A happy new year

2008年が終わり、新しい年がやってきた。
今年は、色々な意味で正念場の年になりそうだ。


24日、結局イタリアへ行くことになって、そのまま週末までミロのアパートで過ごした。
26日のボクシング・デーにはロンドンに戻るつもりだったのだけれど、ミロの家があまりに凄まじい事になっていたので、片付けが終わらなかったのだ。
あんなに滅茶苦茶なミロの部屋を見たのは初めてだ。なるほど、普段はそれなりに、人が来る時には片付けていたのだな、と納得。
寝室のドアからテーブルの端にまで貼付けられた付箋紙を全部一カ所にまとめて、カレンダーに予定を書き写す。よくこれでダブル・ブッキングが起こらないものだ、と考えて、そういえば何度かダブル・ブッキングでこちらが被害を被ったな、と思い出す。仕事ではちゃんとやっているのだろうか。
床にまで散らばった紙は何処にあったか付箋をつけてまとめて机の上へ。ベッドルームは資料やら楽譜やらで見事人の形のスペースがマットレスの上に出来上がっていたが、取りあえずミロが24日の夜の寝床を確保するために部屋の隅に積み上げた。下手な事をすれば雪崩が起きそうで、人のパジャマに手を忍び込ませようとしてきたのをぴしりと叩いてさっさと寝ろ、と頭を枕に押し付けた。
深夜のミサを終えた後で、既に時刻は夜明け近いし、お互い、前日はまともに寝ていない。それでもやる事はやろうとするあたり、全く若いというかなんというか……。
翌25日はミロは朝から仕事だったので、屋根裏部屋及び事務所の大掃除にとりかかった。
楽譜を全部まとめて本棚に押し込もうとしたが、スペースがまるで足りない。これらを人目につかぬよう、一体これまで何処に積み上げてあったのか、と感心するくらいだ。
物置になっていたピアノの上をあけ、そこに本棚に入り切らなかった楽譜を並べる。
書類は勝手に捨てるわけにはいかないので、領収書、請求書関係、製図、企画書、楽譜、と分けて箱に入れる。
キッチンにはひからびたクリスマスケーキが出しっ放しになっていて、朝ミロを仕事に送り出す前に問答無用で捨てようとしたら、悲鳴が上がった。
「それは! どうしてもお腹が空いた時に食べるんだ!!」
「バカ! こんなもので誤摩化さずに、まともなものを食べろ!」
朝から一発頭をはたいておいて、勿論ケーキの成れの果てはゴミ箱に押し込んだ。
冷蔵庫にあったのは、ひからびたセロリ、パセリとトマト、卵が一個。
多少まともなものを作ってやろうとしても、これではどうにもならないが、クリスマス・デーに開いている店などない。
結局非常食を漁り、ポテト・フレークとアンチョビの瓶、オリーブ缶を発見。冷凍庫にホウレンソウの冷凍があったので、これらでキッシュを作る。セロリとトマトはスープにするか迷った末、結局パスタにした。スープがない分は、ワインで我慢してもらうことにする。
夕方、ミロが戻って来て鼻をひくつかせているのを、リビングに押し込んで書類の整理をさせる。幸いイタリアにはボクシング・デーの習慣がないので、26日には店が開く。まず食料を買い込まないといけないし、ピアノの上の楽譜を整理するボックスも欲しい。翌日の買物リストを書き出していると、ミロが申し訳なさそうにやってきて、「いいよ、カミュがそんな事しなくても……」ともごもごと言った。
「全くだ、こんなことをしなくても良いよう、もう少しまともな食生活を送ってもらいたいものだ」
一睨みで退散させて、一週間分の食料の材料を書き出す。冷凍庫がガラ空きだから、シチューやパイなどを作って冷凍しておけば、レンジで解凍するだけで暫くは食べられるだろう。
26日はミロは昼からレッスンで、少し朝に余裕がある、というので、食後にまた懐いてきた。
そもそも、イタリアに来る事にしたのは、ミロがソロを受け持つ24日の真夜中のミサをやっぱり聴きたくなったから、というのは勿論だが、その前があまりに慌ただしくてあまりゆっくり出来なかったからだ。確かにその時には私の方にもその気があったのだけれど、こうも凄まじい部屋を見てしまってはとてもそれどころではなく、ベッドに入ればものの数分で寝られるほど疲れていた。
ミロとしては、それが物足りないらしい。まあ、ミロは疲労の極地にあっても興味のある事のためには起きていられる性格だから、疲れるとその気にもならない私の態度が冷たく見えるのだろう。
多少可哀想にも思ったが、取りあえず、現状をそのまま伝えた。
「その気になってくれるのは結構だけど、ローションがない」
「えっ……?! でも、この間使ったのが……!」
「もう残り少なかったし、一ヶ月以上あの埃っぽい部屋に放置していたのなら黴が生えていてもおかしくないと思って捨てた」
「……………」
ミロはがっくりと肩を落として、それから上目遣いにこちらを見た。
「……やっぱ、ローションないと、無理?」
「無理」
「……だよなあ……」
長い溜息をついて、一応在庫を確かめてみる、と寝室に消えた後ろ姿を見送った。
まあ、今日やると言われても、準備もしていないし、仕方がない。
翌日は朝から買物に出かけ、市場、日曜大工店と何度も店とアパートを往復した。積み上げておくしかなかった書類や楽譜が多少整理され、付箋の林も全てカレンダーに書き写して処分。
ミロの過密スケジュールは本当のようで、翌27日の土曜日、28日の日曜日まで打ち合わせの予定がつまっている。こんな土日に働くイタリア人もいるものだと、打ち合わせの相手に感心した。
夕方、ミロが戻って来て、漸く増えた食材で夕食をとりながら、明日の便でロンドンに帰ろうと思う、と告げると、ミロが文字通り椅子から立ち上がって叫んだ。
「そんな! 折角の週末なのに、帰るのか?」
「だって、お前は仕事だろう? 掃除も一段落したし、食料も二週間くらいは食いつなげるほど作り溜めしたし……あ、事務所の冷蔵庫にも保存食が詰まってるから」
「仕事は予定変更してもらった! 土日は頑張ってあけたんだ、だから帰るなよ……」
大きな目がこぼれ落ちそうなほど真剣にこちらを見詰められて、思わず溜息が出た。
あの過密スケジュールの何処に、土日の分の予定を詰め込んだというんだ? 全く。
「楽をすれば、そのあとのツケが大変なことになるぞ」
「カミュが綺麗に書類整理して、食事も作ってくれたから、その分の時間が空く。だから、その時間は、カミュと一緒に遊ぶ」
「遊ぶ、って……いい年して、何をして遊ぶというんだ。お前、本気でコンクール狙うって決めたんだろう? だったら、遊んでいる暇なんてないだろう。折角土日空いたのなら、練習しろ」
「嫌だ」
「嫌だ、って……」
「じゃ、カミュはそれでいいのか! 折角のクリスマスに、ひたすら掃除して、食事作って……」
まるで泣きそうな声に、つい絆された。まあ、確かに、自分がミロの立場だったら、このまま恋人を返したりはしないだろう。
「……お前の役に立ったんなら、それだけで嬉しいよ。このくらいしか、手伝える事もないし。……そんな泣きそうな顔しなくても、まだ明日まで時間がある」
よしよし、と頭を撫でてやったら、ミロはぷっと膨れて、「わかった」と面白くなさそうに呟いた。
「わかった」というから、本当に諦めたのだと思っていたのだが。
結論を言うと、結局ロンドンに戻ったのは日曜の夜だった……。
ミロは宣言したとおり、週末を「遊び」倒した。文字通り、食事とバス・ルームを使う以外一分一秒も無駄にすることなく。
土曜日、やっと寝室から抜け出して飛行機の予約をしようと電話を取り上げ、まったく通信音が聞こえない事に驚いて電話機を見ると、電話線が綺麗にハサミで断ち切られていた。
ミロの家はインターネットもADSLだから、ここが切られてしまってはネットも繋げない。
勿論、携帯電話は生きていたけれど、思わず切れた電話線を握りしめて笑い出してしまった。
まあ、どうせこれから一年、こんなにゆっくりすることもなくなるのだろうし……
飛行機の予約を諦めて寝室に戻ると、寝ていた筈のミロが起き上がって得意そうな顔でこちらを見ていた。
「お腹空いた? それじゃ、食事にしようか」
週末のツケは少々私にも高くついた。まず、月曜日は体が怠くてまるで使い物にならず、結局月曜の仕事を火曜にずらして貰う事になった。プチを迎えにいった際の、アイオロス先輩の楽しそうな顔といったら、まるで鬼の首でもとったようだった。無理矢理にでも電車で帰るつもりでいたが、サガ先輩が見かねて車を出してくれ、結局家まで送ってもらってしまった。全く、不覚というより他ない。
こんな有様で、ミロはどうだったのかと電話したら、仕事には気力を振り絞って行ったが、レッスンで師匠に大目玉を食らった、と言っていた。それでも、これから一年まともに会えないのに、当然の権利だと食って掛かったというのだから、ミロも随分と口が回るようになったものだ。
ミロのコンクールは、まず手始めが2月のストラディバリ国際コンクール、それから5月にブカレスト、9月にパガニーニ国際、と続く。来年は殆ど会えなくなるだろう。
遠く離れた場所で結果を待つだけというのは気を揉むし、性にも会わない。それで、今年は、私も何かコンペティションに参加してみようかと思っている。
お互い、正念場の一年がやってくる。
一時間早く新年を迎えたイタリアに、短いメールを送った。
A happy new year!

「A happy new year」への3件のフィードバック

  1. アイオロス・ヴィンセント・エインズワース より: 返信

    明けました。おめでとう。
    可愛い後輩君よ、云っとくが、夜中に車を出して家まで運転してやったのは俺なんだが?
    高々数日で腰痛になるなんざ、年寄りだねぇ。

  2. カミュ・ルーファス・バーロウ より: 返信

    そういえば、サガ先輩が車を出してくれたのを、わざわざ運転席からどかせて連れて行って下さったのは先輩でした。訂正します。
    まあ、この借りは必ず返しますので。

  3. サガ・エセルバート・シュローズベリ より: 返信

    ロス! またどうして君は、そう人の神経を逆撫ですることばかり……!
    カミュ、車のことは本当に気にしなくて良いからね? 
    ケージを持ってチューブに乗るのは大変だし、第一毎回何かというと君のアパートをパーティ会場に提供してもらってしまって、こちらこそ借りが随分溜まっているんだ。
    ミロとクリスマスを過ごせてよかったね。
    来年は色々厳しくなるだろうけど、またよかったら食事においで。

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