午後10時を時計の針が指すと、それまでにこやかにシュラと談笑していたサガがすらりと立ち上がって一言言った。
「さあ、みんな、もうお開きにしよう」
何だかんだと冷やかしながら長居をしようとするカミュの友人たちに、彼らの上級生であるサガ・チェトウィンドはやんわりと、けれども断固とした態度で撤退作業を開始させた。
ゴミは最初から分別して捨てるように狭い廊下にゴミ袋がいくつか口を開けていたので、その口を縛り、隅に寄せ、簡単に床を掃いて、食器の汚れをざっと落とすとウォッシャーマシンに効率的に並び詰める。
全ての作業が終わるのに、三十分もあれば十分だ。ドア口で順々に友人達が別れを惜しみ合う。ドアを閉め、鍵を掛け、一人だけ部屋の中に残ったミロを振り返ると、カミュの手はミロに掴まれて、そのままリビングを横切って窓の側に連れて行かれた。
ミロが窓を押し上げる。ミロは躊躇する事無く、湿った暗い空気の中に首を突き出すと大きく手を振った。つられて脇からカミュも顔を覗かせると、夜道に散らばった友人達がこちらを見上げて手を振りながらそれぞれの道に分かれていった。
「さて」
仲間達の影が視界の彼方に消えた後、カミュは窓を閉じ、そう呟いて振り返った。
「これは、サプライズ? それとも、予定が急に変更になった?」
ミロはカミュの言葉に一瞬目を丸くし、それから申し訳なさそうな顔をした。
「サプライズ。去年は本当に悪い事をしたから、今年はその分も驚かせたくて……嘘付くのは嫌だったんだけど、前もって予定とか立てると、結構カミュは色々自分でも考えるだろう? たまには全部人任せでもいいんじゃないかと思ったからさ……」
カミュは心許なげなミロの表情に、わざと造っていた表情を崩して笑った。
そんな心配げな顔をするくらいなら、最初から隠し事などしなければ良いのに、と思う。
けれど、人が集まるとなればつい色々と気を回してしまう自分の性分を承知しているからこそのこんな計画と知れば、心から嬉しかった。
「へえ……意外。ワインはノン・アルコールでも、そういう気遣いは出来るようになったんだ?」
スパークリング・ジュースにほんの1cm混ぜたワインでも少し赤みが差しているミロの鼻を摘んでやったら、ミロは片目を瞑って一瞬身を竦ませた後、鼻にちょっかいを掛けてきたカミュの右手を掴んでその指先にキスをして言った。
「アルコールと気遣いは関係ないだろう? 誕生日おめでとう。いい一年になりますように」
やめろよ、と悲鳴を上げるかと思いきや、意外に積極的な反応に、カミュは戸惑った。 大体、ミロにこんな風にこちらにも分かる形で気を遣ってもらうことに、あまり慣れていないのだ。
これまでのミロの気の使い方と言えば、本人は必死なのだろうが受ける側には裏目に出る事が殆どで、もうそれがミロなのだから、と悟りの境地に至って久しい。
それが、急に、こんなにこちらのポイントを突いた気の使い方をされると──ここで舞い上がってしまってよいものか、あとで思わぬ落とし穴が待ち受けているのではないか、とつい転ばぬ先の杖ならぬ心配をしてしまう。
しかし、既に気分良く二桁に近い数のグラスを空けているカミュは、その心配をあっさりと棚の向こうに放り投げた。
ミロが誕生日に合わせてサプライズを用意してくれた。
仲間達に連絡をとり、食材をわざわざローマから持ち込み、手料理でもてなしてくれた。
その好意に応えるのに、余計な心配や照れは無用だ、と思ったからだ。
「──有り難う。久し振りに、嬉しい誕生日だったよ。今年も会えないと思っていたし……通販会社やプロバイダから頼みもしないバースデーメールが届いて、無理矢理年齢思い出させられて少し凹んでいたところだったしね」
「カミュでも年齢なんか気にするのか?」
握っていた手をそのままに、心底びっくりしたと訴えるミロの表情に、カミュは軽く吹き出した。
「そりゃするよ。誕生日が嬉しいのなんて精々二十台前半までだろ」
そうだろうか……釈然としない様子で呟いたミロに、カミュはそういえばコイツは全くそいういう事に頓着した素振りはなかったな、と思い出し、一人また小さく笑った。
そして尚も何やら考えあぐねている様子のミロの頬にカミュは小さなキスを一つ落とし、「お疲れ様。料理、大変だっただろう? 先にシャワーどうぞ?」とミロの気を現実に引き戻した。
なんとなく互いの指を絡ませあったまま閑散としたリビングを横切る。穏やかで温かく、そして普段はなるべく蓋をしている体の底から湧き上がるような感覚に、カミュは酔った。
しかしそんな甘い酔い心地は、ミロのバスローブなどを用意する為にベッドルームのドアを開けた途端に完全に吹き飛ばされ、石化し、脆く崩れ落ちた。
一日の疲れをゆっくりと癒せるよう計算してコーディネイトしつくした寝室が、ケバケバしい造花や金銀メタリックのモール、クリスマス・ツリー用の電飾から果ては小さなミラーボールが天上からぶら下がるようなサイケな部屋に様変わりしている。
五秒程固まってから、カミュは呟いた。
「この扉は何処に繋がっているのかな? 確か私の寝室に繋がっていると思ったのだけど?」
隣に居たミロの肩が、ビクッと大きく揺れた。
「カ、カミュ?! 俺じゃないっ!! 俺は何にもしてないし、頼んでない!! 俺だって知らなかったんだ!!」
「まあ……誰がやったか、大体想像は付くけど……?」
狼狽しているミロを横目に、カミュはゲッソリと呟いた。寝室に、鍵をつけておくべきだった、と思っても後の祭りだ。 とりあえず、一生懸命パスタやピッツァのdoughを捏ねたミロに先にバスルームを使わせ、その間にカミュはテキパキと寝台の上や壁に飾られたものたちを毟り取った。
シーツを取り替え、枕のカバーも変えて、一息。ふと視線をやった本棚の隙間に、鈍い硬質の光が見える。
何だろう、と腰を上げて本棚に歩み寄ったカミュは、その本の隙間に見えたものの正体を悟って思わず声を上げた。
「な……何だこれは!!!!!!」
ソニーのハンディカムDCR-SR220。勿論、録画ボタンは押されている。既に一時間ほど録画されているようだ。
こんな趣味の悪い悪戯をする人間など、カミュには一人しか思いつかなかった。そして、その人物の仕業であるならば、ひとつで済むかも甚だ怪しい。
かくしてカミュは部屋の隅々までカメラの隠れそうな場所を探して回ることになったが、流石にそれ以上はみつからず、漸く緊張を解いたところへミロがシャワールームから出て来た。
まあ、万が一にも、一応万が一の可能性を考えて、カミュはバスルームから出て来たミロに平静を装って聞いてみた。
「ミロ、今日来た客の中で、ソニーのハンディカム持ってきたメンバーはいたか?」
「ソニーのハンディカム? 何それ」
ミロは髪の雫を拭いながら、心底怪訝そうにそう返答した。その表情で、カミュは確信した。
やっぱり、これはアイオロス・エインズワースの仕業に違いない。
「いや、誰かが忘れたみたいだから。いいや、明日メールで訊いてみよう」
ミロの仕業でないのなら、こんな悪戯にいつまでも振り回されるのは馬鹿馬鹿しい、とばかりに、カミュは満面の笑みを浮かべ、ミロの唇にキスを落とした。
「……じゃ、シャワー浴びて来るから、少し待っていてくれ」
この前に会ったのは、去年のクリスマスが最後。
今年は、ミロが忙しいから、9月のコンクールが終わるまでは会えないだろうと覚悟していた。
会うのは楽しいけれど、ロンドンに戻った翌日は辛い。一週間ほどするとまた一人にも慣れてくるけれど、一月過ぎたくらいから、離れ離れでいることを寂しく感じる瞬間が増えてくる。
日々の小さなニュース。ミロが居たら何と言うだろう、とか。
思いがけず出会った美しい光景を、一緒に眺められたら良かったのに、とか。
三ヶ月が過ぎると、そういう事も少しずつ減って来て、一人で生活する事が当たり前になってくる。仕方のないことと分かっていても、何だか自分がとてつもなく薄情な気がして、そういう自分を嫌だと感じる。
そんな風に慣れてしまった方がずっと楽だと分かっていても、三ヶ月以上会えなくなる事が、カミュにとって一番辛かった。
長く時間が空く前に思いがけずミロが訪ねてきてくれたことで、すっかり気分を良くしたカミュがシャワールームから上がってきたとき、ミロはカミュのコンピューターでメールのチェックをしていた。仕事も何も放り出して来たのだろうな、と胸の内で呟いて、カミュはバスローブを羽織ったミロの後ろから首に腕を巻き付けて髪にキスをした。
「まだ暫くかかる?」
「いや、もう終わった……って、カミュ、髪の毛まだ湿ってるじゃないか?」
振り向いて少し目を見開いたミロに、カミュは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「お前もね。……でも、今日は、いいことにするか。暖房強めに入っているし」
「そうなの……? いつも乾かしてもらってるから乾かしてあげてもいいけど?」
「時間が勿体ない」
まだ何か喋るつもりだったらしいミロの唇を、ディープキスで塞いでおいて、カミュはミロの耳朶をくすぐった。
忙しいに違いないスケジュールを無理矢理空けて、ロンドンまでやってきた。当然昨夜はまともに寝ていないだろうし、その前も似たようなものだろう。
しかも、今日は一日十人分のピザやパスタを捏ねて、力仕事もしている。本当は、こんなことをするより、すぐにも寝てしまいたいのじゃないだろうか、と思う。
でも、それは出来ない相談だから、せめてなるべくミロに負担がかからないように、さっさと始めてしまおう、とカミュは思ったのだ。
「……どうしたの? そんな、急がなくっても、直ぐに帰ったりしないよ? 明日、カミュに用事が無ければ、だけど……」
長いキスから唇を外して、ミロが苦笑した。頬や額に降る優しいキスや、強く首に回された腕の力を嬉しく思いながら、カミュはミロの耳元に囁いた。
「違うよ。時間を気にしているわけじゃない……今すぐ欲しい。お前が眠くなる前にね」
途端に、ミロの頬がワインをグラス一杯空けたような朱色に染まった。
「あんなにアルコール飲んでたくせに! 眠くなるならカミュの方が絶対先だよ!」
「お前じゃあるまいし。あの程度飲んだくらいじゃ眠くはならないよ。試してみる?」
照れ笑いなのか、本当に嬉しいのか、満面の笑みでキスの雨を降らすミロの腰を引いて、カミュはミロを寝室に誘った。ルームライトは窓際のスタンドがまだ先刻探し物をした時のまま淡く灯されていたが、カミュは壁際のスイッチに手を伸ばさなかった。なんとなく、今日はミロの顔を見ていたい、と思ったからだ。
「誕生日、祝ってくれて有り難う」
これだけはきちんと言わなければ、と、真っ直ぐにミロの瞳を見詰めてそう言った瞬間、カミュはミロの情熱的なキスに攫われて、そのままベッドに押し倒された。
水音がする。
互いの舌が立てるキスの音を、カミュは意識の遠くで聞いていた。人の体なんて普段こんなに水が溢れていると思えないのに、こうして体を絡ませていると、全身が潤う。
閉じた瞼がじんわりと熱くて、そこにも涙の潤いを感じる。ベッドの中で涙を流すのはどうにも度を過ぎた甘えのような気がして嫌いだったが、そんな羞恥に構わず勝手に溢れてくるものはどうしようもなくて、別に感情的になっているわけじゃない、と自分に言い訳する。
いつもなら闇に紛れてこっそり枕の端で拭うのだが、今日は明かりがついている。目を開けたらきっとミロにもその潤みが見えてしまうだろう、とそれが気恥ずかしくて頑に目を閉じていたら、ふと瞼から透けて見えていた明るみが消えて、頬に柔らかいミロの髪がかかるのを感じた。
そういえば、今日は髪を束ねていなかった。
ミロはいつも、事に及ぶ前に髪を束ねて来る。矢張り邪魔だし、髪を巻き込んで引っ張ってしまうこともあるからだ。
思わず目を開けると、目の前にカミュの顔をじっと見詰めているミロの顔があった。傾れ落ちる髪に隠れて、その瞳の色が分からず、カミュは自分の頬にまでかかっているミロの長い巻き毛をゆっくりと梳き上げた。
「カミュ……? 泣いてるの?」
淡いスタンドの光がミロの横顔を照らす。辛うじて青とわかる瞳が、少し心配げに見開かれる。
「どうしたの? ……辛い?」
「違うよ」
「でも……あの、さ、去年のこと、とか………」
いい淀んだ言葉で、カミュはミロの不安を察した。つまり、去年の事を思い出して感傷的になっている、と思ったのだろう。
「そうじゃない。……いつものことだよ。いつもは、暗いから見えないだけだ」
ミロの頬に手をあててじっと見詰め返した時、弾みで小さな雫が目尻から零れた。まだ大した事もしていないのに、こんなにその気になっている自分の体の浅ましさがどうにも居たたまれない。しかし、ここではっきり言わねば、またミロが誤解する、と、カミュは覚悟を決めた。
「こうしているのが凄く気持ちいいから。……だから、もう準備はそんなに要らないよ。いつもみたいに気を使わなくていい。……それよりも、早く」
言葉の続きを、ミロの腰を強く引き寄せる事で伝えると、ミロの瞳が二割ほど大きくなった。
「えっ……でも、まだ……」
「……今すぐ欲しい、って、言った」
ミロの動きが止まり、息を殺す気配がした。
「お前は? いつも本当に気を使ってくれるけど、そういう面倒な事を全部スキップして、その先に行きたいと思うことはないのか?」
「だって……! それじゃ、カミュが怪我するだろう!」
「怪我といっても大した怪我じゃないよ。すぐ治る。……本当に、そんな衝動は感じない?」
「……カミュ……その質問は酷いよ……」
心底弱り果てた様子でがっくり肩を落としたミロに、カミュは小さく溜息をついた。結局、ミロには十どころか十二くらいまで言わなければ伝わらないのだ。それでも何時もは簡単には口に出来ないが、これだけ楽しませてもらった今日のミロの気遣いに、自分なりの誠意を見せよう、とカミュは思った。
「違うよ、責めているんじゃない。……いつも焦れているのは、私だけなのか、と思って……。多少切れたって構わないから、お前にそういう遠慮をせずに求めて欲しいし、こちらも受け入れたい、と思う。……意固地になっているわけじゃない……本当に、苦しいんだ。今日この部屋でお前の姿を見たときから、ずっとお前に触れないのが辛かった。……まあ、勝手なことを言っているとは分かっているけどね……」
ちょっと飲み過ぎたかも知れない、とカミュは苦笑した。自分だって、ミロの立場だったら、矢張り怪我はさせられないと思うだろう、と思ったからだ。
ミロは、少し痛いような表情でカミュの潤んだ瞳をじっと見詰めた。
「そりゃ俺だって、ずっとお前に触りたかったよ? キスだってしたかったし……早く二人になりたかった。……でも、怪我するのは、駄目だ。それだけは絶対させないって、決めたんだ……」
ミロの声は最後は囁き声になっていた。カミュの両の目元に小さなキスを落とし、涙を吸い取るような仕草をする。そして、ちょっと待ってて、と呟くとサイドボードのボックスを開けた。カミュはいつもここにローションを仕舞っている。タオルと一緒に引き出して、ついでに上の小さな引き出しの中のコンドームを取り出したところで、その手を横から伸びてきたカミュの手が押さえた。
「つけなくていいよ。──お前が嫌でなければ、だけど……」
「えっ………」
一体どうしたんだ、とまたその場で固まったミロを、カミュは体を起こして強く抱き締めた。
「……どうかしているな。陳腐な感傷だと分かっているけれど……全部欲しい。だから……」
早く、と耳元で急かした言葉は、熱く掠れて声にならなかった。
耳に入り込んだそのカミュの声に、ミロは体の奥がカッと熱くなるのを感じた。絶対に顔まで熱が回っていると知れるだけに、カミュの顔をまともに見る事もままならず、ミロはひたすら自分の胸の中にカミュの体を抱き込んだ。
そして、なんとか衝動を収めるとカミュの耳朶を甘く口に含んだ。
カミュの手がミロの頭を包み、ミロはその感触に背骨が痺れるような感覚を味わった。
がっしりとお互いの体を抱きしめ合いながら、ゆっくりとミロの体がカミュの体に体重をかけ、意図を察したカミュは慎重に自分の体を寝台に沈めた。
互いの拘束の中でぎちぎちと体を摺り合わせながら、ミロはタイミングを計りカミュの腰の下にタオルを敷いてローションの蓋を片手で外した。
カミュの肩口に埋めていた頭を、その首筋にこすり付けながら下らせて、舌で肌を舐め上げる。ミロの金髪に埋め込まれたカミュの指に力が入った。
ミロの舌腹は、ゆっくりとカミュの鎖骨から三角筋の際を滑って大胸筋の上を移動しミロのそれより赤みの強い乳暈に辿り着き、そのままそこに留まった。
鋭敏な性感帯の一つを舌で強く押されたり啄ばれて、カミュの膝はびくりと震えて軽く跳ね上がった。
その瞬間を見損じないで、ミロはカミュの膝頭を肘で軽く押して開かせ、ローションで濡らした手を陰部に差し入れた。
普段、最も外気に触れない部位に指の腹を当ててゆるゆると揺さぶるように解しにかかると、意外にもそこは既に綻んでいた。
これなら、1本ずつでなくても大丈夫だろうか?
ミロは一度きつくカミュの胸を吸うと、視線を上げてカミュの反応を確認しながら、じわじわと指をカミュの体の中に埋め込み始めた。
最初から二本揃えて滑り込んで来たミロの指の感触に、カミュは堪えずに声を上げた。そして、甘く切羽詰まった声にミロが反応したのも同時に皮膚で感じた。
異物を飲み込まされている場所にカミュの意識が集中しているのを見て取ったミロは、直ぐにもう一方の手をカミュの性器に伸ばした。
体を起こし、カミュに男性としてもっとも直截な快感を与えようと形を変え始めているペニスを手に包み込んで動かし始めると、その手のを動きをカミュの手が押しとどめた。
戸惑ったミロの手を、カミュは自分の胸に導いた。そして、カミュの手はミロの性器に辿り着く。
一つの言葉もない一連の動作。その末に、ミロは静かに再び自分の上半身をカミュの上に覆い被せるように傾げた。
カミュの頭部を、ぐるりと金色の光が覆っている。
「ドライでいきたいの?」
ミロの声が空から降るように、耳元で囁くように、カミュの耳に響いた。
カミュはうん、と呟いて空いている腕を天井に向かって伸ばし、ミロの頭を捕まえるとそのまま引き寄せてキスを贈った。
温かな深い口付けが外れた瞬間に、カミュの喉からまた甘い声が溢れ、ぞくり、とミロが体を振るわせたのをカミュは肌で感じ、手の中にあるミロ自身が力に溢れていることに深い満足を覚えた。
下半身の力を抜き、努めてミロの指の動きを締め付けないように息を深く吐きながら手の中のミロにも刺激を送る。
三本の指が狭い器官の中で不自由無く抽挿を繰り返せるようになり、円を描くように自分の体の中で動き始めた時、カミュの手の中のミロはもう全ての準備を終えようとしていた。
ミロは、カミュの胸に額を擦り付けて唸った。
「……カミュ、……酷いよ……手加減してよ……」
カミュはうっそりと微笑んでミロの後頭部に指を差し込んでやさしく撫で上げた。ミロの背中が目に見える程はっきりと震えた。
カミュの体の中にある指の動きが止まっている。
「早く欲しいって、何度も言った」
喉の奥で小さく笑いながらカミュは恋人の首、肩、肩甲骨を手で辿り、自分の胸の上に広がる金色の波を梳き上げた。
ぎゅっと硬く目を瞑って堪えていたミロは、目元に流れてきた汗を何度か瞬きして逃がすと、止まっていた手を一度ゆるりと抜いて、今度はなるだけ手を窄めて指を四本揃えると細心の注意を払いながら、それでもカミュの体を押し開くには十分の力で真っ直ぐにカミュの体に進入してきた。
カミュの喉がしなり胸が一つ大きく上下した。
ミロは鋭い眼差しをカミュの表情に向けた。
「本当に、もう、いい? 大丈夫?」
いつもの半分にも満たない前戯だ。ミロは慎重にカミュの体と心の気配を探った。
「──うん。早く……」
閨事にそぐわないあまりにも真剣な青い瞳に、落ちてかかるミロの髪を撫で付けて、カミュは微笑んだ。
いつもより性急な動きで陰門を宥めていた指の感覚が消えて、代わりにミロが性器をあてがったのを感じて、カミュはミロを受け入れるように両脚を開いた。
力を抜こうと吐く息に、声が混じる。熱く重い質量の侵入に思わず目を閉じたカミュの瞼に、宥めるようなミロのキスが降る。
時間をかけて押し入ってくる感覚に力を意識的に抜いたカミュの体が、反射で一瞬腰をずらしてその感覚から逃れようとした。その腰を、ミロは両手で寝台に押さえ付けた。
体重を徐々にかけながら体を繋げようとするミロの緊迫した動き。
一瞬毎に相手の体が自分の体の一部になるような錯覚に痺れるような快感を訴えるカミュの脳髄。
見えるはずの無い映像と、あまりにもゆっくりと進む時間、寝室に満ちた飽和する空気、どれにも耐え難くなったカミュの肺は空気を求めて口を開いた。
目を見開いて酸素を求めるようなカミュの表情に、ミロは眉を顰めて一度カミュの内部に掛かる動きを止め、すでに猛ってしまっているペニスをゆっくりと引き出すともう一度自身の性器にローションを塗る。そして、カミュの両膝裏を軽く持ち上げて腰の角度を調節すると、再度腰を押し入れた。
寝台のマットレスがギシッと軋んだ音を立て、カミュの喉から声にならない音が短く数度漏れた。
ぎっちりと最後まで密接した器官を腰と腕で固定させて、余計な動きがカミュの体の負担にならないようにしながら、ミロはカミュの目尻から滑り落ちて跡をつける涙を指で何度も拭った。
「ごめん……切れた? 痛い?」
ミロの言葉やその心配する声音はカミュの言語野にしっかりと届いていたが、感じている強い原始的な刺激を理性が司る言葉に変換する事のギャップに嵌り込んで胸が塞がるような苦痛を訴えた。必死で両腕と両足をミロの体に絡ませしっかりとミロを抱きしめる。
「辛くない……?」
「……大丈夫」
たった一言を言うのももどかしく、カミュはミロの唇に自分の唇を重ねた。
ミロもカミュが自分の体を抱きしめる力と同じだけの強さでカミュの体を抱きしめた。
互いに中断する事を許さないような激しい口付けを繰り返す。
ミロはまだ離すまいとするカミュの腕を首から外し、シーツの上に縫い付けた。
上体を反らして腰を動かそうとするとカミュの足が固くミロの腰周りに絡み付き思うように腰が動かせない事に気付いた。
「カミュ、力、抜いて……」
カミュの唇を何度か啄ばんで耳元に囁くと、カミュは胸から深く息を吐いて体を弛緩させた。が、数度ミロが腰を揺らすと直ぐにまたカミュの足はミロの体に強く巻きついた。
ミロは歯を食いしばって一度気を散らすと、押さえ付けていたカミュの両手から手を離し、巻き付いたカミュの足を優しく撫でて時間を取ると、力が緩んだ隙にその両足を自分の肩に抱き上げた。
そしてそのままカミュの下半身を畳み込む様にして体の下に敷き倒すと、カミュの耳元にしっかりと囁いた。
「苦しくなったら直ぐに教えて……ぶっ叩いても蹴ってもいいから……」
カミュの瞳に理解の色が浮かぶのを確認すると、ミロはカミュの肩を押さえつけてその体を固定してゆっくりと腰を揺らし、やがて深く熱く動き始めた。
容赦なく突き上げてくるミロの動きに、カミュは幾度となく悲鳴に似た嬌声を上げた。
本気で、体が裂ける、と予感し、その予感と一瞬瞼の裏に見えた己の残骸の映像に気の遠くなるような至福を感じた。
ミロが、殺しても構わないと思うほどに自分を求めてくれたら、どんなに幸せだろう。
人間の一番原始的な衝動には、間違いなく死の衝動が含まれている。
一秒を何十倍にも感じるような時間の中で、カミュは思った。
このまま、殺されても構わない。そしてその朽ちた躯の染みた大地から、ミロがなにがしかの実りを得てくれたなら、それで自分の命は昇華されるだろう。
引き裂いて欲しい、と叫んでしまいそうになる声を、最後に僅かに残った理性の欠片が押しとどめる。
そんな言葉、もしもミロに告げたなら、きっとミロはとても悲しむに違いない。
やがて、間断なく襲われるドライオーガズムに何も考えられなくなり、カミュはただ溺れかけた子供のようにミロの体にしがみつこうと手を伸ばした。
ミロの絶頂に合わせる余裕はなかった。まだミロが上り詰める坂の途中にあっても、カミュは体を魚のように跳ね上げて幾度となく達した。
あまりに強い快感に意識が遠のくと、ミロの牙が首筋に食い込んだ。噛み癖のあるミロは、流石に流血するまではやらないものの結構はっきりと歯形を残す程度にはカミュの肌に歯を立てる。カミュは殆ど強引に意識を引き戻され、またきつい快楽に溺れた。
キスマークと言うにはあまりに痛々しいその痕が片手の指の数に余るほどになった頃、ミロは漸くカミュを強すぎる快楽から開放し、二人は重なったまま長いキスを交わした。
それでもまだ満たされることなく、明け方まで体を繋いでは離れ、また繋ぎを繰り返し、体に疲れが重くたまるような状態になっても、眠る事を惜しんだ。
カミュの予想を裏切る形で、セックスにより強い執着を見せたのはミロの方だった。カミュが自分のものとは思えない体の重さと、意識が混濁して眠りの中に沈み込んでしまいそうになるのをようよう堪えているような現状でも、まだ名残惜しそうにカミュの体で手慰みをしている。
本当に、何処にこんなエネルギーを蓄えているんだろう?
漸く、常日頃の理性を取り戻したカミュは、唇に笑みを浮かべて汗ではりついたミロの髪を何度も撫で付けてやりながら思った。
快楽の中で見た、破壊の映像。
あれが、とても特別な関係の間の、最も特殊な時間にしか存在しない幻影だと、知っている。
そして、その瞬間にあのような幻夢を見る相手が、自分にとってどんな存在であるかも……。
切り取られた時間が過ぎれば、それはただそのように想い、想われる相手が側に居る事への幸福に変わり、新たな「生」への希望を生む。
心の底から、ミロの存在が愛おしかった。
この充足感をどう言葉に表せばいいのか。
何も言わなくても、分かってくれているのかも知れない。
でも、今日は、きちんと声に出そう、と決めたのだ。そうすれば、ミロが喜んでくれることは、ずっと昔から知っているのだから。
「ミロ」
滅多に閨で名前を呼ぶことがないカミュの呼びかけに、ミロは少し目を見開いて、手の動きを止めた。
「願いをきいてくれて有り難う。………愛しているよ。……これで、きっとまた暫く、一人で頑張れる」
ミロが小さく息を飲み、それから泣きそうな表情で笑った。
「……うん……わかってる。愛してる。俺もカミュを愛してる……」
カミュは、片腕でミロの頭を抱きしめると、その天頂にキスを落とした。
翌日、カミュが起きたのは午後を既に一時間ほども回った頃だった。
ミロは既に起きていて、何故か床に寝そべってSally Storeyの”Perfect Lighting”を興味深気にめくっていた。
Sally StoreyはJohn Cullen Lightingのディレクター。そしてJohn Cullen Lightingは、カミュがフリーになるまで勤めていた会社でもある。
「それ。彼女の照明、綺麗だろう?」
もと上司の仕事に興味を持ったらしいミロの様子に、カミュは体を起こしてベッドを下りかけ、その姿勢のまま硬直した。
……まずい……。
体内で、生暖かい液体が下るのを感じたからだ。
昨夜、カミュはコンドームをつけようとしたミロの手を止めた。それ自体はそう珍しいことでもないし、別に腹痛があるわけでもないが、問題は、予想外のその量と昨夜多少酷使した陰門の状態だった。
立って歩いたら、間違いなく、零れる。
その意味を考えてカミュは羞恥心に全身が火照る思いがしたが、それを無理矢理宥めて、冷静に次の対策を考えようとした。
下着を着けて、バスローブを羽織れば、多分カーペットを汚さず、ミロにそれと知られずにバスルームまで行けるだろう。
問題は、下着の入っている棚は部屋の一番奥にある、ということだった。
ベッドを挟んで棚の反対側に寝そべっているミロに、下着をとってくれと頼むのも、どうにも不自然だし……。
「……どうしたの? やっぱり、痛い?」
はっと我に返ると、起き上がってカーペットに座り込んだミロが、心配げにカミュを見上げていた。
その不安気な表情に、カミュは一瞬声をつまらせた。……ここは、矢張り、素直に言うしかないのだろうか?
「いや、痛いわけじゃなくて……零れる」
流石に何が、とまでは言えず、頼むから詳細は聞いてくれるな、と願いながら視線を外す。頬に熱を感じた。
ミロは、暫くわけのわからない表情をしていたが、不意に何かに合点したように口を開けると、そのまま何も言わず、少しはにかんで、昨夜カミュが脱ぎ落としたバスローブを拾いげてカミュの肩にかけた。そのままカミュの体を器用にバスローブで包み、砂袋を持ち上げる要領でカミュの腰の下に両腕を回した。
「ちょっと待て! 無茶だ! 落ちる!!」
「ちゃんとしがみついてないと、本当に落ちるよ」
「重いだろう!」
「え? 羊より軽いよ?」
「どんな羊だ!!」
「暴れる羊」
思わず、カミュは身をよじるのを止めた。暴れて落とされて、腰を打ったら目もあてられない。
そうしているうちに、ミロは寝室の扉とバスルームの扉を器用にカミュを抱えた手で開け、バスタブの中へカミュを下ろしてにっこり笑った。
「はい、到着」
「………ありがとう」
問題は解決したが、ミロに自分の不都合を悟られたのがどうにもいたたまれず、カミュはようようそれだけ押し出した。
ミロがにこにこと笑っている。
「……何か?」
何も言葉のない空間に耐えかねて、カミュがそう尋ねる。
「いや、カミュでも、そんなに赤くなることあるんだな、って……」
「……まあね。でもお前ほどじゃないだろ」
口で負ける気のさらさらないカミュは、そう切り返してミロのバスローブの袖を引っ張った。シャワーの栓を捻り、ミロと共に頭から温水を被る。
「うわっ……何するんだよ!」
「何って、シャワーだろ」
「もう浴びたよ!」
「すぐにまた浴びたくなるよ」
カミュはさっさとミロのバスローブの紐を解き、濡れたバスローブを滑り落として、ミロの腰にキスをした。
「ち、ちょっと!! カミュ??!!」
慌てふためいたミロの声に、カミュはほくそ笑んだ。顔を上げれば、予想通り、真っ赤になったミロの顔があった。
「ほら。お前の方がよっぽど赤い」
ミロはきりっと奥歯を噛んでカミュを睨みつけたが、カミュは構わず今は大人しくしているミロの陰茎を口に含んだ。
流石に、今日は立たないだろう。
それでも、そこそこに気持ちよくしてやれば良いか、と思っていたカミュは、順調に形を変えていくミロの性器に内心ぎょっとした。
一体、こいつには枯れるということはないのか?!
そういえばミロは、一度寝たら最後、いつまでたっても人の体から離れようとしない。
単にじゃれるのが好きなだけだと思っていたが、実は、全然足りていないのじゃないだろうか?
ミロは昨晩、文字通り明方まで休もうとしなかった。途中からもう数えるのを止めてしまったが、通算片手の指では足りないことは確かだ。
ミロの食いしばった唇の間からつめた息が漏れた。カミュは一度口を放し、自分の指に唾液を絡めてその指をミロの乳頭に伸ばし、再びすっかり立ち上がったミロのペニスを口に含んだ。
「カミュ、もういい! 出る……っ!」
ミロの悲鳴が上がり、カミュはミロの精液を掌に受けた。熱く重い液体が、指の間をすり抜けて落ちて行く。
荒い息をついていたミロがバスタブの中に膝を折り、カミュの頬にキスを送りながら下肢に手を伸ばした。カミュは、苦笑してその手を止めた。
「ごめん。……流石に、今日はもう立たないよ」
「えっ……何で?」
「いや、十年前ならともかく……昨日あれだけやってしまったら無理。……知らなかったけど、お前、本当に強いんだな。次からは、もう少し面倒みてやるから」
「えっ????? な、なんで???? 何が面倒みる????」
全くわけがわからない、という表情のミロの唇に優しくキスをひとつ落として、カミュは苦笑した。
「ミロ、ひとつ確認しておきたいんだが」
「何?」
「お前、一晩で何回達ける?」
「はい???!!!!」
カミュの口からは、きっと絶対一生聞くことなどないだろう、と思っていた台詞の羅列に、ミロの思考回路は完全に白紙化した。
一晩に何回って……ロスじゃあるまいし!
カミュは目を白黒させているミロの顔を真面目に見据えて、先を続けた。
「私は多分、ウェットなら三回が限度だ。それ以上は、いくらその気があってもどうにもならない。自分でもそんなに強い方じゃないとは知っているが、……まさか、お前がその倍以上の回数こなせるとは想像もしていなかった。いつも私が先に寝てしまうから、物足りなかったんだろう? だから、全部は付き合えないけど、そのかわりに口や手でなら達かせてやれる、と言っているんだが?」
決してからかいや揶揄で言っているのではない、と見えるカミュの口調に、ミロは思わず背筋を正した。
何と返答すればよいのだろうか?
一度開いた口をまた閉じ、考える。
物足りなかったのだろう、 と聞かれれば、そんな事はないと否定したいけれど、否定できない。
遊べるならもっと遊びたいけれど、カミュに辛い思いをさせるのは不本意で……
「物足りないとか、そんなのは…………。口や手でって、それじゃあカミュが気持ちよくないじゃないか。それで自分だけいい思いしたって、そんなの不公平だし、それだったら、その……自分で出来るし……」
「こういうのは、不公平とかいうものじゃないよ。一方が我慢すると、かならずそのうち破綻する。それに、相手を達かせるのも、それなりに楽しいものだけど?」
最後の一言と共に浮かんだカミュの悪戯っぽい笑みに、ミロの頬が緩んだ。
「別に我慢なんてしてないよ……? ただ、こういうのは自分の勢いを相手に押し付けるようなものでもないだろう? ……だから、その……上手く言えないけれど、カミュが無理して俺に合わせる事でもないし……カミュの方で余裕がある時にたくさん出来ればそれが一番いいんじゃないかな……」
「だから、手を使わせてくれれば無理しないで済むんだが? それから、むやみにこちらのに触るな。とにかく出さなければ持つんだから」
「え……だから、……なんか、命令されて決めるような事じゃないと思うんだけど…………」
ピシリと、まるで犬か猫をしつけるような有無を言わせない態度で物申すカミュに、ミロは目を泳がせた。
狭いバスタブの中で、男二人が裸になってするような話じゃないと思うのは自分の気のせいか?
いや、結構ロマンチストと男っぽさの両極端を持ち合わせるカミュならこれもありなのか?
別に耐久レースとかに挑むわけじゃないんだから、「出さなければもつんだから」とか言って我慢するような事でもないし、最近はカミュの方が先に先に進みたがる傾向があるのだから、そのカミュを「もたせ」ようとしたら辛いのはカミュの方じゃないだろうか?
ぐるぐるとまた思考の輪を巡っているミロに、カミュは小さく息を吐き、ミロの頬を両手で包んで自分の方に向かせ、にっこりと笑ってみせた。
「じゃあ訂正。触るな、じゃなくて、触らないでくれ。これでいいか?」
「……あ、あの……カミュ、なんか、怒ってる??」
「お前がいつまでも埒もないことを言うからだ。……まさかと思うが、まさかお前、一人の時は完全に溜め込んでるとか?」
どうにも、追求の手が緩まないカミュの様子に、ミロは天を仰いでカミュから目を逸らした。
「……そんな事、出来るわけないでしょ……」
「月にどのくらい?」
「……二、三回」
「……にしては……」
「なあ……カミュ、この話もう止めようよ……」
「……案外、あのビデオカメラ、そのままにしといた方がよかったのかもな……」
「……は?」
「いや、こっちの話」
ビデオカメラの映像でも見て、イタリアでもう少しまめに処理してくれていれば、もう少し格差が縮まるのかもしれない。そう考えて、カミュはすっかり年長の困った先輩に汚染されつつある自分の思考回路に愕然とした。
冗談じゃない。自分もミロも、そんな変態趣味に染まってたまるか!
しかし一週間後、カミュはこのときの自分の悪態を後悔することになるのである。