みなさま、おひさしぶりです。
……なんで今頃、この門外不出の「山ナシオチなし意味ナシ」を公開する気になったかというと、とあるお方とイベント会場でこれを差し上げる、という約束をしていたのをすかーっっと忘れていたからです(汗)。
その方にだけ送ればよい話ではあるのですが、もし万が一、また同じようなリクエストを頂いて、その度に身悶えするような恥ずかしさに苛まれるくらいなら、いっそアップロードして忘れてしまえ、というわけでして(爆)
流石にあまりにはずかしくて、InDesignで編集するなんぞというのはやりたくないので、思い切ってそのままエントリー直張りにします(笑)
こんな、20年前に流行したお耽美モドキなど二度とやらないと断言出来ますから、逆にもう諦めがつきました(涙)このエントリーに関してはノーコメントでお願いします!
ちなみに、これの前の話はこちらからどうぞ。
もう、限界だと思った。
これ以上、欺き続けることなんて出来ない。すべてを忘れて頭を冷やそうと思った一か月間、頭に浮かぶのはカミュのことばかりで────
「ミロ!元気だったか?」
「う・・うん。カミュは?」
「流石に少し寒かったけど、風邪はひかなかったよ。発表の準備はもう済んだ?私はまだ少し残ってるんだが・・・・」
「俺も・・・終わってない。今晩中に終われば、また会いに行くよ。・・終わりそうにないけど。」
十一月の爽やかな風が、二人の髪をなでていく。初めて出会った時から変わらない、カミュの声、カミュの微笑み。
「そうか・・・無理をしないで・・・・」
「うん・・・・」
ミロは瞳を閉じた。自分だって、変わらずにいたかった。あの夢のようなひとときが、永遠に続けばいいと思っていた。なのに、どうしてこんなにも離れてしまったのだろう。誰よりも近くにいたかった筈なのに、今はどんどん遠ざかっていこうとしている。
カミュが好きでたまらなくなった、その想い故に。
「・・・ミロ?具合が悪いのか?顔色が青い」
「いや、何でもないよ。ちょっとレポート続きで寝てないから・・・」
カミュの冷たい手が、ミロの頬に伸びる。ミロはぎくりとして目を見開いた。
「ミロ?何してるんだ?行くぞ?」
ブックバンドを抱えたシュラが、遠くから肩越しにミロを振り返る。
「すみません!今行きます!・・・じゃ、カミュ、俺行くから!」
弾かれたように身を翻し、ミロは駆け出した。カミュが何かを叫んだようだが、後ろは怖くて振り向けなかった。
「・・・ミロ・・・・?」
小さな呟きが、カミュの口から零れる。
一番残酷な方法で、カミュを傷つけないように─────
再び、『裏切り者』の烙印を押されないように。
俯いて仲間の方へと走りながら、溜め息が我知らず口をつく。
「カミュ?らしくないね・・・何をぼんやりしている?」
あっけなさすぎた再会を優しく慰めるように、落ち着いた深みのある声がカミュの頭上から降ってきた。
「いえ、何でも・・・・」
はっと我に返り、もう一度、ミロの去った方を見つめる。その表情が我知らず寂しげな色を浮かべていたことに、カミュは気付かない。
「何でもありません・・・・・」
カミュは後ろを振り返った。一か月の研究旅行の指導者であり、責任者でもあった副総監。貴族的な輝きを宿した銀の髪が、カミュを手招きする優雅な仕草に合わせて揺れていた。
「よし、これでいいだろう。明日は緊張せずに気楽にやるといい」
シュラはトン、とレポートの束を立てて揃えると、心配そうな面持ちで覗き込んでいたアイオリアを見上げた。これで四人目。残るはただ一人・・・一番残りそうになかった少年のみだ。
「はい!ありがとうございます!」
アイオリアは嬉々として頭を下げた。もういい加減、単調な書き物作業には疲れていたのだ。
「ミロ!終わったぞ!」
嬉しいついでに、机の端でペンを動かしているミロの頭を小突く。
「何だって それじゃまだ出来てないの俺だけかよ?」
「そういうこと。さっさと仕上げて遊びに行っちまえよ。折角アテネの町に一か月ぶりに面子がそろうってのにさ。お前、まだカミュのホテルにも行ってないんだろ?」
「ちぇっ、そんな暇あるかよ!この山のようなレポートやっつけちまわないうちは寝られるかどうかだってわかんないってのに!」
「凝りすぎなんだよ、お前は。俺は行くぜ?マリンが待ってる」
アイオリアは、いたずらっぽく笑った。明日の発表のために、ヨーロッパ各地に散った研究班がこのアテネに集まって来る。日頃は会えない女子部の生徒も例外ではなかったため、誰も彼もさっさと準備を終えて町へ繰り出していた。
「なんだよそれ!女子部の子か お前いつの間に───!」
思わずミロが腰を上げて、アイオリアに詰め寄る。
「お前にはカミュがいるだろ。妬くなって」
「馬鹿!カミュに聞かれたら殺されるぞ!」
「はいはい。冗談だよ。そう怒るなって」
途端に真っ赤になったミロを眺めてくすくすと笑いつつ、アイオリアはノートを片づけた。別にカミュを女の代わりとしてみる気はないが、ミロと二人で談笑しながら歩いている様はどう見たってお似合いとしか言いようがない。
──カミュも意地張ってないで、さっさとミロとくっついちまえばいいのにな。ミロは普通の奴等とは違うって、もう解ってるんだろうに───
アイオリアはミロが好きだった。快活で、頭が良くて、どことなく人を惹きつけるものをもっているのだ。おまけに持ち上がり組の嫌がらせにもちぢこまらず、堂々と渡り合っている。彼のお陰で、『新入り』の言葉が死語になりつつあるくらいだ。
そのミロが、この秋合宿へ来てからというものどうも元気がない。多分カミュと離れているせいだろうと、アイオリアは思っていた。生気のないミロの姿は、見たくない。
──少し、はっぱかけてやるか。───
すっかり帰り支度を整えると、未来の体育教師はちょっと真面目な顔になって言った。
「だけど挨拶ぐらい行って来いよ。今だから言うけど、あいつお前が第一希望落ちたって知ってすごく残念だったみたいだぜ?自分も第二希望に落としてくれって総監にかけ合ったみたいだから」
「・・・カミュが?」
「ああ。出発の日もお前はどんどん先に行っちまったから知らないかも知れないけど、あいつずっとお前の方見てたし。悲しがってるんじゃないのか?」
思い掛けないアイオリアの言葉に、ミロは思わず目を伏せた。本当は二人で約束していたのだ。一緒にストックホルムへ行こうと。だが、ミロにはもう耐えられなかった。日に日にカミュに惹かれていく自分を、もう抑え切れない。
──・・・カミュを傷つけたくない。それくらいなら・・・・──
だからミロは、サガに頼んだのだった。秋合宿の行き先を、第二希望へ落としてくれと。
「それじゃミロ、頑張れよ」
「あ・・ああ。有り難う」
部屋を出て行くアイオリアをぼんやりとした頭で見送り、そのまま頬杖をつく。ふと、この一か月のことが頭に浮かんだ。
一か月。それは本当は、冷却期間になる筈だったのだ。
一月前、ミロは少し感傷的になり過ぎていた頭を冷やそうと決心して、ベルンを発った。ゆっくり気を落ち着けて、一切を忘れて──もう一度初めて出会った時のように無邪気な心に戻れたら。そう、祈るような気持ちで願っていたのだ。
だが、希いは叶わなかった。頭を冷やそうにも、気がつけばカミュのことを想っている。フィレンツェの女性たちが身につける深紅のドレスを目にする度、それよりももっと深い赤の髪を思い起こす。声を聞きたくて、その身体に触れたくて、会えない息苦しさに眠れない夜が幾度あったことか・・・
──これじゃ、カミュを悲しませただけだ。──
もはや、認めない訳にはいくまい。離れていた一か月のうちに、ミロは更に深い恋の病に取りつかれてしまっていたのだ。
「随分切ない瞳をして文を練るんだな。落ち着かないなら一杯やるか?」
はっと気がつくと、シュラがにやにやと笑いながらミロの顔を覗き込んでいた。
「・・・何なんです。いきなり。別に何でもないですよ」
「いや、正直言って驚いてるのさ。お前が出来るのは知っていたが、まさかここまで完璧なレポートが書けるとはね。しかも上の空で。」
喉の奥で、笑いが押え込まれている。
「ほっといて下さい。本当に何でもないんですから」
ぷっと頬をふくらませて、ミロは言った。・・・シュラは練習中のミロの態度を知っているから、尚更にたちが悪い。
「そうか?さっきの表情なんて、思わず抱き締めたくなる程だったぞ?」
「先輩!そういう趣味の持ち主だったんですか 」
「そうだと言ったらどうする?」
ミロは思いきりシュラを睨み付けた。いつぞやのジークフリートといい、どうしてここの第11学年は後輩をからかうのが好きなのだろう。
「俺なんか食っても不味いですよ。今は頭ん中数式だらけだし」
「どうかな。触るのも憚られる程綺麗な赤毛の美人が詰まってるかも知れない」
「だから!それは言わない約束だったでしょう!」
「ああ。だが敢えて言わせてもらう。」
急に、シュラの表情から笑いが消えた。ミロは、思わず唾をのみ込んだ。
「ミロ。正直に話して欲しい。お前、カミュが好きなんだろう?・・・友人としてではなく。」
シュラのダーク・グリーンの瞳が、まっすぐにミロを見つめる。ミロは仕方なくこくりと頷いた。今更、しらを切ってもしょうがない。
「それで?この一か月で熱は冷めたのか?」
「・・・いいえ・・・。何だか余計にひどくなったみたいだ」
「それが恋ってもんだ」
シュラは小さく溜め息をついた。これがミロの初恋なのだろう。全く、そんなことも判らないとは。
「・・・それなら、カミュがたとえ嫌だと言おうが罪だと言おうが、好きになってしまったものは仕方がない。違うか?」
「それは・・・・・」
ミロの返答が曇る。
「・・・らしくない真似をしたな、ミロ。こんな折角の好機に逃げ出すなんて・・・どうしてカミュに黙って希望地を変えたりした?サガに聞いた時は、正直言って腹が立ったぞ。俺が目をかけたお前が、こんなに不甲斐ない奴だったのかってな」
「でもどうしようもなかったんだ!・・・俺は責任の持てないことはしたくない!」
「だからって逃げてどうする!」
シュラの追求は容赦なかった。そしてそれは事実であるが故に、ミロを落ち込ませた。実際、一か月離れてみたところで何一つ解決しなかったのだ。カミュを悲しませただけで──
「俺なら突っ込んでいくね。それで絶対に手に入れる。相手が泣こうが喚こうが、知るもんか。あんな甘ったれた御曹司が相手なら、尚更な!」
「カミュのことをそんな風に言うな!」
がたんと、机が音を立てて倒れた。握り締めた拳が震える。たとえ二つ上の先輩と言えども、カミュを侮辱する者は許せなかった。
「カミュは甘ったれてなんかいない!育った土壌が違うんだ・・・カミュが同性の愛情を受け入れられないのは、彼のせいじゃない!」
「それが甘いって言ってるんだ!」
持っていたペンを机に叩き付けて、シュラが言い放つ。
シュラは真剣に怒っていた。彼は、決してカミュが嫌いではない。だがミロがここまで苦しんでいるのを見ると、そのミロの好意に甘えているカミュが許せなくなってしまうのだ。
まさしく、竹を割ったような性格なのだった。
「・・・だったらお前の存在に頼るべきじゃないだろう。そこまであいつを想っているお前に!あいつは父親のいた時はその庇護の下でのうのうと暮らし、ここへ来てからはミロ、お前の存在に甘えている。お前が何を思おうと、あいつは気付こうともしない。・・・だからお前も遠慮なんかすることなんかないんだ。思うままにぶつかってやればいい。ぶつかられて、よろけてぶっ倒れて、泥まみれにならなきゃ解らない御曹司なんだからな、あいつは!」
「違う!」
ミロの左手が宙を切った。シュラの頬に触れる直前で、力を込めた腕がその手首を掴み閉める。
「何が違うんだ ふん・・・お前も甘いな。笑顔だけで、どれだけのものが伝わると思ってるのか?」
「な・・・・」
「守りたいなんて嘘だ。本当はカミュに嫌われるのが怖いんだろう?」
「そうじゃない!・・あんたは何一つカミュのことを解っちゃいない!」
ミロは叫んだ。まるで小さな子供が言い訳を大声でまくしたてるように。
「俺が何かしたらカミュは自分を責める・・・・そういう奴なんだ!」
「だから何も伝わってないって言ってる!」
ぎりっと、ミロの手首を握る手に力を込める。手首から全身を伝った痛みに、ミロは思わず歯を食い縛った。
「いいか、ミロ。優しさだけじゃその壁は破れないんだよ。あいつが自分を責められなくなる程のものを伝えるには、笑顔だけじゃ駄目なんだ」
「う・・嘘だ!」
「嘘じゃない。たまには牙をむいて噛み付き合うことも必要なんだ。そういうところもひっくるめて、初めて人を愛せる」
「でも・・・・!」
「まだ解らないのか 」
くっとシュラの眉がつり上がる。ある感情が、シュラの胸をじりじりと焦がす。
それなら俺が教えてやる。もう片方の手も無理矢理掴み閉めて、シュラは低く言い放った。
「・・・だったら自分で確かめてみるがいい。お前の信じる奇麗な笑顔だけで一体どれだけのものが伝わるか・・・その身体でよく確かめてみるんだな!」
掴まれた手首が軋む。息つく間もなく、ミロは唇を塞がれた。
カミュはペンを置いて外を流し見た。もう十時を軽く回っていると言うのに、温かな風が窓から滑り込んで来る。机に落ちかかる髪を後ろで束ね
て、カミュはふと苦笑した。ギリシャの気候が暑いと言うよりは、一か月ストックホルムにいた自分の身体が寒さに慣れてしまったのだろう。
──ミロは・・・どうしただろうか──
昼間の様子を思い出し、秀麗な顔が曇る。どう考えても、あのミロの様子はおかしかった。以前のように、まっすぐにカミュを見ることがなくなった。この一か月間のせいで?いや、正確にはその前からだ。
──何か、気に障るようなことをしたのだろうか?──
カミュはいくどとなく繰り返した自問を、もう一度発してみた。だが思い当たる節はない。聞いてみたくとも、今ここにミロはいない。
あるいは・・・・
──いや、そんな筈はない。そんなことは、あってはならない──
ふと浮かんだ仮定を、カミュは取り消した。ミロは誓ってくれたのだ。
自分は決してカミュを傷つけたりしないと。それを疑うのは、ミロに対する侮辱だ。
矢張り訪ねていってみようとカミュは思った。まだ発表の準備が終わっていないなら、手伝えば良いのだ。
カミュはレポートの束を手に取ると、部屋の明かりを消した。サガの検閲を受けたその足で、ミロのホテルを訪ねるつもりだった。
「失礼します。発表の準備が済んだので・・・・」
「ああ、カミュか。入りたまえ」
サガは読みかけの本をぱたんと閉じると戸口に向かって声をかけた。外出自宅を整えたカミュが入って来る。
「遅くなりましてすみません。これで全部です」
カミュは少し首を傾げてサガを見た。というのは、社交的な性格で知られるこの副総監が既に部屋着に着替えて就寝支度を整えていたからだった。
「そうか。ではそこに腰かけて待っていてくれ。すぐに目を通すから」
目の前の椅子を示してからレポートの束を受け取り、紙面を見つめる。丁寧な字で書かれたラテン語の標題が、目次と共に並んでいた。必修科目にラテン語が組まれているとは言え、このように自在に使える程の語学力を持った者は他にない。サガはほうっとため息をついてカミュの出立ちを眺め直し、何気なく訊いた。
「出かけるようだね?」
「はい。先輩はどこへも行かれないのですか?」
「何があるか解らないからね。誰かが残っていなければ」
カミュは自分の質問を恥じた。サガはこの班の責任者なのだ。勝手な行動など取れる筈がない。
サガはそんなカミュの様子には気付かなかったようだった。レポートのページをめくり、落ちてきた髪に指を絡ませる。それは、ものを読む時のサガの癖だった。
「良く調べたね。まったく、君たちには驚かされる」
感慨深げに、サガは複数二人称を使った。
「第9学年にしておくのは惜しいな。飛び級をする気はないのか?」
「はい・・・今のところは。そんなに急ぐ理由もありませんので・・・」
「ミロといられる時間が減るのは困るか」
サガはくすりと笑った。夢のように美しい一対。自分と同学年に引き上げて四六時中眺めていたい気もするが、その結果あと二年で二人が別れてしまうのは勿体ないようにも思う。
「そんな・・・別にそういう訳では・・・。全くその考えがないと言えば嘘になりますが」
「蔑ろにすることはない。大事なことだ」
カミュの否定には取り合わず、サガは後を続けた。
「良い好敵手は、お互いを高め合う。だが、一度歯車が咬み合わなくなると、どちらかが片方の犠牲になって潰れてしまう・・・・解るか?私の言いたいことが。」
総大理石の部屋に、意味あり気な言葉が響く。カミュは僅かに眉をひそめた。昼間の一事を指していることは明らかだった。
「・・・分かります。貴方は気付いていらっしゃったんですね?ミロの異変に。」
「異変、ではないね。ミロは君よりも早く真実に気付いただけだ」
エメラルド・グリーンの瞳がまっすぐにカミュを射ぬいた。
「いや、本当は君も気付いているのかも知れない。気付いていて、無意識のうちにそれを否定しているのかも知れない・・・身体に染み込んだ戒律のために。」
「・・・どういうことです?」
カミュもまっすぐにサガを見返す。サガが何を言わんとしているのか。朧げながらに悟ったのだ。
「・・・その枢機卿の紅。まるで、世俗の手で触れるなと言っているようだな。側にいる者は、さぞかし辛い思いをすることだろう。禁忌の想いに悩まされて。」
「・・・何が仰りたいんです?この紅は私の望んだことではない。それが業だと思えばこそ、この色のために引き起こされる運命は甘んじて受け入れるつもりです。ですが、だからといって大罪の片棒を担ぐ訳にはいきません」
「罪・・・ね」
サガは小さく息をついた。
「・・・私はカトリックの生まれだが、早くにプロテスタントの家に養子に出されたのでカトリックの教えは知らない。カミュ、君に聞こう。愛もなく、お互いの財産と名声を求めて結婚した夫婦と、心血を捧げ合う程に愛し合っている同性愛者とでは、どちらがより罪深いのだ?」
「それは・・・・」
カミュはぎゅっと手のひらを握り締めた。サガが自分に何を言わせたいかは、解っている。
「私の決めることではありません。その人と神との対話によって決まる。でも、どちらにしても罪です。」
「忌むべきものだというのか。」
「はい。」
「では、禁忌の思いに血を流し続け、瀕死の状態にある者を見捨てた者の罪は?」
たたみかけるように、サガは訊いた。
「その禁忌を最後まで侵させなかったことを神は称えられる。罪を侵す位なら命を絶てと神は言う。君はそれを支持するのか?」
「サガ先輩・・・・」
「答えたまえ、カミュ。君は今まで、現実から目を逸らし続けてきた。私がカトリックの教義の話をしている訳ではないことくらいは解るな?」
現実。その言葉は、カミュに大きな衝撃をもたらした。・・・そう。確かに、自分は現実から目を逸らしてきた。ミロが変わったのは・・・
「解らないならもっとはっきり言ってあげよう。君は、自分を想うくらいならミロに死ねというのだな?」
「違う!」
思わず、カミュは叫んでいた。そんな言葉を聞かされるのは、耐えられなかったのだ。
「何が違う。君には汚れた想いが許せないのだろう?ならば、ミロを楽にしてやればいい。君の手で、ミロの息の根を止めてやればいい。そうすればミロは罪を犯さずに死ねる。このまま触れることも出来ない君を思うくらいなら、彼にとってはその方がどれだけ楽か!」
サガはレポートを机の上に放り出して立ち上がると、つかつかとカミュの前まで歩み寄った。細い手を取り、テーブルの上に置かれていた薬包を握らせる。
「さあ、すぐにミロの元へ行きたまえ!ニトログリセリンだ。一瞬で死ねる。彼が罪を犯す前に!」
「サガ先輩──!」
途端に、パシッという乾いた音が部屋に響いた。カミュが勢いよく立ち上がり、薬を投げ捨てた手でサガの頬を打ったのだ。
「貴方は・・・どうしてミロを罪人にしたがるのです 彼は私に誓ってくれた!決して私を傷つけたりしないと・・・彼はそれを守ってくれている。何故、ミロが私を想っていると決めつけるのです!」
「決めつける・・・?私は知っている。ミロの想いも、涙も。あの子は君を傷つけない為に、苦しみを押し隠して必死で友人の振りをしてきた。君はあれほど近くに居ながら、その片鱗にさえ気付かなかったのか?あの笑顔の中に、狂おしい想いのひとつも読み取れなかったのか 」
サガは自分の頬を打ったカミュの右手をぐいと引き上げた。これ以上の問答は、無駄だ。有無を言わさず細い身体を引き寄せ、そのまま奥の部屋へと引きずって行く。
「サガ先輩!何を──!」
「高慢だ!カミュ!」
抗うカミュの身体をベッドに叩き付ける。そのまま手首を押さえつけて、サガは真上からカミュの瞳を覗き込んだ。
「・・・人の心も解らない者が、神の教えを口にするなど不遜も甚だしい!自分を庇うのはやめたまえ。君はミロの気持ちにほんの僅かでも気付いていた筈だ。だが、それを打ち消してきた。自分に都合のいいように」
サガの言葉が全身に突き刺さって来る。カミュはサガの瞳を正視し切れず視線を逸らした。それは、紛れもない事実だったからだ。
「どうだ?事実を認めるか?」
「・・・・はい・・・・」
悲痛な呟きが返って来る。
「・・・では、もう逃げることはするな。ここで答えを出したまえ」
サガは、枕元に置いてあった短剣の鞘を抜き、カミュの手に握らせた。
「先輩・・・?何を・・・・」
「選ぶのだ。神の道をとるか、人の情を取るか。罪など・・・一度まみれてしまえば後は同じだ。自分から飛び込む勇気がないのなら、私が引きずり込んでやる。罪を犯すぐらいなら死んだ方がいいのかどうか・・・神の教えを守るつもりなら、私を殺して私の名誉と自分の身を守るがいい!」
胸元のリボンに手をかけ、一気に解く。
「やめ・・っ・・・はなして──!」
サガの腕に抱き込まれたカミュが声を上げる。サガは低く呟いた。
「・・・これは、君の罪だ。自分の罪は、自分で償え──」
「はっ・・・放せ!」
同じころ、シュラの部屋ではミロが必死の抵抗を試みていた。
「論旨が無茶苦茶だろう!あんたは俺に惚れてる訳じゃない!」
「どうかな!」
石の床に押し倒し、胸元から手を差し込んでシャツを引き裂く。爪が掠って、ミロの白い肌に傷をつける。
「つっ・・・!」
ミロはシュラの身体を引き剥そうと肩に爪を立てた。冷たい石の感触が背中に伝わって、凍りつくような戦慄を呼び起こした。
「見てらんないんだよ!お前があんな目をして堪えてるのは!」
一直線に引かれた血の跡を唇でなぞり、そのまま首筋まで滑らせる。
暫くその滑らかな感触を楽しんでから、シュラはそこに思いきり歯を立てた。
「あ・・つ・・・!」
ずきっという痛みの後に、全身を震わせる何かが残る。
「どうした?いつもあんなに元気なお前が・・・この位で弱音を吐いてどうする?」
「嫌だ・・・っ!」
ミロはシュラの腕の中から逃れようと、激しく身をよじった。シュラの腕は緩まない。ミロに抵抗の意志が残っているのを見るなり、シュラは思いきり腰を抱き寄せて深く口付けた。開いた唇から舌を滑り込ませる。ぬめった舌が絡みつく感触と腰に纏わり付く手の熱さとが、ミロにぞくりという震えを呼び起こした。
こんな感覚に、覚えはない。ミロは思わず瞳を閉じ、唇を咬んだ。
「意外と感じやすい身体なんだな」
「な・・・・!」
屈辱的な言葉を吐かれて、ミロの頬がかっと紅に染まる。
次の瞬間、シュラの右頬が激しく鳴った。目の前で、怖い程にきつい輝きを宿す青い瞳がシュラを睨み付けている。乱れた黄金の髪が頬に張り付き、白い肌は怒りに上気してほんのり赤く染まっていた。
シュラは胸の鼓動が高鳴るのを感じた。これこそが、彼の見たかった色だ。
「そう来なくっちゃ面白くない」
いきなり、ミロの中心を握り締める。ミロはびくっと身体を震わせ、喉をいっぱいにのけ反らせて喘ぎを呑み込んだ。
「叫べよ。楽になるぞ」
「い・・やだ!」
半ば力の抜けかかった腕で、シュラの身体を押しのけようともがく。必死の攻防に、二人は絡み合ったまま左右の床を転げ回った。長い巻き毛が互いの腕に絡み合い、純白の床に散る黄金は金羊の絨毯のように輝く。
その一束がつっ張って痛さにひるんだ瞬間、ミロの両腕はシュラの手に封じられた。
「お遊びは終わりだ、ミロ。」
宣告を告げる深い緑の瞳に、ミロの身体が硬直する。
シュラはミロの片足を抱え上げ、何の慰めも与えずに己を突き立てた。
「サガ先輩・・・やめてください・・・っ・・!」
カミュは震える左腕でサガの肩を押し退けた。右手には短剣が握られている。過って傷つけることを恐れて、右手は使わなかったのだ。
「君が選ばないうちは終わらない。覚悟を決めるんだな」
その抗いをいとも簡単に片手で封じ、サガが平然と言い捨てる。すんなりとした指先は巧みに肌を這い回り、尖った指先がカミュの胸の突起を押し潰した。
「・・・・っ!」
カミュの息をのむ音が、微かに聞こえる。
「早く決めた方がいい。でないと苦しむぞ」
「サガ先輩・・・!」
意味あり気な言葉を吐き、サガは淡紅に色づいた突起に舌を搦めた。そのまま残る右手をゆっくりと下に下ろし、やんわりと敏感な部分に巻きつける。
「いや・・だ・・・!」
カミュの震えが伝わって来る。今はまだ、恐怖の震えだ。
サガはゆっくりと手の中のものを扱いた。我を忘れる程早くなく、冷めてしまう程遅くもなく。からかわれているもどかしさに、カミュの身体が熱を帯びる。
「あ・・・っ!」
抗っていた腕の力が急に抜けた。赤い瞳が戸惑いの色を浮かべたまま、苦しげに細められる。
「あ・・・やめ・・・っ!」
叫びそうになる口を抑え、背中を弓なりに反らす。ぐったりとベッドに身体を預けて荒い息をついているカミュを見届けると、サガは今放ったばかりのものに舌を這わせた。
カミュがびくっとして目を見開く。
「な・・・何を・・・・!」
「だから早く決めろといっている。君が決断を下すまでは私は手を出さない。私を罪から救ってくれるつもりなら今のうちだ、カミュ」
「そんな・・・・!」
有無を言わさず、サガはカミュを口に含んだ。舌で擦るようにして刺激を加える。
「あ・・あ・・・っ・・・」
速くなる息に混じって、細い喘ぎがカミュの喉をついた。
シュラの熱い塊が、一気にミロの中へと押し入って来る。
「あ・・・あうっ!」
噛み殺し切れない苦痛の喘ぎが、ミロの喉を裂く。
「俺を見ろ!」
「あ・・・くっ・・・・!」
内蔵が押し出されるかのような痛みに耐えるミロには、シュラの言葉を受け止めるゆとりはなかった。固く瞳を閉じたまま、首を左右に振って楔から逃れようとする。
「ミロ、俺が憎いか?憎ければ撥ね除けろ。本気になれば出来る筈だ」
ミロはうっすらと目を開けた。シュラの言葉が少しずつ頭にしみ込んで来た。
──憎・・い・・・?──
自分を嫌応なしに苦しめている存在。
シュラはミロの中に己を埋め込んだまま、震える肌に唇を這わせた。胸の突起についばむようなキスを繰り返す。それから血を流している首筋に舌を這わせ、傷を癒すかのように優しく嘗めた。
「つっ・・・・!」
ミロの中で、塊が動く。抜き差しされる度に、息が詰まる。
──違・・う・・・熱い・・・──
何故そう思ったのかは、解らなかった。言葉にはならない『何か』が伝わって来るのだ。
「ミロ、力を抜け。そうやって息詰めてると、余計痛いぞ」
悪びれもなくいってのけるシュラに、ミロは思いきり抗議の視線をぶつけた。シュラはそんな視線などお構いなしに、ミロの腰に腕を回す。食い縛った歯列の間から、とぎれとぎれにうめき声が洩れた。
「サ・・ガ・・・・もう・・・・!」
「駄目だ」
カミュは汗の浮いた頭を振った。さっきから、何度も追いつめられては突き放されている。解放される前に止められてしまう愛撫に身を震わせながら、カミュはまだ選べないでいた。手の中の短剣が、ずっしりと重い。
「・・・君自身のことを考えてみたまえ」
不意に、サガが、別の問いを口にした。
「君はミロのことをどう思っている?ただの友人か?罪を犯すぐらいなら別れた方がいいと思う程度の・・・・それともたとえ地獄に落ちても共に在りたいと思っているのか?」
カミュは目を開けた。自分にとって、ミロの存在は・・・・・
「私をミロだと思ってみたまえ。君は私の名誉の為にその短剣を使うか?それとも私に身を任せるか?」
どちらでもない、とカミュは思った。そんなことになったら、自分はきっと自分の命を絶つ筈だ。
ミロを救うために。
──・・・あ・・・!──
そこまで考えて、カミュはやっとある考えへと辿り着いた。自分は・・そんなにもミロを想っているのだ。たとえ罪人であろうと、神の意志を外れた行為をしようと、この命を捧げてでも生きていてほしいと願う程に。
「ああ・・・・・!」
カミュは急に顔を覆って呷いた。
何故、今まで気付かなかったのか。覚悟なら、とうに出来ていたのだ。たとえミロにどんな過去があろうと、彼自身がどんな存在であろうと──自分だけは、そのありのままのミロを受け入れようと。
あのプラタナスの並木道で、再会した時から。
「カミュ・・・?」
嗚咽をのみ込みながら、ゆっくりと手を開く。先程まで戸惑っていた赤い瞳が、今は澄んで透明な涙に濡れている。
「もう・・・・いいのです・・・・」
カミュはとぎれとぎれに呟いた。手の中の短剣に瞳を映す。神の法を象徴する、『剣』。
「私・・は・・・・」
瞳を閉じて、腕の力を抜く。
カミュの右手から短剣が滑り落ちた。銀色の尖端が石造の床に当たり、カラン、と乾いた音をたてた。
「・・・それが・・・答だな?」
カミュが、黙って頷く。
サガは、カミュの顔を正面から覗き込んだ。ここで引く訳にはいかない。後戻りすることのないよう、今のうちに楔を打ち込んでおかねばならない。
「カミュ・・・・」
次に起こる事を予想して、カミュが身体を強張らせる。サガはカミュに優しい口づけを与えて、耳元で囁いた。
「力を抜いて。私に任せなさい」
震える膝を割り、足を抱え上げる。
「あっ・・つ・・あ・・・ああっ!」
紅の髪が、宙に散った。
抑えようにも、かつてない痛みに悲鳴が喉をつく。カミュはサガの肩に爪を立てて、その衝撃に耐えた。
「力を抜いて!」
サガがもう一度唇を合わせてくる。カミュの身体から、強張りが抜けて
いく。
「あっ・・あ──!」
つき上げて来る熱い塊に押し流されて、カミュは意識を白濁させた。
「・・・どうだ?少しは落ち着いたか?」
静かな部屋に、グラスと氷のかち合う音が響く。ミロは全裸のまま壁に身体をもたせかけ、荒い息を整えていた。どうしようもなく、身体がだるい。
「そら。飲め。」
シュラがミロの目の前に琥珀色の液体を満たしたグラスを突き出す。
「・・・いらない。」
「顔色が悪い。ショック療法だ」
ミロは恨めしげにシュラを見上げた。そんなもの、悪くて当然だ。
「あんたが無茶をするからだ」
「違うな」
シュラは一言でミロの抗議を却下すると、手にしたグラスの中身を一口だけ口にした。
「お前、ここ数日まともに食べてなかっただろう。血圧が下がってるんだよ。あんな冷たい身体して・・・このままぶっ倒れるんじゃないかと思ったぜ?恋煩いも結構だが、自分の健康管理ぐらい自分でしろ」
ふて腐れたような声が告げる。
ミロはふと二週間前のことを思い出した。雨に濡れた身体をそのままにしていたら、シュラは散々怒鳴った挙げ句自分のシャツをミロに貸してくれたのだ。
「・・・解ったよ。」
ミロはグラスを取り、ゆっくりと口に流し込んだ。強いブランデーが、芳香を放ちながら喉を焼く。確かに、いくらか身体が暖まって気分が良くなった。
「ミロ・・・何を思った?」
ミロと同じように壁に背を持たせかけて、シュラが訊いた。
「何って・・・?」
「俺を恨んだか?一番苦しむ方法で、お前を抱いた俺を。」
「当たり前だ。」
「それじゃ俺が憎いか?」
今度は、ミロは即答することが出来なかった。随分な抱かれ方をした、とは思う。だが散々好き勝手な口をきいたシュラは、その言葉とは裏腹に何だか切なげだったのだ。
「・・・知るもんか、そんなこと。憎んでどうなる訳でもなし」
「じゃあ認めてくれた訳だな」
シュラが含み笑いをする。ミロはぷっとふくれたままそっぽを向いた。悔しいから黙っていたが、ひとつだけ確かなことがある。それは、こんなことになって初めて、ミロはリヒテンシュタインの第三公子という肩書きを外したシュラを見たということだ。
「おっと。ぐずぐずしてる暇はないな。お前はこれからカミュのところへ行くんだ」
急に、シュラが思い出したように言った。
「カミュ?」
「そうだ。長い長い恋煩いの終幕さ。果たしてハッピーエンドになるのかどうか。ここからは俺たちは手伝えないぜ?」
「俺たち 」
背中に悪寒が走る。そのシュラの相棒とは・・・・
「シュラ・・・はっきり言ってくれ。ひょっとして今のはあんたたちが仕組んだことで・・・カミュにはサガが絡んでるのか 」
「さあな。だが、あのサガがお前の消極的な申請をあっさり許可したって事からして十分怪しいと俺は思うぜ?あいつはカミュを随分気に入ってたみたいだしな」
「そんな・・・それじゃ、まさかサガはカミュを・・・・!」
冗談じゃない。ミロは慌てて跳ね起きると散らばった服を身につけ、アテネの地図を鞄から引っ張り出した。カミュのいるホテルまで約二キロ。走っていけばすぐだ。
「お?やっと元気が戻ってきたな?」
「馬鹿!ふざけてる場合じゃない!」
「こらミロ、俺は仮にも先輩なんだぞ?馬鹿とは──」
続きを言わないまま、口を噤む。既に、部屋の中にミロの姿はない。
シュラは安心したように笑った。あの調子なら大丈夫だろう。
「全く・・・随分もたついてた割には見せつけてくれるじゃないか?」
あっさり振られたブランデーグラスに手を伸ばす。ミロのそんなところに惹かれている自分を重々承知の上で、シュラは独り苦笑した。
アテネの最北端にあるそのホテルは、白亜のパルテノン神殿を思わせるシルエットを映し出していた。満月の光の落ちかかる庭にそっと足を踏み入れ、様子を伺ってみる。この時間では、正面入口は既に閉まっているから玄関に回っても意味がない。
夜間入口を捜してあちらこちらと歩き回るうちに、ミロは二階の部屋の窓が一か所開いているのに気付いた。月が既に天頂を過ぎていることを思えば、一時は確実に回っていると考えてよかった。
──何だろう。こんな夜遅くに──
目を凝らして窓を見上げる。おぼろげに長い銀の髪が窓際で波打っているのが見える。
「サガ 」
思わず、言葉が口をついた。あんな見事な銀髪は、そうそういるものではないからだ。
「・・・ああ、ミロ。遅かったね。」
サガは、ずっと待っていたかのようにそう返した。少し笑みを含んだその言葉は、全てが仕組まれたことだったという事実を示していた。
彼等は要するに、不器用な後輩たちの恋愛反応の触媒役を買って出たのだ。
「カミュ・・・・は・・・?」
自然と、声が震える。
「・・・休んでいるよ。この私の部屋で。」
「・・・何だって 」
視界が暗転する。それは何の修飾語句もない事実だったが、ミロに状況を伝えるのには十分だった。詰まりは、時既に遅かったのだ。
「何てことを・・・!カミュは・・・カミュは無事なんだろうな!」
「ミロ、声が大きい」
「もしカミュが舌を噛んだりしたら・・・俺はあんたを一生許さない!」
「君にそんな台詞が言えるのか?ミロ」
激しい糾弾に答えたのは、冷ややかな非難。ミロは一瞬その迫力に圧されて、声をのみ込んだ。
「君は私に一か月で熱を冷ますと言った。その一か月が経った今日、君達は昔のように最高の友人関係に落ち着く筈だった。だが結果はどうだ?君は前にもまして臆病になり、不可解な態度で人々を悩ませている。今日の昼の君の態度が、どれだけカミュを傷つけたことか。・・・私は知っている。カミュは、ストックホルムでも君の影ばかりを追っていた」
ミロは胸を締めつけられるような思いに、きつく唇を咬んだ。矢張り、カミュは悲しんでいたのだ。原因の解らないミロの仕打ちに。
「帰りたまえ。君はもはやカミュを傷つける存在でしかない。今後、彼のことは、私が責任を持つ」
「待って・・・カミュに逢いたい。逢わせてくれ!」
「駄目だ」
「・・・カミュ!」
思わず、ミロは叫んでいた。サガの言葉も、耳に入らなかった。顔を見せてもくれない程、カミュは怒っているのだろうか。二度とあの微笑みを自分に向けてはくれないのだろうか。
「カミュ・・・ごめん・・傷つけたりしないって約束したのに・・・!」
訴えかけても、部屋の中からの返事はない。
ミロは絶望的な気分になった。サガの口元に微かに浮かんでいた、からかうような微笑みにも気付かなかった。俯いて、固く手を握り締める。
と、その時澄んだクール・ヴォイスが聞こえた。
「サガ?どうしたんです?こんな時間に──」
扉が閉まる音がして、月の光に照らされた窓際に目の覚めるような紅の色彩が現れる。
「・・・・カミュ!」
呼ばれた紅い髪の少年の瞳が、驚きにいっぱいに見開かれた。
「ミ・・ロ・・・?」
「カミュ!ごめん!悲しませて・・・・もう二度と──」
「ミロ!」
我を忘れた叫びが喉をつく。カミュは大きく窓から身体を乗り出した。驚いたサガがその胸に手をかける。
「カミュ!飛び降りる気か 」
カミュははっとして時計を見た。一時半。もう、夜間出入り口も閉まっているだろう。
階下には、ミロの心配そうな顔。
「サガ先輩・・・・すみません!」
カミュは、窓枠を乗り越えた。何の躊いもなく、階下に身を投じる。
「カミュ!」
ミロが、まるで宙を舞う花を捕まえようとするかのように、カミュの身体をふんわりと抱きとめた。
君がひとみに見いるとき
なべての憂ひ消えうせぬ
君にくちづけおくるとき
五体にちからみなぎりぬ
君がみむねにすがるとき
みそらに心とびゆきぬ
さはれ 君われを愛すと聞きて
涙ながれてすべもなし
「カミュ、どこまで行くんだ?」
ミロは見えない足下に必死で目を凝らしながら、カミュの後をたどっていった。辺りは深い森で、遠くに水の流れる音が聞こえる。十一月の空気と森の香りとが心地よく肌を刺して、疲れていた神経を優しくなだめた。
「もうすぐ・・・とてもきれいなところなんだ」
「昼間見に来たのか?」
「うん・・・偶然だったけれど」
カミュがミロを振り返る。握っていたミロの手を両手で包み、少し寂しそうに微笑む。
「・・・やっぱり君と一緒にアテネを回れなかったのが残念で。とてもきれいな森だったから入ってみたんだ。そうしたら・・・・」
カミュのすんなりした指が、前方に光るものを指差した。
「あ・・・滝だ!」
ミロは思わず明るい声を上げた。月の光にきらめいて、木々に囲まれた清流が幾筋もの流れを作っているのだ。
「すごい・・・きれいだ・・・」
「昼間の光景もきれいだったよ。あの流れが太陽の光を弾いて・・・・まるで君の髪のようだと思ったんだ」
カミュはにっこりと笑った。月の光がまっすぐに差し込んで、カミュの白い面を照らし出す。ミロは急に激しい息苦しさを感じて、瞳を細めた。
風に、木々に、森に、大切な誰かを思い描いていたのは、自分だけではなかったのだ。
「カミュ・・・・俺もずっとカミュを捜してたよ」
自分の手を包み込んでいる少し冷たい手に、もうひとつの手のひらを重ねる。
「一か月間ずっと・・・紅い色や針槐の木や並木道や・・・そんなものに出会う度に、カミュのことを想ってた。ずっと逢いたくて・・・・」
俯いた肩が震える。
「それなのに・・・逃げ出したりしてごめん。決して嫌いになった訳じゃないんだ!」
ミロは、急に手を放すとずんずん滝の方に歩いていった。近くにいたら、
カミュを抱き締めてしまいそうだったから。
「理由は──」
「あ・・!ミロ!そっちは──!」
カミュが慌てて後を追う。
──・・・え?──
ミロの足下の石が、ぐらりと揺れた。
「わ────っ!」
「ミロ!」
差し延べた腕が互いの腕を掴む。
だが、カミュの身体は二人分の体重を支えるにはまだ少し華奢だった。二人は絡み合ったまま宙に投げ出され、共に真下の水面へと落ち込んだ。
派手な水音が、静かな森に響き渡る。
「・・・泉だ、と言おうと思ったんだが・・・遅かったみたいだな。」
頭から水を被って、カミュがくすくすと笑った。水はさほど深くなく、二人の腰のあたりまでしかない。ただ、十一月の泉の水は、流石にきりりとした冷たさを保っていた。
「ご・・ごめん!俺、視力弱いから・・・・」
「いいよ。こんなふうに泉に飛び込んだのなんて、久し振りだ」
言われて、ミロもくすりと笑う。そういえば、そうだ。
前方には、先程の滝が目の前に見えていた。月の光をさえぎるものはなく、水を含んだお互いの髪とさざなみをたてる水面とを照らし出して、きらきらと輝かせていた。ミロはあまりに幻想的な光景に、しばし言葉を失った。このまま、この世界に溶けてしまえばいいのにと願いながら。
「ミロ・・・・」
先に沈黙を破ったのは、カミュだった。
「さっきの理由を聞かせて欲しい」
「え・・・・?」
「君が、私を避けていた理由。そして多分、君が苦しまなければならな
かった理由──」
「カミュ・・・・」
ミロの青玉色の瞳が大きく見開かれる。
カミュは、ミロの黄金の髪に手を伸ばした。頬に張り付いた髪を漉き取ってやる。そしてそのまま、両手をミロの腕にかけた。
「・・・逃げてきたのは私なんだ、ミロ。ずっとずっと、一番最初から、私はたったひとつの現実から逃げ続けてきた。傷つくのが怖くて・・・。・・・でも、もう逃げない。本当の君から逃げたりしない。やっと解ったんだ・・・今は、君が傷つくことの方がよっぽど怖い!」
真剣な深紅の瞳がミロを射抜く。ミロは全身を硬直させた。
「カミュ・・・・でも・・・・」
「お願いだ、ミロ。もう、隠さないで!これ以上・・・君を苦しめたくはないんだ!」
精一杯の、声が告げる。その奥に必死な『想い』を読み取って、ミロはとうとう自らの感情を解放した。
あふれる思いを抑え切れず、細い身体を抱き締める。
「カミュ・・・!好きだ!」
涙が、堰を切ったように溢れ出す。カミュのぬくもりが、濡れたシャツを通して染み込んで来る。
「好きなんだ・・・だから・・・・離れなきゃいけないって・・・・!」
「ミロ・・・・」
「でも離れられない!抑えようにも・・・・抑えられ・・なくっ・・・」
嗚咽がミロの言葉を止める。・・・今なら間に合う。カミュから離れれば・・・・この腕を放して、逃げ帰ってしまえば!
震える身体を叱咤して腕を放そうとした時だった。
「ミロ!放すな!」
カミュが両手をミロの頬に添わせた。見た目にもそれと解る程に、びくっとミロの全身が震える。
「・・・言っただろう?本当の君から逃げたりしないと。もう、私の為に苦しむのは止めて欲しい。私も・・・こんなに偽ることに慣れてしまった私も、今君の前に真実の姿を現すよう努力するから・・・・だから君も、自分を偽らないで────」
意を決したカミュの唇が、震えながらおそるおそるミロの唇に触れる。
その途端、ミロの中で何かが弾けた。カミュの細身をかき抱き、そのまま激しく唇を合わせる。カミュの口元を細く唾液が伝うまで舌を絡め、唇を貪り、抗う間も与えずゆっくりと岩の上に押し倒した。
「ミ・・ロ・・・・」
跳ね上がった息の下で、思わず身体を強張らせたカミュが呼ぶ。
「カミュ・・・愛してる!」
枷を失った想いは止まる術を知らず、熱い奔流となってカミュの中に流れ込んだ。白く透き通るようなカミュの肌に、ミロの吐息に震える唇が刻印を残していく。きつく吸い上げる度、カミュの喘ぎを紡ぐ喉が震え、細い声が水音に混じった。
「愛してる・・・・」
ミロの囁きが、二人の身体を流れ伝う雫の音に溶け込んでいく。
「は・・・・っ・・・」
胸から全身に伝わった甘い刺激に、カミュは喉を反らせた。髪の一束が水面に滑り落ち、水面で唐草模様を描く。快感に溺れていく恥ずかしさにカミュが抗う様を見せても、ミロは舌と唇による愛撫を止めなかった。カミュの震えが、腕から、唇から伝わって来る。ミロは胸に唇を這わせたまま、遠慮がちにカミュの中心を掴んだ。壊れ物を扱うように、優しく擦り始める。
「あ・・・っ・・・ミ・・ロ・・・!」
カミュは思わずミロの髪を掴んだ。肩に回した腕にも、力が入らない。
「カミュ・・・・!」
ミロにはカミュの声しか聞こえなくなっていた。短く継がれる息が、甘く潤んでいく。喘ぎに混ぜてミロの名を呟く声は普段よりも細く高い響きをまとっていて、ミロの五感を震わせた。
「愛してる・・・カミュ!」
手の中で脈打っているものに唇を近づけ、口に含む。すがるものを失ったカミュの腕が岩棚の上を滑り落ち、ぱしゃんと水面を叩く。
「ミロ・・・!そん・・な・・・・!あ・・・っ!」
全身が、火のようだった。ミロの指の動きに追いつめられる度、切ないおののきに気が狂いそうになる。もう、とうに甘い喘ぎを噛み殺す術を失っていても、限界に近づくにつれてカミュはミロを引き離そうとした。細い腕をつたって、雫が規則的に滑り落ちる。
「いや・・・だ・・・・」
潤んだ拒絶が、哀願するように洩れた。
「お願い・・・っ・・放し・・・・!」
「カミュ・・・いいから・・・」
ミロはカミュの抗いを優しくなだめると、深く含んだ口の中のものを強く吸った。
「あ・・ああっ・・・!」
水の中の月を大きくかき乱して、カミュが果てる。
ぐったりと全身の力を抜いて激しく息をつくカミュを、ミロは強く抱き締めた。水面を泳いでいた腕を取り、指先に口付ける。先程シュラのものを受け入れた時の痛みを思い出し、ミロはカミュの首筋に顔を埋めた。
カミュの蕾が受けた傷は、まだ癒えてはいない。
「カミュ・・・」
耳元で、囁いた。
「・・・苦しかったら言って。すぐに止めるから。」
カミュが、まだ幾分か喘ぎながら、こくりと頷く。
ミロは、カミュの膝を割った。カミュが、一生懸命力を抜こうとしているのが分かった。傷に響かないよう、そっと足を持ち上げる。
「カミュ・・・・」
無理はさせられない。ミロは口付けを与え、もう一度カミュの強張りを取り去ってから、傷ついた蕾にゆっくりと己を埋め込んだ。
とたんにカミュの背がそり返る。
「あっ・・!」
「カミュ?」
だが、カミュはうっすらと目を開けて首を振った。ミロの背中に腕を回し、あまつさえ強く抱き締めて叫んだ。
ミロ・・・!と。
「カミュ・・・!」
カミュは、ミロを受け入れるつもりなのだ。意志を悟って少し身をずらし、今度は深く身体を沈める。
「ああっ!あっ・・あ・・・っ・・・・」
カミュがミロの背中にすがりつく。溢れ出す、秘められていた想い。
ミロは激しい情念に駆られて、次第に動きを早くしていった。痛みにかすれていたカミュの喘ぎが、少しずつ潤いを含み始める。
「カミュ・・・・愛してる!」
愛しい人を抱くミロには、カミュの声しか聞こえない。カミュの身体しか感じられない。
「ミロ・・・!ミロ・・・・・!」
黄金と深紅の髪が、滴る水滴の中で一層輝く。
「ああっ・・・あ・・愛してる!」
生まれて初めて口にした愛の言葉の中で、カミュはその魂を身体ごとミロにあずけた。
「今頃は、めでたしめでたし、かな」
こうこうと明かりのついたホテルの一室で、シュラはグラスを揺らしながらぽつんと呟いた。さっきまでいた部屋ではない。サガのホテルまで脱走してきたのだ。
「面白くなさそうだな。」
サガが含み笑いをしながら返す。
「だって・・・そりゃ、解っちゃいたがな。あんなに見事に振られると、流石に落ち込むぞ?」
「それは私だって同じだ。カミュはこの窓から飛び降りて出ていったんだからな」
「二階から?」
「三階以上なら死んでいる。」
シュラは呆れたようにサガの顔を見た。確かに、ミロといいあの御曹司といい、普通じゃない。
「・・・まあ、そう拗ねるな。我々がくっついても仕方あるまい?もっとも、確かに楽しませてはもらったが・・・・」
「・・・どうせまた陰険な手を使ったんだろう。でなきゃあのカミュが落ちる訳がない」
「賢明な、といって欲しいものだな。それは高尚な理論合戦だったのだから。彼を理屈で説き伏せるのには苦労したよ」
サガはくつくつと笑った。自分の分のブランデーグラスにアルマニャックを注ぎ、口に含む。芳香が、辺りにふわりと広がる。
「・・・とりあえず第一段階終了だ。次はどうするかな・・・・」
「何だ お前、ひょっとしてカミュを寝取るつもりなのか 」
「人聞きの悪い。もう一段階上のテクニックを伝授してやるだけだ」
シュラは暫く呆然として、それから頭を抱え込んだ。こいつは一体、常識を無視しているのか常識がないのか解らない。
「全く、お前のまめさには頭が下がるよ」
「ふふ・・・じゃあ今日は私が上だな」
「ちょっ・・・待てよ!今日は俺が上の番だぞ!」
「おや?精神的に優位な方が上になるという取り決めを忘れたのか?」
月はそんな恋人たちを見ているのかいないのか、森にも、町にも、等しく涼やかに降り注いでいた。