2週間近く、フィレンツェから始まって、トレント、ミラノ、北部イタリア、というか、殆どアルプスの麓で仕事をしていて、Internetの回線が思うように繋がらず(30kにも満たないメール一つダウンロードするのに30分以上かかるってどういう事だ?!)、カミュと思うように話が出来なかった。
ようやっと、一昨日ローマに帰って来て、電話をしたら、陶器のうさぎをサガに渡してくれた、との事。
ほっとする。
悲しみは、人それぞれで、おいそれと手出しすることは出来ないから、本当に迷ったのだけれど、フィレンツェの小さな小物屋の窓辺にいたそれが、どうにも気になって、そのまま航空便でカミュのところに送ってしまったものだ。
それから、どうやら新しい家族も迎えたらしい事も合わせて知らせてもらう。
サガはやさしいから、きっとあたらしく養子になったその子は幸せになるだろう。
などと話していると、何故か話が互いの死後の話になって、献体するかしないか、という議論になっていた。
カミュは、それが役に立つなら献体したいといい、オレも別に自分の体を献体するのは構わないが、カミュが先に死んで、その体を献体できるか、と言ったらそれは、ちょっと無理だ、という……。
いくらカミュが遺言となどでそれを望んでいても、きっと出来ない、と言ったら、電話の向こうで溜息を吐かれた。
献体は、すぐに出来るものではないから、順番がくるまで冷蔵庫に入れられる。
服も布団もないんだ。
そんな寒いところにカミュを一人で置いておいて、自分だけが普通に生活するなんて、考えられない。
第一、抵抗も出来ない状態の体をさらに痛めつけるなんて……やっぱり許せない。
自分にそれを許す事が出来ない。
誰かのためになる、なんて、誰かなんて関係ない。
そんな、役に立つとか立たないとか、そんな話は関係ない。
それより、自分勝手だろうが、バカと言われようが、自分の感情の方が大事だ。
カミュを傷つけたくない、離したくない、という事のほうが遥かに大事だ。
多分、カミュが死んでしまったら、きっと火葬するのも墓場に入れる事もしたくないだろう。
いつまでも自分の手元に残して置きたい。
カミュと一緒に居たい。
カミュの体が腐ってきてしまったら、大きなコンテナを買ってきて、その中に土を詰めてカミュの体を入れる。花の種を一杯蒔いて、そのコンテナで花を育てる。
その横に、いつまでも一緒に居るだろう。
そんな事を言ったら、ものすごく険悪な気配が電話の向こうから伝わってきた。
カミュは、腐るなんてとんでもない、と考えているようだけれど、オレはちっともそう思わない。
たとえ腐ろうが、シワシワのミイラになろうが、なんであれ、多分、オレはそれが自分の愛するものの一部であれば、いとおしくてたまらないと思う。
だって、未だに埋めてしまったキャプテン(牧羊犬)を、埋めなければ良かったと思うから。
剥製にしたいとは思わないけれど(あれは内臓を捨ててしまう)、埋葬してしまうというのは、触れられなくなる、手放してしまうように思えて、どんな記憶も肉体も、オレは埋葬せずにいつまでも触れていたいと思うのだ。