漸くミロの仕事が少し落ち着いたというので、遅ればせながら、誕生日のプレゼントを届けにローマまで来た。
我ながら、こんなところで資金を浪費している場合ではないのだが、送れるものではないし、と自分に言い訳して リュトン初の格安航空券を入手。RYANAIRの片道0.01ポンド(空港税別)というどういう採算なのか全くわからないチケットで飛び立った(機体はそれほど怪しげではなかった。幸い)。
安いだけあって、発着空港は小さな郊外の空港なので、ミロの家まではそれなりに時間がかかる。家にいるのは知っていたから、空港から電話をかけて、今ローマに着いた、と言ったら、電話の向こうから悲鳴が聞こえてきた。
まだ修羅場の後が片付いていないらしい。
とにかく、今回の目的は機内持ち込みで持って来たプレゼントを渡す事だったので、掃除も手伝うからとにかくそっちへ行く、と言いおいて電話を切った。
別にミロが忙しければ、これを手渡してそのままロンドンに戻っても構わない。
もともとそういうつもりだったからだ。
ローマ市内のミロの家に着き、呼び鈴を押したら、首にタオルを巻いたミロが顔をのぞかせた。
電話してから、大慌てで掃除をしていたらしい。
取りあえず、食卓の上は空いたというので、中に入れてもらい、持って来たプレゼントを渡す。
ミロは実に楽しそうに箱を開け、それから、目を丸くして絶句した。
「これって……カミュが作ったんだよな??」
当たり前だ! 失礼な!
「普通、これ運ぶためだけに、わざわざ国際線乗らないよな……?」
悪かったな、普通じゃなくて!
実は、先週の金曜日に実家に呼び出され、週末は実家で過ごした。呼ばれた用件というのは、例によって父の得意先の令嬢と会ってみろ、という相変わらずのものだったが、母がアップルパイを焼いておいてくれて、それが意外に美味しかった。かなり甘さを抑えてあったので、これなら甘いものが苦手なミロでも食べられるか、と思い、母からレシピを聞き出した。
私本人ではなく、私の将来の相手に教える、となかなか教えてくれないのを漸く聞き出して作ってきたというのに、ミロときたら、まるで何か怪しいものでも眺めるようにパイの箱をもて遊んでいる。
確かにそれほど料理が得意な訳じゃないが、お前のように、途中からレシピを追うのに飽きて勝手な改造をしたりはしないから、味はそこそこまともだと思うんだが……。
「カミュ、折角来てくれたのに悪いんだけど、明日まだひとつ仕事が……」
言外に、何故事前に話してくれなかったのか、というミロの恨み節が聞こえる。でも、パイを焼いて、ただ持って来るだけ、というのも悪くない、と思ってしまった自分がいて、そんな馬鹿な無駄を気持ちよくやってしまう自分を結構楽しんでいる。
ミロのここ数週間の忙殺の理由は、ちらかったテーブルの上を見れば一目瞭然で、十中八九ダブルブッキングだろう。
コピー用紙の裏に書きなぐられて、机まではみだしているスケジュールがその時の動揺を証明しているようだ。
だからあれほど、予定は一つの手帳にまとめておけ、とアドバイスしたのに……。
おおかた、カレンダーにでも書き込んだ予定をすっかり忘れていたのだろう。
いずれにしても、今のミロに、遊んでいる暇はない、ということだ。
そんな事は電話の様子でもう分かっていて、それでも、ミロの誕生日が過ぎて十日が経つのにまだプレゼントすら渡していない状況に焦れて、それでこんな事を思いついた。
我ながら、本当に、馬鹿だと思う。
でも、一緒に濃いアール・グレイとパイを楽しんで、 誕生日のお祝いのキスでもして、それで帰るのも、悪くない。
突然、電話が鳴って、ミロはちょっと御免、と席を立ち事務所に下りて行った。
その間に、ミロがもうひとつ、欲しがっていたものをテーブルの上に置いた。
今年の夏頃に、ミロが散々迷った挙げ句に買わなかったものだ。
こういうものは、普通はペアで買うのだろうが……自分の分まで買うのはあまりに間が抜けているので、ミロの分しか買わなかった。
もっとも、楽器を弾くミロが真面目につけるとは思えないのだが、まあ、気休め程度にはなるだろう。
さて、電話を終えて返って来た時のミロの顔が見物だ。
何と言って驚くかな、ミロは(笑)。