午前三時半。
ゆっくりと横に揺らされるような感覚で目が覚めた。
地震だ。
イタリアは結構地震が多い。
日本に比べたら、規模の大きい地震は少ないのだけれど、けっこうな頻度である。
でも、ローマに地震は滅多にこない。
一揺れごとに大きくなるような感じに、楽器を手元に引き寄せた。
これが、縦揺れになったら危険だ。
以前日本に居たときに、京都の地質学の研究をしているという学生と話をした事が頭の中に甦る。
向かいのアパートにパチパチと電気が灯り始めた。
揺れは、ゆっくりと収まった。
服を着て、アパートのドアが開くか確認する。
それぞれの住人も様子を探りに道に出てきている。
事務所の上の大家さんの家に行って、何か落ちてきたりしたものはないか聞いてみる。
何もないとの事。
道端で、ローマで地震なんて珍しい、と話していると、iphoneを弄っていた男性が、震源地は100kmほどローマから北東に離れた場所との事。
それ以上の詳しい情報が分からないものの、震源地が離れていた事から、自宅に戻ってもいいだろうと結論付けて銘々が家に戻った。
そして、朝。
ラジオを付けると、アブルッツォ州ラクイラで死者が出たと報道されている。
背中がぞわっと震えた。
ラクイラは古い建物が多い。中世の町並みが良く残っている場所で、観光客も訪れる。
朝の7時前で犠牲者が六人。
地震があったのが早朝三時半。
これ以上増えないでいてくれれば……。
祈るような気持ちで大学に行くと、教授陣も生徒も浮き足立っている。
ラジオが講師室では付けっぱなしだったし、生徒もひっきりなしに携帯を確認している。
犠牲者の数は、陽が上るのと同時に、どんどんと増えだした。
昼に、カミュから電話があった。
「Hello、生きてるか?」
笑ってしまった。
生きてなかったら電話は取れないし、本当に生きてるかどうか心配だったら、こんな時間に電話なんてしてこないよな、と。
カミュも、「朝の速報を見た時点でローマに被害は出ていないと分かっていたし」と至極冷静。
そんなカミュの声を聞いたら、少しだけ、自分の頭も冷えた。
山間の地域で救援隊が到達のするに時間が掛かっている事。
今この瞬間に、救助の道具も機材も届かない故に素手であの石の塊を必死で取り除けている人が居る事。
不安と絶望に引き摺り落とされているいる人がいる事。
行けるものなら、自分も直ぐにでも車を出して、瓦礫を取り除く彼らの中に入りたいと思う。
そう思う人間が、勝手にラクイラへの道に殺到したらどうなるか分かってる。
だから、自分は、ここに居て思う事しか出来ない。
そのどうしようも無さが辛いけれど、
カミュの声を聞いたら、少しだけ落ち着けた。
イタリアには古い町並みを守りたい、愛する気持ちがとても強い。
美しくない街には住みたくないと、過去からのもの全てを生活と一緒にストックしていく傾向が強い。
最先端のモダンとクラシックが一つの国の中で、二つの極のように混在している。
外観と内装を残しつつ、建物の補強をする。
そういう手間と時間と金のかかる補強をしてもらえる建物は、ごくごく僅かで、100年くらい前の建物なんてまだまだ赤ん坊扱いのイタリア。
未だにローマ水道を使っている事は誇りにすべきことだけれど、全ての古い建造物がローマ水道並みに高い技術と理論によって建っているかといったらそうじゃない。
古いものは壊したら元には戻らない。
それを良く分かっているイタリア人は、同時にとっても呑気でもある。
何がしかの動きが、建築業界にも起こればいいのだけれど……。
(一応、国をあげて耐震の研究はずっとしてるんだけれど……いまいち不評なんだよなぁ……)
まあ、お前はローマだから大丈夫だろうと思ってはいたが、お前の親戚や友人があの近くにいる可能性は考えていたよ。
それで、朝方に電話するのは控えたのだけどね。
イギリスでも昨年2月、25年ぶりにマグニチュード5を超える地震があったし、最近大きな地震の頻度が高くなっている気がする。
今迄大丈夫だったんだから、という考え方はもう通用しないと考えた方がいいと思うんだが、なにしろあの国民性だからなあ。
しかも、倒壊した建物の中には、必ずしも古い建築ではないものもかなりあるようだし、やはりもう少し建築家が真剣に耐震を考えないとダメなんじゃないか?
(2002年の地震で小学校が倒壊したときも、壊れたのは改築部分だったし)
見た目を重視した設計図ばかりじゃなくてね。
古いものを愛する気持ちは結構だけれど、あんなに木っ端微塵に壊れてしまってはどうにもならない。外見にばかりこだわる素人をきちんと説得するのも、建築士の役目だと思うよ。