エセルを連れて、歩いて実家から自宅に戻ったのは七時過ぎ頃か。
留守番をさせていたうさぎのうち(ただ今家にはまた三匹のうさぎが居る)、本日の順番であるえせるとハムの二匹をリビングに放そうと、二匹が一緒に入っているはずのサークルを覗くと、えせるしか居ない。
リビングを見回すと、食いちぎられたペレットの袋の下に山盛りのペレット。
ハムはまたしてもサークルを飛び越え、食いたい放題のペレットを腹の中にしこたま詰め、キッチン脇にある小さなパソコン用のテーブルの下に置かれた透明の衣装ケースの上に丸く蹲っていた。
(机の下にBOXを置いているのはウサギから書類その他の紙類をプロテクトするためと、エセルの足置きにするため。エセルは疲れると足を高い場所に置きたがる癖がある)
仕方が無いので、ハムはそのままほって置いて、交互に人間はシャワーを浴び、軽く夕飯の支度。この頃にはえせるはすっかり活動時間に入り、楽しそうにリビングを探索したり走ったりしている。
いつも金魚の糞のようにくっついているハムが居ないからのびのびとして見える。
買い置きのパンとサラダ冷えたターキーで晩飯を取り、ウサギたちにもペレットをやる。
エセルとプチは走りよって元気にペレットに食らい付いたが、ハムは動かず眠そうに机の下の暗がりに潜んでいる。
不振に思ったエセルが腹を触るとペタンコになっていると言う。
食べたい放題の状態だったのだから、何も食べていない、という事はないだろう、と言い取り合えず録画しておいた女王のスピーチなど見ながら夕食を済ます。
しかし、この段になってもハムはまったく動く気配が無い。
そして、エセルがはたと思い立ったように言った。
「水!」
そうなのだ。
いつ飛び出したのか知らないが、サークルからエスケープして食料に自由にたどり着くことが出来たヤツは、草なんぞには見向きもせず、固く乾燥したペレットだけをもりもりと食べた。
このペレットというヤツは、実は物凄く吸水性がいい。
水を吸わせると簡単に三倍くらいにはふやける。
そして、誰も人のいないリビングには当然飲める水分などあるわけも無く……。
あいつの腸の動きは止まってしまった、と、そういう具合だろう。
食い意地も、ここまでになると呆れるよりも感心する。
普通は、もうちょっと自分の体調と相談しながら食うもんじゃないのか?
野生と言うものが全く退化しているな、このハムは……。
果たして、エセルが慌ててハムの好物(全うさぎの、といっても過言ではない)濃縮還元果汁ではない、絞りたて100%オレンジジュースにローヤルゼリーを入れたものを鼻先に持っていっても、ふいっと顔を反らす。
ハイ。
異常事態確定。
のんびりまったり寝室へ直行コースはあえなく霧散。
腕まくりをしてPC机にバスタオルを広げ、下からハムを引き摺り出し、包み、針の無い強制給仕用の注射器でローヤルゼリー入りOJを飲ませる。
普段、目が零れ落ちるのではないかと言うほど興奮し、首が抜けなくなるぞ、と言うほど空の瓶やカップに頭を突っ込んでまで飲もうとするOJを拒絶する。
(茶チビも最後まで、これだけは飲んでいた)
とに角長時間水分を取っていないでペレットを食べている筈なので、まずは水を取らせて内臓を動かさなければならない。
俺が小さな注射器に入ったOJをハムに飲ませようと格闘している間に、エセルは台所で強制給仕用の粉砕された乾燥食材をさらにすり鉢ですり潰し、ぬるま湯を注ぎふやかし、離乳食もどきを作る。
それを、今度は大きなシリンジに入れ、一先ずOJを止めこちらを食べさせる。
いやだいやだと、涙目になっているハムの口に、何度も何度も根気良く注射器の先を突っ込み無理矢理水分を取らせる。
最後には呆然自失状態になっていたが、自業自得というものだ。
その後、二人で交代でうさぎのツボなるものを紹介している本を片手に愉気とツボ押しの繰り返し。
しかしハムは、新鮮な葉モノまで見向きもしない。
そうして二時間近くが経った頃、ぐったりとしていたばかりだったハムが身じろぎをして人間の手から体を離そうとし始める。
腹が動いてきた証拠だ。
ツボが聞くのか、気功もどきがきくのか、ともかく一旦とまっていたものが動き出せば痛い。人間の腹痛と同じだ。
だから、動かないでいた方が痛くないので人間の手から逃げようとする。
ここからが正念場だ。
痛くとも、そこを通過しなくては正常な状態には戻れないのだから。
ハムは滑らないように敷いてある敷物に八つ当たりし、それを齧り、堀り、鼻先で押しのけ、トイレに飛び込んでは敷いてある牧草を両手で何度も押してはまたサークルの中を行ったり来たり。
まったく……自分が蒔いた種だろうが……。
次第に腹がゴロゴロ、キューと音を立て始める。
エセルが台所からルッコラを持ってくると、最初は嫌だ、と鼻先で叩いていたが、そのうち一枚葉を齧った。
数十分おきに、一枚、また一枚、と食べ始める。
皿に入れたOJは相変わらず飲まないが、これは正しい選択かもしれない。
なんとか生のルッコラ一株の半分を自力で食べ、人の愉気にも気持ちよさそうに身を任せるようになる。
殆ど六時間後、エセルが今度は青梗菜を差し出すと、青い葉からではなく、白い水分をたっぷり含んだ根から齧り始める。
八時間後、他の面子にペレットをやる際欲しいというそぶりを見せたので少し床に蒔いてやると自分からぽりぽりと食べ始める。
そして、離乳食にも口を付けている模様。
さらに十時間後にはOJも自分から飲み始めている。
半日が過ぎる頃には、トイレに小さな小さな歪な糞も転がった。
全く…………。
これからは、脱走しても水だけは飲めるように皿を置いておくべきなのかもしれない。
しかし、自分の腹の事なのだから、ちったぁ自分で責任を持て、と俺は言いたい。
今ハムは、エセルに撫でられ、急遽換毛の始まった夏毛を丁寧に取り除かれながら、ゆったりと腹を見せて寝そべっている。