ローマにて

フィウミチーノ空港に降り立つと、明るい日差しと少し湿った空気が頬を叩いた。
少し日差しが目に痛い。立派そうに見えたタラップは、体重を乗せると大きく揺れた。風も結構強かったが、そのせいではないだろう。
頼りないタラップの下には、4台のバスが待っていた。以前日本に出張したときには、地上係員がつぎつぎと乗客をバスに詰め込み、埋まったバスから発車させる手際の良さに感心したものだけれど、この国でそんな芸当ができるわけもない。最後の一人が迷い迷って4台のうちのどのバスに乗るかをようやく決めた後、バスはゆっくりと発進した。

イタリアという国は、古くから多くの芸術家、とくに作曲家にとって、憧れの地だ。温暖な気候、自由な空気、そして、多分これが一番大きいのだと思うけれど、この国の人間は生まれながらにして美的センスに大層恵まれている。無造作に貼られたポスターや、なにげない標識の色使いまで、センスが良くて当たり前の国。国民全体がそうだから、その中で創作活動をすれば、嫌でもその感覚が染み付いてくる、のだろう。

……しかし、そこまで美的センスに恵まれていながら、どうしてそれらの「良いもの」をぐちゃぐちゃの混沌の中に埋もれさせておくのか……はっきりいって、そこが一番わからない。同じことはフランスにも言えるけれど、パリがいくら文化の中心だといったって、イタリア人がまるで呼吸をするように易々と繰り出してくる「美的センス」の洪水には、とうていかなうものではないのだ。

お前たち、そこまで美的センスがあるくせに、どうしてそこの自販機を壊れたままの粗大ゴミにしておくんだ?!
……と、これまでに幾度ついたか知れない悪態を心の中で吐く。幸い、電車のチケット販売機は稼働していた。片道14ユーロ。プラットホームに向かうと、買ったチケットを通す機械があって、チケットにプリントされている2次元バーコードを読み取るセンサーらしきものがついており、その下にご丁寧に2次元バーコードのシールが貼られていた。

これは、当然、チケットのバーコードをここにかざすんだろう、、、と思ったが……ウンともスンとも言わない。後ろからやってきたアメリカ人夫妻も同じように試して、やはり首を捻っている。
やっぱり壊れているのか?
盛大に溜息をついてやろうと口を開きかけたとき、くたびれた格好のオジサンが、何も言わずに私のチケットをとり、上のスリットに通した。がちゃん、と音がして、チケットに穴が空いた。
……何、こんな偉そうなセンサーがついているくせに、これって機械式なのか?!

電車は延々と、田園風景の中を進む。車両は、(ちょっと悔しいことに)パリとシャルル・ド・ゴール空港を結ぶ列車よりずっと新しく綺麗で快適。ただし、速度は決して早くはない。車両の電光掲示板に現在の時速が表示されるのだが、ちょくちょく15km/hくらいまで落ちたりする。といっても、外の景色は綺麗で、たまに通過する駅もひなびた感じが悪くないから、もしかしたらゆっくりローマ郊外の風景を楽しんでくれ、というサービスなのかもしれない。

美しい田園風景はローマ市街に近付くにつれ姿を消し、やがて建物という建物に落書きが目立つようになる。終着駅のテルミニ駅は、少し前までは相当治安の悪い場所で有名だったらしい。仕事でローマを訪れていた間は、いつもミロが空港まで迎えにきてくれていたから、テルミニ駅にもほとんど縁がなかった。
今更ながら、随分と自分は甘やかされていたのだな、と思ったら、苦笑いがこみ上げた。

 

 

Conservatorio Santa Cecilia, サンタ・チェチリア音楽院のピアノ科になんとか補欠合格し、今日ほとんど身一つでローマの地を踏んだ事を、ミロは知らない。
絶対に言わない、音楽院の2年間も、可能な限り隠し通してみせる、と、心に決めてきた。
……とはいっても、ミロは聖チェチリアの講師もやっているから、ずっと隠し通すのは無理だというのは分かっているのだけれど。
髪は茶色に染めて、軽くウェーブをかけた。それだけで、あまりこちらを振り返る人がいなくなったような気がする。美容師が気を効かせて眉も同じ色にしてくれたので、違和感はほとんどない。
これを維持するのは結構大変だろうけれど……どうせ、地の色が見えてきても、大抵の人間はそちらの方が染めているのだと思うのだから、構わないだろう。

電車の線路は、フィウミチーノ空港からの路線も含め、全てテルミニ駅で終端を結ぶ。
テルミニ、というから、文字通り「終端(terminal)」と関係があるのかと思ったら、そうではなくて、ローマ時代のディオクレティアヌス浴場の遺跡が近くにあることから、公衆浴場の意味の「テルメ」が語源であるらしい。
首都の鉄道交通網としては、ローマはこの中央駅の他には地下鉄が2路線あるのみで、それほど大規模とはいえない。遺跡が多すぎて、自由に線路をひくには地理的制約が大きすぎるのかもしれない。
そのかわり、バスはかなり細かく路線が張り巡らされている。市内で生活する限り、車は必要なさそうなのが有り難かった。建物がギリギリまで迫った細い路地でも二重の縦列駐車、人も車も信号は平気で無視、とくれば、この2年間を自分も誰かも無傷で済ませられると信じられるほど、私は自分もイタリア人も信用していない。唯一困るかも知れないことといえば、ウサギが体調を崩して病院に駆け込まねばならないときに、タクシーがウサギの乗車を許してくれるか、ということだが……幸いウサギは泣かないから、布のバッグにでも詰め込めば何とかなるだろう。
(ちなみに、今回の旅にウサギは連れてきていない。アパートが決まったら、実家に預けてあるウサギ2匹を引き取ってくる予定だ。)

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テルミニ駅にて。

ホテルに行く前に、駅のトイレに寄ったら、水を勢い良く流す音が聞こえていた。
掃除中なのか、と中を覗き込んでみたが、とくにそんな様子はない。
とりあえずコインを入れてドアを押して中に入ると、洗面台の水が噴水のように吹き出していた……。
こんなものを放置しておくなんて、この国は、水道代が安いのか?
わざわざとなりの蛇口を捻って更に水を消費するのも申し訳ない気がしたので、そのジェット噴射のような水で手を軽く洗って、駅を出た。

駅から5分ほど歩いた一角に、これから1週間ほど世話になるホテルがある。この一週間で、これから生活するアパートを見つけて契約しなくてはならない。
一応、インターネットの情報でいくつか目星はつけてきたけれど、やはり目でみてから契約しないと色々この国は信用ならないので、契約は現地に来てから、と決めた。
音楽院のあるスペイン広場周辺は、ブランドショップが密集するような一帯で、とても安アパートなんて見つからない。
どのみちアパートにピアノを持ち込む資金はないし、交通の便を考えたら、テルミニ駅周辺でアパートを探すのが一番いいだろう。安い物件もこのあたりに多い(もしかしたら治安が悪いのかも知れないが)。

ホテルは、古い都市にはよくある1つの建物にいくつもホテルが入っている形式で、ウェブサイトで見た洒落た玄関口は、その全部のホテルの共通の入口だった。値段で決めたホテルだし、別に寝る場所があってインターネットが使えれば良いのであまり期待はしていなかったのだけれど、通された部屋は結構天井が高くて広さもあり、悪くなかった。

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ホテルとその部屋。

 

既に夕刻だったので、荷物を部屋に置き、少し街を見ようと外に出掛けた。
そういえば、ローマ大学サピエンツァ校がこの近くにあるはずだ。そう思い立って、地図を見ながら暫く歩いた。

ローマ大学といえば、規模の面でも、歴史の面でも、ヨーロッパ屈指の総合大学だ。ヨーロッパ最古の大学はボローニャ大学、その起源は1088年に遡るという話だが、ローマ大学も1303年に設立したとされている。学生数11万を超える巨大キャンパスだが、イタリアの国立大学の卒業率は20%を切っているので、卒業までこぎつけられるのはこのうち2万人余り。

講義の最初で、教授が言う言葉がある。
「君の右側をみなさい。たくさんの学生がいるね。
君の左側をみなさい。やはり、たくさんの学生がいるね。
覚えておきなさい、君が卒業する頃には、彼らは全員いなくなっているから。」
そして、実際にそうなる、というのだから恐ろしい。

遊び好きなイタリア人の国民性がそうさせるのか、試験がとんでもなく厳しいのか…怠け者のイタリア人労働者に昔さんざん仕事で泣かされた身としては、もちろん前者だと思いたいところだが、実際のところはたぶん後者だろう。

イタリアは、ガリレオやダ・ヴィンチのような、ひとつ間違えばナントカと紙一重の天才を多く生んだ土地だ。神の代理人を堂々と地上に置き、教会建築は天の座をそのまま地上に引き下ろしてきたようなスタイルを好む。オルガンも聖堂内に音が充満するような場所に設置される。地に縛られた人間が天を仰ぐように作られ、オルガンの音が天から降るように設計されたゴシック建築を生んだゲルマン人の思想とは根本的に違う。
だからこそこの国は、平気で「神のような」万能の人間や、一芸に突き抜けた人材を輩出する。その伝統は、高等教育の現場に受け継がれている…生半可な知識では、学位を取得することはできないのだ。

あまり綺麗とは言い難いシェンツェ通りから狭い路地に入ると、せっかくの美しい並木路に所狭しと車が駐車されていた。イタリアでは見慣れた光景ではあるのだけれど、由緒正しい大学前の大通りまで駐車場になっているのはいかにも残念だ。
大学の門の近くまで行くと、巨大な松の並木路に変わった。びっくりするほど背が高く、葉は上の方にだけキノコの傘のようにこんもりと茂っている。樹齢はどのくらいだろうか。
そういえば、レスピーギが「ローマの松」という交響詩を書いているが、あの曲に出てくる場所の松の木もみなこのような形をしている。数百年は生きているであろうこれらの松の大木に、巨匠が過去に思いを馳せてかの名曲を生んだのもわかるような気がした。

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駐車場と化した道と巨大な松の木。

松の通りを抜けると、正面にローマ大学サピエンツァ校の正門が見えた。
なんというか、別に建築としてはそんなに目新しいものではないのだけれど、シンプルなのに威風堂々とした玄関口だと思う。もっとも、校舎の老朽化はかなり進んでおり、この国の深刻な経済状況が垣間見える…それでも学費が驚くほど安く、しかも所得によって変動するシステムは、もはや中流以上の家庭でなければ授業料が支払えないアメリカやイギリスの現状と比べると随分と良心的だと思う。(私自身もその恩恵にあずかっている)

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ローマ大学サピエンツァ校正門と構内の池。亀と金魚が繁殖中。

 

学生のフリをして学内を眺めた後、再びテルミニ駅の方向に戻った。グロッサリーストアを見つけて、今晩の食事を調達しなければならない。これから貯金を食いつぶす生活が待っているのだから、毎日外食などしていられない。
その途中で、”MILO”という名前のホテルを見つけた。思わずカメラに収めて、ふうん、三ツ星か、などと余計なことを考えていたのがいけなかったのだろう。石畳の段差に気づかず、盛大に転んで思い切り足首を捻ってしまった。

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ホテルMILOの看板。

歩けない痛みではないが、大事をとってグロッサリーストア探しは諦め、ホテルに直行。部屋に戻り足首を見てみたら、盛大に内出血して腫れ上がっていた…。生まれて初めての、本物の捻挫だ。学生時代、さんざんスポーツをやっていた頃でも捻挫なんてしたことがなかったのに、あいつめ、と完全に八つ当たりでホテルの看板の名前の主を思う。
一瞬、病院に行った方がいいか、とも思ったが、どうせたらい回しにされてさんざん待たされるのだろうと思ったら、このまま部屋で安静にしている方がいいような気がした。
とはいえ、籠城には食料が必要なので、フロントで一番近いストアの場所を尋ねると、なんとテルミニ駅の中にある、という。

テルミニ駅までなら危険な石畳を歩かずに済むので、なんとか足を庇いつつ買い出しを決行。ホテルのフロント係は”very little”なグロッサリーストアだ、と言っていたが、それなりに品揃えのある店内を一巡りして買い物を済ませた。途中なんともイタリアらしいモノを発見。エスプレッソ専用の、小さな使い捨てプラスチックカップだ。一体、どれだけエスプレッソが好きなんだ、とぼやきかけて、そういえばミロもこれがないと頭が働かないと言っていたな、と思い出す。これだからイタリア人は…と、自然にため息をつきかけた自分に気づいて、改めて苦笑。あいつの国籍は、今も一応、イギリスだ。
コーヒー豆が所狭しと並ぶ一角で、もちろん紅茶のティーバッグを買って、グロッサリーストアを後にした。

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使い捨てエスプレッソカップ。

 

 

翌日は、“Do Not Disturb” の札のおかげで、起きたらすでに昼を過ぎていた。
昨夜熱を持っていた足首は、今度は冷えて血の巡りが悪くなっている。経験上、炎症を起こしている時よりも冷えている時の方が危険だとわかっているので、ベッドの上に座り込んで手のひらで適度に熱を送って血流を保ちつつ、ヘッドホンでイタリア語の勉強をして1日を過ごした。音楽院に顔を出す日よりも数日早くローマ入りしたのが幸いした。もっとも、この時間を使って部屋探しをする予定だったので、あまり長くひきこもっているわけにもいかないのだけれど。

さらに翌日、内出血も大分引いてきたので、夕方にオーディトリウムまで出かけることにした。9月は基本的に演奏会はオフシーズンなのだけれど、今日、明日と2日続けて外国のオーケストラの演奏会がある。イタリアのオーケストラの音はこれからいくらでも聴けるし、曲目も気になって聴いてみようかと思ったのだ。
演奏会の開始時刻は夜9時。終演時刻の間違いではない。
せっかくなので、早めに行って近くを見て回ろうと思い、まだ明るいうちにホテルを出た。

オーディトリウムはローマのはずれにあるので、バスの910番を使う。どのみちしばらくは方々に足を延ばすことになるから、バスと地下鉄の全路線に乗れる3日間のローマパスを購入した。これを持っていると、割引が効く場所もあるらしい(別に観光しにきたわけではないのだけれど)。
バスはまったくアナウンスがなく、バスストップの標識をみて現在位置を確認するしかない。路線図を照らし合わせながら、オーディトリウムの前で下車したが、かなりさびれた雰囲気の場所だった。

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バス停にて。

実は、この場所には以前仕事で来たことがある。まだ照明デザイナーをやっていた頃の話で、ここで行われるイベントの環境照明を引き受けた。当時はもちろん、ローマでの仕事の際にはミロの家に泊まっていたから、ミロがここまで車で送ってくれて、仕事が終わるまで手伝いをしてくれていた。夜だったから、こんな寂しい印象の場所だとは気づかなかった。

ひとつ先のバスストップまで足を伸ばしてみると、もはや使われていない施設などがガラスも割れたまま放置されており、かなり荒れた雰囲気だ。実は、ローマには聖チェチリア音学院の他に、聖チェチリア国立アカデミアがあり、後者の事務局はこのオーディトリウムの中にある。そんなわけで、ローマ市内で良い物件が見つからなかったら、この近くにアパートを探そうかと考えていたが、早々に諦めた。
もっとも、アカデミアの方もレッスンは音楽院の建物と同じ場所でもやっているようだから、わざわざこの辺に住む学生はいないのかもしれない。

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アカデミアの入口とレコードショップ。

隣のレコードショップを一通り眺めて、レンゾ・ピアノの設計による3つのホールに向かう。建築を多少なりとも齧った人間なら知らぬ者はない巨匠のデザインは迫力があり、ホールで囲まれたスペースでコロッセオのような野外イベントスペースが形作られているのが面白い。

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3つのホールと野外イベントスペース。

外見は多少経年の汚れがあっても、中に入ると内装は悪くない。ネオンの使い方に多小疑問を感じるが…まあ、これもクラシックとコンテンポラリーを積極的に混在させるイタリアの文化なのだろう。3つのホールは廊下で繋がっていて、それぞれサンタ・チェチリア大ホール、ジュゼッペ・シノーポリ中ホール、ペトラッシ小ホールへの入り口がある。シノーポリはもちろん、2001年にオペラ「アイーダ」本番中に心筋梗塞で急逝した指揮者のシノーポリだ。そういえば、この人も第1級の指揮者でありながら心理学の論文を書き、晩年には考古学も修めた万能の人だった。本業以外の成績がどうだったのか知らないが、少なくとも学位を取ったのだから、卒業した2割に入っていたわけだ。やはりイタリア人は侮れない。
廊下からガラス越しに遺跡の発掘現場が見え、出土品が展示されているのもこの国ではごく当たり前の風景。ここには楽器博物館も併設されているが、7月から9月は閉鎖中だった。

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ホール入口。
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ホールのすぐ横に発掘現場があり、出土品が展示されている。
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楽器博物館は休館中。

中はひととおり見たので、隣接するカフェテリアで時間潰しに軽食をとった。ラップトップを開いて課題をこなしているらしい音楽院の学生とおぼしき人影もちらほら見える。暖かいパニーニは悪くなかった。

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カフェテリアにて。

 

今日のオーケストラはメキシコのオーケストラで、演目はキタエンコ指揮、ベレゾフスキーのピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、メインがチャイコフスキーの交響曲第5番だ。こんなところでキタエンコのロシアものが聴けるとは思っていなかった。
驚いたのは、ホールの音響の清々しさだ。ホール全体が、まるで巨大な木の楽器。天井まで木質の壁で固めたホールは決して多くはない。残響時間の恩恵で響きのよく聞こえる印象のホールは世界中にあれど、こんなに清々しい響きはしない。ホール全体がまるで楽器みたいだ。

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ホール全景。壁面には吸音材となる布を下げてある。おそらく残響をコントロールできるようにとの配慮だろう。こんな手の込んだホールは初めて見た。

ベレゾフスキーのピアノはいかにも重厚なロシアピアノという感じだった。まあ、あんなにパワフルに弾けたら面白いだろうな、とは思うけれど、こればかりは持って生まれた体格にも大きく左右されるから、自分にはあんな表現は無理だろう。
チャイコフスキーの5番は悪くはなかったが、ホールが良すぎて、逆に多少残念なところもあった。これほど響きの素直なホールなら、もっと頑張らずに濁りのない音で演奏した方が良い。まるで名匠の手によるヴァイオリンのように、繊細で、どんなかすかな音のゆらぎも客席まで届く。
こんなホールで演奏していたら、それは音にもうるさくなろうし、耳も鍛えられるだろう。
ミロは、ここで音楽院時代を過ごしたのだな、と、ここ十年のミロの成長を思った。

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終演後のホール。ひかえめなイルミネーションが好印象だった。

 

 

翌日は、予定どおり音楽院へと出かけた。
音楽院は有名なスペイン広場の最寄り駅を降りて徒歩10分ほど、ブランドショップが立ち並ぶもっとも観光客の多い一角の外れにある。
こんな土地代が高そうな場所に構えなくてもいいのに、という気もするが、音楽という芸術を極めるなら、文化の中心地になくてはならない、という配慮なのかもしれない。

もともとは照明の仕事でショウウィンドウのディスプレイも手掛けたことがあるから、ブランドショップの並びが気にならないわけではなかったけれど、先に用事をすませるべく音楽院へと向かった。
途中アパートの上階を見上げながら、このへんに住むのは無理だな、と結論した。絶対に高いに決まっているから。
音楽院のある周辺は、スペイン広場前の喧騒が嘘のように落ち着いた一角だ。
どうせアパートにピアノを置く余裕がないなら、このあたりに住めれば、練習に通うのが楽になるのだけれど。

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スペイン広場の階段と目抜通り。ブランドショップが立ち並ぶ一角。
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音楽院はDEI GRECI通りにある。小さな小道に面した入口は、見落としそうなほど小さい。向かいは楽譜屋。

 

 

入学に必要な書類の提出やこれからのスケジュール、9月までに準備する教科書や楽譜の一覧表を受け取り、授業料の支払いなどを済ませて外にでると、まだ夏の日は高かった。
音楽院の近くに住むのは無理としても、他にどこか交通の便がよくて、そんなに家賃の高くない場所はあるだろうか?
……ミロにきけば、「そんなもの、ローマにあるわけがないじゃないか!」というだろうけれど。

ミロに私がローマにいることを知られたくないのなら(といっても隠し通すのは無理だとわかっているのだけれど)、ミロのアパートの近くに住むのは論外だ。そうわかってはいても、ミロも決して資金が潤沢ではない条件で家をさがしてあの周辺になったわけで……それほど危険ではなく、家賃も高くなく、という条件で探したら、どうしても似たような場所にならざるを得ない。

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ポポロ広場とカブール広場。

テヴェレ川を渡れば多少安い物件がみつかるかもしれない、と思い、ポポロ広場からレジナ・マルガリータ橋を渡った。ここからカブール広場へと向かって裁判所の横を通り、星型のアドリアーノ公園の横を過ぎれば、バチカン市国への道に出る。このあたりは馴染みの区画で、何故馴染みかといえば、カブール広場横のウルピアノ通りにミロのアパートがあるからだった。
ミロは昼間に家にいることは少ない。この時間帯でもっともミロに出くわす可能性が高いのは音楽院だから、今の時間はむしろこの界隈は安全だ。そう思ったら、ちょっとミロのアパートをのぞいてみたくなった。
すっかり開店休業中のミロのデザイン事務所はあいかわらずシャッターが半分降りたままだ。なんだか、内装の壁紙が剥がれかけているようにみえるが、もう少しなんとかした方がいいのじゃないだろうか。

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まだ合鍵も持っているし(返そうとしたのだけれど、ミロが頑として受け取らなかった)、せめて剥がれかけた壁紙を貼り直してこようか…と一瞬でも考えてしまった自分を戒めつつ、裁判所の横を抜けた。バチカンにはミロに案内されて何度も来ているのだけれど、これからこのローマで生活するのだし、ちょっと総本山にご挨拶してもいいかな、という気分になったからだ。
といっても、私はカトリック教徒ではない。しかし、英国国教会ももとはカトリックだったのだから、ご先祖に敬意を表すのは悪くはないだろう。

 

サン・ピエトロまでの道のりは、詰めるだけ詰め込んだ感の大きいローマ市内の縮尺に慣れていると、結構遠く感じる。つまり、聖堂が大きすぎて、見えているのに歩いても歩いても辿り着かない。その上、道中日差しを遮るものがなく、じりじりと日差しに焼かれながら石畳を歩くのは結構こたえる。途中で猛烈に喉が渇いて、水ボトルを持ってこなかったことを後悔した。これから倹約生活をしなければならないというのに、結局露店で3ユーロの水ボトルを買って、ようやく広間までたどり着いたらこの行列。

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行列は、広間を一周するだけではあきたらず、ヘビのようにとぐろを巻いていた。
中に入るまでに、一体何時間待たされるのだろう?
今更ながら、ミロがここに連れてきてくれたときには、いつも人の少ない日時を見計らってくれていたのだ、と感謝した。
もちろん、早々に参拝は諦めた。

 

 

ここからさらに郊外に出るか、市内へ戻るか、少し迷ったのだけれど、三日前くじいた足のことを考えてこれ以上の遠出は諦め、ふたたびテヴェレ川を渡ってナヴォナ広場の方向へ向かった。このあたりはミロに車で送ってもらった際に通ったことがあるくらいで、自分の足で歩いたことがないのであまり土地勘がない。夜に小さな劇場のチケットを買っていたので、スペイン広場の方向に向かって適当に歩いていたら、同じ場所に戻されてすっかり迷ってしまった。
市内には、一応観光名所向けの道案内看板が時折たててある。とりあえず有名どころを辿っていけば、いつか着くだろう思い、まずトレヴィの泉へ向かうことにした。看板の指示に従ったつもりだったのだけれど、込み入ったローマの道を小さな観光客用の地図ひとつで歩くのは簡単ではなく、ようやくたどり着いたころにはすでに日が傾きかけていた。
広間は観光客でごったがえしていて、まるで満員電車の中のようだ。一応懐に気をつけて(トレビの泉周辺はスリが多い)、ようやく中ほどまで来ると、泉は工事中で水は一滴もなく、観光客向けの小さなバスタブのようなものが設置されていた…ここに代わりにコインを投げていけ、ということか?

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工事中のトレヴィの泉。

このトレヴィの泉、wikiによれば、投げるコインの数によって叶う願い事が変わるらしく、1枚でローマ再来、2枚だと大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れられる、ということになっているらしい。一度結婚すると離婚が難しいカトリックのお膝元ならではの話だけれど、1枚、2枚はともかく、このギャラリーの目の前で3枚のコインを投げるのは相当勇気がいるのじゃないだろうか。
自分だったら何枚のコインを投げるだろうか、とふと考えて、答えがみつからないことに苦笑した。

大切な人と一緒にいられることが必ずしも幸せとは限らない。
けれど、一方的に関係を解消したくせに、3枚のコインは投げたくない自分がいる。
本気でミロを自由にしてやるつもりがあるのなら、ここは3枚投げ込んで立ち去るべきなのだろうけど……。

 

人混みをかきわけて広間を出ると、ミロが昔スチルで撮っていたような広告の写真があって、思わず溜息がこぼれた。

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街でみかけたZARAの広告。

ミロに対する感情は、我ながら自分でも持て余すくらい、複雑だ。
綺麗な、素直な心に対する憧れ。
見栄や諦めといった濁りに穢されることなく、外部からの圧力に潰されることもなく、どれほど傷ついてもそれを守りつづける姿勢。
こんな人間、ほかにはいない。そう思ったら、どんな手を使っても手に入れたくなった。
けれど、その素直さは時折とても残酷な刃になって、こちらの心臓に突き刺さる。
自分で望んで手にいれたはずなのに、切り刻まれて、耐えられなくて、結局私の方が音を上げた。

誰にでも愛されるその容姿に見惚れてしまう自分と、それによって享受している利益に気づきもしない彼の鈍感さに対する苛立ちや嫉妬。
もちろん、彼がその容姿ゆえにかつて性的いじめを受けたことも知っているから、ミロが必要以上に自分の容姿の価値を低く見積もっていることを責める気はない。けれど、やはりスチールにおさまったミロはとても格好良くて、それを自覚していない言動を聞くたびに、ちょっとイラッとするのは止められない。
本当は、惹かれているのは容姿ではなく、たぶんあの人目をひかずにはおかない生命力のようなものなんだろうと思う。
ミロはそれを持っているから、何もしなくても周囲から手を差し伸べてもらえる。
だから、誰かに奉仕して役に立つことでしか注意を向けてもらえなかった自分自身と比較して、つい嫉妬してしまうのだろう。

 

スペイン広場の界隈の近くまでくると、目を引かれるディスプレイが増えてくる。
ブランドショップよりも、地元の個人商店のようなところの方が面白い。

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紳士衣料品店のショウウィンドウ。

女性の服を綺麗に飾るショウウィンドウは世界各国にあるけれど、男性のシャツをこんなふうに飾るディスプレイはあまり見かけない。やっぱり、なんというか、お洒落な国だなあ、と思う。
(余計な世話なのだろうが、折角着るもののデザインは良いのに、イタリア人にはいわゆるハンサムというのはあまり居ない。グラビアなどでも、折角のデザインがイタリア人モデルが着るとどれもこれもジゴロっぽく見えてしまって、本当にそういう効果を狙ってデザインされているのものなのか、と首を傾げることが多い。ミロが重宝されるわけだ。)

 

夕刻、オペラの開演前にはなんとか劇場にたどり着くことができて、アメリカ人観光客に紛れて小さな劇場に入った。
演目は椿姫、まるきり観光客向けの催しの模様だけれど、劇場が小さいので舞台が近くに見れて良い。オペラは芝居だから、大きな大ホールで顔の表情もわからない席で聴いても面白くない。それに、国外には名前を知られていない歌手たちの実力がどんなものか、この国で聴いておきたかった、というのもあった。

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TEATRO SALONE MARGHERITA内部。

チケットは前方席が45ユーロ、しかもローマパスがあれば割引してくれるという話だった。開場前につくと、小さなピザの切れ端を出してくれて、皆ワインを飲みながらそれをつまんでいる(ワインはもちろん有料)。中に入れば入ったで、ショートパスタの軽食がでてきた。オーケストラピットはなく、舞台左側のフロアで小さなアンサンブルが演奏する。そのすぐ横に、食事ができる円形のテーブルと椅子があったりして、畏まって聞くオペラというよりはディナーショーのような雰囲気だ。

正直、日常会話はなんとかこなすものの、オペラの台詞が聞き分けられるほどまだイタリア語に通じていないのでどうなることかと思ったが、さすがにイタリア人歌手、表現豊かな演技と美声で十分に楽しむことができた。やはり、イタリアという土地でオペラというジャンルが発展したのには、十分な理由があったのだ、と実感する。イタリア人は皆表情が豊かで、身振り・手振りが大きい。そして、体がそのまま楽器の、甘い美声。

以前、ポールがあのシニカルな笑みを口元に浮かべて言っていたことがある。
「声楽でイタリアの音楽院に進学すると、最初外国人がトップを占める。受験前にあんまり訓練してこないんだろうね。それが、2年たつと、順位がそっくり入れ替わる。イタリア人は音楽院に入ってからの伸びがすさまじいんだ。だから、僕はイタリアには行かない。」

 

イタリアというのは、本当に不思議な国だ。
街は雑然としていて、ちっとも整理されていない。そんな中に、他所の国に持っていったらそれだけで大層目をひくであろうものたちが、無造作に混じっている。
イタリア人の血の根底には、そのような美に対する鋭いセンスが通奏低音のように流れているくせに、この雑然とした状況にはまったく頓着しない、という驚くべき鈍さも持ち合わせている。
ところが、なにかのきっかけで上に積まれたゴチャゴチャとした濁りが取り払われると、突如その厳しい美に対するセンスが光り出す。そしてひとたびスイッチが入ると、もはや決して妥協せず、まるで呼吸をするがごとく、美しいものが生み出されていく。それはもはや、努力ではどうにもならない、綿々と続く民族の血が受け継いできた至宝だ。

そんな国で生きてきた人々と、自分はこの街で対等に戦えるのだろうか?

始める前からそんなことを言っていては仕方がないのだろうけれど、ときおりその道のりの遠さに気が遠くなる。
もちろん、人の感受性はさまざまで、イタリア人の生み出す美だけが美しいわけではないことは十分にわかっているのだけれど……。

この、モヤモヤした気持ちは、私がミロに対して感じるものとちょっと似ている。
つまるところ、私は、ミロの体に流れるイタリア人の血に、かなわないと思いつつ、嫉妬しているのかもしれない。

 

それから2日間、ローマ市内外を歩き回って、ようやくアパートを契約した。
ミロが見たら、なんでこんなところに! と声を上げるかもしれないが、ウサギ付きでも入居させてもらえて、家賃が安い場所といえば、それほど選択肢はなかったのだ。
(どこへいっても、まず「すぐに食べるならいいけど」「繁殖はダメ」と釘を刺された。どうもイタリア人にはペットとしてウサギを飼うという感覚がわからないらしい。)

いつか、彼らをたまに外で遊ばせてやれるような、庭付きの家に引っ越したいと思っていたけれど……
この様子では、外にでも出そうものなら、あっという間に盗まれて食べられてしまうのがオチかな。

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アパート前にて。