目の前に置かれた指輪を眺めて、顔色を赤から蒼白まで五段階に変化させた後で、漸く呟いた一言。
「ええと……カミュ、有り難う。うん、凄く、嬉しい……んだけど………オレ、今、金ない………(汗)」
思わず、「は?」と聞き返してしまった。
持って来たのはプレゼントで、それを受け取るのに、どうして金が要るんだ?
まさか、ミロ、お前私が代金を要求すると思っているのか?
思わず眉間に寄ってしまった皺を見てミロは更に怯えたらしい。最近使っていないと見える英語はほとんど崩壊している。それでも根気よく話を聞いてみると、以下のような思考であったらしい。
1)プロポーズだった場合
→お返しを返さないといけないから、金がかかる
2)ただの悪戯
→悪戯で高価なものはもらえないが、いらないと言うときっとまた怒るので結局貰ってお返しをするしかない
3)自分にも買ってよこすぐらいの甲斐性を見せろという意味
→いわずもがな
4)ただのおふざけでオレの反応を楽しみにしている
→2)に同じ
5)単なる冗談。ギャグで応酬するべき
→2)に同じ。そもそも、金のかかる冗談には慣れていない……
つまり、どう転んでもミロの方に痛い出費は避けられない、とそう結論づけた模様。
馬鹿、と頭を小突いてやった。
わざわざ人をからかうために、国際線に乗って来るほど暇ではないつもりだが。
仕事もあるのに、習作のアップルパイとミロが欲しがっていた指輪をぶらさげてこんな所まで来てしまったのは、そんな理由じゃない。
もっと……多分、ずっと原始的な理由だ。
一年前の自分なら愚かだと切り捨ててしまうような計画を、こんなに簡単に、楽しくやってのけてしまうその事実が、何よりもそれを証明している。
まあ、からかっていると思われても仕方がないかも知れないな(笑)。
少々、普段の行動から外れていることは認めるよ。
それでも、一年に一度、特別な日くらい、普段と違う事をしてもいい、と思う。
その特別な日に、今年は電話すら出来なかった。
知らない間にフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。
それで、つい、こんな突然の訪問をしてみる気になったのかも知れない。
これ以上冷汗をかかせておくのは流石に可哀想なので、「虫除けだ」と一言言ってやった。
大体、そもそも、お前が指輪を欲しがった理由はそれだっただろう?
老若男女の熱烈なラブコールが煩わしいと、夏あたり本気で参っていたから、少々預金をはたいて本物の結婚指輪を買って来てやったんだ。
もともとペアのものを一つだけ買う話をつける労力と、その気まずさを振り切った努力に、精々感謝してもらうとしよう。
指輪を送る、ということに、何の疼きも感じない、と言ったら嘘になる。
でも、ミロには多分、そんな輪の形など、形成さぬものの大きさに比べたら大した事ではないのだろう。
大体、指輪など、自分の手より相手の手にある時にこそ幸福を運ぶものだ。
だとしたら、これを送るのはミロの為ではなく、自分の為だ。
あまり気にするな、今日のメインはアップルパイだから、と言ってやったら、ミロはますます訳がわからない、という表情をした。
誕生祝いに来たのに、あまり困らせていては仕方がないな。
それでも、時計を見るともう既に九時で、残念ながら今日の最終便にはもう間に合わない。
仕事の邪魔はしないから事務所にでも泊めてくれ、と言ったら、寝室にいつものようにマットレスを敷く、と言って来た。
明日、仕事があるんだろう、と聞いたら、先方からキャンセルが入り、月曜日に延期した、という。
でも、遊んでいる暇はないんだろう?
笑ってそう言ってやったら、暫く迷って、少しだけなら、と未練がましい事を言って来た。
そうやって、お前何回徹夜した?(笑)
ミロはどうも、興味のある事を目前にすると、睡眠を拒否する傾向があって、眠くてどうにもならないのに喋り続けたり、遊んでしまったりする。翌日どんなに大変な目に遭うか、分かっていても止められない。
どうせ寝不足だろうし、無理はするな、と額をこづいたら、むきになって大丈夫だと食らいついて来た。
大体、こうなると、もう何を言っても無駄で……。
だから、今日は最終便で帰った方がいいだろうと思ったんだが……。
そこまで言うなら、明日後悔するなよ?
仕事が終わらないだの、眠くて頭が回らないだの、泣き言言っても手伝わないからな??
シャワーを浴びに行っている間にマットレスを用意してもらい、ミロがシャワーを浴びている間に、一応ミロのベッドも整えておいた。適当なところで抜け出さないと、本当に明日に差し障る。仕事の邪魔をしに来たわけでは、断じてない。
ミロが生乾きの髪のままやってきたので、手元のタオルで水気を拭ってやったら、またミロは目を丸く見開いた。
……そんなに、意外か??
どうにも、親切にすればするほど、ミロは疑心暗鬼になるらしい。
一体、どうすれば、物事をありのままに受け取ってくれるんだ? (溜息)
思わず口から飛び出しかけた問いの答えは、実はもう分かっている。
……つまり、誤解のしようのないはっきりした態度を見せればよいわけで……。
言葉ではっきり言えば、ミロは素直に信じる。
分かってはいるが、どうにも気恥ずかしくて、そう簡単に出来ることではない。
……まあ……それでも……本人が一番喜ぶ事をするのが一番の贈り物には違いない………。
どうにも顔を見ては言えそうになかったので、隣で寝転がっているミロの方に背を向けた。
背後でミロが動揺しているのを感じる。そんなにいつも怖がらせているのか? 私は。
少しむっとした勢いに任せて、宙をさまよっているミロの左腕をつかみ、自分の体の前に回させた。
背中に、少し冷たいミロの体温を感じる。
本当に、変温動物みたいな奴だ。緊張すると、一気に体温が下がる。
これが、暖かく柔らかになってくれれば、気持ちが通じたということになるのだろう。
胸の前にもってきたミロの腕を抱えこんで、先刻はめてくれたらしい指輪にキスをした。
深呼吸をする。
吐き出してしまえ、胸の内で屈折してミロを困らせる言動にすり替わらないうちに。
“Happy birthday, Miro, …. I love you.”