Theme No. 6 Chopin: Piano Concerto No.2 in F major, Op. 21

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Chopin: Piano Concerto No.2 in F major, Op. 21
Artur Rubinstein (p) 
http://www.classicalarchives.com/album/5902176500801.html

サンプル音源の聞き方の説明はこちら


以前、Theme No.4で、ショパンのピアノソナタ第2番第2楽章(葬送行進曲で知られる)を取り上げましたが、それに引き続き二回目のショパンです。
今度は、ピアノ協奏曲第2番。
正直、自分がこんなにショパンについてのエントリーを書くことになるとは思わなかった(苦笑)。
以前にも書いたと思うのですが、私は以前決してショパンが好きではありませんでした。
普段聞くと、メランコリックな旋律がちょっとうざったいというか。
演奏家を選ばないと、なかなか聞けない作曲家でもあります。
ところが、大切な存在を失ったときに、唯一、水のように心を潤してくれるのがショパンだと知りました。
普段大好きなバッハもブラームスも駄目。何故かショパンなのです。
こんな事を言ったらショパン好きな人に怒られるでしょうが、ショパンの音楽は死とものすごく近い感じがする。
普段はそれが分からないけど、自分の心に元気がないときは、その死に近いところで、一番無理なく寄り添ってくれる音楽だという気がします。
病院でウサギのまんごろし太(二代目アイオロス)を看取って戻ってきたら、流しっぱなしになっていたインターネットラジオから、このピアノ協奏曲第2番の第2楽章が流れていました。
それが、あまりに無理なく心の中に沁みてきたので、ああ、やはりショパンはそうなんだな、と思いました。
実は、先のTheme No.4で葬送行進曲を取り上げたのは、先代の(ウサギの)アイオロスが亡くなった時だったのです。
あの時も、唯一聴く事が出来て、癒されたのが、ショパンのソナタでした。
ショパンの音楽は、どこか死の匂いがする。
けれど、それは死の絶望ではなくて、死を受け入れた上で前に進むための音楽です。
もしかしたら、ショパン自身が体が弱く、死をみつめて生きていたためかもしれないな、と勝手に思っていますが……。
(というか、ショパンって絶対整体で言う6種体癖だと思う。呼吸器が未発達なため体力がなく、その為エネルギーが内向して弁論や芸術で熱く語るタイプ。)
さて、この協奏曲2番ですが、実は作曲されたのは1番より先です。
おそらく、知名度では後に作られた1番の方があるのではないかと思いますし、構成も1番の方が良いような気がしますが、私はこの2番の方が好きだったりします(というか、単に2楽章が好きなだけ?)
というわけで、勝手に、カミュ・アストール・ルビエさんがショパン・コンクールで弾いて優勝した曲はこの2番ということにさせていただきます(笑)。
しかし、イリヤをあそこまで感動させたショパン弾きというのは、どういう人間だったろうか、と考えると、色々自分の貧弱な経験を重ね合わせるうち、矢張り若い年で大切な人を失ったか、自分自身が命の危機に晒されたんじゃなかろうか、と思うようになりました。
でなければ、父親を失ったイリヤの心を捉えることは出来ないかな、と。
であればこそ、自らの言葉であるピアノが弾けなくなるというのは、カミュにとって死に等しい。
けれど、その死に絶望して全てを諦めるのではなくて、それでも残りの生をなんとか生きようと足掻くのがショパンの音楽であり、カミュの生き方なのかな、と思う。
で、ミロはカミュのそういう強さに惹かれたんじゃないかな、と思う訳です。
実際にストーリーに反映するかはともかく、カミュ・ルビエという人間が少し分かったような気がします……って、作者がこんなんでいいのか(笑)。
しかし、キャラの内面って、キャラに聞かないとわからないんだよなあ(笑)。
聖闘士ではない彼らを何十年も書き続けてきて、ひとつだけ、(ほぼ)揺らがない柱があります。
それは、カミュの強さは芯の強さで、ミロの強さは、何度折れても復活する強さかな、と。
カミュは、勝手に自分の中に芯を作っていて、それは何人たりとも折ることができない強さを持っている。
ミロは、実は結構周囲の圧力でバキバキ折られちゃうんだけど(笑)それでもそこで枯れずに立ち直ってくる強さがある。
結果的にどっちが強いのか、といったら、多分ミロの方に軍杯があがるでしょう。
そこで、敢えて芯を折られちゃったカミュを書いてみた、というのが「英国」シリーズでしょうか(笑)。
人間的には、ルーファスさんくらいの方が現実味があると思う。
しかし、乙女(?)のドリームとして、美しいと感じるのは、やっぱり折れない芯を持った人でしょう。だから、ルビエさんの芯が折られることは、多分今後もないと思います。
演奏について。
私の持っているCDがこのルビンシュタインのもので、通常ルビンシュタインは結構ショパンをあっさり弾くんですが、何故かこの録音はかなりこまやかな演奏をしています。
録音の音質も比較的良いです。
しかし、もっと情熱的なのが好きな方は、アルゲリッチ様のものも悪くないと思います。
他の人の演奏を聞いてみたい方は、以下のリンクから演奏家を選べば聴けます。
http://www.classicalarchives.com/work/7296.html
ショパンの緩徐楽章は音色の美しさというか、単音で短調か長調かを分からせてしまうような音色の表現力をかなり要求されるので、アシュケナージみたいに音色より表現で聴かせる演奏家だとちょっと苦しい。
クラウディオ・アラウとか、他にもちょこっと聴いてみましたが、私のイメージとはちょっと違う。
ルビンシュタインにテンポや表現が似ている演奏家も沢山いるのだけど、ただ穏やかなだけで眠くなっちゃう演奏が多い。
穏やかな中の生の動きというか、希望を感じさせてくれないと、ショパンじゃない、という気がするのです。
さて、どうせ当分は仕事も手に着かないし、コンピュータに仕事させて自分はMemory- の続きでも書くか!
いつか、カミュ・ルビエさんが、再びショパンの協奏曲を弾ける日がくる事を願いつつ。
(……来るのか?(笑))

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