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コッツウォルズで「新婚旅行」(既に去年の11月に行ったはずなのだけれど……)を一週間、そのあと、ウェールズ地方に史跡を訪ねて1週間(一応仕事もかねて)、計2週間の旅行が終わり、家で待っているウサギ達を懐かしく思いながらロンドンへ向かう車の中から、カミュの携帯へ電話をかけた。


2週間まるまるウサギ達の世話をしてもらったし、夕食でもご馳走しようと思ったのだけれど、4コール目で電話に出たカミュは、今サザークの家に居るという。
もともと、朝晩サザークまで通うのは大変だから、留守中の家を使っていいと言ってきたのだけれど、カミュは最後まで自分の家から通うから大丈夫だと笑っていた。
半分予想していた答えだったし、人の家では落ち着かないというのも分かるから、無理強いはしなかったのだけれど……気が変わったのだろうか?
家に居るなら、そのまま家で食事してもらえば良いと思い、途中アイオロスに頼んでWhole Foodsに寄ってもらって、大きなワイルド・サーモンを買い込んだ(カミュは肉を食べないので)。隣で、何故肉がないんだとアイオロスがごねたけれど、客が食べられないものを食卓には上げられないときっぱり無視。代わりに、週末に市場でラムを買ってあげるから、と宥めた。
(あまり全部希望を無視すると、本当にウサギを市場に持って行きかねないので)
サザークの家につくと、薄暗い夕方の空の中に、ほの明るく私達の部屋の灯りが見えている。その灯りの色が、どこか知っている色と違うような気がして、じっとバルコニーを見上げて気付いた。
見えているのは、蝋燭の灯りだ。
あんなところに燭台を置いた覚えはないから、カミュが置いたものだろう。
そういえば、実家ではよく蝋燭を使っていた、と、その灯りを懐かしく思った。
二週間分の着替えのつまったトランクをアイオロスが二階まで運んでくれたので、私はグロッサリーストアで買い込んだ袋を持って階段を上がり、部屋のベルをならした。
扉の横にかかっている表札には、Saga. Ainsworth の文字がある。
勿論、パートナーシップを結んだといっても、名前を変える必要はなかったのだけれど、私はこれ以上実家に迷惑をかけないようにと、アイオロスの姓を名乗らせてもらうことにした。
「おかえりなさい。コッツウォルズはいかがでしたか?」
「うん。とても綺麗だったよ。君は行ったことはあるのだっけ?」
「いえ。ウェールズの方はよく知っているのですが」
「ああ、そういえば君は、カーディフ大学に行ったのだったか……あの辺はケルトの文化が混じっていて面白いね。コッツウォルズも、いつかミロと二人で行って来たらいいよ」
「さあ、あいつが行きたがるかどうか……ニアソーリー出身者としては、コッツウォルズには妙にライバル意識を持っているみたいですからね」
ベルを鳴らすとすぐにカミュが扉をあけてくれて、私の左手に下げられた大量のWhole Foodsの袋を引き取ってくれた。
カミュは、細かいところに本当によく気がきく。左手から荷物を引き取ったのは、ヴァイオリンを弾く私の指を気遣ってくれたからだ。いつもミロにそうしているから、その習慣が出たのだろう。
言葉を交わしながら部屋に入り、すぐに夕食の準備をしようとそのままキッチンへ向かうと、「おい」というアイオロスの声が背後から聞こえてきた。
「……なんだこりゃ?」
アイオロスが、いかにも「唖然」といった声を出す事は珍しい。その気が抜けたというか、らしくない声に驚いてリビングを振り返り、そのまま私も固まった。
部屋の照明の配置が、まったく変わっていたのだ。
「カミュ、これ……君が?」
くすりと小さく笑う気配がして、振り返るとカミュが楽しそうに笑っていた。
「ちょっと、弄ってみました。同じ機材でも、配置やスタンドカラーを付け替えたり、光の色や方向を変えるだけで随分違う雰囲気になるでしょう?」
「うん……すごいよ。まるで、ホテルか洒落たレストランに居るみたいだ」
「実は、少々事故があって。アイオロスとえせるをフロアで遊ばせているときに、うっかりスタンドのコードを齧らせてしまったんです。それで、よく見てみたら、結構そこ以外にも齧られて危険なコードをいくつか見つけたので、思い切って配置を変えて、コードが表に出ないようにしてみました。むき出しのコードの上に埃がたまると、発火することもありますから。勿論、齧られたコードは全部新しいものに変えてから隠しましたから、今後は発火の危険はないですよ」
人の家を勝手に弄るな、とぼやくアイオロスにトランクの中身の片付けを頼んで(強制的に押し付けて)、私はカミュの仕事のひとつひとつを見て回った。流石にロンドンで人気の照明デザイナーの仕事だ。これほどに落ち着いて洒落た雰囲気を、家にあった照明機具に多少足したくらいで作り上げてしまうのだから凄い。私やアイオロスが無理矢理家具で覆って隠していたコードも、きれいに壁と床を這わせてカバーで覆っていた。
「ちょっと細かい間接照明を足しましたけど、どれも消費電力は精々5ワットくらいです。勿論、気に入らなかったらすぐ外せますが……」
「とんでもない! とても綺麗だよ。たった5ワットの電球でこんなに変わるなんて……」
「実は、この手のスポットライトは、広範囲を照らす必要がないので、消費電力はそんなにかからないんです。でも、一カ所に60ワット使うより、5ワットを数カ所に分散させた方が柔らかい印象になるでしょう?」
「うん……この家がこんなに綺麗だとは思わなかったよ。観葉植物や食器棚の影に間接照明を隠すなんて、我々には想像もつかないし。出窓のところの燭台も外から見えていたけど、とてもいい雰囲気だった」
「蝋燭は、どんな照明機具にも実現出来ない空気を作ってくれるんです。でも、寝る時は消すのを忘れないで下さいね」
 ひとつひとつの照明の電球の入手場所や変え方などをカミュから教わっていると、今度は寝室から悲鳴が聞こえてきて、直後にアイオロスが飛び出して来た。
「ちょっと待て、なんでベッドルームがあんなことになってるんだ!!!」
「先輩だって、2月に僕の家のベッドルームを改装してくれたでしょう? そのお礼です。お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だ!! 折角俺が精魂込めてだなあ!!!」
ただならぬアイオロスの様子に驚いて、私も寝室に駆け込んだ。そして、今度こそ文字通り、言葉を失った。
「……これ、本当にうちのベッドルームなのかい?」
唖然と振り返ると、カミュが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「本当は、こちらが本命でして。サガ先輩のご実家のスタイルにちょっと近づけてみました。ささやかですが、ご結婚のお祝いです」
「お祝いって……! 君は既に、パーティに部屋も貸してくれたし、第一これはもう殆どリフォームじゃないか! 壁も塗り直されているし……一体幾らかかったんだい?」
「大したことはないですよ。高価な家具を入れたわけではないし、床のラグやサイドボードの小物もIKEAで買ったものですから」
数カ所漆喰が剥げかかっていた壁は綺麗なオフ・ホワイトに塗り直されていて、アイオロスの手製のベッドや衣装ケースも落ち着いた色のニスが塗られている。クロークの取手も、色々なところで買ったためにバラバラだったものが、全部同じ種類のものに変えられていて、それだけでも部屋の統一感が全く違うことに驚く。
圧巻なのは、中央のベッドだ。アイオロスの手製なのだけれど、何故か天蓋付きに拘っていて、ただでさえ狭い部屋に圧迫感があった。それが、ニスの色とドレープを変えるだけでこんなにコンパクトにまとまるとは、想像もしていなかったからだ。
「このベッドのドレープ……実家のものと似てる……覚えていたのかい?」
カミュがシュローズベリの実家へ来たのは、パブリック・スクールの最終学年の秋、私をオーケストラに呼び戻しにきたオーケストラの仲間とともに訪ねてきた一度きりだ。
カミュがそれを覚えていたことと、懐かしい思いに胸をつかれて暫し言葉を失っていると、カミュがふと微笑んで言った。
「先輩はシュローズベリの姓を捨てたけれど、ひとつくらい、昔を偲ばせるものがあってもいいのじゃないか、と思いまして。まあ、アイオロス先輩は気に入らないでしょうから、気が済んだらお気に入りのものに変えたらいいと思います。おすすめはワインレッド、濃い茶色、あるいはダークグリーンあたりですけれど、レースだったら白も合うでしょうし。ただ、ベッドが規格外のサイズなので、多少手直しが必要ですが……」
「ありがとう……本当に嬉しいよ。なんだか、寝るのが勿体ないみたいだ」
つまり、カミュはこのために昼間からここへ来て作業をしていたのか、と漸く合点して、私は心からカミュにお礼を言った。
ウサギの世話だけでも感謝し足りないくらいだというのに……。
そして、ついうっかり、余計な口を滑らせてしまったのだ。
「これは、君達の時には、盛大なお返しをしなければね」と。
「さあ……あいつはイギリスに戻って来る気はないみたいですから、僕等は当分ないと思いますよ。向こうで賞をとったら、おそらくイタリアに永住するつもりでしょうし」
「え……? でも、君はそのうちイタリアに事務所を移すと……」
「そのつもりでしたが、やめました。やはり、こちらでフリーで仕事を続けていられるのも、会社に居た頃に築いた人脈があってのことですし……色々、あちらで仕事をするのは勝手が違って難しいところもありますから。第一、イタリア語わからないですしね」
その声音で、私は、これは聞いてはいけない質問だったのだと悟った。
私の覚えている限り、カミュはすくなくとも去年の一月くらいまでは、かなり真剣にイタリアに移住することを考えていたように思う。イタリアでの仕事の機会を積極的に探していたし、「事務所を移すから貯金をしている」と語っていたこともある。イタリアで仕事をすることの難しさも、一年前には十分分かっていたはずだ。
その後、カミュはミロと連絡がとれなくなり、去年の6月にミロが実は音楽院の学生だったことが判明した。数ヶ月ぶりに二人が会ったのは、おそらく去年の10月にうちにプチを引き取りにきた時だろう。
ミロがカミュに音楽院のことを黙っていたことは、カミュには相当に酷だったのじゃないかと思っていたけれど、カミュの行動からはそれを気にかけている様子は見えなかった。けれど、私は、6月にデスからうっかりミロの立場を漏らされたときのカミュの表情を知っている──それはほんの一瞬のことだったけれど、あんなに傷ついた表情のカミュを見たのは、クィーンズベリの第六学年の終わりに、カミュが私の部屋を訪ねてきた時のただ一度きりだ。
「そうか……。それは、色々と難しいね」
結局、私はそれ以外には何も言えずに、口を噤んだ。
パートナーシップという形に拘る必要はないけれど、私は、カミュがそれを望んでいたことも感じていた。ただカミュには、昔から結構簡単に自分の希望を諦めてしまう傾向があり、とくにミロが相手ではその傾向が顕著になることも知っている。つまり、カミュがイタリアへの移転を諦めたのは、彼が口にしたような理由ではなく、きっともっと別のところにあるのだろう。
ミロは彼なりに、カミュの事を考えているつもりなのだろうけど、ミロの無意識の振る舞いがこれまでにも幾度かカミュの行動や希望を制限しているところがあり、それが彼等に近いところにいる人間には結構あからさまに見えてしまう。
実際には、ミロもカミュに対し相当心を砕いているのだけれど、ミロはカミュと異なり、自分に必要なものはたとえ相手がカミュであっても絶対に譲らないし、それに対するフォローもしない。それは彼の心が狭いからではなく、そもそもそこに考えが至らないのだ、ということも、長く二人を見ていれば分かるのだけれど……その度に、結局カミュの方が折れ、端から見れば犠牲になっているとしか見えない状況が続けば、カミュの方も自衛しないわけにはいかない、ということなのだろう。
ミロは、カミュの望みはほぼ100%かなえてやろうとする。だから、彼自身は、カミュに犠牲を強いているなどとは全く思ってもいないだろう。だからこそ、ミロもカミュが傷ついている理由がわからずに、傷つく。
多分、本当は、こういうのは相性が悪いと言うべきなのかもしれない。
ロスなんかは本気でそう思っているようだし、彼等に最も近い友人であるアイオリアも、彼等の関係には真っ向から異を唱えている。
ただ、私はミロがもう少し器用に立ち回れて、カミュがミロへの信頼を取り戻す事ができれば、決してうまくいかない間柄ではないと思っているし、ミロも少しずつ変わってきていると思う。第一、この徹底したポーカーフェイスのカミュの心の内を読むなどと、ミロ以外に出来る可能性のある人間がいるとも思えないからだ。
「お前なー。ちょっと自分んとこがうまくいかないからって人の家弄ってウサばらしすんな」
「ロス!」
「例のアレな、お前がいつまでもミロの奴に送らねえから、こっちから送っといてやったぜ。もう届いてる頃だから、もしかしたら明日あたりこっちまで飛んで来るかもな。ま、それまで大人しく待って、人の幸せに茶々は入れないように」
「?」
会話につまって沈黙が流れ、次の言葉に困っていた時、ロスが背後からいきなり近づいてきて、カミュの肩を叩きながら私には意味のわからない事を言った。が、カミュには思い当たる事があったらしく、その台詞を聞くなり、彼は私にもはっきり分かるほど赤面した。
「アレ、って……まさか………!」
「お前約束したんだろ? ミロの奴にやるって。それをお前が無くしたとかいうもんだから、奴の方から直接こっちに泣きついてきたんだよ。酷い奴だな、お前」
「あ……当たり前でしょうが!!!!! まだオリジナル持ってるんですか?!」
「勿論? でも旅先でCD-Rが手にはいらなくてな。折角DVD-Rだから、編集前のを入れてやった」
「な………」
「ロス? 君はまたカミュに、悪い悪戯をしたのかい?!」
ロスが二人をかなり悪質な方法でからかうのは今に始まったことではないので、そう言ってアイオロスを睨むと、アイオロスはにっこりと空々しい笑みを浮かべて言った。
「はいはい。エセルは知らなくていいことだからな♪ さっさとベッドのドレープ元のやつに換えようぜ」
「嫌だ。私はこれがいい。ひとつくらい、実家の思い出を残しておいたってかまわないだろう?」
「なんだよ、お前、今迄そんな事言った事ないじゃないか!」
「これまでは、私の名前があったからね。それを捨てたのだから、その代わり。」
「こんな宮殿みたいなベッドで俺に寝ろっていうのか!」
「どうせ寝る時は部屋なんか見ていないじゃないか」
ついいつもの調子でやりあってしまって、はっとカミュを置き去りにしていたことに気付く。
振り返ると、カミュは先刻一瞬みせた寂しそうな表情などまるでなかったように、くすくすとこちらを眺めて笑っていた。
「まあ、改装が必要でしたらいつでもご用命下さい。──ただし、次に承る時は規定料金を頂きますけれどね」

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