2011年のHoliday Season

昨年の秋にはシルバーグレイのミニウサギのエセルが、今年の秋にはブロークン・サテンのアイオロスが、サガの元を離れて旅立ってしまった。今エインズワース家にいるうさぎは、結局ブロークン・サテンのアイオロスとペアになれなかったイングリッシュ・ロップのエンジェルだけだ。
うさぎのエセルほど人間に明確な要求を提示するわけでもなく、うさぎのアイオロス程人間に感化されてもいない。エンジェルは、まだまだ家ウサギの修行中のような混血実験用うさぎだ。
一年も一緒に暮らしていて、そんなふうに中途半端なのは、自分たち人間の手のかけ方があきらかに足りないからだろう、とサガは思う。エセルがいなくなってから、ウサギのアイオロスばかりに神経がいっていたからだ。
“a typically satin” のアイオロスはとてもさみしがりやで、自分の体の四分の一にも満たない小さなぬいぐるみのうさぎをさいごまでさみしそうに舐めていた。
エセルだったら、きっと眠っていても、目を覚まして、面倒くさそうに、でもやさしく舐め返してくれたのにね……と、サガは胸の中でそっと呟く。


「おい、エセル! お湯沸いた!」
声、というより大きな音に反応して、サガはハッとした。
そして意識に届いた映像の意味を、一秒くらい遅れて理解する。
キッチンの隣、小さなダイニングテーブルにノートパソコンを置いたアイオロスが、ディスプレイから目を離さず忙しく指を動かしタイピング作業をしていた。
そのアイオロスの正面に座り、サガは無自覚に病院から届いた書類を手にぼうっとしていたようだった。背後の台所から、電気ケトルの中が沸騰してゴブゴブと音を立てているのに再度気付く。
手にしていた書類をそっとテーブルに置いて、急いで台所に向かった。
「ロス、君も何か飲む?」
声をかけると、うー、とも、んー、ともつかない曖昧な音が返ってくる。仕方がないのでサガは、ムウから貰ったKUSMI-TEAのThé du Soir No 50に手を伸ばした。
紅茶、というと21世紀に入ってアイルランドにその個人消費量世界一の座を奪われる形になった英国がその引き合いにだされる形が多いが、各国で様々に個性のある飲み方・製造がなされている。
このクスミティーの起源は、19世紀ロシアにある。クスミチョフという小作農民の長男、パーベルが14歳で家を出、サンクトペテルブルクで仕事を探した。そこで見つけた仕事が紅茶商人の下での配達だった。記録によれば、店の支配人はすぐにパーベルの特異な能力、茶葉のブレンドに対する才能を見抜いたという。
ロシアは大航海時代に後れを取り、自国内で栽培できない薬効があるともされる紅茶はとても高価な品だった。紅茶は、庭木になる果実や葉と一緒に煎じて飲用するのがロシア風となった。限られた高価な茶葉と混ぜ物で客が満足できる紅茶を調合できる、というのは、手に入りにくい材料を手に入りやすい材料で補い安定した商品の供給が出来る、ということだ。ただ仕入れに頼ってものを売るより、もう一つ利益を上乗せできる。
パーベルはその商人の下で茶葉のブレンドを学びつつ、アレクサンドラという女性と結婚するまでそこで働いた。アレクサンドラは裕福な紙商人の娘で、パーベルの雇い主も非常に彼の結婚を喜んだそうだ。サドヴァヤ通りの一角に小さな茶館を一つ持たせてやった。これが1867年の事で、パーベルは6人の子供に恵まれる。その後、事業は順調に進み、彼のブレンドは皇帝御用達となり、1901年までに店舗を11持つまでになった。パーベルの事業は当時のロシアの紅茶事業の三本の指に入るものだったというから、貧しい小作農の出からの大出世だった。
クスミチョフの繁栄は、パーベルの子供の代にも受け継がれた。1907年、パーベルの長男、ヴィアチェスラフが当時紅茶貿易の中心地であるロンドンに留学し、そこで英国子会社として支店を立ち上げた。
ヴィアチェスラフは紅茶のブレンドのみならず、機を見る才能にも長けていた。1916年、ロシア革命の前年に資産をロンドンの銀行に写し、翌年にはパリに茶葉の加工工場を設立した。そして、革命の火ぶたが切られるまさに前日、ヴィアチェスラフは彼の家族をコーカサスに避暑の為に送ることに決めた。家族はサンクトペテルブルクからコンスタンティノープル、そして1920年、パリへと脱出する。
一方、ヴィアチェスラフは、祖国の混乱期にさらに事業を拡大した。ニューヨーク、ハンブルグ、コンスタンティノープルに店舗を出し、その拠点を巨大なロシア・コミュニティーのあるベルリンに定めた。繁栄は盤石のものに思われたが、二つの大戦、そしてヴィアチェスラフの死がその栄華に終焉をもたらした。
ヴィアチェスラフの息子、コンスタンティンは芸術を愛する繊細な感性の持ち主だったが、残念ながら彼の父や祖父のような商才や茶葉のブレンドの才能には恵まれなかった。事業は破産寸前にまで追い込まれ、1972年、貧しい農民の出自から一代で皇帝に愛されるまでの紅茶を作り出したクスミチョフの紅茶会社は売却され、その一族の手から離れた。
売却後もクスミティーとしてブレンド紅茶の販売は続けられていたが、その事業成績はコンスタンティンの時代と変わりなく、その歴史的経緯を知る限られた人々の間で飲み継がれていたという。そして、2003年、再度クスミチョフの紅茶は転機を迎える。かねてからココアやコーヒーに関心を持っていた、オレビ兄弟貿易商社がクスミティーのブレンドに興味を持ち買収。わずか数年のうちに、歴史あるロシア・ブランドの紅茶として再び世界にその名を届かせた。
「女性には、ブレンド毎に異なるクラシカルなラベルの色や缶の装飾、ブレンド名に付けられたロマンティックな名称が評判ですが、なにより上質の茶葉と品のいいブレンドがいいですね」
とは、シオンと同じ華僑出身のムウ・アリソンの言だ。
「価格帯としてはフォションと同程度ですが、フレイバー・ティーが面白いです」
ムウは調合の趣味があり、シオンのお使いと称して時折こうして気に入った茶のおすそ分けをサガにする。シオンに言わせると、クイーンズベリOBオーケストラでコンマス席を獲得する為の布石だということだが、サガは紅茶好きの自分への純粋な好意からだと考えている。アイオロスが聞いたら大仰に天を見て「お前の頭はいつも春だな」と言うに違いないのだが。
世界各地を回る仕事についているだけに、ムウは様々な茶に詳しく、舌も鼻も鋭敏だ。彼の持参する茶は、カミュ・バーロウが持参するワインのように外れがない。No.50は冷めても苦味がなく、口当たりがやさしい。その名の通りナイト・ティーにとてもあっていると、サガは喜んで頂戴している。
「ロス、君の分、ここに置くよ」
インスタントのコーヒーをマグカップで飲むアイオロスは、あまり紅茶には興味がない。そして、今はむサンクスギビングの休暇を取るために猛烈な勢いで仕事を片付けようとしている。だから、当然返事は、再びの曖昧な唸り声と「Thanks」の短い言葉だけだ。
体を、壊さない程度に頑張ってくれればいいんだけど……というか、そもそもイギリスのカレンダーにない休暇を取ろうとしてくれなければいいのだけれど……というささやかなサガの願いは、今年も断固として無視されていた。
万聖節が終わるとロンドンはクリスマスのデコレーションで溢れる。この毎年の事に、アイオロスはきっちり毎年憤慨する。
どうしてサンクスギビングをスキップするんだ? と。
昨年から面白がってターキーを食べに来るようになったカノンの存在も、「サンクスギビング」は正しい国民的祭日だ、と主張するロスに勢いを与えている。
先日も、こんなことがあった。
週末、クリスマスプレゼントの下見に、ヨーロッパ都市部最大のショッピングモールと言われるWestfield にサガはアイオロスともに足をのばした。地下鉄のゾーン2、Shepherd’s Bush駅から歩いてすぐにある2008年にオープンした巨大複合施設は、店舗数275、700以上のブランド商品、50以上の飲食店、14スクリーンの映画館に、4500台の駐車スペースを持つ。
サガなどは、やはり古くからの個人経営の店舗でじっくりと品を見定めたい人間だが、ここを手軽なデートスポットだと思っているアイオロスの誘いに首を横に振るつもりは無かった。
クリスマスオーナメントの下、意匠を凝らした現代風の作品を見るのはそれなりに楽しかった。午後三時近く、喉の渇いたアイオロスに付き合って、ソフトドリンクを頼めるフードコートに座っていた時のことだった。
突然、一人の若い女性が携帯電話を耳に当てたままヘンデル作曲オラトリオ「メサイア」第二部から、通称ハレルヤコーラスを歌い始めた。
サガが唖然としたが、すぐに対角線上の席に居た男性がテノールで応え、反対側にいた男女二人組がまたそれに重なる。そしてまた新たに三人。彼らの発声は明らかにきちんとした訓練をうけたもので、ざわついた客もこれは何かのイベントだと気付き成り行きを見守る姿勢になった。
ヘンデルは大英帝国の誇る数少ない世界に誇る作曲家である。英国国民でこの歌を知らないものはいない。明らかにイベントの仕掛け人と思われる声楽家の卵達に加えて、一人の白髪の老女が起立し合唱に加わった。姿勢を正して立ち上がった老紳士も「For the Lord God Omnipotent reigneth」と加わる。バラバラと、だが次々に、フードコートで腰を下ろしていた市民が立ち上がり、数分後には、「King of Kings, and Lord of Lords」と大合唱になっていた。その数、100人は下らない。
サガも、思わず膝にかけていたコートを腕にかけて立ち上がり直立の姿勢を取った。
このハレルヤコーラスには、一つの有名な逸話が残されている。1743年に初演された際、国王ジョージ2世がコーラスの途中にそのあまりの素晴らしさに立ち上がり、観衆もそれにならい総立ちになった。それが、今日のスタンディング・オベーションの原型になった、というものだ。現代では、その歴史的根拠を否定されている逸話だが、今でもこのコーラスが奏されるときは、ソリストも観客も立ち上がり合唱に参加する習慣が残っている。それなので、サガもつい自然な気持ちで立ち上がったのだ。だが、立ち上がってから気が付いた。
晴れ晴れとした表情で合唱に加わる老若男女の林の中、たった一人、アイオロスだけが頑なに尻を椅子に圧しつけたままでいる。しかも、全身から、大変不愉快、というオーラが立ち上っている。
サガは一瞬、あ、という形に唇を開き、自分の失敗に気付いたが、時すでに遅しだった。
大喝采と、10ダース以上の笑顔で包まれたサプライズ・イベントの終了後、眉間に深い皺を刻み込んだアイオロスが腕組みをして大きく口を開いた。
「なんで———」まだ11月なのにクリスマスの話をするんだ?!!
とは全てを言わせず、サガは素早くアイオロスの口に自分の手をかぶせると、にっこりとほほ笑んで言った。
「帰りに、お肉を買って帰ろう。ね?」と。
アイオロスは、ぎろり、とサガを見て言った。
「……大きいのか?」
「うん。大きいの」
「どのくらい?」
「フライパン、3分の2くらいまでしてもらえると、うれしい、かな……?」
サガにとって、痛い出費になった出来事だった。
自分をからかう為にサンクスギビングに拘るのか、動物性たんぱく質の食せるお祭り好きなのか。アイオロスのこだわりはその二つのうちのどちらかだと思っていたサガだが、どうやら11月の第四木曜日は、本当にアメリカに縁のある人間にとって特別なものなのかもしれない、と昨年から続く双子の弟カノンの訪問でその見解が修正された。
カノンは12歳から20年近くアメリカで過ごした。普段はアイオロスを毛嫌いしている弟だが、「サンクスギビング」「ターキー」という単語を聞いて、バーミンガムから車を走らせてロンドンにやってきたのだ。そして、喧嘩も口論もせず、仲よくアイオロスと一羽のターキーを黙々と食べ、マッシュポテトを頬張ると、二人そろって静かに寝息を立て始めた。
サガは驚きに目を見張った。いくらターキーに含まれるトリプトファンという必須アミノ酸が、脳内でセロトニンに変わり睡眠効果をもたらす、といってもこれではまるで睡眠剤のようではないか。
アイオロスは、もともとサンクスギビングには腹に詰め込めるだけ詰め込んで昼寝を楽しむが、カノンが、他人の家で、しかも寝室で無い場所で、こうも無防備に眠りこけるなどサガにはただただ信じられない光景でしかない。
そして、今年も、二人は仲よくバドワイザーの瓶を片手に、狭い台所のオーブンの前に陣取り
「エセル、下ごしらえお疲れ様。あとは俺が見てるからエセルは好きなお昼寝でもしてのんびりしてていいぞ」
「兄貴、あとは焦げないように俺が見てるから大丈夫だぜ」
と異口同意な言葉をサガに投げた。
サガは、あと少なくても3時間は食べられないんだよ? という言葉を飲み込んだ。
ターキーは、肉としてそれほど美味な部類に入るものではない。油が少なく、味は淡白、というより非常に大味だ。舌触りも特に良いというものではない。
経済かつ健康上の理由によって肉食をサガによって制限管理されているアイオロスと違って、カノンは自由に好きなものを食べられるだけの状況と地位にある。それをわざわざ食べにやってくる、しかも普段は顔を合わせるのはもちろん、その名前を聞くのも嫌がるアイオロスのところに。
サンクスギビング侮り難し、とサガは思った。
サンクスギビングの前後にはアメリカ大陸を横断する民族大移動が発生する、といつだったかアイオロスは言っていた。それがアメリカ民族に刻まれたDNAだと。
双子の、半身ともいうべき弟は、自分よりよほどDNAがアイオロスに近いのかもしれない、とサガは寝不足の頭で考えた。
「それじゃあ、あとはよろしくお願いするよ」
というサガの声に、二者二様の返事が返り、サガは頭を軽く振って洗い立てのシーツの海に潜りこんだ。
七面鳥が終われば、今度は鵞鳥だ。11月が終わってから、やっとエインズワース家ではクリスマスの話題が解禁になる。サガは、色とりどりのクリスマス・カードを飾り暖炉の上に飾り、自身もカードの発送に漏れがないか少なくとも3度は確認する。
今年も悩んだが、なんとか決めることの出来たアイオロスへのクリスマス・プレゼントを、イブの日まで大学の机の引き出しに隠し、仕事納めの日、高速バスに乗る前に鞄に収めた。
今年は雪のないクリスマスだな、と思いつつサガがロンドンの自宅に帰宅すると、アイオロスが電話中だった。
邪魔にならないよう、そっとコートを脱ぎ、楽な衣服に着替えてから居間に戻ると、アイオロスが受話器を片手に「ちょっと来い」と目配せをした。
サガが目で問いかけながらアイオロスの横に立つと、アイオロスは手短にこれまでの電話の内容を説明した。
いわく、チェルトナムの郊外で巨大なウサギが2か月近く前に発見され、これまで地元のボランティア団体や動物愛護団体が捕獲に努めたが、どれも失敗。年末年始にかけ巨大な寒波が来ると予想されているので、このままでは個体の生存が危ぶまれる。よって今年最後の捕獲作戦に参加してくれないか、とHRSロンドン支部代表のジョージからの電話だと言う。
ロンドンからチェルトナムまで、車で2時間と少し。
サガとしては、人手が足りない、ということであればぜひとも協力したいが、アイオロスはどうだろうか、とちらりと表情を盗み見る。
年末は色々と仕事が立て込んでいたから疲れているだろうし、今日はなによりアイオロスの楽しみにしている鵞鳥の日———クリスマスは、アイオロスにとって宗教的な行事の日ではなく、鵞鳥という動物性蛋白質を摂取できる日以外の何物でもない———の前日だ。簡単に腰を上げてくれるとは思えない。
いざとなったら自分で運転すればいいか、と思いアイオロスの反応をそっと窺っていると、アイオロスはすぐに電話口に向かって「何時に出発しますか?」と聞いていた。
サガの口元に微笑みが浮かんだ。
両手に網やパネルを持っての囲い込み作戦は、トランシーバーでのやり取りを続けながら、8時間にも及ぶ長丁場になった。
「女性の方やお子さんはもうご帰宅ください」のアナウンスが流れ、残るは毛糸の帽子や襟巻、分厚い手袋をした紳士のみになる。吐く息が白い。
巨大なウサギは、1週間前に目撃されたのを最後に誰にもその姿を見せていない。ちょうどそのころに一度雪が降ったので、そのあとしばらく姿が見えなくてもおかしくはないが、1週間ともなると食事が十分にとれていない可能性が高い。個体の衰弱が予想されるので、撒き餌をしたり、隠れそうな場所を覗き込んだりしていたのだが、糞も発見されず、捜索隊の面々にはあきらめの色が漂い始めた。
サガは、かじかむ爪先を小さく足踏みをしながら次の方針を待った。
と、その時だった。
アイオロスが鋭い声を発した。
「サガ!」
突然名前を強く呼ばれたサガは、ビクッとしてピンッと背筋を伸ばした。
その足元を、猛烈な勢いでジグザグに走る黒っぽい物体がすり抜けて行った。
間違いなく、うさぎだ。
捕獲要員は色めきたった。まだ生存しているのだと。
サガも、少々びっくりはしたがほっと胸をなでおろす。
そんなサガに向かって、大股に歩いてきたアイオロスがすれ違いざまに言った。
「どんくさい奴だな。なんでそのパネルで道をふさがないんだ?」
サガは一種体癖が強い。驚くと体が伸びるのだ。そして、サガの身長は標準より高く、193.5cm。伸びた体の両側につらされたパネルの下にはぽっかりと地面との間に空間ができる。
サガは、その空間をじっとみつめつつ、「どんくさい」は酷いじゃないか、と胸の中で呟いた。
作業は明け方の三時過ぎまで続いた。
ざっ、ざっ、と音を立てて逃げるうさぎをゆるゆると包囲網を狭くして捕まえる。
保護されたのはチョコレート色のロップで、それを見たジョージが言った。
「だめだ。もう一匹フレミッシュジャイアントが居るはずだ。それも保護しないと」
目撃情報では、両手を広げた程の、犬より大きなウサギだと言うのだ。それならばこの体重3kgほどのうさぎではない。
ほっとしたのもつかの間、さて今度はどこを探すか、と紳士諸君が知恵を出し合おうとしたとき、
「いや、それです。そのうさぎですよ!」と声が上がった。
「色とか、耳とか、うん、間違いない。それですよ、私の見たウサギは」
鼻の頭と頬を赤くした恰幅のいい中年の男性が、嬉しそうに言った。
ジョージから連絡を受けて集まったHouse Rabbit Society のメンバーは一様に目を見開き、互いの顔を見合った。
地元の動物愛護団体やボランティアのメンバーは口々によかったと白い息を吐きながら達成感に賑わっていたが、どうにも話が違う。
サガは、そっ、とジョージの顔を窺った。その口は、「What?」のwhの形で固まり、目にはなんとも表現しがたい哀愁が漂っていた。
ジョージは大きなウサギが大好きなのだ。ロンドン支部は、今年7〜8kg級のウサギの引き取りを二度打診された。ジョージはその度にサガに、「Guess what?」と言って心の底から嬉しそうに、新しくやって来るであろうウサギの特徴や、経歴、習性などをサガに話して聞かせていたが、二つとも、別に受け入れ先が決まったり、結局飼い主が翻意したりで実現しなかった。
そして、三度目の正直とばかりに飛び込んできたのが、この飼育放棄され野良となっている巨大ウサギの話だった。もちろんジョージは意気揚々と巨大なキャリーケージをバンに詰め込み、「こんなに大きいんだって」と両手を広げてサガに説明してみせた。
気の毒な気持ちで一杯になっているサガの肩が、トン、と押された。アイオロスが僅かに身を屈めてサガに尋ねる。
「おいエセル、あれが巨大ウサギなのか? あれが巨大なら、今うちで預かってる白色屋敷しもべ妖精は5XL(Five Extra Large)ウサギか?」
「ロス……ちゃんとエンジェルと名前で呼んで。———それから、大きさだけど……多分、あまりうさぎの事が分かってなかったんじゃないかな。確かに、最近見かける小さな犬よりは大きいかもしれないし……」
サガは遠慮がちに私見を述べた。
結局、きわめて普通サイズのチョコレート色のロップウサギは、巨大なキャリーケージに入れられてジョージのバンに収まった。
明け方の4時前にチェルトナムを出発し、ロンドン市内には6時前に到着した。街はまだ暗い闇の中だ。
「俺は駐車場に車を置いてくるからお前は先に体をあっためろ」
と、少々行儀悪くも、帰路には靴を脱いで暖房口から出る温風で直接足を温めていたサガにアイオロスは言った。
サガは走り寄ってきたエンジェルの額を少し強めに撫でてやると、バスタブに足湯用のタライを入れて熱い湯を張る。
両足を浸けると、思わず息がこぼれた。そして、体が温まってくると、今度は堪えていた眠気が襲ってくる。約10分後、アイオロスが帰宅した時には、サガの瞼はすっかり重くなっていた。
「ほら、さっさと布団に行け」
とアイオロスに急き立てられてサガが布団に潜り込むと、足元には既に湯たんぽが入れてあった。
———ものすごく、幸せだ……。
サガはアイオロスが横になる側に顔をむけてくるりと体を丸くした。居間からは、ウサギ用のペレットが音を立てて皿に落ちる音がする。いつもより一時間早い朝食だ。
「ほら、クリスマスだからな。特別だ」
アイオロスが、一杯余分にペレットを与えているのが知れた。
寝室のドアが閉まる。ベッドのスプリングが軋んだ。馴染んだ香りがすぐ横に来た。
「寒くないか?」
サガの、誰よりもよく知る声が耳に届いた。
「寒くないよ。湯たんぽ、ありがとう」
サガが返事をすると、呆れたような声が返ってきた。
「こういう時は、ありがとう、じゃなくて、寒いから温めてくれ、っていうんだよ」と。
サガは喉の奥で笑った。もう眠気は限界に達している。それでも、意識が柔らかな、毛布のような闇にくるまれてしまう前に言った。
「メリークリスマス、アイオロス」
アイオロスの吐いた溜息は、もうサガの意識には届いていなかった。

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