何がなんだか……キツネにつままれる、というのは、ああいうのを言うのか??
土日はオフだったので(本当は土曜もカンファレンス自体はあったが、興味のないトークばかりなのでスキップした)リビングで論文に目を通していたら、サガが夕食にパブリック・スクールの先輩を招待したが同席してくれるか、と聞いて来た。
聞けば、東洋医学の施療院をやっているというので、少々興味が湧いて勿論構わない、と返答した。
精神医学の領域では、まあ、色々薬や療法も昔に比べると改善しているんだが、薬は結局対症療法にしかならないこの分野では、結局最後は精神療法がものを言う。俺の専門は、そういう精神療法が必要な状況に至る一歩手前のところがメインだが、ここで、薬、精神療法の他に、第三の方法として東洋医学が有用なケースがある。
もっとも、東洋医学といっても、民間療法に毛が生えた程度のものから、個人の資質にかなり依存するものまで色々ではあるんだが……。
さて、今日の客はどちらだろうか、と半分穿ってみていたら、見事にしてやられた。
二人の客の名前は、ドウコにシオン、だという。
あのカレンダーに書いてあった名前だ。サガの奴、いいかも何も、最初から予定してたんじゃないか、と思ったが、勿論口には出さず、クライアント向けの笑顔で対処した。
ドウコの方は黒髪に黒目、明らかに中国系だと分かる顔だが、シオンは薄い金茶色の髪にヘイゼルの瞳、顔も東洋と西洋の両方の特色を併せ持つ容貌だった。
その、シオンの方が、まず出会い頭、目の醒めるような礼をして見せた。
俺の実家に配慮したのか、なんなのか分からない。
(サガには結構偉そうな態度だから、家は関係ないのか? わからん…)
だが、その立ち居振る舞いで、ただ者ではない、と直感した。
こういう仕事をしていると、最初の動作で、大体相手の置かれている立場がわかってしまったりする。一応、形式だから職場での立場や、結婚しているか、家族構成は、などと聞いたりはするが、大体において、最初の勘と大きく外れていることはない。勿論、人を相手にする職業についていれば、皆持っている勘だろう。
シオンは、それを慇懃な礼で隠したわけだ。その上、同時に、自分がその辺のインチキ整体師ではないことを主張してきた。
一方、ドウコの方は、人当たりのよさそうな笑いを浮かべているだけで、こちらもまた全くその背景を悟らせない。つまり、俺達のような仕事では、自分のバックグラウンドを悟らせないことが肝要なんだが(勿論そうと気付かれてはならないが)、今日は相手がクライアントではなく(ある意味)同業者なので、遠慮なくそれを見せつけた、ということなんだろう。
こりゃ、サガが頭が上がらないはずだな。
と、俺は思った。サガだけじゃなく、アイオロスも多分そうだろう。
まあ、俺は彼等と事を構えるつもりは全くなく、むしろ何をやっているのか興味があったので、サガの用意した食事を囲みながら色々な話をした。睨んだ通り、彼等は精神の働きについても深い知識があり、俺達が所謂精神病と名付けるところのものを彼等がどう診ているか、一々解説してくれた。
無論、納得出来るものもあれば、すぐに是とは言いかねるところもあったのだが……
(もっとも、その差は、大多数の人間に適用できるメソッドの確立を目指す西洋医学と、あくまで個人のオーダーメイドに徹する彼等の立場からくる差であって、どちらも一長一短だと言える。個人のオーダーメイドが出来る才能のある医者の数は圧倒的に患者より少なく、その恩恵にあずかれる人間の数は限られる。西洋医学は、治療をメソッド化することで、その数の不均衡を解消しようとした一つの解決策であって、それは確かに、医療を末端にまで波及させる、という意味では成功した)
議論が進み、気がつくと三時間あまりも喋っていて、時折議論に口を挟みながら聞いていたサガが、食後の紅茶を運ぶために席を立ったときだった。
ドウコが、楽しそうに言った。
「いや、しかし、失礼だが、こんなに似ていない双子も珍しい、よほどご両親が配慮されたのだろう」と。
正直、かなり驚いた。
実をいうと、俺は、「似ている」と言われるのも、「似ていない」と言われるのも馴れている。
まあ、一卵性双生児の宿命というか、人はどうしても「似ているかどうか」という目で俺達を見るから、場合によって、俺の言動とサガの言動を比べれば「似ていない」となるし、容姿を比べれば「似ている」となる(当たり前だが)。
だが、三時間も、サガも交えて色々と突っ込んだ話をした後で、そう言われるとは思ってもいなかったのだ。
俺は、本当のところは、サガと俺は矢張り似ている、と思っている。
俺達は、お互い、何を考えているか分からない、ということがない。
もっとも原始的な部分で考えることや、感性の方向は全く一緒なのだ。だが、その中のどれを選択するか、という部分が違う。
それはお互い、意識して変えている部分であって、サガも俺も、それは承知しているから、互いに相手の領域は犯さない。……実際のところ、俺は、サガがアイオロスを選んだ感覚が理解出来る。だが、だからといって、俺がサガの立場でもアイオロスと共に暮らす選択はしない。俺の選択の基準に、そういう道はない。そういうことだ。
そう言われるのは意外だ、とはっきり言ったら、ドウコは、そうかな、と笑ってそのまま黙ってしまった。当然、何故そう思うのか説明してくれるだろうと思ったら、あっさり話題を変えてしまい、そのままサガが戻って来て、その話は有耶無耶になってしまった。
なんだよ、気になるじゃねえか……!!
何故そう思うのか、と聞いてやろうとしたが、既に話題は別の話に移っていて、なかなか切り出せないでいると、シオンが急にサガを呼び止めた。
サガは、びくりと体を緊張させて向き直った。
なんだ、サガの奴、条件反射で緊張してやがる(笑)。よっぽど、スクール時代にシオンに押さえつけられたのか?(笑)
「どうやら眠りの質が悪いようだが。少し調整するか?」
シオンがそう言うと、サガは少し赤くなって、実はここ数週間あまり眠れていない、と白状した。
なんだ。しょっちゅう夜中に俺の様子を見に来ていたのは、そういう事情もあったのか。
……ってか、眠りの質が悪いって、どうやって見破ったんだ?! コイツ!!
俺が漸くそのことに気付いて訪ねると、シオンは後頭部を見ればわかる、と言った。
ついでに、首に力が入りすぎて可動性が悪くなっている点、頭が忙しく働きすぎて気が緩まなくなっている事を考えあわせれば、夜中に三、四回起きてもおかしくない、と。
………。
俺には、フツーのサガに、見えるんだが……??
そう言ったら、弟や家族の前ではいい子になろうという癖は、そう簡単には抜けんものだな、とドウコが笑った。
………。
まあ、そうなのかも知れないが……。
じゃ、何だ? 本当のサガは、もっと天然だってことか?!
俺が一人で考え込んでいる間に、シオンはさっさとソファをベッドに直し、サガにうつ伏せになれ、と命じた。サガはお世話になります、と頭を下げて大人しく従い、シオンはサガの背骨を調べて数カ所指圧を施した。
何だか、俺の知っている「整体」とは大分違うようなんだが……。
骨もバキバキ鳴らさないし、ローラーだかなんだか体を伸ばすような道具も使わないし。
ドウコは、手も口も出さず、黙って笑いながら見ている。なんでも、一応人間も診られるが、何故か動物の方が相性がよく、最近は専ら動物を診ているらしい。
背中が終わると、仰向けに姿勢を変えさせて、今度は足を抑えたり捻ったりしている。無論、それと眠りとどういう関係があるのか、全く分からない。
それから、肩、腹、と少し弄って(全く、弄った、という表現がぴったりだ、決して真剣に押したり引いたり、ということはしない)、漸く首、少し首の筋の方向を指で触れたかと思ったら、いきなり首を捻ってバキバキ音を立てた!
大丈夫なのか?! あんな音立てて!!
思わず手に汗握ったのが分かったんだろう、ドウコが、ははは、と笑った。
「筋を見てやるからな。奴は絶対に間違わんよ。素人さんが真似したらまず首の筋を痛めるだろうが」
思わず呆れて隣を見たら、ハイ、終わり、とシオンの声がした。
は?! もう終わり?!
てか、10分も経ってないぞ?!
だが、サガは、当然のようにベッドから起き上がって、有り難うございました、と頭を下げた。
……あれ?
この感じは…………
思わず、目を見張った。いつも棒切れのように、背筋をピンと伸ばして、少し固い感じのするサガの体が、もっと柔軟に動くようになっている。
表情も少し柔らかくなった。今までだってそう固かったわけじゃないが、すこし無邪気になった、というのが一番近い。
この表情は……こいつが、アイオロスと一緒にいるときに見せる顔だ。
そう気付いて、おいおい、と思った。
つまり、そういうことか。
サガの緊張、不眠の理由は、奴が今この家にいないからだ、と。
まあ、気持ちは分からんでもないが……
三十も超えていい年した男が、それでいいのか?!
結局夜中近くまで喋り明かして、一癖も二癖もありそうな二人の客は帰って行った。
なるほど、これは手強い、と思い知らされたのは、その帰り際のことだ。
「あなたは兄に整体をしたが、あなたの目には、あれが本来の兄だと?」
俺は、サガの居ない場所でシオンにそう訊ねた。そうしたら、シオンはこう言ったのだ。
「アイオロスと共に暮らすつもりなら、Yesです。しかし、実家に戻り爵位を継ぐつもりなら、あれでは一族を背負えないから、貴方と同じ体になるように調整する」と。
それから、「まあ、そういう体になるまで、少々時間はかかるかも知れないが、骨格は同じだから大丈夫でしょう」と、またあの微妙な笑いを零して、俺が咄嗟に何も返せずにいるうちに、キャブが来たから失礼する、今日は楽しかった、と残して去って行った。
………。
後々から、考えてみるに、つまり、こういうことだ。
あの二人が考えるサガの「自然な」状態というのは、アイオロスの庇護のもとで、無邪気に笑っているサガと、俺自身の今の姿だ。
つまり、俺が実家で見ていた、親父やお袋や、周囲が皆で期待するサガの姿は、あいつが「いい子」を演じようとして作った姿で……しかも、奴が実家に戻るなら、俺と同じ体にする、という。
うわ……冗談じゃねえ。
と、思ってしまったところで、やられた、と気付いた。
コイツは、ものすごく巧妙な意識操作だ。俺がどこに嫌悪を抱いているか、見越した上でやりやがった!
サガと俺は違う。俺たちは、お互いに、独立した個人だ。そのことに対する執着は、サガも俺も並じゃない。お互いに、相手と同じになる事は、相手の存在も、自分の存在も否定することだからだ。
その執着が、本質的に似ているから余計に強いのだ、ということも十分に分かっている。
ドウコは、俺たちが似ていないと言ったが、あれは多分、俺に俺たちが似ている事を再認識させるためのヒッカケだ。俺もたまにクライアントにやる。わざと反対の事を言って、クライアントにそうでない、と強く意識させるのだ。
そうやっておいて、自分達の技術を見せつけ、サガを俺と同じようにも変えられる、と言ってのけた。そりゃそうだろう。もともと一卵性の双子だ。サガが吹っ切れさえすれば、簡単に俺みたいになれる。
だが、俺達にはそのことに対する本能的な嫌悪感がある。それは、俺たちのアイデンティティの崩壊に繋がる事だから、理屈でどう捩じ伏せようとしても、感情が言う事を聞かない。
すると、残るは、サガが周囲の期待に沿って、これからも「よい子」であり続ければよい、ということになるが……
………。
あんなに、たかだか10分触られたくらいで、柔らかい表情になってしまったアイツを見ると……。
まあ、サガも、本人ほとんど無自覚とはいえ、無理をしてるわけだ(溜息)。
勿論、そのことは、分かっちゃいたんだが。
……そりゃ、俺だったら絶対嫌だって言うからな……。
大体、我が兄ながら、サガは出来過ぎだ。
常に周囲の事を考えて、自分の都合は全て後回し。どんな時にも、決して不平を漏らさない。
思慮深く、かつ決断は早く、責任感も強い。思いやりもある一方で、グダグダぬかす煩い連中どもを痛烈な一言で黙らせる頭も持っている。
……だが、俺みたいな仕事に就いてしまうと、無理してそう振る舞っている人間がどういう壊れ方をするのか、イヤという程見ているわけで……。
勿論、サガはそう簡単に壊れない、とも思う。親父も、家の人間も、あいつの処理能力を超えるほどの無理はさせていない。だが、長い一生で、そのバランスが崩れる可能製が全くない、とは言い切れない。あいつを支えている親はいつか先立つし、環境は変わる。俺だって支えてやるつもりだが、年をとればとるほど、若い時分に無理をした精神の柔軟性は失われていく。
事実、サガが俺と全く関係のない友人か何かなら、俺は間違いなく、もっと物事を気楽に考えろ、嫌なことは嫌だとはっきり言ったところで、お前が考えるほど世の中は困らない、とアドバイスしているだろう。
………。
どうやら、面倒な暗示をうっかりインプリントされてしまったようだ。
暗示だと分かっているのに、一回喚起された嫌悪感というのはどうにもならないから癪に触る。
まったく、あの二人、カウンセリングやっても十分食っていけるんじゃないか?!