アーミッシュ(Amish)の村で

仕事の都合でシカゴへ来た帰りに、ウィスコンシンへ小旅行に出かけた。


取引先のデザイナーと会食していたら、あかりのない店舗の話になり、興味を惹かれたのだ。
「アーミッシュの食料雑貨店ですよ」
と、彼は笑った。
「彼等は、電気を使いませんから。」
アーミッシュ(Amish)、というのは、厳格な教義を守るキリスト教徒の一派で、再洗礼派の流れをくむ。
本人の意思と無関係に行われる幼児洗礼を認めず、成人してから洗礼を受ける(従って洗礼前は厳密にはアーミッシュではない)。アーミッシュに特徴的なのは、近代文明の殆どの利器を拒否して生きる点だ。商業電気、電話は使わない(すくなくとも家の中にはない)。車も使わず、日常の交通手段は馬車になる。
生活は質素を好み、贅沢、慢心を強く嫌う。
そして、徹底的な非暴力主義で知られる。
灯りは、厳格な人々でなければ、ガソリンや灯油を使った灯りがあり、それらはかなり明るいようだが、基本的に夜のためのものだ。昼間は、自然の採光で生活している、とのことだった。
もともと、16世紀宗教改革の時代にドイツ、スイスなどに端を発した再洗礼派は、教会の権威を認めず個人の信仰を重んじたため、各地で迫害に遭った。非暴力主義を貫くため兵役にはつかず、それが理由で故郷を追われる事もあったようだ。
再洗礼派の人々は忍耐強く、質素な環境でよく働くため、為政者から散々利用された挙げ句不要になると全ての財産を没収されて土地を追われる事もままあった。
現在、ヨーロッパにはアーミッシュのコミュニティはないが、アメリカに渡った彼等の子孫が、まだこの国では暮らしている。
あかりのない環境で、どのように光を利用しているのか、興味があった。
それで、近くに訪ねられる場所は、と訊いたら、ウィスコンシンの村に案内を買って出てくれたのだ。
金曜日迄、夜はマイナス20度を超える大寒波だったが、土曜になり漸く零下一桁台に気温がおちついた。
雪で覆われた雪原を車で二時間、時折鹿の足跡を道端に認めつつドライブする。
時折あきらかに旧式のサイロが見え始め、牛や馬の姿を見かけるようになり、遂に四つ辻で馬車に出会った。
「このへんは、もう彼等の居住区ですね」
アーミッシュの人々の家は一カ所に固まっているのではなく、車も電気も使う所謂現代の家庭の合間に点在している。ただ、一家で経済が成り立つほどの余剰を持つ事を良しとしない彼等の生活は、基本的に相互扶助であるから、馬車で行き来できる程度の範囲内には固まっている必要がある。
目指す雑貨店は、州道22号の脇に、突然小さな平屋として現れた。
「中に入ると、蛍光灯のカバーのようなものが見えるんですけれどね、それが実は屋根に空いた穴から採光された自然光なんですよ。でも、言われなきゃわからないですよ。あ、それから、写真は駄目です。彼等は写真に撮られることを特に嫌いますから」
持って来たカメラを車の中へ置き、「OPEN」という札だけでどうにか営業中だと分かる扉を開けると、そこは薄暗い店内にいくつか棚が据え付けられた雑貨店だった。
一瞬、目を凝らした──そこは、あまりにも暗く見えたので。
しかし、数秒後には、その明るさに目が馴れ、まるで蛍光灯のように光っている天井の「穴」を見上げることが出来た。
自然の光とは、これほど明るく感じるものだったか。
棚に並ぶ色とりどりのキャンディ、少しずつ色の違う小麦粉、自然の材料のみで作られた石鹸の、淡く優しい色。
屋根を小さく切り取っただけの、その僅かな窓から零れる光が、そのさまざまな色たちを優しく浮かび上がらせる。
昼間に、その光の恩恵を思う。
明るい人工の光のもとに居たのでは、決してわからない感謝を、天に捧げる。
「明るくなくては」人足が途絶える、と、夜昼構わず店を明るくする事を追うようになったのは何時からか。
その思い込みを黙って否定するかのように、ちいさな雑貨店の中は、遠方から来た(一般の)客で溢れていた。
あかり、という言葉に、人は感謝と希望を込める。
光を扱う仕事は、時に他を制し、自らとそれが照らすものにより注目を集める事を要求される。
けれど、その苛烈な競争の中でも、そのふたつのキィワードが感じられる、そんな「あかり」を作ってゆきたいと、そう思った。
外に出ると、先刻四つ辻で追い越した馬車が、行儀良く駐車場に停まっていた。
店内にアーミッシュらしき客はいなかったが(彼等はおそらく直接コミュニティの中でやりとりしているのだろう)入れ違いに入店したのかもしれない。
馬なら写真に撮ってもよい、とのことなので、数枚撮らせてもらった。
非常に行儀が良い。よく見ると、そこは、馬車専用の駐車場だった。
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