って、通訳する?」
………。
電話を切ってから、はたと気付いた。
もう送った、ということは、明日あたり届くのか?
……まさか、全部で百巻、とか言う事はないだろうな……??
しかし、それにしても、異国の少女漫画の主人公(女性)にまで比べられるサガ先輩って、一体……(困)