先日、サガ先輩の家にお邪魔した時のこと。
足下を「えせる」が嬉しそうに跳ねていて、「ロス」は寝室に追いやられていた。
一応、「えせる」はアイオロス先輩のウサギで、「ロス」はサガ先輩のウサギだと聞いている(お互いのウサギにお互いの名前をつけるこの二人のセンスには絶句するしかないが……まあ、何だかんだいっても年中仲が良いわけだ)が、訪ねていくと、大抵「えせる」がリビングを占拠している。
「ロス」は、迫害されているのか?
と思ったが、サガ先輩に言わせれば、普段は「ロス」を身近に置かないとすぐに体調を壊すとのことで、夜は専ら「ロス」の方が外に出て居る、との事。来客時に「えせる」が出ているのは「えせる」の方が人見知りしないからだということらしい。
確かに、彼女は初めて会う人間の匂いに臆する事なく、「撫でて」と顔をすり寄せて来る愛嬌の持主だが、別室に置き去りにされている「ロス」が少し可哀想になって、ミロが着付けに手間取っている間となりの部屋を覗いてみた。
はたして、「ロス」は窓際に座り込んで、ぼんやりと外を眺めていた。
ウサギは3日経ったら飼い主の匂いも忘れる、と言う。過去に何度か抱かせてもらったこともあるウサギだが、勿論こちらの匂いを覚えているはずもなく、こちらを見るなり全身警戒で毛を逆立てた。
もっとも、この「ロス」はネザーランドの血が混じっている割には人間を怖がらないウサギなので、暫くじっとしていれば好奇心に駆られて先方から近づいて来るのだが……
同じく窓辺にじっと座り込んでいたら、ご挨拶をしにきてくれたので、そろりと指を伸ばして額の部分を撫でてやった。
ウサギは額の部分を撫でられるのを好む。昔子供の頃飼っていたアンゴラのミックスウサギもそうだった。
懐かしいな、と過去の感傷に浸っていたら、ふと、指先が固いものに触れた。
ん? ゴミかな。
もう一度触ると、もうその感触はない。「ロス」を驚かさないよう、ゆっくり近づいて、指が抑えている付近を探してみると……
黒いセサミシードのような物体が、もそりと動いて毛の中に消えた……
こいつ、ノミだ!!!!!
慌ててその毛の付近を探り、驚く「ロス」を押さえつけてセサミシードを剥ぎ取った。
ノミは平たくて圧力に強く、少々指でこねたくらいでは死なない。
そのままぎっちり指に力を込め、キッチンに行ってサガ先輩に訪ねた。
「先輩、「ロス」にノミがいました。焼き潰すのでマッチか蝋燭の火を下さい」
深緑のキモノに袖を通していたサガ先輩は文字通り目を丸くした。
「え?! ノミ?! また?!」
「先輩、あのウサギ、外で遊ばせませんでしたか?」
「ああ、最近たまに芝生に出しているのだけれど……」
「では、その時についたんでしょう。ネコノミはどこにでもいますから。人間にはつきませんが、放っておくとどんどん繁殖しますよ。今ついているやつは根こそぎとらないと」
会話が終わるか終わらないか、という時だった。アイオロス先輩が無言で席を立ち、寝室へ行って「ロス」を抱えて現れ、そのままバスルームに消えた。
バスタブに湯を張る音が聞こえ、アイオロス先輩が「こら!暴れるな!」と繰り返す声、続いて激しい水音がしてしんと静まり返った。
ウサギは、水を嫌う。風呂など、無理に入れたらびっくりして死んでしまうのではないか。
不安になってバスルームをのぞくと、すっかり濡れそぼった「ロス」がタオルにぐるぐる巻きにされて、呆然と抱えられていた。
「湯につけたら、3匹もでてきやがった、ノミのやつ」
……それは、さぞかし痒かっただろうが……
「なんか、凄い水音がしましたけど?」
「ああ、ちょっと手が滑ってな。こいつをバスタブにおっことした」
……よく、生きていたな……(汗)
と思ったが、口に出しては言わないでおいた。サガ先輩があまりに気の毒だ。
その後、「ロス」はご機嫌取りに乾燥パイナップルを貰い、傷付いた瞳で懸命に自分の毛皮を舐めていた。
これから、外へ出してもらう度に、「ロス」は強制入浴させられる事になるのだろう。
可哀想な気もするが、放っておけば大量にノミにたかられて痒いのは本人(本兎?)なので、致し方ない。
流石に「ロス」と名付けただけあって、びっくりして心臓を止める事はなかったようだが……
帰り道、つらつらとウサギの事を考えていたら、ミロにどうしたのかと訪ねられた。
なんとなく、思いつきで、こう言ってみた。
「うちも、ウサギ1羽くらい、いてもいいかもな」
ウサギならマンションでもコッソリ飼えるし、鳴かないから周囲に迷惑もかからない。
昔飼っていたウサギもよくなついて可愛かったし……
だが、ミロは目を丸く見開いて言った。
「嫌だ! 飼うんだったら絶対ネコ!!!」
冗談。猫みたいな気紛れに振り回されるのはお前一人で十分だ。