短い一生

前日になって手術の事を知り、エセルと大喧嘩をした。それを茶チビは足元から見上げていた。
「オレのエサはまだか?」と。


手術の前日は午後10時以降からは一切の固形物をやらない事、という事で、なんとかペレット10グラムを10時ぎりぎりに完食させ、犬用のサークルに閉じ込める。
今日はもう水しか飲めないぞ、と頭を一撫でして言い聞かせる。
その後、エセルが、固形物でなければ……と、ローヤルゼリーをオレンジジュースに溶かして茶チビに飲ませた。
朝、「なあ、オレ、草もないぞ? はやく飯くれよ!」とパネルにすがり立ちして見上げる茶チビをまた一撫でして、「帰ってきたらな」と言い聞かせる。
9時前に病院に着くよう、車を出し、アパートから茶チビを連れ出した後にお嬢さんたちに食事を与える。
病院で軽い問診の後、書類にサインをする。30分後には手術をし、麻酔から覚めたら電話を寄越す、というので電話番号を渡してエセルと病院を出る。
茶チビは、なんとも情けない顔をしてこちらを見ながらベテランの医者の腕に抱えられて部屋を出て行った。
それから、一時間ほどだろうか。
病院から、「He did not wake up.」と電話を受け取る。
まさか!
と思ったが、これは、最期にも間に合わなかった、という事なのだろう。
心配げなサガに、一人の学生が、「簡単な手術ですから」と笑顔で最期に告げていった光景が蘇る。
溜息を飲み込んでサガの携帯番号に電話を掛ける。
直ぐにつながり、その向こうには絶句の沈黙が広がった。
サガを迎えに行き、高速を飛ばして病院へ。
四角く平べったい紙の箱の中に横たわる茶チビが連れて来られた。
触ると、まだ温かく、毛皮はつやつやと柔らかく、いつもと何も変わらない。
茶チビはサガのウサギだ。
最初のプチ・エセルをたった3日で死なせてしまった。
それから、サガと二人、何軒ものペットショップを尋ね回り、捜し歩き、やっとここのうさぎなら大丈夫、という確信のもと、売り物のケージの一番下の隅に居た、黒っぽい、茶色のウサギを連れ帰る。
ちょうど一月早いクリスマスの時期で、生まれたのは半年前だと言うのに、サガは嬉々として俺の名前をうさぎに付けた。
「君が私の名前をうさぎに付けたのだから、そのハズバンドとして連れて来たうさぎに君の名前を付けてはいけない理由があるのかい?」
しぶしぶ許し、それからえせるが来るまでの半年間、のびのびと我が物顔で部屋中を遊び回った。
ありがたい事に、最初に心配したうさぎの下痢など、その欠片の兆候も見せず、随分図太いうさぎだった。
半年後、ガリガリにやせ細ったえせるを同じうさぎ屋で見つけ、連れて帰る。
部屋を二つに分けられ、歩けないえせるをサガが懸命に世話しているのを、椅子の上、テーブルの上にジャンプアップして妬ましそうに、寂しそうに後ろ足立ちになりさらに首を伸ばして見ていた。
それから半年後、えせるの腰の治療のために、初めて二匹を同じ部屋に放した。
驚いたことに、こいつらの相性は本当によく、最期にはえせるの方が茶チビに迫りまくる勢いだった。
それからは二匹を分ける柵越しにキスをし合い、鼻を擦り付け合っていた。
えせるが自力で脱走しては、なんども二匹は逢瀬を重ね、その度にえせるは妊娠し、茶チビはいつのまにか20匹近くの子持ちの親父になりやがった。
状況が変わったのは、二年前にえせるを避妊してからだろう。
えせるは相変わらず茶チビには懐いていたが、すっかり「恋心」は無くしていた。
茶チビはその度に訳が分からず傷付き肩を落とす。
多分、えせるが手術を受ける時に、こいつにも受けさせれば良かったのだろう。
それからこれまで、なんとか引き離して生活させてきたが、音がすれば居ることは分かるし、匂いもする。何とかしてえせるの所に行こうとしてあらゆる事をしてのけた茶チビには済まない事をしたと思う。
抱き上げた茶チビの重さは変わらず、ただ首が据わらなく頼りない。
目だけがぼんやりと我が身に起こった事が分からず呆然と空を見つめていた。
帰りは、サガに運転させ、家まで抱いていってやる。
サガは直ぐに病院で剖検の話を始め、ああ、これはそうとうまいっているな、と思い、正直連れて帰るかどうかは迷ったのだが……。
アパートに戻り、茶チビ気に入りのソファの上に座って膝の上で頭を撫で続けているとゆっくりと目が気持ちよさそうに閉じていく。
お前、生きてる間には俺にはこんな風に触らせなかったくせにな。
半日後、茶チビの顔は、たらふく飯を食った後いつもカーペットの上で、体をだらしなく伸ばし、手足まで伸ばして寝転がっている姿と全く変わらない、すやすやと眠っているような様子に変わっていた。
エンセファリトゾーンを患った時に購入した、猫用のベッドに、柔らかい毛足の長い真っ白な布を敷き詰め、ベッドを造り寝かせてやる。ベランダからバラの葉を失敬し、腹を空かせたまま逝く事になってしまった茶チビの口元に置いてやる。
トイレ、草置き場、水入れ、茶チビの為に用意されていた品々が全て取り払われ、ガランとした部屋を6時前に出る。
剖検をするのなら冷蔵庫に入れておかなければならないのだが、ウチには生憎そんなにデカイ冷蔵庫はない。
半日ウチでゆっくりさせた後、再び病院に行き、茶チビの体を引き渡す。
Good-bye, a nice fellow.
お前はいつも俺と張り合って、可愛げの無い奴だが、いい奴だった。
お前の余生を削っちまったのは済まなかった。
ちゃんとウチに戻ってきとけよ、そっちの冷蔵庫の前に居ても明日にはスプラッタが待っているぞ?
気に入りのシガレットを一本、サガの作った祭壇の上で焚いてやった。

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