兆し

ロス(うさぎの)が倒れて四日目。


元来、ウサギというのは全てに於いて経過が早い生き物だ。一日はウサギにとって三日分に等しいらしい。悪くなる時も急転直下、たとえ夜中でも医者を起こして診てもらわねば間に合わない事も多いが、一度快方に向かえば回復も早い。えせるの避妊手術の時も、1日目は蹲ってただじっと痛みを堪えるばかりだったが、二日目にはペレットを齧り始め、三日目にはお腹の傷も気にしなくなった(それ以上に点滴で腫れた腕を気にしていたせいかも知れないが)。
それを思うと、ロスの回復の兆しは、人間のそれに比してよいほど緩やかだ。兆しが見えていないわけではない。眼の色にはロスの表情が戻って来たし、野菜もゆっくりだが自分で食べられるようになった。今日はふらつきながらも、移動用ケージの外へ出て日課の見回りらしきものをしていた。
だが、相変わらず自分で食事をとれない。ウサギは生きようとする限り、なんとか食べようと努力する生き物なのに、何故食欲が回復して来ないのだろう。
ペレットは一粒二粒なら齧るが、とても一日の量には足りない。昨夜少しペレットを齧り始めたので、強制給餌を一晩やめて様子を見てみたが、残念ながら今朝になっても自分でペレットを齧るところまではこぎつけられなかった。同様に、水も自分では飲めない。ロイヤルゼリー入りのオレンジジュースは、二口三口は口にするが、それ以上はそっぽを向いてしまう。
相手が人間であれば迷わず、水分だけ補給させて空腹を感じるまで待てと言うだろう。無理矢理に食べた食事はいつまでも胃にたまって消化せず、却って体を疲労させるものであるし、二、三日様子を見ても、まだ挽回は可能だからだ。だが、ウサギは長時間腸が動かないと、それだけで死に至る生き物であって、残念ながら人間とは仕組みが違う。ロスの野生を信じてまる一日強制給餌を止めるか。それとも、矢張り無理矢理にでもいくらかは食べさせるべきなのか……
結局、今日は後者をとり、嫌がるのを無理にタオルで撒いて昼と夜にそれぞれシリンジ2本分(20ml)を食べさせた。
ひとつには、僅かに見えている「兆し」の判断に少々迷ったからだ。
僅かずつは快方に向かっている。だが、そこに、まだロスの「生きよう」という気迫が感じられない。
ロスは、家に三匹いるウサギの中では一番頭がよく、プライドが高い。穿ち過ぎかもしれないが、自由に動けない体にフラストレーションを感じ、少々投げ遣りになっているようにも見える。もっと言えば、本人は既に諦めているものを、強制給餌と薬で無理矢理快方に向かわされている感がなくもない。実際、自然界でこのような状態になったらまず助からないのであろうから、そう思ったとしても無理はないのだろう。
大体、えせるやプチ(えせるとロスの娘)が年間を通してそれなりに楽しそうであるのに、ロスにだけは躁鬱の傾向があるのだ。体調不良とまではいかないが、たまに何となく眼の輝きが鈍り、悲しそうな表情になる。
もしかしたら、その躁鬱と今回の神経症とには何らかの医学的関連があるのかも知れないが、いずれにしても、そんな訳でいまひとつロスの野生を信じ切れないでいる。
バランスが戻り、頚は傾いていても転がらずに動けるようになれば、自分で食べようという気になってくれるだろうか。
だが、バランスが本当に戻るのか、未だ確信は持てずにいる。
同じように斜頚のうさぎを抱える飼い主のホームページをいくつか見た。
中には、自分でペレットを齧れるようになるまでに一ヶ月かかった、という例もあるようだ。
ウサギにとって一ヶ月とは、相当に長いものであろう。人間もまた、神経症の後遺症から立ち直るには大変な努力と時間がかかる。そのことを、改めて思い知る。
しかも、結局のところ、本当の原因が何であったかは分からないのだ。
フェンベンダゾールが効けばエンセファリトゾーンという事になるのだろうが、それすらも、何故発症したのか、という疑問の説明にはなっていない。なぜならば、この寄生虫は大抵のウサギが持っているものだからだ。そして、その「理由のわからない」病にに対し続ける投薬は、確実に本体に負担をかける。残念ながら、こちらは、100%間違いのない事実だ。
結局のところ、ロスにとって何が一番良いのか、我々が逐一判断するしかないのだ。
医者は標準的な薬と処方をくれるが、それをロスにとっての最適に持っていけるのは実際に面倒を見ている我々であって、医者ではない。
毎日刻々と変わる生体に、一週間全く同じ量の給餌と投薬で良いと考えるのはあまりに乱暴な話で、ロスだって沢山食べられる日もあれば、胃もたれを起こしている日もあるだろう。そんな日にはまず鳩尾に気を通して腸を動かしてから給餌しなければ栄養にもならないし、肝臓や腎臓が腫れていては投薬も負担になるだけだ。
理屈は分かっている。だが問題は、その見極めを、童虎やシオンのような整体師ではなく、全く素人の我々がやらなければならないことだ……。
考えていても仕方がない。
及ばずながら、少しでも「気」の感応をよくする努力をすることにしよう。
童虎に勧められた日本の整体入門書を見ながら、合掌行気というものをベッドの上でやっていたら、ロス(人間の)が眼を丸くして扉の向こうからこちらを眺めていた。
正座して座り、両手を合わせ、指先から息を吸い掌から吐くつもりでゆっくり呼吸する。
成程、やってみると面白いもので、5分ほど続けると指先がジンジンと暖まり、何となく「気」なるものの流れが出来ているような気がする。
その手を、そっとロス(ウサギの)の頭にかざす。すると、しきりに口をもごもごと動かした後、自由に動かない体を無理矢理ずり上げて、掌が丁度後頭部に来るような位置に頭を動かし、ぴたりと後頭部を掌に押し付けて寝転がった。
成程。後頭部を愉気して欲しいらしい。
ここ数日でロスと私の間には大分気の感応らしきものが出来てきていたので、これは偶然ではなく、間違いなくロスの意思だと確信する。ただ、これほど反応がすぐに出る事はまれなので、やはり合掌行気には気の流れを高める効果があるのだろう。
毎日続けて、もっと自然に出来るようになったならば、ロスの本当の回復の「兆し」も見いだす事が出来るだろうか。
片手に整体入門書を持ったまま、変な格好で狭い隙間に手を突っ込んでいる(ロスがそこに挟まって寝ているからだ)私を見て、(人間の)アイオロスは苦笑しながらもソファからクッションを持って来てくれた。私が席を離れると、仕事が忙しいと書類を手にしつつも、ちらちらとロスの挟まっている隙間を眺めている。
口では何と言っても、やはり(うさぎの)ロスが可愛いのだろう。
君からも元気づけてやってくれ、と言ってやったら思い切り眉をしかめてこちらを見上げていたが、コーヒーをとりに台所へ行った先で振り返ると、先刻の私よりよほど奇妙な格好で隙間に腕を突っ込んでいるアイオロスの後ろ姿が見えた。

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