引き続き完売pdfから。
これは、(多分)1992年頃から2000年にかけて、サークルペーパー「Capriccioso Waltz」に連載したストーリーです。一度無料配布で総集編を配りましたが、これもなくなって久しいので、ここに掲載します。
ミロ、カミュ、サガ、シュラ、ムウというかなり変則キャストです。
○光を掴まえた肖像たち (1.4MByte)
毎回4~6Pの連載でしたが、ちりも積もれば、で最終的には170Pを超えました。
総集編を出す時に、あまりにヒドイ部分は直したのですが、それでも8年の文体の変遷がありありと見えてなかなかイタイ作品(苦笑)でも、言いたかった事は言い尽くしたので、それなりに満足感はありました。
この話は、なんと、たった一つのモーツァルトに関するあるネタから生まれました。これを言ってしまうと、話の筋が見えて面白くないので黙っておきますが、そのたった1点から、170ページの話を書いた自分にある意味感心(笑)
そのネタに興味がおありの方は、下の文字を反転して見てみて下さい。
でも、はっきりいってネタバレですから、話読む前に見ちゃったら話がつまらなくなりますよ(笑)。
以前、NHKFMのモーツアルト・デーで、ある解説員さんが口にした話です。
モーツァルトの絶筆は、有名なレクイエムの中の「ラクリモーサ(涙の日)」の8小節目である、というのは有名な話ですが、実は、本当の絶筆はそこではない、という話。
モーツァルトは、病の床で、正体不明の伯爵から依頼されたレクイエムを書き続けていました。
(モーツァルトは正体を知らなかったが、今では誰であるか分かっています。そのへんは、いくらでもネットにおちてるので、検索してみて下さい)
ところが、病状が悪化し、もはや自分が終曲まで書けない事を悟り、涙ながらに弟子に完成の指示を出した、と言われているのが、ラクリモーサの8小節目です。
それで、ラクリモーサ8小節目の最後の音符が、モーツァルトの絶筆に違いない、と誰もが思う訳ですが……その解説者がいうには、それは本当の絶筆ではない、と(笑)。
ラクリモーサの9小節目以降は、旋律こそ少し違うものの、音形などは1小節目とほぼ似た形が続きます。
つまり、モーツァルトは、弟子のために、その後「最初に戻る」という意味の言葉をかきつけた、というのです。
で、その数百年後、事件が起こります……。
パリ万博(何回目かは忘れた、、)で、モーツァルトのレクイエムの原譜が出典されたことがあったのですが、そのときに、そのことを知っているオタクな入場者の誰かが、そこだけ破いてもっていってしまった、というのです(苦笑)。
このときは、ただラジオを聞き流していただけだったので、この事件のウラをとろうと随分資料をかき集めたのですが、結局それを明記している文献はみつかりませんでした。
もう、この解説員に手紙を出そうかとさえ考えましたが、解説員の名前を正確に覚えておらず断念。
話の方は、これにもうひとつ脚色を加えてありますけど、ネタそのものはこの部分だけです。
ホント、よくこれだけで、170ページ書いたな(爆)。