ベルリン・ナポリ旅行記(終)

現金なもので、発表を終えると途端に夜遊びに行きたくなる(笑)。
前日に肩の荷を下ろしたもので、夕刻からはフィルハーモニーでマーラーの3番を聞きに出かけることにした。


現在のベルリン・フィルの常任指揮者はサイモン・ラトル、ラトルの振る演奏会はベルリンに住んでいてもそう簡単に取れないという。
ベルリンフィルのチケットが当日にとれるとは最初から思っていなかったので、今日やっているというベルリン・ドイツ交響楽団の当日券を狙うことにした。
少し(というか、実は会議の最後のセッションを抜け出して)早めについた会場には、まだ誰も並んでいなかった。ソファに腰を下ろして、今日貰ったトークのコピーをコンピュータで再生しながら待っていると、東洋人の紳士(観光客、というよりはどちらかというと我々に近い雰囲気、つまり研究者のような出で立ちだったのだけれど)がやってきてレセプションと何やら交渉し始めた。しばらくして、諦めたのか、私の座るソファの方へやってきて、話しかけてきた。
「今日の演奏会のチケットをお待ちですか?」
「ええ、そうです。当日券が欲しくて。あなたも?」
「いえ、僕はもう持っているんですが……」
話をきくと、街のチケットボックスで、ベルリンフィルの演奏会のチケットが欲しいと再三念を押して買ったのに、どうも今日の演奏会はベルリンフィルではない、ということでがっかりしている、とのことだった。
「60ユーロ払ったんですけどね。ベルリンフィルだったらそんなものかと」
「えっ……今日の演奏会は、A席でも50ユーロしませんよ」
「こりゃやられたかな」
「そうですか……そんなこともあるんですね。ベルリンフィルは、私も実はここでは一度も聴いた事がないんです。会議の度に狙うんですが、いつも気付いた時にはチケットが売り切れで」
「ああ、こちらへは会議で? そうだと思った。こんな所でコンピュータを開けてるなんて、同業者くらいのものかな、と」
「ではあなたも?」
「ええ、すぐ近くのコッホ研究所に用事がありまして、日本からやってきました」
「コッホ研究所、ということはお医者様ですか?」
「医者、ではないんですが、結核と文化について研究しています。面白い事に、結核のイメージというのは洋の東西で共通するものがかなりあるんですよ」
これは、思わぬところで大変興味深い話が聴けそうだ、と、私は会議をスキップした自分の判断をこっそり褒めた。(今日の最終セッションはあまり面白くなさそうだったからだ)
彼、Prof. Fukudaは日本のNagoya UniversityのProfessorで、結核と文化に関する著書も多数あるらしい。何故結核には天才、佳人薄命、などのイメージがつきまとうのか、など、演奏会が始まるまでの数時間、大変楽しいお話を聴かせていただいた。大学教授に個人授業をしていただいたようなものだ。
無事私がチケットを入手すると、そのころにはもう一人増えていた旅の仲間(日本人のバックパッカーの青年)と三人で食事に行こうということになった。フィルハーモニーの近くには食事の場所はないので、少し歩いてソニーセンターのある方向へ向かう。中に、巨大な車の模型があった。

ビールと豚の煮込みでお腹を満たしたあと、これから空港に向かうという青年と別れ、Prof. Fukudaと私は再びフィルハーモニーに戻り、お互いの席に別れた。ベルリン・ドイツ交響楽団は非常に繊細なピアニシモを聴かせるオーケストラで、なかなか良い(というか上品な)マーラーを聴かせてくれた。終演後再会したProf. Fukudaも、これなら来て良かったと大変満足しておられた。
翌日。
一応、この日もセッションはあった。勿論参加したけれど、昼休みに今度はコンツェルトハウスのチケットを取りに行っていて、少々午後のセッションに遅れた。
コンツェルトハウスは、フンボルト大学のあるUnter Der Lindenの近くにある。歩いて10分ほどの距離だ。建物は、フィルハーモニーの近代的な外観に比べかなりクラシックで、内装も重厚な感じがする。

さて、この建物、チケット売り場の場所がとても分かりにくい。実はこれを探していて、午後のセッションに遅れてしまったのだが……
上の写真の階段下に見える通路の中と思いきや、この写真の右手側に進んだ側面、カフェの間にある。

この扉を潜った中に、チケットカウンターがあるのだ。最初はカフェだとばかり思っていたので、なかなか分からなかった。
内装はこのような感じだ。

椅子も大層クラシックで、座席番号を見つけるのに随分苦労した。椅子の腰掛け部分を上げたときに、その下に見える白い支柱の中央に見える、楕円のプレートの中に書かれている(写真では判然としないが……)

こちらの演目はブラームスのピアノ協奏曲第2番だった。残念ながら、ソロのピアノがあまり私の好みではなかった(というより、実はドイツ式のピアノ奏法があまり好きではないと言った方が正しいので、彼の演奏を云々すべきではないかも知れない)けれど、アンコールで弾いたショパンは悪くなかった。
カミュだったら、多分もっと優しい音で弾くだろうな、と思いながら、それでも十分楽しんでホールを後にした。
翌日。
ナポリに向けて、大移動が始まった。
まず、最初の問題は、どうやってS-bahnの駅に行くかだった。なにしろ、S-bahnは軒並み工事で閉鎖しているので、乗り換え駅で乗り換えられないのだ。
ベルリン中央駅までタクシーで行く事も考えたが、折角一日あるのだから、とU-bahnから乗り換えられる路線を探した。
そして、漸く見つけたのが、Brandenburger TorからHauptbahnhof(中央駅)までをたった3駅で繋ぐU55番だった。この路線はとても新しいようで、駅もかなり近代的だ。



ご覧の通り、たった3駅しかない。
これでなんとかベルリン中央駅に辿り着き、フランクフルト行きの列車に乗り込んだ。今度はきちんと座席指定チケットも購入した。
ところで、大都市には大抵中央駅(Hauptbahnhof)があるが、これまでみた中央駅は全てこのガラス張りスタイルだったような気がするのだけれど……偶然だろうか?

フランクフルトから、アリタリア航空でローマへ、そこからナポリ行きに乗り継いで、夜十一時近くにナポリに着いた。途中、ローマ行きの飛行機が1時間以上遅れ、そのあとの乗り継ぎを逃したかと思ったらそちらも遅れていて、ラテンの国に来たと実感した。
今回は日程がタイトで、ナポリに滞在出来たのは一日だけだった。ナポリ大学の研究グループと一日打ち合わせをして、夕刻に仕事を終えた頃、ミロから電話がかかってきた。
ナポリに寄ることを、カミュから聞いたらしい。
ホテルをサンタ・ルチア港の近くにとっていたので、その近くで一緒に夕食をとろうということになり、ミロがサンタ・ルチア港の海の中にそびえる卵城の中のレストランを予約してくれた。
ミロは、この9月にジェノヴァで行われたパガニーニ・ヴァイオリンコンクールで、二位をとった。
彼の年齢では、前代未聞だという。おそらくその通りだろうと思う。
不幸な右腕の怪我がなければ、彼はとうにプロのソリストとして世界を飛び回っていただろう。
けれど、もしかしたら、そうであれば、ミロとカミュの距離はもっと自然に離れていってしまっていたかも知れない、とも思う。
カミュは、ミロの本選をわざわざロンドンから聞きに行ったらしい。それが幸いして好成績をおさめられたのか、それともそれで緊張して繰り返しを忘れるというミスをしてしまい、その結果優勝出来なかったのか、勿論本当のところは分からないのだけれども。
ただ、コンクールの後、ロンドンに戻ってきたカミュが、何か決意したような眼差しをしていたのが少し気になっていた。
「こういう観光地は、あまり美味しくないんだけどね」
と、ミロは断りつつ、それでも雰囲気はいいから、と卵城へ渡る橋へ案内しながら教えてくれた。
橋の上に灯された灯りが海に映り、対岸には柔らかいオレンジの照明が真珠のように列をなしていて、とても綺麗だ。
「すごいね……! 夜にここには来たことがないから」
「ナポリは、夜の方が綺麗だよ。昼は余計なゴミも見えるから。あとは、フニクリに乗って丘の上から眺めるのもいいけどね! これも余計な部分は見えないからさ」
「うん。ナポリ大学の学生もそんなことを言っていたよ。今回は時間がなかったけれど、次は行ってみたいな……」
「今度は、もっとゆっくりおいでよ! 色々案内するから」
「そうだね。……でも、その前に、君はカミュを連れてくる必要があるのじゃないのかい?」
お節介とは分かっていても、つい黙っていられなくなりそう言ったら、ミロは途端に困ったような表情になった。
「……まあ、そうなんだけど……前回のカミュの出張のときは、日程教えてもらえなくて」
「出張にかこつけなくても、誘えばいいのじゃないかな? ロスなんて、遊ぶ計画は年中無休で立てているよ?」
「それがさ……誘っても乗ってくれないんだ。バカンスだって言っても『そんな暇はない』の一点張りだし……こないだだって、伴奏者がいないって泣きついて、漸く一週間だけ来てくれたけど、朝から晩までピアノに張り付いてるし。師匠の家の合宿だってあんなにタイトなスケジュールにはならないよ……」
「それは……困ったね。彼の方に、余裕がなくなってきているのかな……」
恋人と一緒に居て、遊びが生まれないというのは、あまり良い状態ではないのだろう、と思う。
遊びは緊張していては生まれないし、ただでさえこの二人は遠距離恋愛で、たまに会えば用事を放ってでも遊びたくなるのが本来の姿だろう。けれど、確かに、最近のカミュはどこか危うい緊張をはらんでいて、ミロの事が話題に上るとその空気が強くなる。
何かを悩んでいる、それは分かっても、不躾に私のような第三者が踏み込める問題でもなく、これまでずっと気にはかけてもその事に触れたことはなかった。
「どうしたらいいと思う?」
運ばれた料理に手もつけずに真剣な眼差しで訊かれて、苦笑した。
あんな風に内に屈折したものを隠しているカミュをどうしたらいいかなんて、本当はミロが一番よく分かっているのだ。
ただ、彼は、本当にその手が間に合うギリギリの臨界点になるまで行動を起こさない向きがあり、それがカミュのフラストレーションに繋がっている、ということが未だに分からないらしい。
もっとも、彼にしても、本当にギリギリにならなければその手が見えないのだろうから、ミロばかりを責めるのは気の毒というものだろうけれど。
「どうしたらいいかは、君はもう知っているだろう。……君が分からないのは、いつも、『いつ』その行動を起こすのか、ということじゃないのかい?」
「そんなことないよ! いつもどうしたらいいか分からないし……」
「カミュが一人で何かを決めようとしているときに、私の意見など役には立たないよ。ただ、私が思うに、彼は君がコンクールのタイトルを取ったことで、何かを選ぼうとしている、ような気がする。あるいは、もう選んでしまったのかもしれないけれどね。それが、君にとって喜ばしいことなのか、それとも不都合なことなのか、それもよくわからないけど……多分、少なくとも彼にとって、簡単な選択ではないのだろう。そういう重い空気を最近感じるよ」
ボーイが再三ミロの皿の中身を覗き込みに来たので、そこで、その話はおしまいになった。
ミロは恐らく話の続きが気になっただろうけれど、遠方から来た客との夕食を深刻な話題で塗り潰すようなことはしなかった。
パブリックスクールの頃まで遡らずとも、数年前と比べても、本当に大人になったな、と思う。
以前よりは、カミュに対する気遣いも空回りしなくなっている。けれど、その変化をカミュが素直に受け止められるようになるまでには、やはりもう少し時間が必要なのだろう。



***
ロンドンに戻ってみると、カミュの家は二人と三匹の大所帯になっていて、二人共目を赤く腫らしていた。一体何事かと問いつめてみれば、私の留守中にアイオロスがアメリカのサスペンスドラマ「24」に夢中になって、二人で連日連夜、睡眠時間も削って全シリーズ制覇したらしい。
流石に、一緒に遊んでもらえないと憔悴していたミロが少し気の毒になった……。
(もっとも、カミュとロスはフランスで二年も同居生活をしているし、その間殆ど兄弟のような関係だったようだ。ロスはカミュにちょっかいを出しつつも、彼の頭の良さや感の良さを気に入っているし、カミュの方もロスが相手なら遠慮の必要はない、ということなのだろう。ロスも、私と居る時より自然体で羽目を外しているようだ。<私が居るときには、計算した羽目しか外さないが。)

One Reply to “ベルリン・ナポリ旅行記(終)”

  1. アイオロス・ヴィンセト・エインズワース より: 返信

    どおりでお前、ドイツ出張の時は尻からコットン・テイルが生えてる筈だ。
    お前、本当は会議なんて出る必要ないんじゃないのか? 私用なんじゃないのか? 実は。

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