午後二時のロンドン行きに乗るために、正午にアパートを出た。
本当はもう少し早く出る予定だったが、ミロの手が遅くてなかなか外出の準備が整わなかったからだ。
「ミロ、無理して見送りに来なくても……」
「イヤだ。行く」
「でも、一人で家に戻るのは味気ないものだし……」
「でも行く!」
そんなやり取りを何度も繰り返して、それでも気落ちしてなかなか準備のはかどらないミロの着替えを手伝ってやって、漸く出発。
電車の中、ミロは黙り込んだままで、思わず横を向いて小さく溜息をついた。
黙りこくっているなら、別に家に居ても同じだったのでは?
ミロの左手はしっかりこちらの服の裾を掴んでいる。子供みたいだ。
私にも勿論、離れ難い感情はある。
でも、こんな風に前日から落ち込むという事はなくて、どちらかというと、直前まではその分楽しむ方だ。
永の別れというわけでなし、また次を楽しみにしよう、と切り替えも早い。
でも、ミロは何時も、別れ際には本当に辛そうな顔をする。
そのへんの違いが、ミロが「カミュは冷たい」と言う一因なのかも知れない。
空港で実家への土産を選び、時間つぶしの本を探しているうちに、搭乗時間が来てしまった。
セキュリティチェックへのゲートを潜れば、その先まではミロはもうついて来られない。
館内放送で、私の乗る飛行機の最終コールがかかり、私達はゲートの前まで移動した。
地元ではそこそこ有名人のミロは、外に出る時は色の濃いサングラスを掛けている。
そのサングラスを取り上げると、その下に、眉間に皺を寄せて、今にも泣き出しそうな大きな青い瞳があった。
いつもの事だ。ミロが別れ際に泣きそうな顔をするのは。
それなのに、胸が傷んだ。
急に、そのまま回れ右をして、ミロのアパートに戻ってしまいたい衝動に刈られた。
本当は、ロンドンになど帰りたくない。
帰る場所は、いつも一緒であって欲しい。
初めて、ミロが感じる未練が、少し分かったような気がした。
ラストコールが繰り返される。
遂に、名指しで呼ばれた。
「ミロ、……もう行くよ。」
「うん………」
俯いている顔を、顎をつまんで上げさせた。別れ際くらい、真っ直ぐ見てくれてもいいだろう?
「ピアノ……本当に有り難う。それから、とても幸せな休暇だった」
そうして、そのままミロの唇にキスをした。
触れるだけのキスで離れるつもりだったのに、その後ミロに羽交い締めにされて、結局一分ほど時間をロスした。トランシーバーで交信しながら飛行機を止めてくれている係員の後をついて走り、漸く搭乗口に辿り着いたのが出発5分前。フライトアテンダントの女性に謝りながら席につき、こうして今ロンドンへ向かう飛行機の中に居る。
……さっき、ロスした1分ほどの間に、何処かでカメラのフラッシュが光ったような気がしたんだが……(汗)
来週の女性週刊誌の見出しが、少々心配だ……(汗)
毎回味わっている感覚だけれど、未だにコントロール出来ない。
家に帰ると、狭いアパートのはずなのにガランと広く感じる。
どこにもカミュの気配が無い。
ピアノもポツンとただあるだけ…。
バイオリンを弾く気にもならず、仕事をするためにPCの電源を付ける。
多分、今夜は徹夜だろう。
一人で寝るのは寂しすぎるから。