サガ先輩の家の子ウサギが巣離れしたというので、見せてもらいに行った。
サガ先輩は未だアイオロス先輩と冷戦中で、口もきかない、というほどでもないが兎に角半径1m以内には近寄らせない状態らしかった。
まあ、明らかにアイオロス先輩が悪いので、この程度で済んでいるだけ有り難いと思うべきだろうが。
子ウサギ達は、ついに小屋がわりに使っているケージの格子の間をすりぬけるようになったらしい。
見ている間にも、オレンジの子ウサギがするりと外へ出て来た。
「つかまえてくれ! へんな場所にでも入り込んで抜けられなくなったら……!」
キッチンで両手を粉だらけにしたサガ先輩がそう言うので(先輩はパンを焼いていた)、なんとか部屋の隅に追い込んで捕獲。
が、すばしこいし、するりと手の隙間を抜けていくので、柔らかい子ウサギの感触を楽しむどころではない。
ケージに戻してやると、子ウサギは慌てふためいた様子で狭い隙間に体をねじこみ、隠れてしまった。
「これは、大変ですね……一日中見はっているのですか?」
「いや、そういうわけにもいかんから、エセルが家を出る前に毛布でケージごと覆っているが」
アイオロス先輩とケージの中を覗き込んでいると、キッチンからものすごい音がバシンバシンと聞こえてきた。パンのドゥを捏ねる(というか叩き付ける)音だ。まあ、それはそういうものなのだが。
ウサギがびっくりしてスタンピングを始めた。
「……サガ先輩、荒れてますね」
「可愛いだろ? 妬いてるんだよな♪」
「先輩がそんな事を言ってるからですよ。少しは反省したらどうなんです? なんでも、本当にOxfordに部屋を借りたそうじゃないですか」
「何で反省なんかするんだ? 俺は浮気はしていないぞ? 俺の嫁さんはあいつだけだ。その証拠に、他の女を孕ませたことはない」
「避妊に失敗していたら、今頃本当に修羅場ですよ……。つまるところ、そういう先輩にばかり都合のよい主張は聞く耳持たぬ、とサガ先輩は主張しておられるのだと思いますが」
「別に俺ばかりに都合が良いわけじゃない。俺は別にあいつが外で遊んで来ても怒らないぞ?」
途端に、一際大きい音がキッチンから聞こえてきて、うさぎのえせるが目をまんまるに見開いた。
人が折角声をひそめて話しているのに、アイオロス先輩が全く構わずに普通の声で喋るから、聞こえてしまったのだろう。
「ほら、怒ってますよ……。サガ先輩がそういう不義理は出来ない人なのは先輩が一番ご存知でしょう? 大体、あの寛容な先輩をあそこまで怒らせたというのは、先輩が帰宅してすぐによほど酷い失敗をやったといういうことじゃないですか?」
「別に、あいつが使いかけのコンドームを見つけただけだぞ?」
「どうやって?」
「トランクの中に入ってた」
「……それは……隠そうともしないんじゃ、怒るでしょうね……(汗)」
「アホ抜かせ。隠れてコソコソやるのとどっちがいい? 隠してコソコソする方がたちが悪いだろうが? それに隠すようなやましい事は俺はしてないしな」
「そう言われても。先輩がどう思うかではなくて、サガ先輩がどう受け止めたか、がこの場合大事だと思いますが。まだ怒っているということは、そうやって開き直るのが悪いということでは」
「ま、要はかまって欲しいんだよな♪ かわいいなあ♪ ……うわっ!!」
スパーン、とクリーンヒットの快音がして、驚いて振り返ると、サガ先輩がフライ返しを片手に仁王立ちになっていた。どうやら手にしたフライ返しで、思い切りアイオロス先輩の頭頂をはたいたものらしい。
口元は笑っているが、目が笑っていない。
はっきりいって、かなり怖い。こんな怖い人をからかおうとは、アイオロス先輩も趣味が悪すぎる。
「くだらないお喋りはそのへんにして、テーブルの上を片付けてくれ。私とカミュが食事出来ない」
「そんな暴力に訴えるのはよくないぞ? エセル? …って、何か乳臭くないか?」
「ああ、ミルクつきのフライ返しで殴ってやったからな。いい年をしてまだ女性の乳房が恋しい君にはお似合いだろう?」
「何を言うんだエセル、男は一生そういうものだ」
「では、さっさと良い女性を見つけて結婚したまえ。心配せずとも、まだ今なら若く綺麗な女性がつかまるよ」
サガ先輩はそうにっこり笑って言うと、乱雑にアイオロス先輩の書類を机の上に積み上げ、ナイフとフォーク、取り皿を二人分ずつ並べ始めた。
「おい、エセル、コイツの分がないぞ?」
「君の分はあちら」
サガ先輩が指差す先を見ると、キッチンの横の小さなテーブルに、小さなフルーツ皿の上に二口ほど盛られたパスタがあった。
「ほんの少し皿に入り切らなかったから、その分は分けてやるが、それ以外私の給料から君に食わせてやる分はないね」
「……エセル、ヒステリーはよくないぞ?」
「残念ながら、純然たる経済的理由だ。家計はきっちり分けさせてもらったから、君の分の食費は払わないよ」
「そいつには食わせてるじゃないか」
「勿論、カミュは私のお客だからね」
「いえ、あの、先輩も一緒に食べましょう、一応ワインは二人に持って来たのだし、僕の持って来たキッシュパイもありますから……(汗)」
ホストの意向を遮るのはよくないと分かってはいるが、かといってアイオロス先輩だけ除け者にして食事をするのは流石に気まずい。と、溜息をつきかかったところで、またサガ先輩が悲鳴を上げた。
「また出てる! ロス、つかまえてくれ!!」
何故かいつもオレンジが脱走するようだ。結局アイオロス先輩が部屋の隅に追いつめ、片手で掴んで持ち上げてみせた。子ウサギは、先輩の手の中でぶらりとぶら下がっている。
「もっと優しく掴めと言ってるだろう!!」
「そんな事言ったって、こいつら肉ないじゃんか」
「早くケージに戻してくれ!」
アイオロス先輩は、へいへい、と相づちを打ちながら、小屋の中へ子ウサギを落とした。
またサガ先輩の眉が跳ね上がったが、子ウサギは足を痛めた様子もなく跳ね回っている。
………。
なんだかんだで、アイオロス先輩を顎で使っているということは、結局仲が良いのか?
謎だ………。