午後、1時10分。
母が、大丈夫なのか、とピアノ部屋を覗きに来た。
約束の時間は2時だ。
流石にもう出発しなければ、遅刻する。
朝9時からピアノ部屋に籠りっぱなしで練習していて、食事どころか水すら口にしていない。
どうにか、止まらずに弾けるようにはなったけれど……一ヶ月に数度弾くくらいでは、指の動きは衰えるばかりで。
あの、ジャック・ルーシェの軽く自由なタッチにはほど遠いと、自分で自分が嫌になる。
もっとも、まだ実家にピアノがあって、弾かせて貰える場所があるだけでも、十分幸せなのだろうが……。
開始一分前にスタジオに飛び込むと、既に先輩二人とミロが到着していて驚いた。
絶対、ミロが最後だと思っていたのに(つまり遅刻)!
そのミロは、顔を見るなり満面の笑みで人に抱きついてきた……
……いや、挨拶のハグもキスも、状況が許せば構わないんだが……(汗)
お前には、シュラ先輩の、「時間を無駄にするな」というあの底冷えのする視線が目に入らないのか??(汗)
夏の合宿以来ほぼ4ヶ月ぶりの音合わせは、全く酷い有様だった。
そもそも、3人が3人とも忙しいから、合わせの時には自分のパートを完璧に仕上げてくること、を条件にこんなギリギリから合わせを始めたというのに。
アイオロス先輩はともかく、何故こんなにも練習不足なのか、考えるまでもなく理由は明白で。
つまり、実家に戻る暇があったら、ローマに出かけていたからだ……(苦)。
二時間後、職業的にもっとも時間がなかったはずのシュラ先輩から雷が落ち、結局夜まで延長する事になった。
テンポや入りなどはほぼ確認出来、即興部分も(一応ジャズだから)大体固まった。
今回初参加のサガ先輩は文句なしの仕上がりで、相手を勤めるミロも、流石にヴァイオリンではいつもの冴えを取り戻している。つまり、不甲斐ないのは私とアイオロス先輩で、このバンドの特徴から、一番しっかりしなければならないのはピアノ奏者で……(汗)
ますます、両肩に重い重圧を感じた。
サガ先輩は、ジャズだから楽譜がもらえないのではないか、と心配していたらしいが、素人の我々に、本番当日に即興を挟むなどという技は不可能で、実はジャズと言いつつちゃんと楽譜が存在する、と言ったら胸をなで下ろしていた。
勿論本番はそんなものを見ていたら格好がつかないので、本番までに暗譜しなければならない。
結局、6時間に及んだ合わせが終わり、その日は飲みにも行かず解散、という事になった。
朝から起算すると、10時間ピアノを引き続けていた計算で、帰り支度を始める頃には、少し腕に痛みを感じ始めていた。
明日あたり、おそらく筋肉痛だろう……
シュラ先輩にはかなり睨まれたが、今日はこれ以上練習するのは無理なので、素直にフラットへ戻る事にする。
それにしても、鈍ったものだ。
レパートリーの半分は、去年にもやったもので、去年は何も問題なく弾けていたのに。
腕が痛いということは、指が回らないので必要以上に腕に力がかかっていた、ということだろう。
部屋に戻り、思わず溜息をついたら、先刻から人の顔を心配気に覗き込んでいたミロが、くるりと振り向いて強く抱き締めて来た。
優しいな。お前。
何かと、上手く伝わらない事も多いけれど、落ち込んだり、悲しんだりしている気配だけは、必ず敏感に気付く。
間に合わなかったことを後悔しても仕方がないので、気持ちを切り替えて、夕食を作ろうともちかけた。
ミロがドライトマトを買って来てくれている筈だから、それでパスタでも作って…
「ドライトマトをくれ」とミロに頼んだら、2kgサイズの乾燥トマトの袋が、ずしんと左手に載せられた。
……有り難う……、一年分、かな?
袋の感じからして、業務用、どうやら業者から直接仕入れたらしい。
味を楽しみに、とりあえず空けてあった乾物用の棚に押し込み、キッチンを振り返る。
その目の中に映ったものに気付いて、唖然とした。
同じ袋が、まだ4つも!!!!!
「ミロ、これ、全部…………!」
「え? 乾燥トマト、欲しかったんだろ?」
ああ……そうだ……ミロは結構、限度というものが分からない………
思わず、口を開けたまま固まってしまった。
大体、ドライトマトというのは結構塩気が強くて、そう大量に消費出来るものではないのだ。
それとも、何か? イタリアではこれは、毎日のように消費するものなのか?!
ミロが好意で買って来てくれた事に疑いは全くないので、とにかく礼を述べて袋を棚に押し込んだ。
頑張ってはみたが……全部はやっぱり入らない。
いずれ、暫くは実家に通う事になるので、ひと袋実家に持っていこうと密かに決める。
あとは、サガ先輩に一袋と、シュラ先輩がもし好きなら一袋……
思わず袋を掴んだまま固まっていたら、ミロは何時の間にかさっさと大蒜を刻み、パスタをゆで始めている。
気を取り直し、冷蔵庫からサラダの材料を出して、簡単なVinegrette Saladを作った。
シチリアで天日干しされた赤いトマトは、思ったより塩分が少なく、トマトの酸味と甘みが強く凝縮されていて、ロンドンでは滅多に出会えない南イタリアの香りがした。
これなら、思ったよりはすぐに消費するかも知れない、と、少々ミロの常識を疑った事に、胸中で詫びる。
(それでも、一人暮らしで10kgは絶対に要らないが……そもそも、ミロはローマから、ヴァイオリンケース1つとトマト10kgを背負ってロンドンに来たのか?? よく空港のセキュリティ・チェックで怪しまれなかったな……)
食後、ミロが食器を片付けてくれたので、その間にこちらも約束のものを冷凍庫から取り出した。
昨日のうちに作っておいた、アイスクリームだ。
インターネットで調べたレシピ通りに作ったら、軽く十人分はありそうな分量になってしまったが、ミロの事だから一人で半分は消費するだろう、と安心して、ミロの目前に置いた。
ミロは喜びで一口含み、それから、殆ど飛び上がらんばかりの勢いでこっちを見上げた。
「何?! 何、これ?!」
「何、って……アイスクリームだが……」
「何の匂いだよ、これ!!」
「ああ、ブランデー入れた」
「何で!!!!!!!!!!!!???」
いや、そんなに驚かなくても……
ブランデー入りのアイスくらい、フレンチレストランに行けば普通に出て来るだろう?
「何でジェラードに酒が入ってるんだよ!!!」
「ジェラードじゃない、それはアイスだ」
「それにしても、何で酒?!」
「ああ、バニラエッセンスがなかったんだ。そうしたら、レシピには、なければブランデーを入れろ、と書いてあったから」
「すごい匂いがするぞ?! いったいどんだけ入れたんだよ?!」
そういえば、「少々」としか書いてなかったから、適当に入れたような気がする。
「……多分、大さじ1杯くらいかな? いや、2杯? ……3杯くらいかも……」
「……カミュ……オレが酒弱いの知ってて……実は、まだオレの事、怒ってるだろう………???」
ミロはアルコールに弱いだけでなく、酒の匂いにもあまり強くない、という事に今更ながら気付いたが、後の祭りだ。
大体、酒だか何だか分からないような量では、入れなくても同じだ、と思ってしまったのがそもそもの間違いだったかも知れないが……。
仕方がないので、ミロのグラスに入れたアイスをとりあえず自分のグラスにあけたら、あれほど異議を申し立てていたくせに食べる、と言う。
半分涙目のミロを残し、シャワールームの準備をして戻って来たら、アイスはきれいになくなっていた。
全く、食べるんだったら文句言うな。
これ以上ごねられると面倒なので、まだ恨みがましく空のグラスを見詰めているのをシャワールームに追い立て、その間に寝室の準備をした。
ミロの分のベッドは、作ろうとすればスペースはあるが……
少し考えて、止める事にした。
ミロが別に寝たいと言えば、その時に準備すればいいことだ。
気の無い振りをして、ベッドまで別に用意しておきながら誘わせようなんて、狡い。
それが分かる程度には、多分、自分も年を取ったのだろう。
それでも、シーツを替えていると、目の端に時計の文字盤が飛び込んで来て、ふと、手が止まってしまった。
まだ、時刻は九時前だ。
何をやっているんだ。こんな早い時間から。
少々、焦っている自分に気付いて、思わず赤面した。
大体、こういうことは、先方の様子を伺って、段取りというものがまずあって……
もう少し遅い時間まで、DVDでも見るとか……酒、はミロには使えないが……
何かあるだろう、と思考が流れそうになるのを、無理矢理止めた。
それも、ミロから頼まれた後で構わないだろう、と。
結局、自分は先日のローマでやり残した事を実行したくて、最初からそのつもりなのだから、それ以外の事など後回しでいいのだ。
十代の子供じゃあるまいし。
苦笑と一緒に、溜息が漏れた。
これでも、彼女と付き合っていた頃は、こんな事で躊躇したりはしなかったはずだ。
それは、彼女の方が年上だったからかも知れないが、積極的に自分から誘う事に、それほど羞恥心はなかったように思う。
むしろ、彼女にそうさせるまで待たせてはいけない、と、プレッシャーさえ感じていた。
それが、どうしてミロ相手では自然に出来ないのか。
こんな事、ミロに知られたら、きっとまた深く傷付くに違いない。
本当は、その理由も分かっている。
準備を整えて、誘って、「気がのらない」と言われるのが怖いからだ。
まだ時間も早すぎるから、DVDでも見よう、なんて言われたって、そう簡単に楽しめるはずがない。
Ellenと付き合っていた時は、そんな事は考えもしなかった。
まだ気が乗らないと言われるなら、別に気が乗るまで待っていられた。
どうやってその時間を演出しよう、なんて、他に楽しみが増えたくらいだ。
だから、きっと、彼女とは別れるしかなかったのだろう……。
畳んで折り目のついたシーツを大きく広げて、昔の記憶を追い払った。
Ellenには申し訳ないが、今日は、彼女の事を考えているわけにはいかない。
兎に角、今日はこの間のローマの続きなのだから、存分にサービス精神を発揮していいわけだ。
余計な事は考えずに、ミロの気に入るようにしてやればいいじゃないか。
ばさばさとシーツをはたいていたら、シャワーから上がって来たミロが、恐る恐る寝室を覗き込んだ。
「……何やってるんだ? カミュ」
「……いや、ちょっと、埃が……」
決まりが悪いので、とりあえずさっさとシーツを被せ、上掛けを直し、クローゼットから枕をもう一つとって据えた。
ミロがびっくりしたようにこちらを振り返ったが、構わず、「シャワーを浴びて来る」と残してシャワールームに向かった。
流石に、これでこちらの思惑に気付かない程、ミロも鈍くはない、だろう……(不安)
シャワーから戻って来ると、ミロはあのアイスクリームを、タッパから直接(!)食べていた。
結局食うなら文句を言うな!
言外に睨みをきかせて、アイスクリームを取り上げ、冷凍庫にしまって、さっさと寝室に引き上げた。
ミロは別に異論もなくついて来る。とりあえず、これからDVDを見よう、という気分でもないらしい。
ベッドに腰掛けて、隣に座ったミロを見たら、まだ髪から雫が滴っているので(相変わらず髪の手入れが雑だ)、首にかけていたタオルで水滴を拭ってやる。
珍しく、大人しく黙ってされるがままになっているのを見て、ふと、ある言葉が記憶に蘇った。
……そうか。もしかして、ミロ………
「お前、もしかして、この間ここへ来た時の言葉、本気だったのか?」
「は?」
「は? じゃなくて。この間、ここへ来て言っただろう? わざわざローマから尋ねて来た目的を」
「……ええと……?」
「『お前に抱かれに来た』って」
その瞬間、ミロの顔から音を立てるように血の気が引いた。
実のところ、付き合い始めて最初の頃は、たまに上下入れ替えたりもしていた。
ただ、別れる前は殆どセックスレスな状態だったから、ミロはもう何年も『抱かれて』いない。
ミロがその気なら、勿論上下入れ替わるのは構わないが、この反応を見ると、どうやらそういう訳でもなく、ただ言葉の弾みだったようにも見える。
返事を待っていると、ミロが、恐る恐る、といった態で、訊いて来た。
「……カミュは、どっちがいい?」
「どっちでも? そもそも、お前の誕生祝いの続きだから。ミロの希望通りにするよ」
一分経過。
二分経過。
三分経過。
ミロは、三分前と同じ形で固まっている。
おそらく、巡り巡って地球の裏側ほどまで旅していると思われるミロの思考を引き戻す為に、取りあえず言ってみた。
「……いや、無理はしなくても……その……慣れてないと、多分辛いから……勿論、ミロがどうしても抱かれたいと言うなら、なるべく負担にならないように努力するけど?」
その途端、ミロは「ごっくん」と音が聞こえるほど大きく唾を飲み込んだ。
……全く。何を躊躇しているんだろう?
そんなに受手になってみたいのか? でも怖くて、なかなか言い出せないのか?
まあ、そういう事なら、気長に返事を待ってやろう。
幸い、時間はたっぷりあるし…
(しかし、ミロの場合、このまま朝まで固まっている可能性もあるが……)
すると、ミロが、息を吸い込む音を立てて、口を開いた。
漸く、決めたか?
じっと見詰めていると、また、何も言わずに口を閉じてしまった。
成程。これほど躊躇するからには、これは本気で逆を望んでいるに違いない。
再び、ミロが何かを言いかけた。
今度こそ、と耳をすます。しかし、やっぱり空気音しか聞こえない。
しまったな、と先の発言を後悔する。
そんなに下が良かったのなら、もっとencourageする事を言ってやればよかった。
三回目、もう一度口を開いて声が出ない時には、もうそのまま押し倒してやろう、とほぼ覚悟を決めていた。
息を飲む音が聞こえ、薄い唇が震えた。
その口元をじっと見詰めていたら、全く予想外の台詞が耳に飛び込んできた……
「あの…抱かれるのがイヤだとか、カミュに抱かれたくないとか、カミュを疑っている訳でも、嘘を付いたというわけ、でもなくて……その、………」
は?!
一体今迄、お前は何を気にしていたんだ??
嘘、って……
ミロは、そこでまた言葉を探して固まっている。
まさか、一度受手に回ることを宣言したから、変えられないとでも??
ちょっと待て、と言おうとしたとき、ミロは急に向き直って、両手をベッドの上についた。
「済みません……今日は、その、今までと同じポジションが……スマン。心の準備が……」
「何も謝ることはないだろう?」
「だって、カミュにばっかり何時も下やらせて……」
「別に問題は……第一、お前が相手なら、私はどちらかと言えば下の方がいい」
「ええっ? なんで?! さっき言ったじゃないか、慣れてないと辛いって!」
「もう慣れた」
ミロは、またフリーズした。
また、どうせ、私の方にばかり負担をかけた、とか思っているのだろう。
仕方がないな。
小さく息を吐いて、両手をついたままがっくり頭を垂れているその額にキスをした。
「慣れれば快感しか残らないし、その方がお前を近くに感じる。だから受手にまわる方がいい」
ミロは、まだ、疑いの眼差しでこっちを見ている。
全く、どうして私の言葉だけ素直にきかないんだ? こいつは。
「……本当は、上をとる方が大変なんだよ。運動量は多いし、相手に任せ切りで快楽に浸ってもいられないし。だから、私の方こそ、少し申し訳なく思っていた。何時でも逆になりたいなら、言ってくれ」
ミロは、漸く、こくりと頷いた。
「それじゃ、決まり。でも今日は、お前は寝ているだけでいいから」
「は?!」
タオルを被ったまま硬直している体にそのまま伸し掛かって、ベッドの上に押し倒した。額から、目元、頬、唇にキスをして、湿ったバスローブの中に手を忍び込ませる。ミロが慌ててこちらのバスローブに手をかけようとするのを、首筋から項にキスして遮った。
今日は、黙って寝ていろというのに。
首から胸、腕、脇、腰にキスをしながら下りていったら、ミロの体が激しく跳ねた。流石現役モデルだけあって、無駄のない綺麗な体をしている。少し立ち上がりかけているのを両手で包んで口に含んだら、頭上から「うわっ」と声が聞こえた。
随分と、色気のない声だ。
これを、どうやって潤ませてやろう?
ミロは脇腹は極端に弱い(くすぐったがる)ので、なるべく脇には触れないようにして、薄く汗をかいている皮膚を丹念に撫でた。少し、息をつめるような音と、きり、という小さな歯軋りが聞こえる。深く銜えて強めに吸ったら、髪の中にミロの指が滑り込んで来て、その中に冷たく固いものを感じた。
指輪だ。
昼間の練習時には、外していた。一体、いつはめたのだろう?
その感触は、何処かくすぐったくて、嬉しかった。
唇を外し、緊張している脚、膝、とキスをしては、また一番敏感な部分に戻って吸い上げる、というのを繰り返しているうちに、段々とミロの全身の力が抜けてきた。こちらに手を伸ばしてはくるが、それは愛撫の為ではなく、ただ無心に触れているに過ぎない。
こういう無防備な表情のミロも実は結構好きで、そういう顔が見たい時には、わざと上をとったりする。よほど、このまま事をすすめてやろうかと考えたが、あれほどミロが申し訳なさそうに頭を下げたのを裏切るわけにもいかないので、サイドボードの上に用意しておいたローションに手を伸ばし、両手をローションで十分に濡らした。
立ち上がったままの性器に、丹念にローションを被せ、片手で支える。実は、この先の行為を準備なしにした事はなくて、少々その衝撃の度合いが分からない。が、多分何とかなるだろう、と楽観的に考えて、まだ体を覆っているバスローブで腰回りを隠し、ミロの上に膝立ちでまたがった。
いきなり私がミロの上に覆い被さって来たので、ミロは少し驚いたようだ。余計な心配をさせると折角の夢見心地が醒めてしまうので、そのまま唇を自分の唇で塞ぐ。そうして、互いの舌を絡ませ、お互いの力が抜けた所で、腰をミロの上に落とした。
ミロの腕がぎょっとしたように跳ね上がり、私の腰を支えた。
一気に最後まで挿入を済ませてしまうつもりだったが、流石にそうはいかなくて、重ねていた唇が外れた。
「ちょっと! カミュ! それ、無茶……!」
「……っ……動くな! まだ……」
「駄目だって! 怪我するだろ!」
「大丈夫、ゆっくりやれば………」
「そういう問題じゃないっっっ!!!」
「頼むから、動くな! 本当に怪我をする!」
ミロが、びしっと岩のように固まった。
……全く……こんな色気のない事態に陥る予定ではなかったのだが……(溜息)
矢張り、残念ながら女性の体とは構造が違う、と実感する。
どうやら、私しか知らないらしいミロに、少しは奉仕される立場を味わってもらおうと思ったのだが……。
三度、深く息を吐いて、体の力を抜いた。
じわじわと、自分の体が異物を飲み込んでいくのを感じる。
それと同時に、体内で、別の鼓動が脈打つのを感じる……
そうして、その音を体で聞くうちに、何故か、自分の鼓動もそれに同調していく。
その瞬間が、とても好きだ。
いつの間に目を閉じていたのか、うっすらと瞼を開けると、ミロが心配そうに人の顔を覗き込んでいた。
もう一度キスして、耳元で、もう大丈夫、と囁いたら、本当に? とまだ不安気な声が返って来た。
そんなに心配ばかりしていては、楽しめないだろう……
大体、少しくらい切れたって、たいした怪我じゃない、とよほど言ってやろうかと思ったが、余計に怖がらせるだけなので、止めておいた。
こういう時は、別の事に注意を向けるに限る。
キスして、と言ったら、漸く、腰に添えていた手を首筋に回して、深いキスをくれた。
暫く、そうして抱き合って、互いの皮膚にキスの痕跡を残し合っていたら、ミロの手がバスローブの中に潜り込んで来た。
もともと、こちらの意図を気付かれないように今迄脱がなかっただけのことだから、今度は邪魔をせずに好きなようにさせてやる。すると、ミロは、バスローブの紐を解いただけで、広く開いた袖口から手を滑り込ませて来た。
……結構、天然で、スケベなんじゃないか? こいつ。
そろそろ、繋がっている部分も慣れて来たので、少し体を揺らしてみる。きつかったのは最初だけで、あとは普段と変わりないと知った。
下に寝てしまうと、ほとんど自由はきかない。なるべくミロの動きを助けるようにはするけれど、体勢的に限界がある。
でも、こうして上に乗ってしまえば、何一つ制限もなく、ミロの快感をこちらでコントロールする事が出来る。いつも受け取るばかりだった状況を思うと、少しエキサイティングで嬉しい。
ゆっくりと体を揺すっていたら(ミロはあまり早い動きが好きではない)、少しずつミロの唇から吐息が漏れ始め、それに甘い鼻声が混じるようになった。とりあえず、自分の方は二の次に置いて、ミロの快感を追い上げる。まだ騎乗位に慣れていないから、こちらが夢中になるとはずれてしまいそうになるからだ。
これなら、大丈夫。
ミロの吐息が大分切迫してきて、ほぼ成功を確信した時だった。
ミロが思いもかけなかった反撃をした。
つまり、空いている手で、人の性器に手を伸ばしてきたのだ。
実は、この体位で寝たのはこれが始めてではなくて、Ellenに何度かしてもらった事がある。
その時は、(勿論彼女は女性だから)前に余計なものはついていなかったわけだ。
だから、まさか、このタイミングで掴まれるとは、想像もしていなかった………。
まずい、と思った時は、もう遅かった。
体が反応し、ミロを飲み込んでいる部分に、じわりと鈍い熱が生まれた。
悪気はないらしいミロは、青い瞳を潤ませたまま、一心に人の性器を弄くっている。
思わず零れた息に、熱が籠っているのを感じた。
体の力が抜ける……咄嗟にミロの胸に手をついて、上半身を支えた。
だらしない。
この状態では、自分で動かなければ、どちらにしても、終わりまで辿り着けないというのに。
なるべくミロの好きな方法で(つまりゆっくり)追い上げてやろうと思っていたが、そんな余裕がなくなってしまった。
ミロの手を外し、腰を支えるように導く。
そうして、ミロがもう何も出来ないように、大きく体を揺すった。
息が上がる。
一度ついてしまった火は消える事なく、その動きはミロだけでなく自分自身も追い上げる。
吐息に声が混じり、同じようにミロの息にも甘い声を聞く。
長い坂道を駆け上がるようにして、漸くミロを頂点まで導いたときには、既に精魂尽き果てていて、あと少し自分の為の階段を上る力もなかった。
思わずミロの上に突っ伏して、息を整えていたら、ミロの両腕が強く背中を抱き締めて、それから頬に張り付いた髪を漉き上げた。
相当汗をかいたし、気持ち悪いだろうに。
ゆるゆると顔を上げたら、頬にキスされた……
お前、なんだか、人のこと子供扱いしていないか?
でも、随分と嬉しそうだ。
それなりに気持ちよかったのか、とほっと気を抜いた途端、いきなり体をひっくり返された。
えっ?!
綺麗に、視界がくるりと180度回転した。
天井が見える……
あまりにも見慣れた光景に、自分の立場が一瞬にしていつもの場所に落ち着いてしまった事を知った……
「……今日は大人しくしていろ、と言ったのに……」
「だって、カミュ、疲れただろう?」
帰ってきた答えは、随分と嬉しそうな笑顔つきだった。少々体力のなさをからかわれているような気がして、つい、少しむくれて言った。
「だから何だと?」
「え? いや、まだカミュはいってないし、だから今度はオレが手伝おうかな…と…」
「……まだそんな体力があるのか……もしかして、あまり良くなかった?」
「体力は…別に、眠くはないし…いや、カミュがもう寝たいっていうんならやめておくけれど…。それから、良くなかったら、射精ってできないと思うけど?」
相変わらず、色気のない言い方をする。だが、この場合満足出来なかったわけではない、という意味なので、良しとするか。
考えてみたら、ミロは殆ど動いていないのだから、体力があって当然だ。
そうして、ふと、最初の目的に思い当たる。
今日は、ミロを徹底的に喜ばせる日だ。
「いや、まだ眠くはないよ。……で、続きはどうする? 少し休めば、また上に乗れるが……どっちがいい?」
「いいよ。カミュには沢山してもらったから、今度はオレがやる。カミュこそ今度はなにもしなくていいよ」
「そうじゃなくて。お前のしたい方を言ってくれ」
また遠慮しているのか、と、少し真面目な顔で迫ったら、ミロはふわりと、照れたような笑みを見せた。
「う…ん。もっとカミュと遊びたいっていうか、セックスしてたい。カミュは今つかれてるから今度はオレがカミュを気持ちよくして、でその後はその後で考えればいいじゃん?」
………え?
それって、まさか……エンドレスなのか??
一瞬、そのループをいつまで繰り返す気なのだろう、と気が逸れた瞬間に、ミロはさっさとまだ残っていたバスローブを剥ぎ取り、首筋に顔を埋めて来た。
だから、そこは見えるから止めろというのに!!
喉元まで出かかった静止の声を、寸前で飲み込む。……誕生日(もう1ヶ月も過ぎたが)の記念くらい、好きにさせてやるか。
ミロがその気なら、こちらは精々誘ってやろう。
最初から、そのつもりだったのだから。
もう何度目かわからないキスから唇を離した瞬間に、ミロの頬に両手を添えた。
青い瞳が生き生きと輝いて、こちらを見詰めている。
こんなに嬉しそうなミロを見るのは久しぶりで、つい、自然に笑みが零れた。
「……それじゃ、お言葉に甘えて、暫く動けなくなるくらい、気持ち良くしてもらおうかな?」
……翌日、腕だけでなく全身に響く筋肉痛と、腰に響く鈍痛、掠れて出ない声の中で、この言葉をほんの少し後悔した。
尤も、敗因は、別にあったかも知れない。
何度果てても飽きる事なく求めてきたミロの情熱に、いつの間にか当初の目的を忘れて、その熱に溺れた。
目的を見失って良い事など、ひとつもない。
いつもならそう思うのだが……
その熱の甘さに、今はそう言い切れない自分がいる。
後悔というなら、それよりもっと大事な事があった。
今朝起き上がれなかった私を見て、ミロは随分と辛そうな顔をしていた。
そういう時は、男なら誇らしく思うのじゃないのか?
そう思ったのに、それを言ってやればよかった、と気付いたのは、ミロが帰途についた後だった。
いつも、言葉が足りない。
ミロが言う通りだ。気を付けているつもりなのに、矢張り、全然足りていない。
だから、ミロも見ているであろう午後の光を浴びながら思う。
ミロは一体覚えてくれているだろうか?
離れ難くて、何度もねだったのは、むしろ私の方だったことを。