11月8日

11月8日。
一年で一番特別な日だ。
こうして何もしなくても、その特別な思い入れが変わったことなんて、一度もない。


夏の受験戦争(こんな言葉、十年以上も昔に卒業したと思っていたのに…)が終わり、蓋をあけてみれば、たった一筋のか細い道だけが、頼りなく未来へと続いていた。
もともと、受験した数も少なかった(そもそも年齢制限にひっかからない音楽院がそれほどなかった)から、ある意味奇跡かも知れない。
奇跡でなければ、所謂、コネクションがものを言った、ということなんだろう。
フランスやイギリスで受験した音楽院は全て不合格、唯一、ローマ音楽院から補欠合格の連絡がきた。
大体、30歳も目前になって音楽院に入学しようなんていうのがそもそも無茶な話だ。
教える方だって、よほどの事がなければ、そんな将来モノになりそうもない人材は取るだけ時間の無駄だと知っている。
ローマ音楽院は、受験した中ではもっとも知名度の高い音楽院で、コネクションでもなければ最初から諦めて候補にも入っていなかっただろう。
2月にミロから受け取った封筒の中身は、音楽院のピアノ科の教授の連絡先と、既に私のことを紹介済みであることを記した手紙だった。
ミロが繋いだコネクションを使うか否か、散々迷った末に、手段を選んでいる場合ではない、と覚悟して、今に至る。
1月にミロとの関係を強引に終わらせてから、この先5年は絶対にミロの手は借りない、と決めた。
最初からその決意を翻すことになってしまったけれど、これ以上は絶対にダメだ。
補欠合格したこともミロに伝えていない。十中八九、私が彼と同じキャンバスに居ることも気付いていないだろう。
ミロは、きっと、やきもきしているだろうな、と思う。
何故別れなければならなかったのか、どうして彼の手を借りられないのか、説明してやれたらミロはどんなにか楽になるだろう、と。
それでも、今でも時折夜中に悔しさで目が覚める。
絶対に聞きたくなかった一言を、ミロの口から聞かされた去年のクリスマスの夜……。
『結局カミュはピアノから逃げているだけじゃないか。十年前も、今も。そうしてコンプレックスを溜め込んだまま、上辺だけ繕った恋人関係なんて、こっちから願い下げだ』
そのたった数時間前にプロポーズしたその口が、そう吐き捨てるのを聞いたとき、本気で憎しみが沸き起こるのを感じた。
ピアノを諦めたからこそ、ぎりぎりまで演奏家としてのミロを立ててやれた。
何ヶ月も、一年以上も会えなくても、いつも音楽が優先で私のことは後回しでも、仕方のないことだと無理矢理自分を納得させてきた。
上辺だけでも繕わなければ、とうの昔に破局していたところだ。
……私は、それでも構わなかったのに、繕ってでも、別れたくなかったのに……
あいつは、それを一刀両断に、くだらないものと切り捨てた。
そんなに言うなら、もう逃げない。
けれど、ミロが自分に都合よく考えているように、彼に扶養されながら、ただ昔のトラウマを克服するための趣味のピアノをやる気もさらさらない。
五年後、もし途中で脱落せずに卒業する事ができたなら、そのときにこそ、十年前のあの分岐点の日に時間を戻してもう一度問おうと思う。
抜け殻の私をとるか、私のピアノをとるか。
演奏家としてはるか先をゆくミロは、もはやパートナーではなく、いつか追い付き追い越そうと願う競争相手に過ぎない。
競争相手に気を許して仲の良い友人付き合いが出来るほど、残念ながら今の私には余裕がないのだ。
それでも……。
一年に一度、あの厳しいほどに澄み渡ったイザイを奏でる彼が生まれた日には、彼と出会えた幸運を思う。
ディスクは返してしまったけれど、その音は今もいつでも耳の奥に蘇らせることが出来る。
……たとえ、もし、ミロという人間のことを忘れてしまう日が来ても、この彼の魂の音だけは、決して忘れない。
君の未来が、光に満ちたものでありますように。
たとえ言葉は届かなくても、そう願う。

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