○閑話休題2(「ある十二夜」より)

「ある十二夜」に治まりきらなかったエピソードその2。そのうちその3があがるらしいです(笑)



「お! やっと俺のお小姓様がご帰還か!」
 下級第六学年のアイオロスは、練習開始から三十分程遅れて地下一階のリハーサル室の扉を開けるなり、そう言ってミロの襟首を掴んで引き寄せた。
「苦しい!」
 叫ぶミロを無視して、そのまま級友のシュラ・コーツに尋ねる。
「どうよ? 少しはマシになったのか? この小姓様は?」
「植物から動物の域には進化したんじゃないのか?」
 容赦のない会話に周囲はどっと沸く。
「悪いな、テス。ちょっと担当教官と話があってさ。で、どこやってんの? 俺、休憩できる?」
「冗談だろう? 浮かれ大公。ちょうど今まで伯爵側の練習をしてたんだ。直ぐに大公の出番だ。嬉しいだろう?」
「お前ね、そんな爬虫類的な性格してるから今晩つるし上げくらうんよ?」
 つるし上げ、という言葉を聞いて、テスの眉間に皺が寄った。
 それを気にすること無く、アイオロスは室内の全員に向けてよく通る声で彼が寮を出るときに目にしたメッセージ・ボードの連絡を伝える。
「今日、午後八時から一階の談話室で寮の総会があるそうだ。それまでに第五学年以下には飯とシャワーを使いたいものには使わせとけとの事だ」
「議題はなんなんですか?」
 第五学年のドミニク・ボイルが太い声を上げる。
 それに、アイオロスはにやりと笑って、最上級学年の二人を示して答える。
「先輩方には、どうしても今回のスミス寮の出し物に、物申したい方々がいるらしいんだよ」
 マイケル・アンダーソンとジェイク・オーエンがばつの悪い顔をして肩を竦めた。
 テスは硬い表情をして黙っていたが、パシン、丸めた台本を叩いて声を張り上げた。
「時間がもったいない。練習を始めるぞ! まずは、オーシーノ公爵とシザーリオ(ヴァイオラ)の絡みを確認したいから、テキストの第一幕の第四場からだ。ミロとアイオロスはたち位置を確認してスタンバイ、アンガス、ヴァレンタインで入ってくれ」
「いいよ。何役でもお安い御用」
 アンガスはミロの腕を引いて、袖の方に立つ。
 舞台中央では、長いすに見立てられて置かれた黒い木箱の上にアイオロスが、ゆったりとした雰囲気で構えている。
  物語序盤の、大公がシザーリオに自らの胸の内を語り、彼の使者となるよう命じる場面だった。
『お前はこの役を果たすためにこの世に生まれてきたのだ。
 シザーリオ、首尾よくいったあかつきには、私の財産を分けてやる。
 私と同じ身分にしてやる!』
シザーリオ
『私の力の及ぶかぎりやってみます御主人様。
 ——ああ、なんて因果なお役目だろう!』
 
 ミロ演じるシザーリオは、ふっ、と瞳に苦く悲しい色を刷いて立ち上がり、舞台袖へと消えた。
「へえ…大分見れるようになってきたじゃん」
「大公! そこで素に戻るなっ」
「いや、マジで。ロボット動きじゃなくなった。すげぇすげぇ!」
 アイオロスはひょいと、オリヴィア邸に向ったことを示すために袖に移動していたミロの側に寄るとその頭をくしゃくしゃと撫で、盛大に眉を顰めた。
「おい、お前、たまにはこの髪に櫛ぐらい入れろよ……でないと毛を足すとき厄介だぞ?」
 冷や汗をたらりとかいてアイオロスはミロに忠告した。
「じゃあ、今メンバーが揃っているから最後の第五幕を通しでやってみよう!」
 テスの声が場の全員の鼓膜を震わせた。
「おい! 椅子持って来いまだ数が足りないぞ!」
「第四学年はこっちだ。第五学年のやつ等はそっちの窓際の席に移動しろ」
 ミロとアイオリアは、総会が開かれる談話室に足を踏み入れる際、食堂から自分たちが座る椅子を取って来いといわれて引き返すはめになった。
 後ろを歩いていたポールとカミュは、どんな計算か椅子が足りたのだろう、すんなりと入場を許された。
「なんだよ、あれ!」
 気付いたアイオリアは声をあげ、ミロはちぇっと舌打ちをしたい気分になる。
 椅子を持ってやっと入室を果たした時、既に中は満員で、アイオリアとミロは一番後ろの席に椅子を下ろし、腰掛けた。
「なあ、アイオリア、なんの話やるの?」
「バカ、お前が知らないのか?!」
「知らない」
「お前の事だろがっ!」
 ひそひそと二人が言葉を交わしている間に、寮長のダグラス・グラハム・コックスが生徒達の前に立ち議題の説明を始めた。
「なに……、コレ?」
 議題の説明を受け、ミロは大口を開けて絶句した。
 内容はこうだ。
 今度の演劇で、ミロの演じるヴァイオラに女装のシーンがないのでそのシーンを入れたいが、脚本・演出担当の下級第六学年のテス・フォレストが頑として頸を縦に振らない。
 ミロの女装は絶対に外せない、これはスミス寮今年度一番の目玉だ、上位入賞に貢献する、と主張する主に上級生側の意見と、テスのヴァイオラの女装には今回なんの必然性もない、無駄を取り入れる為に削れるシーンも無いとの猛反発は互いに一歩も譲らず、その結果、公開投票に任せようという事になったと淡々とダグラスは説明したのだ。
 一人一人に投票用紙が配られる。
「何くだらない事やってんだ? 今になって」
 ミロの無防備な発言が、紙を配る音だけで満たされていた部屋に不自然に響いた。
「やべっ!」
「アホ!」
 ミロとアイオリアの声が重なった瞬間、ガタンッ、と椅子が倒れる音がして一人の生徒が立ち上がって声を発する。
「くだらないって——! 準備するこっちの事も考えろよ! 今から衣装の案練って、探して購入するなり、最悪作るなんて、間に合うわけないじゃないかっ!」
 衣装担当のユアン・マクドナルドが堪りかねたように拳を握って叫んだのだ。
「僕も反対だ。劇中の流れは既に固まっている。ここにどんなシーンを入れたって浮くだけで、評価が下がる事があっても上がる事はないと思うね」
 足を組んで上品に椅子に腰掛けたアンガス・エマーソン、彼の信者からは『アフロディーテ』、又はヴィヨルン・アンデルセンの再来と称される青年が、あっさりと言い切った。
 が、それに応えて大きな反対意見が飛始める。
「最後に結婚式のシーンを足せばいいだけだろう?! 簡単じゃないか!」
 拍手が起こった。
「結婚式だなんて……! 特別な衣装、ペアで用意しようと思ったら、どれだけ時間が掛かると思ってるんだよっ」
 衣装担当のメンバーから口々に不満の声が上がった。
 そこにテスも便乗して自らの主張を繰り広げる。
「シェイクスピアは象徴劇だ。全ての役には抽象化された役割が振られているんだ。
 シェイクスピアは結婚というものに懐疑的で、既に結婚しているカップルの間に繰り広げられるのは悲劇だけだ。
 この十二夜が喜劇とある程度の恋愛に対するはほのかな甘さ、希望を持ちうるのは「結婚」という形で成就されていない、未完の形だからだ。
 そこに、たかが一役者のスカート姿が見たいから結婚式のシーンを入れろ、だと?
 シェイクスピアに対する暴言もいい加減にしろっ!」
 顔を真っ赤に染めて泡を飛ばしながら、なおも熱弁を繰り広げようとするテスを、同学年のパトリック・オーソンが慌てて口を塞いで席に座らせる。
「今まで使った衣装の中から適当に選べばいいだろう?」
「適当って……! 適当に準備した衣装でそんなに綺麗になんか見えるわけないじゃないかっ! 第一、時代考証ってものがあるだろう? 他のコスチュームと合っていなかったら違和感だけが強烈に残るよ!」
「なあ、結婚式のシーンを追加するって、小道具とか大道具とか今から準備するのか?」
 場内は騒然とし始めた。
 演技の実行メンバー達はこれから加える変更に否定を唱え、そうでないもの達は、この年に一度のお祭りに見世物が減るのを了承しない。
 結局、「なんとかしろ!」「ならない!」の言い合いに発展する始末だ。
「これ、いつまで続くのかな……」
 ミロが、隣のアイオリアに眠そうに声を掛ける。
 この激しい言い争いの中、よく眠くなんかなれるものだとアイオリアは感心しながら応える。
「兎に角、これに○か×を書いて、集計すれば終わりだろ。おい、そんなあからさまにバカにしたような顔すんの止めろよ。ここ、上級生から丸見えだぞ?」
「だって、ホントにくだらないじゃないか。準備する側が無理って言ってんだから話し聞けばいいんだよ。大体、そういう劇を選んだのって……あ、そっか。抽選だから選んだのは別か」
 演目は公平を規すため寮長のくじ引きで決められるのだ。
「うー、じゃ早く紙集めてくんないかな……オレ、飽きた」
「お前ってヤツは——!」
 アイオリアが一言二言この能天気な友人に目の覚めるような言葉を言ってやろうと、頸を巡らせたとき、兄のアイオロスが背を屈めてテスの席の前で話し込んでいる姿が目の端に飛び込んで来た。
 何を話しているんだろう?
 そう思った次の瞬間には、兄はテスの肩を軽く叩いて、やはり目立たないように背を丸めたまま移動し、おそらく元の席なのだろう、黒髪の涼しいというよりは切れるような視線の持ち主のシュラ・コーツに何かを耳打ちしている。
 話しかけられたシュラは、何か盛大に顔を顰めたが、薄い笑みを顔に浮かべたままのアイオロスの変わらぬ態度に舌打ちすると、矢庭に立ち上がり周囲の注目を集めた。
「投票をする必要はない。脚本・演出担当が結婚式のシーンを追加することを了承した。ミロ・フェアファックスの女装はそこで披露されるとし、以後この件に関しては他寮の人間には一切口外禁止。また実行部への今後の要求・口出しは一切無用に願いたい。以上で了承できない人間は、起立してその意見を述べてくれ」
 誰一人、立ち上がるものはおろか咳払い一つしない。水を打ったような静けさだ。
「では、この件は終わりだと思うが、どうですか寮長」
「あ、ああ。ありがとう、シュラ・コーツ。では、今後一切この手のことで揉めないように。今日でこの話は終わりだ。衣装係のものにはまたこれから仕事を増やして申し訳ないが、寮のためだ頑張って欲しい。また、必要な手助けがあればこちらに申し出てくれ。
 以上だ。解散。
 椅子の片付けは、第五学年以上で行い、第四学年以下の生徒は速やかに自室に戻り就寝の準備を行うこと!」
 一斉に椅子を引く音が談話室に響く。ざわざわと独立しない言葉が水の流れのように部屋を満たす。
「これ、ついでに持って行こうぜ」
 ミロが今で座っていた椅子をひょいと頭の上に担いで人込みを縫って歩き出す。
「なんかお前、自分の事なのに随分あっさりしてんな」
 後を追いかけてアイオリアが問うと、
「オレのことじゃないだろ? ドレスを用意するか、しないか、そういうシーンを入れるかいれないか、それだけじゃん。オレは関係ない」
「関係ないって、ドレスきてそのシーンの中に登場するのはお前だろうか。めちゃくちゃ関係あるじゃないか」
「オレは別に、これ着ろって言われたら来て、台詞覚えるだけだ。大したことじゃない」
「信じられねぇ、その台詞。三ヶ月前のお前に聞かせてやりたいよ、全く」
 アイオリアは、がっくりと頭を垂れて盛大に嘆いた。
 まるで、丸い小石や、薄い布、花、本、水、そんなガラクタが高い塔の天辺からばら撒かれ、空中に散らばったような一週間だった。
 スミス寮での総会は月曜日、火曜日には半分涙目になっている衣装班にミロは呼び出され、衣装の丈、ウエスト幅などの寸法を取られた。
「これで出来上がった衣装が切れないほど太ったり痩せたりしてみろよ? ただじゃおかないからなっ!」
 ぎりっと、ユアン・マクドナルドが震える手で採寸表に数字を書き入れながらミロを恫喝する。
 ついでに付け毛も合わせてしまおうと、蔦のように好き放題に伸びているミロの髪を整えて、準備してあった巻き毛を付けようとして、
「——おっまえ……! 髪の毛梳かしてないのかよっ!!」
 と五人がかりの罵声を受け、ミロは部屋を叩き出されたのだ。

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