1ヶ月

2011年の幕開けは、最悪の出来事で始まった。
色々あって、今は、ミロの事務所に仮住まいをさせてもらっている。
仮住まい、といっても、グランドピアノまで買ってもらってしまって、正直、色々なことが心苦しい。


事件が起こったのは、新年まであと数時間、という大晦日の夜だった。
ジルベスターから新年にかけて、大変な騒ぎになるらしい、ということは噂には聞いていた。
そもそも夕食に3時間かけるのが当たり前のイタリア人が、その三倍の時間をかけて食べまくり、飲みまくる日なのだという。
この日このお気楽な民族の胃袋に消えるアルコールと食料がいかほどの量か、想像するだけで胸焼けがするというものだ。
そんなわけで、ファゴット奏者のマリオ(彼は何故か試験以来ちょくちょく私に声をかけてくるようになった)に誘われたジルベスター・ディナーを辞退し、夕食用のサンドイッチを音楽院の練習室に持ち込んで、終電間際まで練習していた。
練習室を出たのは、夜10時近かった。
ウサギがお腹を空かせているだろうな、と申し訳なく思いながら、テルミニ駅の横の道を足早に歩いた。途中、騒がしく壊れたように笑い続けている酔っ払いの集団や、大声で歌いながらギターを弾いている若者達がいて、その様子がどうにもただ酒のせいとは見えなかったので、その道を避けて一本となりの路地から教会の方へ抜けようとした。普段は、とくに治安が悪い路地でもない。人影は見えず、それで油断した。
別の酔っ払いの一人にあとをつけられ、いきなり頭を殴られたのか、それともその道に誰かが待ち伏せていたのか、怪我をする直前の数分間の記憶がない。
医者が言うには逆行性健忘というものらしく、頭を打ったときには珍しくないそうだ。
殴られた後、どのくらい意識が飛んでいたのか分からないが、若いカップルに大丈夫かとかなんとか声をかけられて、大丈夫だと答えたような気がする。けれど、そのあとの記憶もまたすっぱり消えている。
次に覚えているのは、救急車のサイレンの音だった。救急員に何があったのか、と尋ねられて、よくわからない、と答えた。その先の記憶は繋がっているけれど、ひどい頭痛であまりものを考えられる状態ではなかった。
結構派手に出血したので、頭の毛を剃られるんじゃないかと心配したが、傷の縫合はホチキスみたいなもので止めただけだった。
麻酔はなかったのでそれなりに痛かったが、処置に時間がかからなかったのは有り難かった。
時刻は既に十二時を回っていて、ウサギ達のことが心配だったからだ。
ところが、そこからが、一番厄介だった……。
医師や、看護婦の言っていることが分からない……(苦)
確かにイタリア語と思えるのだけれど、医療用語はよく分からないし、おまけにひどいローマ訛りで、何を喋っているのかまったく見当がつかない。
医師が自分の胃袋をさすりながら何かをいい、それでも私が答えないので”sick”という単語を二回繰り返した。それで、ようやく、頭を打ったので吐き気がしないか、ということを尋ねているのだと気がついて、”No”と答えた。
そんな有様だから、もう大丈夫だから早く退院したい、ということを伝えるのもおぼつかず、時間ばかりが過ぎて夜中の一時を過ぎてしまった。
どうするか……。
このままでは、明日の朝まで帰してもらえないかもしれない。
そもそも、財布をとられてしまったので、タクシーを呼んで帰るのも簡単じゃない。
こうしている間にも、ウサギ達は食べるものもなく、腸の動きが止まってしまっているかも知れない。そうなったら、腸内に有毒ガスがたまり、明日の朝には命にかかわる胃腸うっ滞になってしまっているかも知れない。

 
三度躊躇って、四度目に、看護婦に紙とペンを持って来てもらうよう頼んだ。
メモ用紙に、覚えていたミロの家の電話番号を書き、彼に通訳を頼むから電話してくれ、と言うと、何故もっと早く言わないのか、と睨まれた。
看護婦の言い分も分かるが、それだけは、どうしてもやりたくなかったのだ。
こちらの都合でミロを突き放したのに、困ったときだけ助けを求めるなんて……。
連絡を受けて家を飛び出してきたらしいミロに怒られながら、とにかくウサギの様子を見にいってもらうように頼んだ。
翌日には退院出来るだろう、と思っていたのに、翌日から後頭部がひどく腫れて動けず、まともに寝ることも出来ない状態が続き、結局5日も入院する羽目になった。
ミロは、その間ウサギを預かってくれた。最初に「ふざけるな」と怒鳴った後は、毎日様子を見に訪ねてきて、傷が枕に擦れないよう手を当てていてくれたり、必要なものを揃えてくれたり、とひどく優しかった。
退院の日、ウサギを引き取りにいくつもりでミロの家に寄り、ミロがこの5日間ですっかり私を引っ越しさせる準備を整えていたことを知る。
もとのアパートの契約解除から、事務所の改造、グランドピアノまで調達して運び込んでいたのには、文字通り開いた口が塞がらなかった。
本当に、お人好しだな、と思う。
どんな理由があったにせよ、一年前私はミロの合意を得ないまま無理矢理関係を終わらせた。
恨まれて当然だと思っていたし、自分が窮地に陥ったときだけ都合良く助けを求めるなんて、罵倒されても仕方がないと思っていた。
多分、最初の怒鳴り声が、ミロの本心だっただろう。
でも、ミロはそれを飲み込んだ。そうして、二度と私が夜遅くまで学校で練習しなくてもよい環境を、淡々と整えた。
傷ついた人間には、ミロはひどく優しい。
どんな人間にも、彼に出来る限りの手を差し伸べようとする。
その優しさは誰かのための特別ではないし、そこでその優しさを勘違いしたら痛い目を見る、と十分に分かっていても、グランドピアノまで用意した背景には、ミロの未練もあるのだろう、と思う。

 
彼が、まだ私を手放したくないと思っていることは、共に暮らし始めてすぐに分かった。私達はいつかまた一緒に暮らそう、と長い間願って来た。形はどうあれ、それが実現されて、ミロは彼がやりたいと思っていたことをやろうとしているのだろう。
朝、起きたら挨拶をして、一緒にコーヒーを飲むとか。
夜は一緒に食事を作って、一日の出来事をお互いに報告し合うとか。
時折、錯覚しそうになる。
一年前の出来事など、本当は何もなかったんじゃないか、と。
このまま流されて、もとの鞘に収まってしまうのが一番いい方法なのじゃないか、と思う。
そして、私がいつの間にか、そうして何もかも有耶無耶にしてしまうことをミロが望んでいるということも、分かる。
でも、夜一人になると、もう数えきれないほどの一人の夜を思い出して、これが現実なんだと思い知らされる。
私には、ミロの心を繋ぎ止めておく力なんてない。
ミロは私の事を愛していると言うけれど、アイオロス先輩やサガ先輩ほど信頼されてはいないし、ドウコ先輩やシオン先輩ほど頼られてもいないし、忙しいときの私の優先順位は彼の妹や仕事仲間よりも下だし、散々電話で謝り倒して埋め合わせをする、とか言っておきながら、結局こちらが催促するまで半年も実行しなかったし……(なんだか、思い出したら腹が立って来た)慌てて飛んで来るのなんて、それこそこちらが完全に臍を曲げたか、怪我をしたときくらいで、そのときはしつこいほどご機嫌を伺いにくるくせに、熱りが冷めたらまたもとの木阿弥で……(やっぱり、あいつ、釣った魚には興味ない酷い男なんじゃないのか?)

 
……でも、本当は、そんな事が問題なんじゃない。
ただ、彼がひとたび音の世界に足を踏み入れたら、私の存在なんて吹き飛んでしまう。そのくらい、彼は音楽家として、音の世界に縛られていて……
それが、どうしようもなく辛く、身の置き所がない。
だから、私の音が、彼の世界に食い込む以外に道はないのだ。
恋人の生活なんて、要らない。
「愛している」なんて、誰でも言える言葉も要らない。
体の関係も、それで得られるひとときの安らぎにも、ミロが信じるような価値なんて何もない。
ミロの心の中には、聖域がある。
そこに入れるのは、純粋な音楽だけ。生身の人間のような、穢れた存在には触れることもかなわない神域だ。
そこには、もしかしたら、ミロ自身の自我すら入れないのかも知れない。
彼は、心の一番芯の部分で、自分の意思や希望を介在させることを嫌う傾向があるから……。
だからこそ、私が何度も彼のその聖域の前で跳ね返されて、その度に打ちのめされる理由が、分からないのかも知れない。

 
それなら、彼が誰も侵入させない心の密室に、私のピアノの音が届かせたい。
私の存在なんか忘れてしまっていても、その音が彼を縛るように。
私がミロのヴァイオリンの音にこんなにも縛られているように、彼も私の音にがんじがらめになって、それなしでは生きられなくなってしまえばいい。
本当は、最初から、望みはそれだけだったのに……
それが叶わないからと、別の関係に逃げたから、全てが歪んでしまった。
今、全てを投げ打って挑んでも、私のピアノではミロの心の殻は破れないかも知れない。

 

 

五年間でどこまでやれるか……正直、勝算はほとんどない。
それでも、このまま叶わない望みを抱えて傷つき腐っていくよりはずっといい。
……そう、決心して仕事をやめ、音楽院に入学したのに……
私のそっけない態度にがっかりしたようなミロの顔を見る度に、決意が揺らぐ……(溜息)。
早いところ下宿先を探さないと、本当に胃に悪い。
明日は、私の誕生日だ。
一週間後には、バレンタインもやってくる。
明日の夕方は時間を明けておいてくれ、と言われたけれど……
何かをしてくれるのは嬉しいが、頼むからそれ以上を期待しないでくれ……(溜息)

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