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「そっちじやなくて、こないだ一緒に買った方のシャツにしろ」
アイオロスは、クロゼットから取り出したシャツを広げたサガにすかさずそう言って、クローゼットの中に腕を伸ばした。
薄い、ペール・ピンクのワイシャツに抑えた若草色の細かい模様の入ったネクタイ、グレーのスーツ。
白金の髪が、緩やかなカーブを描いてサガの肩に掛かっている。
「上出来。今日も凄く美人だ」
そう言ってアイオロスはサガの頬にキスをする。
ダーク・スーツに臙脂のシャツ。首元にはくっきりとした赤味のある黄色のネクタイ。
髪をさっとムースでなで上げると、アイオロスはサガを促してアパートをあとにした。
シティの外れ近くにあるGeneral Registration Office にアイオロスとサガが到着すると、ホールには既にシュラ・コーツが相変わらず頭の先から足の先まで漆黒の色に染まりながら二人を待っていた。
アイオロスが予約の確認をしている間に、サガは時間を作ってくれた礼と簡単な挨拶をシュラと交わした。
時間まであと三分、Officeの前に車の停まる気配がした。
Officeの軋む扉を押して、ぞろりと長い華服を身に着けたシオンが現れた。
サガのまっすぐな背中が更に伸び、その緊張をなだめるようにアイオロスはサガの肩に手を置いた。
一塊になっている三人を一瞥して、シオンは言った。
「時間だ」、と。
時計の針が、丁度動いて10時を指した。
淡々と、書類を確認し、サインをしながら手続きは滞りなく進んだ。
Civil Partnership Registration
2005年12月5日から、ここ United Kingdom ではシビル・パートナーシップ法が施行され、16歳以上であれば同性間でシビル・パートナーシップを取得できる事となった。
同性のパートナーにも年金制度、パートナーと死別した場合に発生する相続権など、血縁関係と同様な権利を容認でき、養子を迎える事も可能になった。
必要なのは、事前の書類手続きと両者のうちのどちらかがUKの国籍を所有している事、それから二人の見届け人。それだけだ。
出生届、死亡届、婚姻届を提出するのとなんら違いは無い。
手数料は40ポンド。
宗教上の儀式ではないそれは、行政の手続きの一つに他ならず、粛々とした雰囲気もない。
いつも自分が片付けている仕事と、なんら変わるところは無い、アイオロスはそう考えていた。
けれど、いつも以上に真面目に、真剣に、昔からのロード・パーフェクトの模範的な態度で自分の隣に立つサガを見た時、その左手の薬指に銀色の質素な指輪がある事を見た時、
そして、もういちどサガのピンと張った横顔と、透き通った瞳の色を見た時、アイオロスの唇の端に苦笑が浮かび、彼は視線を自分の靴の先に落とした。
「全く! 手続きの最中に締まりの無い顔をしおって! このアホがっ」
あらかじめ、昼食を奢られてやるなら上手い中華にしろとの命を飛ばしていたシオンの要望に応えて、アイオロスはキャブを捕まえてソーホーに走らせた。
そこで予約していた個室に入り、ウェイターが去った後のシオンの開口一番が先の言葉だ。
「締まりの無い顔なんてしてないだろ」
一体どんな顔をしていたのだ、と無言で非難の視線を刺してきたサガと呆れたバカ者だ、と鼻を鳴らしたシオンに向かって、アイオロスは否定の言葉を発した。
「まったく、お前といい、フェアファックスといい、愚図の腑抜けばかりだ」
「サガもミロもあんたんトコの後輩だろうが」
「こんな時だけ無関係な顔をするな! チェトウィンドはお前の荷物だし、フェアファックスはお前の玩具だろう。責任を持って片付けろ」
「まーぁ、サガの分の責任なら持つのもしょうがないが、も一個の方の責任は、あんたの同居人の後輩だと思うけどな、俺は」
シオンの小言をのらりくらりと交わしながら、アイオロスはサガの小皿にまめに食事を入れてやる。
「あ、ここの点心いくつか土産に持って帰るか?」
「なんでわしが、土産なんぞを持って帰らねばならんのだ? 必要なら奴に買わせに来させればよい!」
「あー、ハイハイ」
どうやら料理が口に合ったらしいシオンの様子に、要らぬ世話を口走ったら機嫌のシッポを踏んだらしい。が、店を出る際にはさり気なくサガが二人分の土産を購入していた。
シオンと、シュラの分だろう。
けっして出すぎず、かといって自分というものが無いわけでもない。
彼の本質は、いつも毅然とした清潔感と透明な眼差しで満ちている。
再度キャプを呼んで、順々にシュラとシオンをそれぞれの場所に送り、今度はアイオロスはハイドパーク方面に進路を変えた。
サガの視線が、チラとチラとアイオロスの皮膚に刺さる。
アイオロスは窓の外を眺めながらそ知らぬ顔を続ける。
今日はいい天気だった。
新緑の緑も目に眩しい。
やがてサガも諦めたのか、見え始めたハイドパークの緑に視線を移した。
サガはまだ知らない。
今夜、一体どこのホテルに泊まるのか。
アイオロスには簡単に想像がつく。
あの、超が付くほど有名な名前のホテルの前にこのキャブが止まったときのサガの表情、案内された部屋を見て、浮かない顔をし、口に出すだろう。
そして、全てが、アイオロスの予想通りになった。
9階の高みからハイド・パークを見下ろす窓辺に立ちながら、サガは溜息を付いて「ロス……」と彼の名を呟いた。
「そういう顔はするな、とこれまで何度も言ったぞ」
「私もこれまで何度も言っただろう? こういうのは不経済だよ……」
「金はただ貯めてても仕方が無いんだよ、使うから誰かの給料になり、税金になって国庫を潤す」
「でも、それにしたって、もっと別な、有益な使い道があるよ……」
「お前の言う所の有益な使い道には、こんな金、はした金にもならないと思うがな?」
アイオロスは程よい柔らかさのカーペットの上を歩いて、サガの目の前に立った。
「お前の短所は頭の切り替えが悪い所だ。とっとと今日は特別な日だと諦めてニコニコ笑ってろ」
「君には、特別な日が一体幾つあるんだい?」
苦笑を浮かべるペリドットの瞳に、アイオロスは笑いかけた。
「お前と一緒に過ごす日付の数だけ」
アイオロスのいかにも軟派な答えに、サガは一瞬目を見開き、そして小さく笑った。
笑ったサガの顎を、アイオロスはすかさず摘んで上を向かせると、サガは今度ははっきりと瞳に笑みを浮かべて目を閉じた。
ゆっくりと互いのキスを味わったあと、アイオロスはサガに囁いた。
「誇りに思えよ? 将来、合衆国大統領になったかも知れない男が国を捨ててお前を選んだんだ」
銀色の髪をやさしくすきながら、耳元にキスをすると、サガの腕がアイオロスの首に絡まった。
アイオロスの耳に、サガのやさしい「I love you…」という言葉が響いた。
登録所で思わず苦笑してしまったのは、あまりにも真摯なサガの横顔を見て、
思わず、
年貢の納め時
という言葉が浮かんでしまったからなのだ。
どんなに自分がサガを振り回しているように見えたとしても、アイオロスには分かっている。
サガが王であり、自分が従者なのだと。
無垢に、清冽に、高潔に生きる王を、自分は道化の真似をしながらこの世の終わりまで付き従って歩くだろう、と。